2011年12月30日金曜日

49.3キロ!


今日は30日。練習ももう休みにしたし、久し振りにゆっくり起きた。それでも今日はやる事が沢山有る。
今日は雄一の外来検診。三重中央は休みだが、主治医の先生が居てくれるので、予約で見てもらえるようにお願いした。

その準備やらで、病院関係の点滴やら着替えやらで今は荷物置き場に成っているリビングの隣にある8畳の間を片付けていたら、壁には雄一の小さい頃の写真、まだ3~4歳頃の写真が大きく引き伸ばしで飾ってある。
しばらく、「これはどこで撮ったんかな・・・」と考えていてその表情を見ていると泣けて来てしまった。
こんな可愛かった子が・・・今は憎まれ口しか言わないが辛い宣告を受けて苦しんでいる。僕は親として何か間違っていなかったのか・・・。そんな事をしばらく考えていた。
今は僕達が出来る事をとにかくやり続けるだけだ。

病院へ10時過ぎに行って先生に少し見てもらい、点滴の針(今はリザーバーを胸に埋め込んでいる)を抜いてもらって病院でシャワーをさせてもらった。そして体重を計ると、49.3キロ。先週の25日からまた1.3キロ増えた。もう少しで50キロだ。看護婦さんも「表情がふっくらして来たね!」と言ってくれる。
まだ治療の成果は来年中頃に行う予定のCTと腫瘍マカーの検査待ちに成るが、これだけ食べれているのだから悪くは無いだろう。

思い切って他病院での別の治療を初めて、無理やり一時退院して食事も家で好きな美味しい物を食べれる様になったのも良かったと思う。
お正月には50キロを目指そうか!

2011年12月28日水曜日

3回目の温熱治療

 今日は3回目の温熱治療で茨木へ。予約は12時なので、8時半過ぎに用意をして家を出た。冷え込んではいるが、雪は無い。
今日も予想以上に名神も空いていて途中の休憩を入れても10時過ぎには病院に着いた。

 津から茨木まで普通に走れば1時間半を見とけば充分の様だ。それでも年明けてからは混んでくるかもしれない。一応3時間は目安かな。
病院で時間をつぶし11時半頃から治療の準備。
ストーマの袋の排便と点滴モーターを外して点滴台を借りて来て自然落下に代える。その点滴は患者の座る位置が点滴台の高さに影響してくる。
 先週は雄一が温熱治療器の高いベットに乗っても普通の点滴台で流す事が出来たが、今日はまたその下にイスを置いて天井近くまでの高さにしないと落ちて来なかった。何でだろうなあ。。。

 治療が終わって病院の食堂で昼食。雄一も僕も同じカレーを食べたが、同じように全部食べてしまう。
朝は昨日のすき焼きの残りをぞうすい風にしたご飯を僕よりは沢山食べる。
夕食はカツ丼ぶりを平らげていた。
沢山食べる様になったので、ストーマに出て来る便の量が多いしすぐに溜まる。
夜には余り出て欲しくないので、夕食は早めに7時頃には食べさせる様にしているが、遅くには食べない様に雄一も意識はしている様だ。
 早くストーマを無くして自由に食べれる様にしてやりたいね。

2011年12月27日火曜日

ストーマの排便治具


  今日も雄一は元気にしている。お昼はオムライスもほぼ一皿食べたらしい。
夕食はひなた達も来たのですき焼き少々と大きなから揚げ。
夜に沢山食べたり、8時以降に食べたりすると小腸のストーマから寝込んだ頃に便が出たり溜まったりするので、自分なりに夕食以降は調整している様だ。

そのストーマから出て袋に便が溜まるんだけど、この袋から中味を捨てるのがとても面倒で中々流れず時間が掛かる。日に3度ぐらいは捨てるが、母親はしこしことその作業に20分近く、またはもっとかかる時も有る。
何でこんなに面倒なんだろう?看護婦さんも実際に使っている人も文句を言わないのだろうか?
先日から僕もやってみたが、確かに出て来ない。無理の押すと破れる、逆流する、出口を小さな棒で突きながら出して行く。僕も最初は20分ぐらい掛かった。しかもトイレの廻りをあっちこっち汚して。。。

こんな事はやってられない。
今日は帰りにかなり太目のステンレスの針金を買って来て出口の掃除用の治具を作った。夜に溜まった所で袋を外して、やってみると。。。我ながらさすがだね!
5分ほどで全部でて中の水洗いも出来た。手もトイレの廻りも汚れない。
外出用にも1本作り、当面はこれで楽に成る。
でも、こんな困りごとの袋を使い続けるのは能がない。病院も少しは考えて欲しい。

治療もそうだが、患者側もしっかり知識を持ってかからないと成されるままではベストには成らない。特に今回の入院からの治療で強く感じた。
精神科の先生なんかは山の様な薬を出すだけ。あれだけの薬をずっと飲み続けたら多分それだけでやれれてしまうんでは無いか?
患者の気持ちや話を聞いたりしてカウンセラーするのが役目だと思うけど、そんな治療では無い。そんな治療は必要ない、やめさせようと思っている。

明日はまた大阪での温熱治療だ。仕事も治療に合わせて何とか休みを取った。
取りあえずは2月まで毎週続ける。出来る事は何でもやろう。

2011年12月25日日曜日

体重が増えた!


練習を終えて帰ると母親がまたストーマの交換をしていた。これが結構面倒で普通は3日に一度は交換する。けれど昨夜にほんの少し洩れて交換し、今夜もまた少し洩れて交換した。交換してもらう方も出来る事ならこんな物は無い方がいいに決まっている。
けれどこれで一時は助けてもらったんだから感謝しないと。

便の排出も面倒でこれが中々流れてくれない。配管が細いのも問題。何でこんな簡単な事が改善出来ないんだろう。日本の技術なら簡単だと思うんだけどね。使用する側の立場に成って考えているとはとても思えない。

その交換を昨日も見ていたが、以前よりはそのお腹廻りの肉が少し着いて来たような気がしていた。点滴はずっと続けているが、食事は良く食べているし、水分も沢山取っている。今は吐き気をもよおす事もほとんどない。11月末頃の悪い症状がウソの様だ。
髪の毛が抜けて来たのがショックな様だけど、「それは最初から解っていた事だし、止めればまた生えてくる。それは薬が効いて来た証拠だよ」と言っても相当気にしている様だ。
「かつらでも何でも買ってやるから」と言っているが、ここは食べれる様になったんだし気を取りなおして前を向いて欲しい。

点滴を替える時に体重計を持って行って計ってみると・・・
「48キロ」。1週間前の19日に病院で46キロだったから1週間で2キロ増えた事に成る。入院以来初めてだ。治療の成果は検査をしないと解らないが悪い傾向でない事は確かだろう。これは嬉しい傾向だ。
これからも少しずつでいいから良く成って行って欲しい。

2011年12月24日土曜日

メリークリスマス!のプレゼント

 今日はクリスマスイヴ。
雄一も家で療養しているし、プレゼントもしてやりたい。昨夜に津のショップに行ってiPad2を見て来た。そこそこの値段もする。けれど何かヤル気に成ってくれればそれでいい。ノートパソコンも有るが余り使いたがらない。iFonの小さい画面をチョコチョコやっている。
治療や病状の辛さは痛いほど良く解るが、他にはもっと辛い人も沢山いる。そんな状況が続いても、いつも前を向いていて欲しい。

昨夜はあの3.11の津波の映像をテレビで流していた。一瞬の内に家族や子供や愛する人を亡くした人達は・・・。一瞬の内に波に飲まれて亡くなった人達は・・・。まだまだ僕達は恵まれている。以前にお坊さんの説法でも話していたけど、朝、まず目覚める事に感謝!辛いのも生きているからこそだ。

昨夜はそのショップに行って「雄一が本当に使って役にたつかなあ・・」と考えていたが、今夜は決めた。僕の基本は思いついたらまずやってみる事。野球も雄一の事も一緒だ。ダメならまた考えればいい。なので、今夜またショップへ行ってiPad2を買って来た。雄一の名前で購入するので手続きは何かと面倒だったし時間が掛かった。でもさすがにそのスティーブ、ジョブズのセンスは素晴らしいね。
僕も使ってみたい!と思ってしまう。説明書が無いのもいい。自分で考えて使い込めばいい。

昨夜、その先日に亡くなったスティーブの特集をNHKで放映していた。
その中で今はやりのiFonやスマートフォンのあのタッチパネル方式の携帯電話のアイデアは20年以上も前に、まだ携帯電話が無い頃にスティーブはデザインとアイデアを書き込んでいたらしい。

スティーブの言葉。 「常にハングリーで有れ!愚かで有れ!」 
夢を信じて、無に成って、バカに成って突き進め!と言う事かな。これはどんな事にも通じる大きな教訓だ。

今日も良く食べている。イヴと言っても世話が大変で夕食も買い出しの物だけど今日はチキンがメイン。大好物のから揚げやチキンフライを食べてご飯も食べている。充分なくらいに。
後はヤル気だけだ。辛いだろうけど前を向いて頑張って欲しい。

2011年12月23日金曜日

お風呂に入りたい。

 今日は寒く成った。いよいよ冬本番かな。
仕事を終えて帰るのは今日から暫くは病院では無い。
雄一は自宅にいる。帰ると自分の部屋でベットに軽く座ってテレビを見ている。今日も食事は普通に食べている様だ。冷蔵庫の中のゼリーやアイスやジュースも良く平らげてる。

 今、持ち運び様の点滴やストーマで家の中ではそれ程不自由もない。けれど問題が一つ。お風呂に入れない事だ。
ストーマが有るから腰のそこまではお風呂につかれるが、上半身はリザーバーの点滴ポートが有るし、点滴を付けたままではシャワーも流せない。
病院にいる時は、左の胸に埋め込んだリザーバーのポートから点滴用の針を抜き、防水をしてシャワーをしていた。
 家でも出来ない事は無い。でも点滴の針とラインは約1週間は使うからその時に同じようにシャワーするしかない。

 冬の間は特に着替えする洗面所などは暖房もないし、お風呂でゆっくり入って温まらないと寒く感じる。病院には暖房も着いている。
家の洗面所にも暖房を付けようか。
ストーマの便を捨てるのにトイレも使いにくいかもしれない。
出来る事からやって行こうか。

2011年12月22日木曜日

良く食べる。。。無理はするな。

 今日は温熱治療を終えて一泊入院の後、お昼前には清算して病院を出た。
ここは新しく綺麗な病院だが、院長は大阪大学の名誉教授で今日の帰りに診察してくれたが、専門が放射線なので、温熱以外の事は余り聞けなかった。
難病に打ち勝つにはまず信頼出来る先生を見つける事だ。
今の三重中央では今の所、抗がん化学療法しかない。もっと色んな選択肢を探したい。

 
 お昼前に病院を出る事が出来たしこの機会に服部緑地にあるお墓に向った。
少しでも無理ならやめようと思っていたが、雄一も比較的元気だし最短の地図も頭に入れたからそんなに時間はかからないだろう。
行く途中にとんかつ屋さんが有って「帰りに食べようか?」と車の中で話していた。

 おばあちゃんのお墓をタワシで少し洗って線香を立てて、雄一を呼んで来た。
点滴やストーマの機器セットを持って歩かないと行けないので、病院以外では特に外に出るのを嫌がる。「病人丸解りやんか」と嫌がるが、何で現実を受け入れない?点滴セットを持って歩くのが何で恥ずかしい?
辛いのは解るけど、今を受け入れてそこから頑張るしかないんだよ。
 ぐずる雄一を引っ張りだしておばあちゃんのお墓の前まで行き、一緒に手を合わせ、今を感謝して「これからも守って下さい・・・」とお願いをした。雄一にも本当はそうするべき、とは解っているハズだ。ただ素直に成れないだけ。
素直に「ありがとう」と言えたらもっと気持ちは楽に成る。

 その帰りに途中に有ったとんかつ屋さんに寄ると、やはり店に入るのを嫌がるので、お弁当をお願いして駐車場の車の中で食べた。メニューは同じ物。少し雄一のはご飯を減らしてもらっただけ。それでも苦も無く全部食べてしまう。吐き気をもよおす事も無い。
2時間弱のドライブの後、家に帰って暫くして今度はインスタントのどんべえを食べる。ジュースも良く飲む。
7時頃食べた夕食の量も僕とほとんど変わらない。本当にステージ4以上の胃袋、十二指腸なのか?
それに比べて健康体だと自負している僕の食事の量はほとんど変わらないから返って自分が心配に成る。

 今月始めに先生が言っていた事とは大きく違ってうその様に食べれている。少し心配なぐらいに。これは治療の効果だろうか?
もう少し自制して、無理をせず体力を回復させて腸も元気にしてストーマをまず取ってあげたい。

2011年12月21日水曜日

から揚げ食べたい!

 今日は茨木の病院で一日入院して温熱治療。
昨夜、三重の病院をまた一時退院。一週間分の薬と点滴をもらって帰って来た。一つの病院で全部出来ればいいんだけど今はそうは行かない。
今朝は茨木市内の渋滞も無く、途中で休憩しても1時間40分ぐらいで着いた。ここより大阪市内に向かうと渋滞になる。ここは第二名神を使えば予想以上に近い。

9時過ぎには着いて、予定より1時間以上早かったが、受付に行くとすぐに入院の部屋の手配をしてくれた。まだ10年も経っていないだろう、新しい病院で病棟はとても明るく4人部屋でも充分に広い。屋上にはサンルームや屋上庭園も有る。病棟の真ん中には大きな吹き抜けが屋上まで続き、見晴らしも、日当たりも良いしここなら入院しても気持ちよく過ごせそうだ。
担当してくれた看護婦さんもとても愛想のいい若いお母さんだ。久し振りに大阪弁で話が出来る。
温熱療法の出来る病院はこの手前で京都の長岡や奈良に有るが、少し遠くても車での便がいいし、選択としては良かったかな。

お昼前に温熱治療の準備をし12時過ぎから治療に入る。時間は40分ちょっとだ。
前回に点滴の小型モーターの外し方も心得ているので、今回は準備も早い。モーターを外しての通常落下の状態では前回は天井近くまで上げないと点滴が流れなかったが、今日は普通の点滴台で流れる。
何故かは解らない。でもお蔭で点滴の交換も調整も出来る様になった。

治療が終わると暖かくなって少し気持ちも良さそう。
そのすぐ後の少し遅い昼食も大体食べた。食欲は大丈夫そうだ。
3時近くなると何か食べたくなって1Fのコンビニに母親と行ったが、どうもお目当てが無くて何も買わずに戻って来た。
「何が欲しいの?
「から揚げ食べたい」
「・・・・もう・・・」 一番胃には、特に今は良くない食べ物の様に思うが、大好きな物は仕方が無い。
車で出かけて近くのコンビニに寄りから揚げ棒2個とフライを買って来ると、迷わず食べきってしまう。これは僕以上の食欲だ。けど2個目のから揚げ棒はさすがにやめさせて夕食の時に食べさせた。
今は食べても吐き気も出て来ない様だ。

治療が効いているのか、まだそれは解らない。希望をつないで続けて行くだけだ。


2011年12月19日月曜日

再入院も元気良し!


今日は三重の病院に再入院。
夕方に病院に来ると以前とは病室も代わっている。今度は4人の相部屋だ。
周りはおじさんばかり。こんな所に長く居たら普通の人でも落ち込んで病気になるだろうね。早くおさらばしたいが、先はまだまだ見えない。

先週の15日に一旦仮退院し、16日は大阪の病院へ行って初めての温熱治療。それから昨日までの自宅での点滴。
部屋は自分の部屋だしきれいに片づけもしたしエアコンも使えて、好きなゲームも出来るし、ビデオも見れるし、気分的にはとても楽だろう。
好きな食事も食べれる。点滴を持ちながらだが、家の中では自由に動ける。
実際、良く食べる様になった。それ程吐き気もない様だ。
今夜はシャワーもして顔立ちもすっきりしている。副作用で髪の毛が抜けるのを気にしているようだが、それで直れば安いもん!と言うぐらいの気持ちでいて欲しいなあ。

今日、再入院したが明日はまた退院。今日は抗がん剤の点滴も入れてもらった。そして21日はまた大阪で治療だ。今回は一日入院で22日に帰る事になる。2月まで8回、この事を繰り返す予定だ。
雄一も4人部屋だし、イヤそうだが明日までなので気楽に構えている。
外観から見る限り体調もずっと良さそうだし量は少ないけど食欲も有る。
今日、体重を測ると入院以来初めて増えて46キロ。わずか1,2キロだけど2週間前からは増えている。
病院の中でトイレに行く足取りも先週よりずっと普通に歩いている。
気分もいいのか今夜は良くしゃべってくれた。

来週の28日にも大阪へ行く予定だが、病院も29日までだし、お正月は休みだし、4日の外来受診までは自宅で療養させようと思っている。
家族の負担は大変だけど、やって行くしかない。
今夜の帰り際、「明日、早く来てな」と雄一が言う。
「うん、解った。おやすみ」
「おやすみ」 そんな当たり前の会話が普通に今日は出来た。
少しでも一緒に過ごせるようにしてやろう。

2011年12月16日金曜日

初めての一時退院と温熱治療


今日は大阪、茨木の病院まで温熱治療の初めての診察に行く。
朝6時半には出たかったが、色々準備に手間取り家を7時前にやっと出た。
昨夜から雄一は一時退院して自宅からだが、点滴も着けたままだし、何しろ初めての事ばかりで大変だった。今の病院を一時退院と言う形になるけど、その為の準備も病院の人達が本当にしっかりやってくれた。本当に感謝したい。
中でもその点滴セットは持ち運び出来るし、小型モーターで流量をきちんと管理出来るし本当に優れものだ。これのお蔭で大阪に行く事も出来る。

順調に走り、約2時間ぐらいで茨木の病院に着いた。まだ新しい病院でガンや緩和ケアに重点を置いた病院だ。しばらく待って初めての院長の診察。
僕がお願いしたい事は全部伝えて大体希望に沿った日程で治療日程を組んでくれる。紹介状も今までの治療記録やデーターも見てもらっている。
雄一はうなずくだけだが、その紹介状を横目で追っている・・・。
9月に入院してから、治療内容や画像などは初めて見るだろう。今の病院ではあまりそんな機会が無い。
僕達でもこちらから言わないと細かなところは余り教えてくれないので、その辺りが今の病院はもっとオープンにして欲しいと思っている。
確かに患者自身が見たらショックかも知れないけどね。。。
雄一には大体の事は隠さず話しているけど全部ではない。その覗き込む姿を見ていて少し気に成っていた。

日程を確認していると先生が、「今日、たまたま11時頃に空いているからやってみますか?」と言われてすぐにお願いする事にした。
治療着に着替えてこれから、と言う時に問題が発生・・。
温熱治療は原理は電子レンジの超大型の様な物なので電磁波が強く出る。特に電子部品や治療機器には影響を与える可能性が高い。それが雄一の点滴セットの小型流量計に影響が出そうで、と担当の人が言われて今日は中止しましょう、と一時はそう成りかけた。
三重の病院やメーカーの担当に電話すると「モーターを外して自然落下にすれば大丈夫」と教えられて先日教えられた事を思い出しながらモーターを外してみたら、何とか行けそうだ。何故か天井近くまで点滴を上げないと落下してこなかったが、初めて点滴の調整までして温熱治療が始まった。

下着だけに成った雄一は可哀想なぐらい、肉や脂肪が無い。ただ、この治療は脂肪が少ない人の方が良く効くらしい。ガン細胞は42.5度から死滅し始めるらしいが、脂肪が多いと、内部をそこまで上げるのに効率が下がって脂肪などが影響を受ける事が有るらしい。母親には「絶対無理やな。」と冗談も言っていた。
体が、お腹周辺が熱く成って来て、顔には汗が出て来ている。入院治療していると汗をかく事はまずない。この汗を見て体が温まるだけでも体にはいい効果に成るだろうと感じた。
そもそも温熱治療は高熱を出したガン患者の病巣が消えてしまった事に気が付いた医師が始めた治療らしい。今でも高熱を出す病原ウイルスを患者に注射して発熱させ治療する療法もまだ有るらしい。

治療を始める前も相変わらず雄一は目標を見失い、ヤル気も無く「もうガンはイヤだ・・」と弱気で前向きさが全く無い。もう3か月入院治療をしてきてストーマ一つ取れないんだから目標も意欲もなくす気持ちは良く解る。けれどやってみないと解らない。少しでも前を見て希望を持ち続けて、苦しい時こそ笑って前に進もう!とは何度も励ますが治療を終えてもそんな気持ちは見せてくれない。でも僕らは諦めずに出来る事をやり続けるだけだ。

そんな雄一でも朝はコンビニのサンドイッチ全部と朝からから揚げ棒を食べきる。僕よりも量は多い。治療の後は病院のラーメンの麺を全部食べた。ちょっと詰まりそうで気分悪くなったけどね。
自宅に帰ってから4時過ぎにはインスタントのラーメン。7時の夕食は焼き飯を半分ぐらい。これだけ食べれば充分だろう。治療が効いて少しでも肉が付いて欲しい。

入院以来、ずっと病院に掛かりっきりで雄一の部屋の掃除も片付けも全然出来ていなかった。今回一時退院となって3日間は点滴を付けて家で過ごす。なので、今週の夜中は病院から帰ってから片付けやその準備をしていた。ずっと寝不足が続いてさすがに今日も眠い。
けれど、雄一はやっぱり家が良いのだろう。ソファーでテレビを見たり、今は自分の部屋で好きなゲームも出来る。気を紛らす事も出来るだろう。自分でストーマの処理もしているし、入院生活から少し環境も変わって気持ちも明るく、少しでも前向きに成ってくれたら嬉しい。

それにしても今日の点滴用のあの優れ物の流量計のモーターの着脱と点滴の再セットはちょっとドキドキだった。でももうこれで大丈夫。来週は21日にまた行く。
明日は子供達との楽しい野球だ。絶対に良く成る!そう信じて頑張ろう。

2011年12月14日水曜日

信じよう!!

 今日はいつもよりずっと顔色もいい。水分も体内に吸収されているようで顔つきも柔らかい様に感じる。
食事も食欲も少し出て来て好きな物を食べているようだ。
昨日の血液検査の結果も前回の数値からは腫瘍マーカーも半分ぐらいになっていたそうだ。今回はタキソールが効果が有ったのかな?
先週までの副作用もそんなに出ていない様だ。このまま少しでもいい状態が維持して欲しい。

 今夜のテレビのバラエティー番組を見ながら笑っている。本当に勝手な性格だなあ・・・。今週の金曜は大阪での受診なので、木曜の夜には一時退院の予定だけど、点滴を背負ったり、自宅に帰ると自分である程度のストーマの処理はしなければいけないので、「退院したくない、」とか勝手な事を昨夜は胃っていた。
確かにここならベットに寝転がっているだけで、看護婦さんや母親が面倒を見てくれる。
 もう少し前向きになって欲しいなあ。

 辛い時こそ笑え!悲しい時こそ笑え! 強い夢を信じて頑張れば出来なくても近づく事は出来る。これは野球でも何でも一緒だ。信じよう!

2011年12月13日火曜日

少しの笑顔

 昨日は新しいストーマに換えてもらってテストしている。漏れてもいないし、病院や自宅に居る時はこちらの方がずっと楽なようだ。夜もそれ程気にしなくても眠れるだろう。
ストーマを換える時にお願いした先の腸への注入テストも先生がやってくれた。遅かったけれど、少しは期待している治療をしてくれたから少しは雄一も納得してくれるかな。。

 今週金曜に大阪の病院受診が決まったので、今の病院でも色々準備をしてくれている。外出様に点滴セットもメーカーさんに頼んで全部手配してくれた。新品の流量計も点滴を吊るスタンドも移動中に使うベストも。
今夜は点滴のつなぎ方の説明もしてもらった。
 少し年配の看護婦さんは本当に親身になって世話をしてくれる。本当にありがたい。

 一つ考えていなかった事が有った。
今の病院はずっと入院中だけど、今度大阪の病院で受診するのは外来での治療中心なので僕も先生も治療の間にそうすればいい、と思っていた。
ところが、保険法か何だか知らないが、入院していて他の病院を受診するのはその適法上、出来ないらしい。なので一旦退院処理をして受診後、3日(最低3日間の間隔が必要らしい)のちに再入院の手続きを取る、と言う事になる。
なんか役人のやりそうな事というか、融通が効かないというか、仕方が無いのでその準備も進めた。
 大阪での治療が始まれば週に1~2回の8回の治療がまず始まる予定だ。そのたびに入退院の手続きの繰り返しになる。面倒くさいが、これは仕方が無い。書類なんて何度書いてもいい。

 再入院までの3日間は自宅療養になるので、点滴のケアなど母親は大変だろうが、雄一に取っては気分転換にもなるだろうし自宅で過ごせれば気持ちも楽に少しでも前向きになってくれるかもしれない。
 今日は体調も悪く無いようで、好きな物をそこそこ食べている。
夜はテレビを見ながら久し振りに笑っていた。
 最近ではこんな表情は全くなかった。少しは気持ちも落ち着いてくれたのだろう。
嬉しい笑顔だった。

2011年12月12日月曜日

雄一の涙。。。希望を持て!

 今日は勿論仕事の予定だったが、大阪の病院の事も有る。五条にも月に一度は感謝も込めてお参りに行きたい。なので仕事は休んで朝6時前には五条に向かった。とにかくこれは自分自身の気持ちの区切りだ。
朝の渋滞にも少しはまったが、8時過ぎに着いて色々お参りをしてからお百度参り。雄一の回復を願いながら歩き続けた。
 僕は3回目だが、いつも来る人がいる。近くの人だろうか?大体こうしてお参りが出来る人は健康な人だ。皆、家族や大事な人の事を祈っているのだろう。

 10時前にはお百度も終わり、今日は祈願のお祈り(こういう呼び方でいいのか解らない)に本堂に入って一緒にお坊さんのお経や説法を聞いていた。
お経は小さい頃に母親やお婆ちゃんが唱えていたのと同じで、大体流れが記憶に残っている。ところどころ口ずさむ事も出来る。
この年になると本当に物忘れが多くなるが、こんな小さい頃の記憶は本当に脳みその中に残っていてよみがえってくる。
痴呆やアルツハイマーになった人でも自分の小さい頃の記憶は良く覚えていて、自分の生家へ帰ろうとするらしい。僕の今88歳になる親父も、生まれは1キロばかり離れた家なので、症状が出た頃は気が着いたら良く生家の方へ行っていたらしい。

 本当に久し振りにお経を聞いて改めて無心に成ること、その大事さを感じた。
色即是空だったかな?
形あるものはそう見えるだけ。ほしいと思えば欲が出る。無心に成れば気持ちも安らぐ。。。と言う事だったか。。。
また勉強しよう。

 1時過ぎに家に戻り病院に行くと、雄一がマンガの本を抱えながらベットに座っている。
「どうだ?今日は少し楽か?ご飯食べたか?」
と聞くと、しばらくして
「もう、こんなん嫌だ。。。」と泣き出してしまった。

 上手く行けばの予定では今週にストーマの手術をする予定だった。それが先々週には難しいと言う宣告を受け、唯一の希望を閉ざされた様なショックを受けている。
それでも何とか希望を持っていたが、いよいよ今週も無いとなると。。。
雄一の辛さは胃の中が痛くなるほど解る。
先の真っ暗な不安だけで、希望が雄一には見えない。また見ようとする気力も消えかけている。

 雄一の背中をさすりながら、大阪の病院の治療の予約も取れたし、約束している腸の治療も頼んでみるから・・・と小さな頃の様に話して勇気付けていた。
これが雄一の今の本心なのだろう。親として何が出来るのか?出来る事は何でもやる。
 雄一が本当に辛い気持ちの時に親として声をかけ、話すことが出来たから、今日は休んで良かった。これも神様のお蔭。。。そう思えてくる。

 大阪の病院からも連絡が有り、今週金曜に診察となった。遠いけれどもここでは出来ない治療も出来る可能性がある。茨木には母親の姉もいるので暫く泊まっても何とかなる。ダメならホテルでもいい。

 先生も居られたので、ストーマの話も雄一の気持ちも伝えて何とかダメでも治療を進めて欲しいとお願いをした。今日はそのストーマを交換する日で、いつもと違うストーマを試して、先の腸へも液を流してみる、と約束してくれた。
 何とか希望をつなぎたい。

2011年12月11日日曜日

とにかく気に成るストーマ・・・。

 今日 は一時帰宅。試合を終えて帰るとソファーに座ってテレビを見ていた。今日はいつもより調子はいいのかな。お昼からも量は少ないが、色々食べている様だ。
「病院の食事も、こんなんだったらいいのに・・・」とグチをこぼしているらしい。
まあ、本当にそれは同感だ。あの食事では間違っても太る事は無い。
カロリー計算も大事だと思うけど、味付けももう少し何とか成らない物か。。。

 夕食は豚肉のしゃぶ鍋。ひなた達も来て皆で食べた。量は少ないが、お肉も食べている。ぞうすいも少し食べた。食べている間もストーマには便が出て来る。雄一はとにかくこれが気に成ってイヤでしようが無い。洩れる事も有るし、夜も溜まると気に成って良く眠れない要因にもなっている。
諦めて受け入れて、そこから考えてくれれば良いんだけど、雄一にはその様な考え方は出来ない様だ。一時は助けてくれたストーマだけど、辛い気持ちも良く解る。
何とか希望が叶えられる様にしてやりたい。

 来週は上手く都合が着けば大阪での治療も受けれるかもしれない。何とか可能性を探りたい。

2011年12月10日土曜日

可能性を探れ!


  昨日、今日と少し食欲も出て来ている。
先日、先生に紹介状をお願いして、今日、今度行く予定の病院にFAXを入れてもらった。本当は昨日の内に入れて来週の予定を立てたかったが、今日になってしまったので、先方と打ち合わせが出来るのは月曜以降になってしまった。先生も色々忙しいだろうし仕方が無いか・・・。でもね、そんなに時間の余裕が無い。少しでも早くやりたい。

今の病院では抗がん治療は科学療法しか出来ない。少しでも他の治療もと大阪の病院にアポを取った。まず温熱治療からだ。雄一の状態では出来るかどうか解らないが、少しでも可能性にかけたい。
保険は効かないが、免疫療法も最近は色々有る。雄一に負担の無い治療で悔いのない様にやりたい。

今のタキソール治療は大人の限界量一杯だ。金曜に2回目の投与が有ったが、弱った体にはちょっと心配だったので、先生にも確認してみた。
3回目は調子を見ながら、止めてもいいと言ってくれている。副作用も心配だし、癌よりも薬で弱ってしまう場合もある。でも普通の病院ならこのような標準治療しかない。

他にも色んな治療は有るのになんで保険が効く治療は限られてるんだろう。これだけ科学や医療が進歩しても治療は根本的に変わっていない。手術と科学療法だけだ。
色々証明されていない事が有って国は保険認可をいつまで経ってもしないが、今の治療だって初期で切除出来れば治っても、それ以外は治すと言うより、苦しい治療を続けて少しの延命が有れば効果が有った、と言う程度で完治は出来ない。
もう治療法が無くなったら緩和病棟行きになってしまうだけだ。
先の見えない患者に少しでも希望や可能性を探るチャンスを作って欲しい。

人間の体でガンにならない所が有る。それは心臓だ。なんでだろうね。骨も血液も脳にも有るのに。神様のいたずらか?
心臓にガンが出来てしまったらすぐに人は死んでしまう。それではガン細胞は増殖出来ない。だからそれ以外の所に病巣を張って散々苦しめながら広げて行く。。。と、何かのページに書かれていた。
そんな物には負けたくない。何か方法があるはずだ。

2011年12月8日木曜日

ひなたの「ありがとう」

昨日もこのところも食欲も元気も無い。
鼻血も少し出た。多分、タキソールの副作用だろう。
何とか希望を持って欲しいが、先への意欲も失っているようだ。
僕には言わないが、母親には「もう、どうせ・・・」なんて事を口にするらしい。
中々本当の気持ちを出さないし、しゃべる事も少ない。
 言葉にして気持ちを出せ、といつも僕は言ってるので、僕とはまあまあ話してくれが、看護婦さんにはしゃべらなくなった。

 昨夜、ひなたとお姉ちゃんが来て雄一にもらった沢山のソックスを持って「ありがとう」と言っている。それに雄一は泣きそうな顔で答えていた。
雄一の心の中はどんなんだろうね。。。無邪気なひなたの表情。雄一は先をも解らない闘病生活だ。見ているだけで僕も詰まってしまった。

 もう苦しい治療は考えるところに来ているかも知れない。
「雄一はどうしたい?」
「・・・・」
「もう嫌なら治療やめてもいいぞ。病院が合わないなら変えてもいい」
「小腸を閉じたい・・・」
「来週辺りに上手く都合がつけば温熱治療に大阪に行くよ」

 しばらく自宅に帰ってもいいぞ、と言っても点滴が有るから病院にいる、と言う。
何か環境を変えて、希望を持たせたい。

 今日は少し食事も取れたようだ。食べれる楽しみから少しでも元気を出して欲しい。

2011年12月6日火曜日

ひなたの誕生日


今回の抗がん治療はタキソールの週1回の投与を4クール。その間に他の治療が出来ないか、ずっと考えていた。
その他の点滴の間を調整すれば、外出も出来る。今の病院で出来ない治療も外来なら出来るかも知れない。

以前からそんな事を考えていて、これからの治療も含めて先生に話してみようと思っていた。
今日、夜7時前に病院に来て詰所を訪ねると先生がおられて、希望や思いを話した。

1.温熱療法の可能性。
色々調べるとガン細胞は43℃で死滅するらしい。それを狙って電子レンジのような要領でお腹の中の患部を温める治療らしい。完治させる治療では無く、抗がん治療との併用が特に効果的だとある。患者にとっても暖かいお風呂に入る様な感じで負担の無く暖かくなって気持ちもいいらしい。
大阪や名古屋へ行けば治療する病院もある。先生も「今までの治療や症状をまとめておくので、まず相談して来て下さい。」と言ってくれた。

2.腸の復活をさぐる治療。
今回の検査ではストーマから先の腸が動いていない、機能が全く確認できないのが手術を止めた一つの要因だ。腸の先へ液を流したり刺激したりする治療もストーマの出口から逆にクダを先の腸へ入れれたらそれも出来る可能性がある。
ガンの影響で腸も難しいかも解らないが、わずかな望みをつなぎたい。
これもストーマの器具メーカーを今、相談しているのでやってみる様にする、と言ってくれた。

3.十二指腸のステント。
胃の出口から十二指腸の辺り、ガンの影響で狭くなって来ている。これが大きくなってしまうと、食べても流れず食べれなくなって、バイパス手術が必要になる。
今、ステントと言うのが有って狭くなった血管などの中にそれを入れて広げる事が出来る。カテーテルで入れてセットしてくる方法で十二指腸も同様に口から入れれば出来るらしい。今年から保険も適用になった。この病院でも出来るのでこちらも手遅れになる前に予定を入れてもらうようにお願いした。

他にも、色んな事、精神的なケアも、・・今日は全部話して僕なりにも少し整理できたし希望も湧いてくる。先生にも素人考えをそのまま話したが、気持ち良く対応してくれて「また、有ればいつでも言って下さい。」と言ってくれる。有り難い。

その後、雄一にも同じ様に話した。もう何も隠す事は無い。
昨夜は落ち着いてはいたが、今の状況で自分なりに先を理解していているのだろう。
色々話しかけてみるが、前向きな返事は帰ってこない。
9時に消灯して、自宅へ戻って夕食を食べていたが、どうも気になる。。。
また10時過ぎには病院に戻った。

子供の頃の話や雄一の名前の由来や・・・色々話した。こんな時に聞きたくない話、興味のない話かも知れない。時々嫌な様な顔をして、本当に嫌なのか、悲しいの
か、思い詰めているのか僕には良く解らなかった。
中々、言葉で気持ちを伝えられない、それが今の雄一だ。
何とか皆の気持ちを伝えて、受け入れて前向きになって欲しい。それが今は一番の願いだ。
今日はひなたの誕生日。もう10歳になる。雄一は10月末だったので、その時にひなたは母親と一緒に病院に来て買って来たマグカップをプレゼントしてくれた。
あの時はちゃんと「ありがとう」と言えた。
昨夜、その話をして「今度はひなたにプレゼントしてやれよ。」と言ったら、今日は母親に、ひなたのプレゼントを買って来て、と頼んでいた。

ありがとう、が素直に言える様になったらもっと気持ちも楽になる。
雄一は一人じゃないぞ。

2011年12月4日日曜日

少し柔らかな表情。。」


 今日は自宅へ一時帰宅。一時のショックから少し気持ちも落ち着いて食欲も出て来ている。先日は「内緒だぞ・・・」と言いながら絶食指示の間にサンドを一切れ食べさせた。先生もその後、「仕方ないなあ・・・でも無茶だけしない様に」とOKを出してくれた。

病院でシャワーを浴びて表情も少し柔らかい。
今日はお昼に好きなここ一番のカレー。小だけど、少し残しただけで食べたらしい。
肉も牛丼も食べたい、と言うので今日は家でゆっくり焼肉を食べた。お寿司も2つ食べたし、いつもより今日は食べてくれたね。
今度は皆で焼肉屋に行こうと約束もした。目先の楽しみでもいい。少しでも明るく前向きになって欲しい。

病院のロビーのクリスマスツリー
辛い宣告から3日が経つが、何とか気持ちを切り替えてくれたのが嬉しい。
今晩も泊まるけども明日はもう大丈夫だろう。
今回の抗がん治療はタキソールの限界量を週に1回だけ点滴で流す。それ以外は栄養剤と水分補給用の点滴だけだ。間が空くので少しもったいない気もするがTS-1をやらない分、通常より多めの限界量だからこれでいいのだろう。
多分、雄一にも楽なハズだ。少しでもいい方向に向いて欲しい。

この週末に病院には大きなクリスマスツリーが飾られた。クリスマスもお正月も一緒に過ごせるように祈ろう。

2011年12月2日金曜日

苦しい吐き気

 昨日の夕方からどうも吐き気が続いている。
8時にも9時ごろにも苦しそうにもどした。そんなに食べてもいないし出てくるのは濃い緑色した胃液のようだ。
そんな調子なので、今晩も僕は泊まる事にした。
 病院にまた付き添いの申請を出し、簡易ベットを頼んだが、隣りの空いているベットを使ってもいい、と言うので僕も隣りで横になる。

 吐き止めの薬を入れてもらったので、夜は少し落ち着いていた。けれど連絡を取ってもらった先生からは、しばらく絶食の指示。。。仕方がない。
朝方には薬が切れたのか、また何度か吐き気をもよおし、2,3度もどした。
可哀相に骨だけになってしまった背中を何度もさすってやるが、苦しそうだ。
二日酔いで何度か苦しい思いは何度も経験があるが、それが続くんだからとても辛いだろう。

 お昼前には今度はタキソールの抗がん治療が始まった。今回はこの点滴2時間ぐらいだけだ。吐き気を抑える薬も後で入れてもらって、お昼からはかなり落ち着いて来た。昼食も無しだけど、もう牛丼が食べたいとかアイスを食べたい、とか本当に懲りない性格だ。ここまで危ない状況なのに、まだ勝手な事を言い出す。
でも食べさせてやりたいし、アイスを買って来て先生に許しをお願いした。
「少しだけなら・・」と言われてハーゲンダッツを本当に少しだけだけど、食べて少しは気が収まったようだ。

 夕方にはポカリも少し、ゼリーも食べた。少し楽になって来たようだ。
昨日、急に吐き気や胃液が出て来たのは何だったんだろう。
もちろん、胃も十二指腸も腸も全然普通ではない。でも一番の原因は昨日の宣告があまりにショックで、それのストレスの影響が一番大きい様に思う。
なってしまった事は悔やんでも仕方がない。
今を受け入れて、そこから始めるしかない。気持ちをいつも前向きに持ち続ける様になって欲しい。
       
 今日も病院で泊まろう。でもここは暖房が利いてるし、空気が乾いてのどが渇くしベットも硬い。ハッキリ言って気持ち良くは寝れない。
僕には少し寒いぐらいで毛布と布団をかぶって寝るのが一番いい。
今日は寝れるかな?

2011年12月1日木曜日

辛い辛い宣告


昨日、お昼すぎに電話を受けて、余り検査の結果が良くないらしい。
もう仕事も手に付かず、早めに帰って来て話を聞いた。

腸など条件が良ければストーマの元に戻す手術を12月の9日にはする予定だった。
CTの色んな検査。腸のストーマから先の腸の検査、血液検査など、どれも良い結果は無かった。
特にストーマから先の腸は腹膜炎か癌の影響かほとんど動いていないらしい。もし手術をしても腸がつながる確率はかなり低い。また腸管が破れたりする危険性の方が高い。
血液検査での腫瘍マーカーも上がっている。
十二指腸の周りも狭くなって来ている。腎臓の尿管も。。。

明るい結果は何一つ無かった。
このままでは雄一が唯一の望みで、期待していたストーマを戻す手術はとても出来そうにない。母親や先生と「何と話をしよう。。。」考えていても今は方法が無い。
少しでも楽に過ごせるように、苦しい治療を止めるか、もう一度抗がん治療を続けて可能性に望みを託すか、、それしか無い。

手術が出来ない以上、雄一には説明が必要だ。皆で相談しある程度、この事実を伝えるしかないと決めた。
病室で雄一に先生が話をする。出来るだけ落胆させないように話はしてくれているが、本人に取っては相当なショックだろう。もう宣告を受けたような。。。

その後の夕食も、もう食べる意欲も無くしている。飲み物も取ろうとしない。母親は泣いているがそれでも食べようとしない。
そんな状態なので、昨夜は付き添いをする事になった。一旦帰って支度をし病院に戻った。
相変わらず何も食べない。寝る前に少しジュースを飲んだだけ。

眠剤を飲んでいるが、こんな状態では眠れないだろう。雄一に取っては辛い、苦しい、希望を絶たれてしまったような夜だ。。。
朝、朝食が来ても食べようとしない。言葉も出てこない。
ストーマからは濃い緑色した胃液が流れて来ている。大きなストレスもある。でも何か食べないと、このままでは胃も腸もやられてまた鼻にクダを通す事になる。そこまで言っても食べようとしない。

8時過ぎに母親が来て何とか食べさせようとする。涙ながらにさとし、話ても返事もしない。「お前男だろ。自分の事よりも母親の為にそんな事が出来ないのか?」辛さは痛い程解る。叱りたかったけどこれ以上は言えなかった。
人は追い詰められた時、子供の様になる、と聞いた事があるが、雄一は小さい頃の親に反発する子供そのままだった。
雄一にもメンツが有る。暫く僕は居ない方がいいだろう。部屋を離れてしばらくして戻ると朝食を少し食べていた。

これからも雄一には辛い日々が続く。すぐまた抗がん治療が始まる予定だ。何とか希望を与えてやりたい。

2011年11月29日火曜日

病院の食事。。。

 今週から抗がん治療はストップで、栄養剤と水分吸収の為の点滴だけだ。
今日はCTを撮って腸の機能を確認する小さな点滴がストーマの小腸の出口に付けられていた。
明日は血液検査。それらが悪くなくて条件がそろえば手術になるのか。。
まだ、先は解らないが祈るしかないね。

 雄一もまだ副作用が出ているようで、夕食後に少しもどしたらしい。
昨日は食欲もなかったのか夕食は食べなかった。その代りお姉ちゃんが買って来てくれたから揚げを食べている。あんまりから揚げなんて胃には良くないし食べさせたくないが、今は好きな物を食べる方が本人にもいいだろう。

 それにしても病院の食事ってなんであんなに美味しくないんだろう。見た目にも全く食欲がわかない。少し食べたけどちょっとこれでは「好き嫌いを言うな」と言うのは可哀相だと感じるね。これで月2~3万請求されるんだからもうちょっと考えて欲しいなあ、と思う。
多分、僕でもあんまり食べないと思う。
 でもね、病院なんだから色々カロリーも計算してるだろうし、仕方ないのかも。
本当は食べれる事に感謝しないといけないんだけどね。

2011年11月27日日曜日

牛丼と湯豆腐ラーメン

 今日は一時帰宅。試合を終えて帰ると雄一はリビングのソファーに寝転がっている。
ストーマが頻繁に溜まるので、溜まる方向に体を向けておかないと放っておくと洩れたりしていまう。何とか早く無くしたいだろう。

 余り元気は無いが、お昼には好きな牛丼も半分ぐらいは食べた様だ。夕食は湯豆腐に野菜や豚肉、なべ用のラーメンなどを入れてひなた達も来て一緒に食べた。
量は少ないが、ゆっくりと休みながら先週よりは色々食べている。ぞうすいも少し食べた。ストーマが一つ無くなったら、もう少し食べれる様に成って水分も体に吸収できる様になったら、少しは体力も肉も付いて来るだろう。
 そうなる様に祈ろう。

 8時に病院に戻り、また点滴を付けたが今日は帰宅してずっと起きていた様で疲れも有るのだろう、消灯の9時には薬も飲んですぐに眠りに着いた。
早ければ、検査結果が良ければ12月の2週目ぐらいにはストーマの再手術の予定だ。それまでに少しでも体力を戻して欲しい。

2011年11月26日土曜日

明日は一時帰宅

 練習を終えて病院に来ると夕食を食べている。小ごはんだが全部食べている。おかずはイカの煮物などは残した。申し訳ないけど僕でもあんまり食欲がわかないメニューだ。それでもご飯もデザートも全部食べた。

 今日はシスプラチンも5F-Uも無い。栄養剤だけだ。シャワーもして頭も洗っていつもより表情も明るい。先週の土曜よりは少し体調も良さそうだ。
8時過ぎに薬を飲んで杏仁豆腐のフルーツも食べた。まだ少し吐き気は有るようだが美味しそうに食べていた。

 明日はまた日曜の一時帰宅の予定。
家で夕食は一緒に、少しでも食べてくれたら嬉しい。

2011年11月24日木曜日

わがまま言わずに。。。

今日も病院の食事は余り食べていない。美味しくないし吐き気も少し有るようなので仕方ないが、母親にはあれ、これ欲しいとわがままを言っているようだ。
さすがに今日は母親も好き勝手ばかりじゃアカン!と怒ったらしいけどね。
本人も解っているだろうが、少しは努力して欲しい。

 今日も水分補給用の点滴が流れている。お蔭で顔の表情は少し柔らかい。
シスプラチンの投与が始まると気持ちが悪くなってくるらしい。ネットで色々調べてももっとひどい人も居るようだから、まだかなりましな方だろう。
それも明日で一旦終わりだ。5F-Uが土曜まで続いてその後は抗がん治療はしばらくお休みだ。

 小腸を戻す手術までしっかり体力を着けて欲しい。

2011年11月23日水曜日

今日はお風呂

 今日はお風呂にも入ってストーマも替えてもらって顔立ちもすっきりしている。
小腸のストーマには吸収出来ない水分が沢山出てしまうので、脱水症状に成らない様にと、今日はまた点滴が一つ増えていた。おしっこがその分沢山出てしまうが、腎臓から体内には吸収されるからしないよりはずっといいだろう。
 これだけ痩せてしまうと、体の水分が少なく成るともう表情にも解るし、手足も・・・。
 今日はそのお蔭か少し表情も柔らかい。
小腸のストーマが無くなって小腸自体がちゃんと機能してくれたら、少しは肉も付いてくるだろうか。

 7時前に来たが、眠いのか半分寝ていた。
いつもは寝る前にも何か食べるけど、昨日も今日も食べない。少しジュースを飲んだだけだ。また寝る前に食べると、後で出て来る便がストーマの出口の中で詰まってしまって洩れてしまう事が有るので、余計に食べるのを考えてしまう様だ。
何度もそんな事に成っているし、確かに寝る前には食べない方がいいかもしれない。
 今日も消灯の9時にはテレビを消して眠ろうとしている。
今週の抗がん治療もあと3日。先を信じよう。

2011年11月22日火曜日

あと四日。

 今日も余り食欲は無さそうだ。味気ない病院の食事もその気にには成れないようだ。
代わりに肉まんや夕方にはたこ焼きを4個食べたらしい。
水分は沢山取っているから大丈夫か・・・。
この治療では吐き気も少し有るようで、食べたい物も飲みたい物も限られてくるようだ。

 夜に来てから寝るまでに、いつも何か食べるんだけど今日は何も食べなかった。
ちょっと心配だが、食べれる状況に成らないなら仕方が無い。
無理に食べても後で辛く成るだけ。
もうあと4日だ。もう少し頑張れ。

2011年11月21日月曜日

わかない食欲

 今日からシスプラチン+5F-Uの治療がまた始まった。
やはり食欲がわかないようだ。
食事も余り食べて無いらしい。
夜に来ると携帯で遊んでいた。しばらくして小さなフルーツパックを一つ食べた。
水分は沢山採っている。
小腸から出てくる便というか、ほとんど水分だけど半日で貯蔵用の袋に半分以上溜まってしまう。
この少しでも腸が吸収してくれたら、少しは体力や肉にはなっていくんだろうけど。。。

 予定は今週一杯までだ。それから先はしばらく抗がん治療はお休み。
薬の影響を抜いて良ければ小腸のストーマを閉じる計画だ。
予定通り進むように祈ろう。

2011年11月20日日曜日

シスプラチン、もう1週間。。。

 今日は1週間振りの帰宅。最近はずっとゲームに熱中している。
夕方、試合から帰るとベットに寝転がってゲームをしていた。
お昼には母親の焼き飯を食べた。時間が遅かった様で、まだ空腹感も無いのか、夕飯の焼肉も余り食べたがらない。
7時前から少し食べたが、しばらくベットで休んでいた。

 今に成って抗がん剤のシスプラチンの副作用が出て来ているようだ。
4週間続けた5F-Uとの治療も、一旦今日で終わりと思っていたが、また明日からやるらしい。今晩、雄一がそんな話を看護婦さんから聞いた、と言う。
先日、先生と話したところでは12月の半ばには小腸を戻す手術の段取りで、と言う話だった。
 手術は抗がん治療を止めてから一月近く、最短でも2週間以上は開けたいと言っていたから、今週で終わりかな、と思っていた。

 雄一は吐き気やだるさが出て来ているし、もうやりたくないと言う。
家では少しでも体力を、と思ったのか家の階段を何度か上り下りしたようだ。けれど病院に戻って駐車場で車を降りる時に、ちょっとふらついて転んでしまった。
幸い、ヒザを少しすりむいただけの様で大事に成らず良かったけれど、雄一も思うように動けず辛いだろう。

 病室に着くと日曜なのに慌ただしい。先生も出勤していてもう9時も廻っているのにこれから手術らしい。本当に病院は大変だ。
その忙しい中にすりむいたヒザの手当もしてもらい、不安がる雄一の気持ちの整理も着けて上げたかったので、聞いてみた。
 やはりもう1週間続けるらしい。少しでも効果の有る内に続けて最短で手術をしたいと言う。早くて12月13日頃。

 雄一はもうその1週間がイヤで仕方が無い。先生も手術の日程まで伝えてそれでやるから、もう少し頑張ろ!と言ってくれてる。しぶしぶイヤな顔をしながらうなずいた。僕ももうあんまり辛い思いはさせたくないが・・・・可哀想だけどもう少し頑張って欲しい。ゲームでも何でもいいから紛らわせて過ごせば1週間なんてすぐだぞ。。。
 雄一にとって、先が見えない辛い日々が続く。僕達の辛さなんてささいな事だ。少しでも力に成ってやりたい。

2011年11月18日金曜日

てり焼きとチーズバーガー

 今日も表情は明るい。
昨夜もストーマから少し漏れたようだ。
量もかなり出る。その量を見ているとこれでは体には水分も栄養も中々取り込めないなあ・・・と感じる。

 7時頃に来たが、6時過ぎにご飯を食べて少し残したらしい。
けれどもお腹が空いたと言うので、1Fのコンビニで、てり焼きとチーズバーガーを買って来た。
チンしててり焼きを食べ始めたが、チーズバーガーも半分食べるか?と聞くと、食べたい、と言うのでそれも後で食べ始める。
 でもさすがに最後には詰まって来た様だ。
僕なら2つも食べれないね。それも夕食の少し後に。
食べる元気が出て来たので、嬉しいし少し安心だ。

 もう一つの大腸のストーマは半年後かなあ?と聞くが、それは治療の結果次第だよ。
抗がん治療出来ない間も自分の免疫のキラー細胞に、がん細胞を殺せと頭の中でイメージして集中して願いを込めれば、必ず効果は有るよ。
と話した。
 以前はこんな事言っても聞いていなかったが、少しは聞く耳も持つようになった。
 何よりも雄一の強い信じる気持ちが大事だ。

2011年11月17日木曜日

銀だこのたこ焼き6個

 今日は調子も少し良さそうだ。
夕食は少し残したらしいが、その前に銀だこのたこ焼きを6個も食べたらしい。
6個と言ったら、ほとんど全部じゃないの!
さぞ美味しかっただろうね。

 好きな物は食べるが、食べるだけ小腸のストーマに出てくるし、すぐに溜まるし詰まったりするので、他は余り食べたがらない。
助けてもらったストーマなんだけどね。

 今夜は気持ちも少し楽になったのか、ずっと真剣にゲームをしている。あんなのに一生懸命になるのは僕には余り理解できないけど、気持ちがまぎれてくれるならそれで良い。
 気持ちが前向きになってくれたから、僕らも嬉しい。

2011年11月16日水曜日

睡眠不足?

 昨夜はこれからの治療の進め方も先生と相談し雄一も気持ちの区切りが着いた。
夜、帰る頃にはテレビも消してもう眠ろうとしていたが、昨夜はほとんど眠れなかったようだ。
 雄一も気持ちの区切りは着いたものの、不安も沢山有るだろう。
でも、もう賭けるしか無いからね。

 お陰で、朝食を食べてからお昼近くまで眠っていたそうだ。今は眠れる時に眠ればいい。食事もそれなりに食べている。
 
 先生は早速、病院のガバナンスに小腸のストーマを取る事を図ってくれて了解をもらってくれた。後はこの4クール目が終わって腸の検査を何度かしてOKが出たら、GOに成る。
抗がん治療後、普通は1月ぐらい空けるそうだが、そんなに余裕も無い。
順調に検査が終われば、12月半ばぐらいには手術になるかもしれない。

 今晩は良く眠っている。お~い、余り今寝ると、また夜寝れなく成るぞ。。。

2011年11月15日火曜日

大きな賭け


このところ元気も食欲も無い。
昨日も本当に元気が無かった。
食事も少し、食べても栄養に成らない・・・そんな事を母親にはグチっている。

「おまえ、母さん泣かすなよ」
気持ちでは解っているようだが、態度には出て来ない。
相当ストーマには参っているようだ。
このままでは食べても食べても太れそうも無い。
短い腸では水分も充分に体内に吸収出来ない。

雄一と「小腸のストーマを閉じるのは出来るかも知れないが、それは抗がん治療に2ヶ月ぐらいは穴が開くことになるし、成功してもこれは大きな賭けだぞ」
と話していた。本人は覚悟が有るのか・・・。
今週で治療は4クール目で、これで一旦終わり。次の治療の方法も、太らない事も、ストーマの事も話したかったので、昨夜に先生にアポをお願いしていた。

昨日、子供の頃の話や色々していたので、今晩来ると昨日よりは少しましなような・・。
クダが出ていた所の皮がめくれて、それがストーマに当たって子供の様に痛がっている。ホントの痛みは本人しか解らないけど、こんな事我慢出来ないのかなあ。

その頃先生も来てくれて手当てしてくれたので、納得していた。
その後に先生と雄一のこれからの治療の進め方で色々話をした。
先生も事情は良く理解されていて、僕の考えていた事と同じ事を考えてくれていたようだ。

病院の倫理では人口肛門は6ヶ月後に戻すのが基準だそうだ。それ以前に戻すためには病院での審査みたいな会議が有って、それで判断されるらしい。
3ヶ月でも、と可能性としてはある。
ただ、腸がまだ完全でないだろうし、癒着も6ヶ月ぐらいしないと戻らないそうだ。ストーマから先の腸が大丈夫なのか、の検査も何回か必要。
ただ、まだ若いし戻す事が出来ればTS-1の経口剤も飲めるしそうなれば外来でも診療できる可能性がある。

もし可能なら雄一の負担も少なくなる。大腸側のストーマは残るが、元気なら外出も出来るだろう。
治療の進め方も選択肢が広がる。
2ヶ月近くは抗がん治療が出来ない大きなリスクはあるが、それに賭けようと話を決めた。病院の審査や検査でOKが条件だけどね。

すぐに同じように雄一にも話をした。
大きなリスクが有るのももう理解している。
話を聞いてすっきりしたようで、表情も明るくなった。
ひなたとお姉ちゃんが来てくれていて、大門で買って来てくれたイチゴとパインの大福を美味しそうに食べている。気持ちもけじめが着いたようだ。

出来るとして、それは大きな賭けだけど、可能性を信じよう。
絶対大丈夫だ!

2011年11月14日月曜日

辛いジレンマ。

 昨日は自宅への一時帰宅。
先日から少し元気が無く、気持ちにも表情にも明るさが無い。
抗がん治療での予想された大きな副作用も無く、それなりに食べていると思うが中々、身について来ない。むしろやせて来ている。
小腸からのストーマを着けているので、食べた栄養が吸収されないのか、それとも病原に食われてしまっているのか。。。

 小腸のストーマには食べると頻繁に出てくるので、その対応が大変。溜まる前に流さないといけないし、溜まると洩れてくる事もある。
それが、一番重荷になっている。
病室では排出用に袋へ流す様にしているのでまだいいが、外出ではそうは行かない。食事に出ても何度もトイレに行く。

 雄一はそんな事が重荷、負担になって前向きさが無くなって来ている。
何とかしてやりたいが、小腸を戻す手術をすると1,2ヶ月は抗がん治療が出来ない。先生も悩むところだろうが、やはり今は治療を優先するしかないのか。。。
 大好きな母親のカレーも余り食べれなかった。

 強い気持ちを持て、雄一。

2011年11月12日土曜日

まだまだ見えないその先。。

 明日は自宅に一時帰宅の予定だ。先週と同じようにお昼前に帰る予定。
けれど、このクール3週目も終わってこのところ少し元気が無い。
体もだるそうだ。これは副作用の影響だろうか。。。多分。

 もう2か月近くの入院に成る。点滴はリザーバーから楽になったとは言えやはり毎日は辛いだろう。
夜、津リーグの会合が終わって再度寄って、少し話していると、やはり小腸のストーマを早く外したい、と言う。
頻繁に出るし、溜まるし、点滴は続くし、やはりこれは辛い。

 けどね、今戻すわけには行かない。それをするのなら肝心の治療がまた2月近くは先延ばしに成ってしまうだろう。
先生とも良く相談して効果を見ながらそのタイミングを探さないといけない。これはとても難しい話だ。本人も理解しているんだけどね。。。
 早く治療の効果が出て欲しい。

2011年11月11日金曜日

少し元気なし。。

 今夜は少し元気が無い。
夕食も少し残したらしい。でもその前にはバガーを食べたようだけど。
寝転んでサッカーを見ている。

 明日のお昼で3クール目が終わる。今度の日曜は帰れるだろうか?
まだ無理は出来ない。
8時過ぎに「何かいらないのか?」と聞くと
「アイスが食べたい」と言う。
コンビニに行って雪見大福を買って来ると美味しそうに食べていた。


 明日、調子が良ければ日曜にでも帰れるようにしようか。。

2011年11月9日水曜日

生かされる喜び。。有り難うの気持ち。

  雄一は昨日は体がだるいのかあまり元気も無かった。今になって少し副作用かな?でももうこの治療は3週間目だし、それならかなり少ない方だろう。
今晩、夕食の時間に寄ると平常食を全部平らげていた。大きな野菜ぎょーざもおまけに。
先生も来てくれて「これだけ食べれれば、もう何でも大丈夫だね。無茶だけしなければ」と言ってくれた。
化学療法だけでは、病原が無くなるとも思えないが、病気と共存できるまで。。手術できるまで小さくなってくれたら。。。と願う。

今朝は仕事も一段落しているし、朝いつもの様に起きて五条へ行って来た。
幼いときからの僕の気持ちのより所、本院へ。
今日もお百度参りをやりきるつもりで来た。今日は9時過ぎから10時半頃まで百回、お願いしながら歩き続けた。これで少し気持ちも楽になる。
先月は9月末だったから一月は越えてしまった。
必ず月に一度は!と決めたからまた来月、12月に来よう。

お百度を参っている間、本堂では祈願のお祈りをしている。小さい時に母親やおばあちゃんが挙げていたお経が聞こえて来る。
僕はお経は挙げれないけど、信じる事は出来る。まあ勝手な考え方だけど、信じる者は形はどうあれ気持ちは救われる。これは間違いが無い。

そのお百度の間にご祈祷のお祈りが終わって、そのお坊さんの説法が聞こえてきた。しばらくしてお百度を止めてその話を聞いていた。
すると。。。

「自分が辛くて不幸だと思うのは、それはとても大事な事を忘れているからです。生かされているという観点に立てば、朝起きて目覚めがあるのはそれは素晴らしい事で、感謝すべき事です。朝、目覚めない人もいるのです。。。ありがとうの気持ちを忘れないように」

今更ながら当たり前の事で、改めてこんな場で聞くと、今こうして居れる事が有り難く感じる。なぜかぐっと来てしまった。
お百度を終えてお祈願をお願いして、本院を後にした。
一つ、これも自分の心の中の区切りだ。また来月来よう。今度はもう少し早く来て祈願や説法も聞いてみようか。

その帰り、おじいちゃんの施設へ寄って来た。
一月振りの親父は以前に増して元気になっている。
腕を上げるリハビリも以前は軽い紙の棒だけだったが、今日は0.5キロの重りも着いている。
車椅子に座って足を伸ばしたり、上げたり、少しの時間だけどそれなりに体や手足を動かしている。やっぱり人間は止まったらダメだね。動かないと。

食事も流動食だけど、2つのお皿とデザートなんかも全部食べきっている。もうお皿には無いのに、何度もスポーンですくおうとしていた。
一時は心配な時期も有ったが、88歳で凄い回復振りだ。
このタフさは雄一にも見習って欲しい。

雄一も良く食べるように成ったが、中々肉が着かない。
この治療は3週目だが、体重1キロ減っている。抗がん剤の副作用で腎臓への影響があるのか、体内の水分が少ないのか。
昨日から先生にもお願いしてその為の点滴も一つ増えている。
体も動かして体力も付けて欲しい。

気持ちを込めて。

 昨夜は看護婦さんが頻繁に夜中も出入りする。
ただ、普段と変らないのかもしれない。けれど昨夜はその都度意識が目覚めて起きてしまう。特に4時頃からは意識半分の状態しか寝つけなかった。

 看護婦さんのその動きや気遣いが違うのかもしれない。ぐっすり眠りたい。
雄一はそれなりに眠っているようだ。
もう付き添いは必要ないかもしれないが、あの痩せた体で夜中に立って点滴や袋をつけながらトイレに行くのは可哀想・・・。とは思うが、トイレだから何にも手伝いは出来ないけどね。出来る限り一緒に居てやりたい。
 
 こんな状態になっても雄一はあれこれ言われる事を嫌がる。
だから特にああしろ、こうしろとは言わない様にしているが、素直に受け入れて頑張って欲しい。
同じ薬を飲むのもいやいや飲むのと、何とか気持ちを入れて願って飲むのと効果は一緒だろうか?僕は気持ちの分は違うと思うんだけどね。

2011年11月7日月曜日

今日から平常食も。。

 今日か常食に変わった様だが、病人には全部食べるには難しいようだ。特に小さくなってしまった胃袋には。
それでも間にはから揚げや焼き鳥を食べたらしい。
焼き鳥? そんなん食べていいのか?

 いつも思うがこんなに成っても目先の好きな事だけだ。
それしか無いから仕方無いのかも知れない。
でもねえ・・・
もう大人なんだから、もう少し何が良いのか考えてほしい。
テレビとマンガとゲームだけだ。時間は一杯有るのに。
仕方ないのか。。。

 夜食らしき物は無かったので1Fのコンビニで照り焼きバーガーを買って来てチンしてやると美味しそうに食べている。
「俺が望むのはお前が目標を持って前向きに取り組む事なんだよ」
と言ったらうなずいてはいた。
目標をしっかり持って欲しい。

2011年11月5日土曜日

自分で目標を持て!

 今日で抗がん治療2週間目が終わった。昨日のCTでは少し効果が出ている、と言う事だったが、まだまだ始まったばかり。解らない。
夜の食事も大体食べた。全がゆの食事と言っても普通の家で食べる食事の半分ぐらいかな。
「デザートのグレープフルーツは酸っぱいからいやや」と言う。
「アホ!この酸っぱいのが病気にええんやないか!いい加減に好き嫌いは無くさんと 直らへんぞ!」

まるで子供の様で、こんな状態になってもまだ目先の事しか考えてないのか。。。僕としては現実を受け入れて、何をすればいいのか良く考えれば解ると思うんだけどね。
もう余り小言は言わないが、自分でしっかり目標を持って欲しい。
少しでもヤル気につながる事だったら何でもやりたい。

その後は自分で納得したのか、しばらくしてから全部食べていた。何だ、食べれるんだ。
テレビを見ながら少しお腹も空いて
「アイスクリームが食べたい」と言う。
「そんなもん、もう動けるんだから自分で1Fのコンビニに買いに行ってこい」
と言ったら、行くのが面倒なような。。。
「動かないと、筋肉もつかないぞ、なら一緒に行こう」

そう言うと起き上がって着いて来た。
戻って来て雪見大福を美味しそうに食べている。
もっと最初から自分で動いてほしいなあ。

明日は点滴も外してもらって入院以来、初めて家に一時帰宅の予定だ。
お昼前から8時頃まで許可ももらった。
新たに気分も入れ替えて目標を持って欲しい。
明日は一緒にご飯を食べよう。

2011年11月4日金曜日

抗がん治療の効果

 今日はCTを撮った。
夜に来て話を聞くと抗がん治療の効果か、少しがんが小さく成っているらしい。
見比べた訳でも無いので、差異は解らないが雄一本人にもその様に言ってくれたようだ。
 それが本当なら、本当に嬉しい。

 しばらく病室にいると、先生がおられて同じように病室で話しをしてくれた。
食べれる様になったのも、そのお陰で通りやすくなったのかも知れない。
食事も今は全がゆだけど、もう少し様子を見て良ければ通常食に換えてもいい。
しばらくこの治療を続けて、今は副作用も少ないようなので、次の治療はパターンを増やしたり調整してもいい。本当に良かったね! と。

 言葉だけなので真相は解らないが、あの先生の笑顔は本物だろう。
嬉しいけれど、まだまだ序の口だ。
これからの治療も効果を続けれるように祈ろう。
早く2つのストーマも外してやりたいが、それまでにはもっともっと時間がかかる。ゴールはまだはるか先。負けるな!

2011年11月3日木曜日

今日はサーモン。

 今日も夜来ると元気にしている。それらしき副作用が出てこないのが有りがたい。全がゆの食事も食べているし、今日は焼き魚も出て食べたらしい。
焼き魚がいいのなら、魚のお造りやお寿司はいいのかなあ・・・。

 冷蔵庫の中には夜食も入ってないので、病院から歩いてジャスコの食品売り場まで行って来た。
売り場を見ていると美味しそうな食材が沢山並んでいる。
出来るだけ柔らかくて消化も良い物をと、探すとそんなには見当たらない。

 もう8時前だったし半額の食材もあってその中にサーモンの小さな一口サイズのお寿司が合った。一人暮らしの老人向けのメニューだろうか。
僕も食べたくなって、それとチョコのお菓子とフレークと柔らかいアップルパイを買って来た。

 雄一はやはりそのすしを食べたいという。
でもご飯はまだ心配だからネタだけ食べさせた。おしょう油のかけた久し振りのサーモン、美味しそうに食べていた。
ご飯はなしなので、アップルパイを一つ。
 今夜はこれぐらいで良いよね。雄一も満足したかな。
 早くお寿司を丸ごと食べれるように成れ。

2011年11月2日水曜日

友達の出張カット。

 今日も特に副作用は出ていない。
今日からの全がゆもちゃんと食べているようだ。
ストーマに出てくる便の色もいい。
ちょっと良く成って来たんだろうか?

 今日はお姉とひなたも来てくれていた。
今夜は後で友達がカットをしに来てくれるらしい。
お姉ちゃんも美容師だし、お姉ちゃんでもいいんだけど、その友達は小さい時からの野球友達だし、今は両親のお店を手伝っている。

 8時頃に今から行くぞ、と電話が有ってすぐに来てくれた。
病院には各階に患者用のお風呂とシャワールームが有って、看護婦さんに頼むとマットも用意してくれた。
周りに新聞紙も引いて、今二人で色々話ししながらカットをしてもらっている。
こんな友達って本当に大事だね。

 雄一も沢山の人に励ましてもらっている。
人の気持ちの有り難さを解ってくれるだろう。
早く元気になってお礼に行こう、と昨日はそんな話をしていた。
抗がん治療は4週間続く。そしてその後一週間は治療を空けてまた次のサイクルが始まる。
 その一週間の間に少しの時間だろうけど、外出出来る体力を付けて勤務する病院の皆には挨拶に行こう、と昨夜雄一と話していた。
そう成れるように頑張って欲しい。

2011年11月1日火曜日

たこ焼き解禁!

昨日は食べたいたこ焼きを食べさせる事が出来なかったので、昨夜のうちにたこ焼き機を用意した。
まだ先生の許可は出ていないが、小さなお好みは食べているし、タコなしなら大丈夫だろう・・・かな。
面倒くさそうな母親だったけど、今日そのたこ焼きを焼いてくれた。

夜、病院に来るともうお昼に何個か食べたらしい。さすがにタコは小さく切り刻んで入れてくれたようだ。今日は先生も居たので、

「たこ焼き、食べても良いですよね?」
「タコ、小さく切ってくれたら」

「コロッケやフライは?」
「明日から全がゆにするので、それ食べれるようになって問題なければ許可しましょう」

この事を雄一に伝えると、とても喜んでいる。まあ、今は食べる楽しみしかないから仕方が無いけど僕的には、もう少し色んな事をして目標を持ってほしいなあ、と思う。
たこ焼きのOKが出たので、冷蔵庫に入れていた残りのたこ焼き4個を食堂のレンジでチンして用意してやった。ソースは溶けて流れているので物足りないだろうけど、これで元気が出てくれたら嬉しい。
小さな細切れのタコが入ったたこ焼きを美味しそうに食べていた。

この後、今日はお姉ちゃんの誕生日なので、近くのジャスコへ歩いてプレゼントを買いに行って、雄一の夜食のケーキやサンドを買ってレジに並ぶと、何これ?ATMみたいな物が並んでいる。
良く見ると買い物の自動支払機のようだ。皆、マイバックをかけてカードや現金で払っている。
へえ~、いつからこんなんに成ったんだろう。
こんなレジにはまあ並んだ事はほとんど無いし、全く知らなかった。進歩なのかは解らないが、世の中は変わって来ている。

食品売り場を歩くと、造りや、お肉や、惣菜や食べさせてやりたい物が一杯並んでいるね。
少しずつ食べれるように、回復するように信じよう!

マヨネーズをかけたたこ焼き

2011年10月31日月曜日

たこ焼き食べたい!

今日からまた抗がん治療の点滴が始まった。
夕方、病院に来ると今日も特に副作用は無いようだが、今ひとつ元気が無い。
今日はまだ7分がゆで、大体食べたようだけど、冷蔵庫を見るといつものサンドや夜食が無い。

 「何か欲しいものはないのか?」
 あんまり食欲も無さそうだが、
 「たこ焼き・・・焼きそば・・・コロッケ・・・肉・・・」
 まあ、庶民的なメニューが出てくる。

 たこ焼きはいいのかなあ・・・。お好み焼きの小さいのを前に少し食べたからタコ以外は大丈夫かな?油も余り良くないかも知れない。
でも、食べたい気持ちは良く解る。
「ちょっと、見て来たるわ」と病院を出て城山の銀だこに行ってみた。

 銀だこで、たこ焼きを焼いている女の子の店員さんに
「病人に食べさせたいんだけど、油少な目で、タコなしで頼める?」
「・・・・・・」
「出来ないの?」
「今、これだけ焼いてるし、ちょっと・・・・」

 無理だと言いたそうな表情だし、それ以上無理には頼まなかった。
確かにタコが無かったら形がくずれて焼けないかも知れない。
ウチは関西人だし、確かたこ焼き機も家にあった。
後は家でチャレンジしてみよう。

 城山のスーパーに寄って一口サイズのサンドのセットやケーキ、それに美味しそうな野菜コロッケも買って来た。
心配なので、コロッケはレンジでチンして半分だけにしたけど、サンドも全部食べてしまった。
 今度は何とかたこ焼きを食べさせてやろう。

2011年10月30日日曜日

病室での誕生日

 今日は雄一の25回目の誕生日だ。
昨日、初めて少しの時間外出してラーメンを食べに行ったが、やはり今の状態では普通の食事はとても無理のようで半分も食べていない。
久し振りに沢山歩いて疲れたようだった。

今日は誕生日だからと、時間が取れれば家に帰ろうか、とも考えていたがまだ無理する事も無い。
先生も少しぐらいなら、と了解をしてくれたようだけど、雨も降っているし今日は病室でお祝いだ。
今日のその雨で、少し野球も早めに終えて病院に来たが、今日は今一つ元気が無い。
雄一も明日からまた抗がん剤の点滴が始まるから、今日は無理して帰らないと言っている。
少し、気分もすぐれないようで、今になって副作用かな・・・とも思うが。。。

明日からは全がゆになるそうだが、今日はまだ7分。お腹に入る量が少ないので、全がゆなんて食べれるのかなあ、と思う。
夕食後、しばらく休憩して少しうつらうつらしていた。
8時過ぎに病室で小さなケーキでお祝い。
「看護婦さん、呼んで来ようか?」と言うと
「恥ずかしいから、ええ」と言う。
そんなやり取りをしていると、看護婦さんも知っているし、ドアを開けて笑って覗いていた。

病室でのハッピーバースデェイ
誕生日なんて成人してからはあんまり祝ってあげた覚えが無い。
お互いに時間も違うし、雄一にはその世界があるから、やらなかったがやっぱり家族としてはこんな時間が大事なんだろうなあ、と感じた。
来年は家で皆で祝えるようになろう。

2011年10月29日土曜日

初めての外出

 今朝までは抗がん治療の点滴も有った様だが、それが終われば土日は栄養剤だけの予定だ。
だから、その点滴が切れればその時間は外出できる。先生にも少しは気分転換に、とお許しも出ている。

 それで、お昼過ぎまで点滴が終わるのを待って、病院でシャワーを浴び、近くのショッピングタウンまで歩いて行ってラーメンを食べたらしい。
さすがにメニューはただのラーメンだけだが、やはり今の状態では中々食べれ無かったようだ。
久し振りに歩いたのも疲れただろうし、胃もつかえるらしい。しゃっくりも出て来てもどしそうにもなったらしい。やっぱりまだ胃や十二指腸は何も直っていないし細くなったままだろう。
 慌てる事は無いから少しずつ直して行けばいい。でも外出出来た事は一つ前進かな。

 雄一もせっかく食べたいラーメンを食べに行って、半分も食べれなかったんだから、「自分の状態が良く解った・・・」と言っていた。
明日は誕生日なので、何かしてあげたいけど、先ほど看護婦さんが来て「余り無理して疲れてもいけないので、明日は外出は控えて下さい」と言われてしまった。
先生の指示だしそれは仕方が無い。
明日が誕生日だといっても無理はしない方がいい。
 来年は家で祝えるように今は我慢して治療に専念しよう

2011年10月28日金曜日

もうすぐ誕生日

今日も特に副作用らしき物は無い。
腎臓の副作用対策の点滴も今日は無くなっている。これでおしっこの量も減るからトイレの回数は楽になるか。

 今のところ消化具合もまあまあの様だし明日から7分がゆになるそうだ。
前回も一度はそこまで回復したんだけど、急に出血が有って絶食になった。
今度は無理をせず、注意しながら慣れて行かないとね。
全がゆまで食べれるようになりたいね。

 土日は抗がん治療の点滴が無い予定なので、うまく行けば少しの時間でも帰宅出来るかもしれない、と雄一はその気になっている。
でもストーマ(人口肛門)の問題も有るし、それをどうするかも問題だ。
出来る事ならそうしてあげよう。
 日曜30日は雄一の25回目の誕生日だ。
病院でも良いとは思うが、家で迎えられたら嬉しいだろうなあ・・・。

 来年の誕生日は必ず家で皆で祝えるようになろう!

2011年10月27日木曜日

野球仲間

 抗がん治療4日目。今日も特に副作用は無い。
5F-Uもシスプラチンも腎臓への影響が有るので、その為の薬も点滴も流されている。その影響かおしっこの量に出ていて、ひんぱんにトイレに行くそうだ。夜も2,3時間おきに起きているそうで、夜は辛いかも知れないが、強い副作用で吐き気が出たり腎臓に影響が出たりするよりはいい。

 今も自分でトイレに行き、明日の食事の献立を見に食堂へ点滴を沢山付けながら歩いて行った。食べる事ぐらいしか今は楽しみが無いから仕方ないか。
何か本を読むとか、日記でもブログでも書いてみるとか、こんな機会に自分をゆっくり見つけて欲しいなあ・・・。

 食事は今日から5分がゆになり、今日はうどんも出たそうだ。もちろん全部食べている。
僕が夜着てからもサンドイッチを1辺ずつ、30,40分の間を置いて食べている。もう薬も飲んだので後はプリンぐらいでやめるだろうが、二度と無理だけはして欲しくない。

 今日は近所の小学校以来の友達が来てくれている。
同じ野球をやって来た友達だ。
今までは来てもらっても中々話せるような状況では無かったけど、今なら普通に話しも出来る。
今までは病院の同僚や親戚にしか知らせていない。
もう大丈夫だろうと思って、先日そのお母さんに知らせてもらうように母親に頼んでおいた。
 
 神戸のグランドで雄一とキャッチボールが出来る様に早く回復してほしいなあ。

2011年10月26日水曜日

たこやき食べたい!

 今日も副作用らしきものは特に無い。
看護婦さんも、気分悪い?とか口内が乾く?吐き気は?とか聞いてくるけど、薬のお陰か、今のところ無いようだ。
「これだけ副作用が無くて、薬が効いてるか心配やわ・・・」と雄一も言っている。
 このままの状態で薬の効果も出てくれたら本当に嬉しい。

 今日はまだ3分がゆだが、食べたら溶けるチョコややわらかいサンドイッチはOKが出たようで、僕が来てからも食べている。
体重も1キロ増えたようだ。せめて55キロぐらいまで戻って欲しいが、栄養は病原との兼ね合いだから今は様子を見ながらだ。

 昨日は母親に、外出出来る様になったら武内病院(勤務する病院)へ菓子折りでも持っていかなあかんなあ。。と言っていたそうだ。
まあ昔からそんな人に感謝するような性格ではなかった。
大体が自分中心だ。
 入院してからも性格は相変わらず変わらんなあ。。と思っていたが、何度か痛い目に合って人の気持ちの有り難さも解って来てくれたようだ。
 
 今夜も良くしゃべる。とんかつ食べる夢を見た・・・たこ焼き食べたい・・肉食いたい・・性格は生意気だけど贅沢はしないので、庶民的なメニューが多い。
早く一緒に食べれるようになろう!

2011年10月25日火曜日

二日目、副作用は無し。

 昨夜は化学療法1日目。5F-Uは1日中、シスプラチンは1、2時間ほどの点滴。3分だけど少し食べれるようになったので表情も明るい。
予想していた副作用も余り無いようだ。
本人もある程度は覚悟していたようだが、それほどでもないので気分も良いのか良くしゃべる。

 看護婦さんとも手当てしてもらっている間、ずっと色々しゃべっている。いつもこれぐらいだったら良いけどね。
2日目の今晩も副作用はまだ出ていない。副作用の薬も入れてもらってるしまだ2日目だからね。
もう2,3日してもこの程度なら有り難い。それで効果が上がればもっと嬉しい。

 予定では土日を休んで4週間、この治療を続ける。そして1週間休み。
相変わらず雄一はあれが食べたい!とか良く食べ物の話をしている。
効果が出て治療が休みの時には少しの時間だが、外出も出来るそうだ。
もう少し食べれるようになればいいけどね

 病室でも良く立ち上がったり、動くようになった。体重は45キロしかなくてガリガリだけど、栄養剤入りの点滴も頼んで入れてもらっている。
少しでも体力を付けて欲しい。

2011年10月24日月曜日

希望の朝になれ!

今朝早く病院に行くと少し雄一は落ち着きを取り戻しているようだ。
先日からの胃からの出血で、今まで食べれていたのが、絶食に成ってしまったので昨日から相当落ち込んでいた。でも今朝は止血剤や飲み薬のお陰か少し色もいい。

昨日は半ばヤケ気味で母親にあたっていた。
「お前、母さん泣いてるぞ。。。」
昨夜も色々と子供のようにふてくされていたが、今朝は「早く直して何でも食べてやる!」と言っている。
今日から点滴での抗がん治療が始まるが、前回とは違うずっと辛い副作用が出るだろう。
「それでも食べてやる!」と言っていた。
けど、実際にその副作用が始まったら普通ならそうは行かないだろう。
今度は5F-Uとシスプラチンだから、髪の毛が抜けるかもしれない。
色々調べると薬をやめるとまた新しく生えて来るそうで、白髪の人が今度は黒髪が生えてくる、と言うのも有るそうだ。
「そんなんならオレも飲もうか?」と冗談交じりに先日話をしていた。

「髪の毛だけはイヤや!12月には結婚式に出たいのに!」と駄々をこねている。「そんなもん、バンダナ巻くとか、毛糸の帽子かぶるとか、どないでもなるわ!」と言ってやったが、雄一の出たい!と言う前向きな気持ちが少し嬉しかった。
同僚達の沢山の寄せ書き
以前、友達の結婚式が有って先生に出れるかな?とたずねていた。先生は「袋が二つあるから、ちょっと難しいかも・・・」と中途半端な返事しかしていなかった。

勤務する病院の沢山の同僚達の寄せ書きや最初に貰った千羽鶴。
ベッドでの生活が多いからと柔らかいクッションやまくら、ひざ掛けやカーディガンなど、同僚の看護婦さん達の女の子らしい心使いも沢山頂いている。

病院を出ると快晴の青い空から朝日が昇って来ている。久し振りにすがすがしい気分だ。
皆が付いているから大丈夫!前向きに信じて頑張れ!

2011年10月23日日曜日

辛い絶食

 昨夜、遅くに病院によると今度は黒い液では無く赤い血液が少し流れてくる。立ちくらみもすると言うし、このままで大丈夫なのかとても気に成って夜間の看護婦さんに先生に電話して聞いてもらった。

 止血剤を入れてもらったが、お蔭でまた絶食に成ってしまった。雄一も食べる楽しみが無くなってしまって相当落ち込んでいる。けど食べさせる事は出来ない。
なだめて帰って来たが、眠れているだろうか・・・。

 翌朝、まだ少し赤い。余り眠れてもいないようだ。水分もろくに取れない状態で来週から抗がん治療をするのか?
絶食だからとカロリーが全然足らないので、栄養剤を頼んだが1パックだけだった。
これではまたすぐにやせきってしまう。

 試合を終えて夜に来ると雄一も元気が無い。食べれないのは辛いだろうけどこの状態では仕方が無い。
今日は日曜だし先生もいない。
明日からこの状態で抗がん治療をするのか、栄養剤は入れてくれるのか、良く確認したい。雄一はこの状態でも治療をして欲しいと思っている。少しでも早くこの辛さから抜けたいのだろう。これからが正念場だ。
頑張って欲しい、雄一。

2011年10月22日土曜日

カロリーも胃も・。。。

 今朝、病院に行くとまだ小腸からの液はちょっと黒い。
ちょっと心配だが、特に痛みは無いようだ。
昨日埋め込んだリザーバーもすでに点滴に使っているし、痛みも少し和らいだようだ。

 朝食が来て今朝も5分がゆ。本当に7分がゆとは大きな違いが有るね。全体のボリュームで行けば倍ぐらいの差がある。カロリーはどのくらいなのだろう?
5分だと栄養もただでさえ吸収できない腸なのでカロリーが気になるが、朝は500mLのビーフリードだけ。夕方来てもこれだけだった。これだと210カロリーしかない。3食全部食べても多分、全然足らないだろう。

 そう思っているので、間に胃に負担の少ない物を食べさせているがまだまだ小腸からの液は良くならない。ちょっと心配だ。

2011年10月21日金曜日

今日は高虎ドッグのクリームだけ。。。

 今日は左胸にリザーバーを埋め込みむ手術を行った。手術はそれなりに終わったようだが、かなり痛むようだ。左腕に力が入らずベットから立ち上がるのも苦労している。今夜はトイレが辛いだろう。明日には痛みが引けば良いが。。。

 また夕方には小腸から出てくる液が黒くなって来たらしい。
胃の出血がある、との事で夜は食事も5分に落とされてがっくりしていた。
夜に来て見るとまだ袋には黒というか、こげ茶の様な液が出てくる。まだ出血しているのだろう。先生は胃潰瘍、手術のストレスや何か・・と言っていたらしいが、薬もその胃潰瘍の薬だ。
今日は暴飲はしていないんだけどね。病原の影響かも知れない。

 先日に高虎ドッグの美味かった話をして買って来て欲しいと頼まれていたので、今日は帰りにお店によって来た。
行くと、もう7時前だったしほとんど残っていない。
一つだけイチゴとクリームが乗ったサンドが有ったので約束だし買って来た。お店の人が、最後だし、と言って残り物のショートドックをサービスしてくれてなんだか得したような。

 せっかく買って来たけどさすがに今日の胃袋の状況では食べれないし、食べさせられない。でも楽しみにしていたし、見て食べれないのは可哀想なので、クリームやイチゴだけスプーンですくって食べさせた。
少しは満足してくれただろう。

 毎日、色んな事が起こる。辛い事の方がずっと多いけども先を信じて頑張って欲しい。少しでもいい方向に向いて欲しい。

2011年10月20日木曜日

ハーゲン・ダッツ!

 今夜はちょっと元気が無かった。
お昼に袋から液が洩れて全部着替えたらしいが、夕方行くと、また洩れたらしくて袋を代えてもらっていた。その後にまた着替え。
これが、良くもれるんだよなあ・・・。
何とか直ってほしいけど、どうも改善が見れず何度も洩れている。
そんな事が有って昨日よりはテンションは低い。

 昨日の先生との話で、来週から5F-Uとシスプラチンとの点滴療法が始まる予定だ。それに合わせてリザーバーと呼ばれる点滴用のカテーテルを左胸に埋め込む事に成った。今、点滴している所はもう一月以上使っていて感染症の恐れも有るので点滴に一番安全な方法を、と言う事らしい。まだまだ先は長いし当分続け無ければならない。それに埋め込めば点滴をしない時は入浴も出来るそうだ。
 明日、その埋め込み手術の予定だ。

 来週からの化学療法が始まればカテーテルから直接心臓に近い血管に薬が入るし、腸が弱い状態での吸収不足は改善できる。けれど今度は本格的な治療だから副作用もかなり有るだろう。
調べると、腎機能障害、脊髄、吐き気、食欲不振など相当な辛さが有りそうだ。
とても今の様な食欲は望めない。どれだけ頑張れるか、本当に化学療法が良いのか、考える所が沢山ある。病原の進行もだが、副作用の方がはっきり言って心配だ。

 雄一も有る程度は覚悟しているので今の内に食べておこうと良く食べる。
8時頃にはサンドイッチを食べ、30分後にまた食べ、ハーゲンダッツもと言うので1Fのコンビニで買って来て僕が半分、雄一が残りを美味しそうに食べていた。今度食べれるのはいつに成るか解らないからね。
 僕が先週、高虎ドッグを食べた、と言うとそれも食べたい、と言う。
 明日でも帰りに買って来ようか。

2011年10月19日水曜日

重症患者らしくない食欲

 結局、昨夜はサンドの後シュークリームも食べて満足して寝たらしい。ミン剤も昨夜は飲まなかったが、それなりには寝れたようだ。
夕方、病院に来て話を聞くと入院患者は飲んだ方が良いような事を言っていた。安定剤なんかも入っているんだろう。

 今日はTS-1も1クールが終わりで飲んでいない。それでなのかいつも以上に顔色もいいし良くしゃべるし、食欲も旺盛だ。
今日は7分がゆにしてもらったが、さすがに一気にボリュームが増えたようでびっくりしていた。おかゆは少し残したが、しばらくしてその後でから揚げを食べている。全然病人らしくない。
 8時過ぎにはまたから揚げとパンをたいらげた。ずっとこの食欲が続いて欲しい。テレビを見ながらも良く笑っている。

 TS-1は腸がこの状態だから中々吸収できない。血液検査の腫瘍マーカーも上がっているし、胃カメラの結果も余り改善は見られれいない。
 この後、先生とこれからの治療などの話をした。
3,4日、間を空けて今度はシスプラチンと5F-Uの点滴に切り替える予定だ。5F-UとTS-1はほぼ同じ成分だが、シスプラチンは抗がん剤の中では副作用も強い。今日の様には食べれないだろう。
吐き気も出るだろうし当然食欲も減ってくるだろう。
でも何とか効果が出て欲しい。

2011年10月17日月曜日

胃カメラの結果。。

 今日は胃カメラの結果が気になっていた。夕方病院に行くと夕食も中々食べる元気がない。おかず、半分ぐらいは食べただろうか。

 10時半ごろ予定の胃カメラが12時近くまで待たされて、当然ずっと絶食だしそれから戻って来て、時間を置いてから昼食。昨日の残りのサンドイッチも食べたらしい。

 その後、4時頃から調子が悪くなりしんどくなったようだ。
胃カメラでも眠り薬も全然効かなかった様だし、カメラは十二指腸へは入って行けなかったらしい。おそらく病原の影響で狭くなっているのだろう。

 7時前には熱も39度近く出て辛そうに横になっている。解熱剤と氷まくらを用意してもらった。
それでも少し時間がたつとイチゴのジュースやサンドイッチは食べる。少し薬のお陰で楽になったのか。

 胃カメラでの結果も余り変化は無かったようなので、TS-1の治療も考える必要があるかも・・・と先生は言っている。少し僕には先生も迷っているように感じた。腸が半分しかないんだから、薬の吸収を期待するのも難しいかも知れない。

 今の状況で効果のある治療方法を探さなくてはならない。
雄一も一緒だし突っ込んだ話は出来ない。明日の夕方以降は先生も時間が取れそうと言うので明日にでも詳しく話をしようと思う。

明日は胃カメラ

 今日は夕方、病院に来るといつもより元気そうだ。
食事も朝から全部たいらげているらいい。
それにお昼までに昨日の残りのサンドイッチを全部食べている。

 お昼からはまた1Fのコンビニに行ってお菓子を買って来て食べている。
成人してから特に野菜を食べなくなっていたので、そんな食生活も直して欲しいと思っているが、全然そんな気はないようだ。
人口肛門を2つも付けている状況になっているのに全く懲りていない。
今も、からあげが食べたいとか、ラーメンやカップめんを食べたいと言っている。
明日は胃カメラの予定で夜9時以降は絶食なので、それまでに食べようとサンドイッチをすでに冷蔵庫に用意してある。。。

 まあ、食べれる意欲が有るんだから良いけどね。
でも、間違いなく野菜中心に変えた方がいいと思う。

 今日は2度目の腸の手術からちょうど1ヶ月。腸の状態も落ち着いてはいるが良くなっているだろうか?まだその辺は解らない。
それよりも今はまず病原を直す事だ。
TS-1の投与もも5日からうすぐ2週間になる。
胃カメラでの検査で少しでも改善している事を祈りたい。

2011年10月16日日曜日

休憩しながらの食事

  今日も練習終えて病院に来るともう6時過ぎ。
雄一は夕食を食べていた。
今日はひなたとママも来てくれている・。
いつも病院の食事は中々食が進まないようだ。食べ終わるまで3,4回休憩しながら食べている。出来るだけ食べて欲しいが、無理をしても仕方がない。

 胃は病原に侵されて小さくなったままだから仕方がない。少しの量でお腹に入らなくなるようだ。でも間に食べるパンなんかはもぐもぐ食べるんだけどね。
今日も1Fのコンビニまで自分で行ってパンを買って来て3時ごろにお腹が空いて食べたらしい。
 今日はそれも有ったのか夕食は少し残した。
その後の薬もしばらく休憩してから飲んだ。

 そして暫くするともうお腹が空いたのか冷蔵庫からパンの食べ残しを食べ始める。サンドイッチも食べたいと言うので、「2切れだけだぞ」と念を押して食べさせた。この時はパクパク食べている。余程病院の食事がイヤなのか。

 薬が効いてくれる事を祈ろう。

2011年10月15日土曜日

カロリーを取ろう

 今日は1Fのコンビニまでパンを買いに行ったらしい。
1回の食事の量が少ないし一度には沢山食べれないので、間で良くお腹が空くようだ。間に食べるのはほどほどにして先生には大目に見てもらっているようだ。

 夕方、病院に行くと夕食を食べている。
5分がゆだけど、まだ一気には食べられない。2,3回に分けて休憩しながら時間をかけてやっと食べ終えた。
胃も腸も何も治っていないんだから、まだ仕方ないね。
何とか、普通に食べれる様になって欲しい。
間に食べる食材も出来るだけカロリーの多いのを食べさせてやりたい。

 腸の手術の後の1,2週間は本当に可哀想なぐらいのやせ方だったが、やっと少し持ち直して来ている。もう少し脂肪も筋肉も戻って欲しい。

2011年10月13日木曜日

日本の医療制度

 昨日から相部屋に移る。
今までの個室とは違って本当に狭い。物も余り入らない。けどもう自力で立てるんだし仕方無いね。個室に入れてあげたいが、安い部屋で1日、4000円以上はする。個室は保険は効かないしこれが一月になったら・・・と考えるとちょっとこれはやっぱり贅沢だ。
 雄一にもそのところはガマンしてもらおう。

 その医療費だけど、先月はこの病院で半月の入院。そういえば、最初の武内さんからの入院が9月13日だから、今日でちょうど一月だ。その入院費だけど、日本の医療制度は改めて有り難いと感じた。
昨日、請求書を貰って先月分は9万少々。保険適用前では180万を超えている。高額医療の申請を先にしておいたので、これ以上の支払いにはならない。
同じ月の武内さんの入院費は5万以上払っているので、9月で言うとその5万が、高額医療制度の上限を超えているので、申請すれば何%かは戻ってくる。
また3か月上限が続くとその翌月からは上限が44000に成る。当然、年末に申告すれば税金も帰って来る。
高い掛け金をかける生命保険などの保障が無くても、これだけの制度が有れば本当に有り難いね。

 その申請を前回に行った久居のポルタにある、健保センターに行って来た。
前回はその親切な対応に感心したが、今日も同じでとても親切に手続きをしてくれた。
お役所仕事的は扱いが全くない。民間以上の対応にその日も感心して有り難く帰って来た。
 暫く入院は続くだろう。
問題は入院費用よりも本人の体力、気持ちだ。強い気持ちで向かって欲しい。

2011年10月12日水曜日

子ども達と皆さんの千羽鶴

昨夜、病院にA・Bチームの役員さんが来てくれてびっくりする様な沢山の千羽鶴を持って来て頂いた。神戸の子供達も沢山折ってくれたようだ。小さな子ども達が慣れない鶴を折るのが目に浮かぶね。。。ご父兄の皆さんも沢山手伝って頂いたのだろう。
病室にかけた皆さんの千羽鶴
神戸のスポ少の先輩が病気で頑張っているから、と子ども達にも心使いをして頂き、本当に有り難い。。。
小さな子供達の純粋な想いがこの中に込められていると思うと。。。正に感慨無量に成る。。。

雄一にも「こんなに沢山の子供達や皆さんが折ってくれたんだぞ。人の気持ちって大事だろ?」

その雄一は昨夜から食べたい、食べたい、と夜も食事の後、サンドイッチを2つ、たいらげる。
朝は母親が持って来たサンドイッチを僕の分まで食べてしまって、それから病院の朝食を食べる。

結局、その無謀な欲がたたって、最後には口に戻って来てしまった。先生にも見られて「そんな無理してたら、今度からまた3分がゆだぞ」と怒られる。
今は大事な時。まだ肝心の病原は少しも直っていない。手術の後の腸が少し戻っただけだ。

無理がたたったのか、それからは少し熱も出て元気が無かった。が、それでも夜に成るとまだ8時過ぎなのに「お腹がすいた」と言う。
可哀想だし、仕方無くサンドを買って来て一切れだけ食べさせた。早く何でも食べさせてやりたい。

皆さん、そして子供達、沢山の千羽鶴を本当に有り難うございました。
必ず元気になると信じています。沢山の想いを有り難うございました。

2011年10月11日火曜日

久し振りの笑顔

 昨夜はもう9時も過ぎてから、お姉ちゃんが借りて来てくれたビデオを見たいという。
その前に「何か食べたい」というので、僕の朝食用にと1Fのコンビニで買ってきたタマゴサンドとあんにんどうふのゼリーを食べる。

 先生の話ではお昼は7分、夜は5分がゆだったらしいが、「7分と5分って差があんのか?」って雄一に聞くと、相変わらず「わからん」。
食べさせるのはあんまり良くは無いかも知れないが、食べたい時に出来れば少しでも食べさせて体力を着けるように成って欲しい。

 ノートPCをテーブルに載せてビデオを見始める。お笑い風なビデオなんだろう。久し振りに表情が緩み笑っていた。
こんな表情が見れるのは入院以来ではないかな。嬉しい。
僕にはどんなビデオなのか解からないけど、お姉ちゃんならその辺が解かるみたいだね。先週に借りて来てた映画のビデオは見た物も有ったし、体調もだるそうで気乗りもせず、余り見ていない。
 笑いは気持ちにも体にもプラスになるから、またお姉ちゃんに頼もう。

 看護婦さんは今朝もやはり4時に交換に来てくれた。が、やっぱり目覚めてしまうし、そこからは中々眠れない。明日はどうなるかな。

2011年10月10日月曜日

化学療法に期待

 今朝も朝の4時にお腹の廻りの袋を替えに来る。。。
何で朝の4時なんだろう?
別に目覚めた後の6時頃でもいいような気がするが。
これからの治療の進め方も先生と相談したいと思っていた。

 今晩、仕事を終えて家でご飯食べてリーと散歩してお風呂入って出て来ると、もう8時を過ぎていたが、先生と階段前でバッタリ。
ここの病院の職員、看護婦さん、先生達はエレベーターを使わず階段を皆、登り降りする。そんな所が少し気に入っていて僕も5階でも階段で上がろうとしていた時だった。

 ・今はまだ腸の動きが悪いし下痢気味で人口肛門の分岐まで2mぐらいまでしかないので、吸収が悪い。抗がん剤のS-1もまだ通常の量の6~7割ぐらい。

 ・2,3週間投与してCTかカメラで効果が出ているか確認して次のステップ。
良ければ点滴での投与も併用を考える。

 ・やはり問題は腸の状態。特に小腸の吸収がどれだけ良く成るかが問題だ。

 ・ガンもかなり小さく成らないと人口肛門を元に戻す手術も出来ない。

 時間的な問題も有るので、僕としては出来る事は何でもやりたい、
そんな事も伝えた。

 今、東大病院では雄一の症状のガンに対して臨床試験を行っている。保険は効かないが、色んな補助が有って出来ない額でもなさそうだし、時間が無いのならそれも選択肢だと考えている。これは残念ながら東大でしかやっていない。色々調べてみたが、それ以外には効果的な療法は残念ながらまだない。
薬の可能性にかけるだけだ。

 その朝の4時の交換もどうしても必要、又はやらなければいけないのか、丁寧に聞いてみた。

 この後、しばらくしてナーススティーションを通ると、看護婦さんが「今日は予定通りさせて下さい。明日、チームで相談してみます」と言う事だった。

 言ってみるもんだね。やってもらっているんだから申し訳ないけども、少しでも良く寝て体力をつけて欲しい。
今後の治療で少しでも良く成る事を祈ろう。

2011年10月9日日曜日

気持ちを込めて

 昨夜は看護婦さんが頻繁に夜中も出入りする。
ただ、普段と変らないのかもしれない。けれど昨夜はその都度意識が目覚めて起きてしまう。特に4時頃からは意識半分の状態しか寝つけなかった。

 看護婦さんのその動きや気遣いが違うのかもしれない。ぐっすり眠りたい。
雄一はそれなりに眠っているようだ。
もう付き添いは必要ないかもしれないが、あの痩せた体で夜中に立って点滴や袋をつけながらトイレに行くのは可哀想・・・。とは思うが、トイレだから何にも手伝いは出来ないけどね。出来る限り一緒に居てやりたい。
 
 こんな状態になっても雄一はあれこれ言われる事を嫌がる。
だから特にああしろ、こうしろとは言わない様にしているが、素直に受け入れて頑張って欲しい。
同じ薬を飲むのもいやいや飲むのと、何とか気持ちを入れて願って飲むのと効果は一緒だろうか?僕は気持ちの分は違うと思うんだけどね。

2011年10月8日土曜日

強い意志が欲しい

 昨日、今日と余り元気が無い。
5分がゆの病院の食事にも余り食欲をそそれないようだ。
選り好みしている場合ではないんだけどね・・・。
雄一にはそんな徹底した意思が無いようだ。
これは言っても聞く耳は持たないだろう。
本人に任せるしかないけどね。

 今日もテレビを見ながらもうほとんど寝ている。
それでもテレビを切ろうとしない。
もうすぐ10時。もう切って寝よう。
明日も朝が早い。

2011年10月7日金曜日

クダが抜けた。

 今日は夕方、お姉ちゃんが来てくれシャンプーしてくれたようで、髪の毛もすっきりしている。
でも何だかお疲れの様子だ。
食事も少し残した様だが、お菓子なんかは食べている。

 ベットの横を見るとまた1本クダが無くなっている。
残るのは大腸と小腸の人口肛門だけだ。でもこれは当分外せない。
このままで、頑張って行くしかないね。

 20:30
 今日もバラエティ番組を見ながらもう半分寝ている。まるで子守唄代わりだ。何で切って寝れないんだろう・・・。
薬は飲めている様だ。早く少しでも元気に成れ。

2011年10月6日木曜日

三つ子の魂、百まで。。

 今日はクダの出ている所から洩れたりして着替えを3回したらしくて少々お疲れの様子だ。
その代り、抜糸を今日はしてもらったらしい。傷口は良く成ったようだけどね。
 良く動く様になった分、出て来たのか?

 朝晩の食後に抗がん薬も飲んでいる。今の所量も少な目だし、吐き気なども無いようだ。
何とか効果を期待したい。

 20:40
いつもの様にテレビは付いてているが、もうほとんど寝ている。
「もう、テレビを切って寝たら」と言っても寝ながら「まだ、大丈夫・・」
まったく懲りていない。
 生活習慣にけじめの無いのが、病気に成る原因だと言ってるんだけどね。
今更怒っても仕方が無い。三つ子の魂、百までか・・・。

2011年10月5日水曜日

進歩と告知


  今日は主治医の先生も来られる。これからの事も話したいと言う事だったので、休みを取った。
 朝の心配をしなくていいので、気は楽だったが雄一も僕も9時半過ぎには疲れて寝てしまった。途中何度か起きたが、雄一も良く寝た。それでも外が明るく成る5時頃にはも寝付かなくなり、久し振りに本を読んだ。

 朝7時の朝食も全部食べ、9時前には先生も来られて「この調子ならまたクダを抜けるな。ご飯も少しずつ変えて行こう。けどゆっくり、慣らしながら」と言われてまた午後から来る、と。
 今日は雨模様だし地面が柔らかい内に長く出来なかった庭の草抜きをやろう、と家に帰った。着替えてリーと沢山スキンシップしながら2時間近く庭と犬小屋掃除。
あ~疲れた!

 午後、病院へ戻り2時過ぎには先生が来てくれた。
     どうして腸に穴があいたか。なぜ腸管が詰まったか。その元々の原因は。
そしてこれからの治療の進め方など。
順序立てて解りやすく理解し易い様に丁寧に説明する。
雄一も都度うなずきながら、話を聞いて理解している。やはり雄一はそれなりの覚悟はしていた様だ。はっきりと告知されても慌てる事も大きく驚く事も無かった。
これから何をしていくのかも良く解っている様だ。これなら大丈夫だろう。少し安心した。

 その先生が来る前にはベットのシーツ交換が有ったのでその間に点滴とクダと袋を持って食堂まで歩いて行く。ゆっくりと歩いて行くとナースセンターの看護婦さん達が「わあ!凄いなあ!」とか言ってくれている。もう20日以上入院しているんだから看護婦さんも良く知っている。特にこの病院は毎日、昼、夜、担当が変わって行く。当たり前だけどね。

 雄一はヒマだし、ビデオも見たいと言うので、1年振り以上にレンタル屋さんに行ってDVDを借り、家に帰って修理済のノートPCを最低限セットアップして病室に持って来た。もちろんこれでDVDも見れる。夜用にイヤホンも着けた。おまけにWIMAXのルーターも買って来てネットにもつなぐ事が出来る。
 このWIMAX。僕のPCにも試したが、ほとんど外出先でつながる。これは本当に便利だ。これならどこでもホームページもブログも更新出来る。後は体力だけ。
世の中、まだまだ便利になるだろうね。

夕方にはクダも一つ無くなり後、一本に成った。おしっこのチューブも抜いた。小腸の人口肛門のチューブも着脱式にしてもらって、溜まれば自分でトイレに行って捨てる。もちろんおしっこも自分で点滴とチューブ、袋を提げながらトイレに行く。
夕食前には一人で立って、自分でトイレに入りちゃんと終えて来た。
これで少しは動ける様になったね。

 夕食の後には先生の話した通り、今日から抗がん剤治療だ。まだ腸がとても弱いのでカプセルをお湯に溶かして看護婦さんが持って来た。
取り合えず、今日は大きく変化しいい方向に進歩してくれた様に思う。
これからの治療と雄一の頑張りに期待したい。

2011年10月4日火曜日

不安と希望。。

 昨日は雄一がせがんで、お昼は5分がゆを食べたらしい。
それも、点滴や沢山のクダや袋を一緒に運びながら食堂まで自力で歩いたようだ。
その後は、美容師のお姉ちゃんが休みで来てくれたので、シャワー室まで歩いてシャンプーしてもらった。兄弟ながらお姉ちゃんにシャンプーしてもらうのは初めてだろう。

 8時過ぎに病院に行くと10日ぐらい洗ってなかった髪の毛がフサフサときれいになっていた。シャワーはまだまだ先だけど頭は気持ち良かっただろうね。

 病室ではお菓子も少し食べている。少しずつ色んな食材も食べれる様になって願うのは早く体力の回復だ。
友人の結婚式が12月に有るらしくて、先生に「出席できそうですか?」と聞いたらしい。
先生も返事には困ったと思うが、「人口肛門の袋をつけたままでは、ちょっと難しいかな・・」と濁した返事をしたようだ。ただ傷口ももう良くなっている、と言ってくれたようだ。

 けど、雄一の気持ちの中にはやはり大きな不安が有るようだ。母親に「何か隠してない?」と聞いたようで、母親もまだ適当にごまかすしかない。夜はずっと一緒にいるが、僕には聞いてこない。多分、解かっていてもしゃべらないと思っているのか。

 夕食の後、錠剤のミン剤を飲んでいるようで、もう9時頃にはいつものようにテレビをつけながら半分眠っている。
音量を下げて暫らくして、チャンネルをNHKに替えた。久し振りに見るニュースだ。新聞も読めないし情報は会社で見るインターネットからが主だ。
やる事がハッキリしてれば、それでも特に不自由しないね。

 昨夜は11時、2時、そしていつもの4時に起こされたが、看護婦さんにポカリを貰って飲んでいた。痛みも無いようだ。僕もだが、大体眠れているようだ。
明日には、先生も交えてこれからの治療に対して話をするかも知れない。
雄一にとっては告知になる。
野球で言えば、先制点は入れられた。でもそれは油断やスキが有ったからだ。これから皆で力合せて1点ずつ返していけばいい。
 恐れずに希望を持って欲しい。

2011年10月3日月曜日

言葉で話そう。

 昨日は一日試合でお昼は見れなかったが、今日も3分かゆをゆっくり食べたそうだ。栄養補充の点滴もしてもらっているし顔立ちも少し戻って来た。

 8時前に病室に行くとテレビを見ている。
痛みももうあまり無いようだが、精神的な不安なのか幾分元気が無い。
看護婦さんに手当てしてもらっていても、うなずくだけで、言葉を出さない。
「もっと話をしろ、言葉に出して」とは言ったが、もう一つ元気がないなあ・・。

 9時頃にはテレビを見ながらうつらうつらしているので、「もうテレビ切るか」と聞くと「まだ」。
 とは言うが、もう半分眠っていた。音量を下げて暫らくそのままにし9時半頃にテレビも照明も消した。

 ベットの横にテーブルを付けて、お茶も携帯もチャンネルもポカリも置いてある。僕もそのまま眠った。今日は本を読む元気も残っていなかった。
4度ほど看護婦さんが来てその都度起きたけど、ミン剤も無しに良く眠っているようだ。4時過ぎにはオレンジジュースを少し飲ませた。
僕が支度をする6時前にはもうベットも起こして起きて来ていた。

 少し食べれる様に成ったんだから、元気を出して欲しい。

2011年10月2日日曜日

もう季節は秋

 昨日も3分がゆのメニュー。全部食べたらしいが、しゃっくりが出たりで何度かもどしたらしい。まだまだ油断は禁物。もともと病気でダメだったんだから・・・。
人口肛門で何とか持っている状態だろう。

 その人口肛門。色々食べるようになってから消化しきれない食材が、今日は小腸側のチューブが詰まったらしい。小腸側の人口肛門は予定外だったけど緊急手術の結果だったから仕方が無い。上手く付き合って行くしかない。

 食べれる様になって車椅子に乗って食堂まで移動したり、少し出歩いたりもしているようだ。顔や手、腕にも少し肉が着いて来たか。全く食べれなかった先週からはずっとマシだ。早く体力もつけて欲しい。

 昨夜は9時過ぎにテレビを見ながらうつらうつらしていて「もう寝るか?」と聞くとうなずいてテレビを消した。
僕も練習の疲れも有るし、もう本を読む気力は無かった。暫くしてから眠った。
 
 ベットの横にテーブルを置いてお茶やポカリや時計を置いてある。
飲みたくなったら自分で飲めるし、うがいや「今、何時?」なんて起こされる事も無い。
この病院でもう半月。10月に入り季節は急に変化してきて昨夜は少し寒かったが、僕も良く眠れた。でもこれからは朝晩の寒さ対策がいるかな。

2011年10月1日土曜日

お百度参りと元気なおやじ

 昨日9月最後の平日休みの日なので、病院から朝早く戻り、家を6時に出て五条へ行って来た。

 目的の一つは雄一の病気が治る様に、しっかりお参りして祈祷する事。
僕には小さい頃からの気持ちの寄り所に成っている五条の本院が有る。今日、初めて正式な名前を見て来た。宇賀山妙音院と有る。弁天宗の本院と成っている所だ。

 小さい頃、おばあちゃんや母親に連れられて、俗に言う講話と言うのか有り難いお話を聞きに来たり、お百度参りと言って何度も本殿の前の通路を願い事を唱えながら気持ちを一つにして回り、お願いをする。そんな事を遊びの延長で一緒にやっていた。

 今、思うと母親やおばあちゃん達は一心で僕達の事を願ってくれていたんだろう。お蔭で僕はずっと元気でここまでやって来れた。学校も休んだ事が無い。
 雄一がこんな事に成って、今更では有るけれど僕なりにも気持のけじめを付ける為にお百度を真剣にやってみようと思った。
多分、子供の人格は家庭環境も有るだろうが、こんな小さな時の経験や感じた事が、大きなウエイトを占めると今に成って実感する。
     一粒の米にも万人の力がこもっております。一滴の水にも天地の恵みがこもっております。感謝の気持ちでいただきましょう。
こんな当たり前の事はその小さな時に教えられて忘れる事は無い。
僕は子供達にこんな事をちゃんとして来ただろうか?・・・今となっては反省ばかりだ。

 うろ覚えのやり方では失礼になると思いお寺の人に「お百度参りのやり方を教えて下さい」と聞くととても親切に教えてくれて、「良ければ」ともう一人の人がマナーを書いた用紙もプリントして渡してくれた。

 20メートルぐらいの通路を時計まわりにお札を持って1回ずつ本殿に礼をしながら回る。お札は一度に100本は持てないので、25本ずつ持って雄一の健康回復を願いながら始めた。9時頃に始めたが、4回目の25本を持って回る頃には10時に成った。
100回のお参りを終えて僕としては一つ気持ちの区切りがついた。
祈祷もお願いして来たし、後は皆で一生懸命病気と戦うだけだ。

 この本院には不思議な事が有る。
僕がまだ15歳の春に母親と一緒に高校の入試の合格発表を見に来たその日だった。
本院の門を二人でくぐると、正面の大きな本堂付近にどっちからかは覚えてないが、すごく大きな光が走った。真昼間に。
 二人とも「あっ!」と叫んで暫くそのまま。間違いなく二人ともその光を見ている。
 別に宝くじに当たった訳でもない。でもここまで皆、元気に来れたからね。
そんな忘れられない事も有って僕の気持ちの大きな寄り所だ。これからもそうして行く。僕にとってはここには何かが有る。

 その後は、もう88歳に成る親父がお世話に成っている施設に面会に行って来た。
棒を持ち上げるリハビリを楽しそうにやっている。
今年の春に肺炎を少し患ってちょっと危ない時期も有ったが、今日の親父はとても元気そうだった。行くとリハビリ室に居て車いすに座りながら棒を両手で持って持ち上げたり、ビーチボールで看護師さんとキャッチボールしたり、サッカーの様に足で蹴とばしたり、そんな他愛も無いリハビリを笑いながら楽しそうにやっていた。
 痴呆が進んでもちろん僕が誰かも解らない。むしろ警戒する方だが、今日は本当に楽しそうだった。家族や自分の息子も解らないけど、体が元気ならこんな生活も親父にとっては、幸せとは言えないまでも良いことなのだろう。
 またこちらへ来たら覘きに来よう。元気でいて欲しい。
 
 昨夜は雄一も良く眠っていた。体のリズムが少し戻って来たのか。僕も疲れも有るし5時過ぎまで完璧に寝ていた。これだけ眠れたのは本当に久し振り。すごく目覚めもいいし体の疲れも無い。
さあ、今日は子供達と練習だ。頑張ろう!

2011年9月30日金曜日

しっかり眠れ!

 今日は3食の食事も全部食べたようだ。
でも睡眠不足と疲れや体力低下のだるさも有るのか昼の間も浅い眠りとは思うが、良く眠っていたようだ。

 夕食を食べてちょっとお腹が痛むらしい。痛み止めを入れてもらっている。
ミン剤は飲んでいないようだが、テレビを見ながら眠たそうだ。
まだ本を読んだりする気力もあまり無いようだ。マンガも開けたがすぐにやめてしまった。

 21:00
 良く眠ってはいるが、眠りは浅そう。。。このまま寝てくれるだろうか。。。

 4:00
 いつもの様に看護婦さんが色々と入れ替えに来る。
雄一は良く眠っていた様だ。途中、点滴を替えに来た看護婦さんにポカリを飲ませてもらったりしたぐらい。僕も途中一度飲ませただけだ。
他は僕も起きれなかったし、雄一も良く寝ていた。僕も良く寝れたかな??

 4時過ぎに入れ替えが終わって、
「もう、寝れなくなった」。
「当たり前や!お昼もずっと寝てるんやから」。
とポカリを飲ませて、テレビをつけてもこんな時間にバラエティー番組は無い。
諦めてまた眠り始めた。

 痛みや不安で眠れなかった時よりは顔にも生気が戻って来たようで、唇も色が着いて来た。目の周りも少し優しくなった。
まだ痛みは有るようだが、しっかり眠れ。

2011年9月29日木曜日

希望の千羽鶴

 27日19:30

 夜、病室に来るとその雰囲気がいつもと違っていた。
まず、体から出ていた沢山のクダが少なくなっている。鼻から通している胃までのチューブも無い。右胸のクダも無い。
 ポカリを飲んだり、ヨーグルトを少し食べているらしい。
8時頃にもヨーグルトを食べようとして欲を出して沢山取ろうとしたらこぼしていた。

 もっと食べたい、早くご飯、と言うがまだまだ危ない。腸は2回も手術して且つ腫れている状態だ。どこまで回復しているかもまだ解からない。

 10時近くテレビを見ていて、もう寝るという。テレビも切ってくれとも言うのでポカリを少し飲ませて寝かせた。もううつらうつらしていたし、ミン剤なしでそのまま眠ろう。どこまで持つか解からないが・・・。

 勤務先の病院の技師や同僚達が千羽鶴を持って来てくれて点滴棒の上から吊るしてくれていた。小さなカラフルな鶴を色を順番に合わせながらキレイにつなげている。折ってくれたと言っていたが、まとめて色を合わせるだけでも大変だろう。
本当に有りがたい。雄一にも、皆の希望にもつなげて欲しい。
早く元気に成って恩返しをしよう。
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 23:00
 やはり1時間近くで起きてくる。仕方無くミン剤をもらう。ポカリも少々。早く薬に頼らないようになって欲しい。なまじ知識が有るのですぐに要求してしまう。僕なんかならそんなミン剤の事は知らないから一晩眠れなくても気にしないだろう。

 2:20
 また起きて看護婦さんを呼ぶ。またミン剤を、と。ダメだ。
ポカリを少し飲ませたが、看護婦さんが出て行くともっと飲みたい、と言う。
ダメだ。ちょっと良くなったからと言って目先の欲ばっかりしていたらまたダメになってしまう。
 4:00頃にもまた同じ事をせがむ。ダメだよ。雄一はまだまだ子供だ。
目指す目標ははるか遠い。戦いはまだ始まったばかりだ。

2011年9月27日火曜日

少し安定。。

 昨夜は10時頃にはテレビをつけながら殆ど眠っていた。沢山検査も有って疲れたのだろう。けれどいつもこんな調子なので、眠りが浅いのか何か有るとすぐに目をふわ~と開ける。
 「テレビ消そうか?」と聞くとうなずいて眠り始めた。

 今日は眠ってくれるだろうか?と思いつつ本を少し読んでから眠った。
 
 23:00
 また起きてくる。看護婦さんにミン剤をせがむ。今は休める事が先だから仕方が無い。

 2:30
 少しお腹が痛むようだ。今度は痛み止めをもらう。お腹のガーゼとか手当てしてもらったが、またミン剤をせがむので、「今度はもうダメ」。諦めたのか眠り始めた。

 4:00
 またいつもの様に看護婦さんが何本かのチューブから出ている液を計ったり入替えたりしに来る。
物音を立てないように気は使ってくれているが、僕でもすぐに目覚める。
いつも思うが、何でこんな時間にするんだろう。。。
それでも雄一は痛み止めも無くなって、ミン剤もないまま眠っているようだ。
そのまま5時半頃まで眠ってくれた。
 栄養価の高い点滴を流してくれたし、少し眠れた事も有って昨日よりは目の周りが少しふっくらして来た。この辺は若い分、回復も早いだろう。早く体力を戻して欲しい。

2011年9月26日月曜日

CTの結果

 お昼過ぎにCTの結果でお腹の中にうみが溜まっているのが解って午後からそれを抜く処置をするらいい。また穴を開けて吸い出すらしい。
穴を開けるんだから手術は手術か。
可哀想に。。。夜に痛がるのも傷の付きが悪いのもこれなのか?原因は何?
 今度は上手く行って欲しい。仕事も手に付かないので、早めに帰ってきた。今は比較的自由に動けるので有りがたい。

 病院について暫くすると、手術から戻ってきた。部分麻酔なので意識もしっかりしている。でも今日は沢山検査も行って疲れているようだ。
他のクダは明日辺りから抜いて行きたいとは言っていたが、食べれるのはまだ少し先だろう。

 余りにやせているのが、気になっていたので聞いてみると、今日から点滴も栄養価の高いのを入れるという事だった。
それは病気の進行も早めてしまうけど、肝心の体力が無かったら何にもならない。

早く体力戻して少しは食べれる様に成って、それからが病気との戦いだ。

2011年9月25日日曜日

長い夜。

0:30
 昨夜は10時半頃にミン剤を入れて眠り始める。疲れているのかすぐに軽く寝息をかいている。見計らってミン剤を止めてもらった。
けれど、もう11時半頃には眠れない、と起こす・・・。

 またミン剤を入れて暫く寝込んだようだが、もう0時半頃にはまた起きる。
やっぱり不安なのだろう、いつまで続くのか。。。

 1:30
 今度は少しお腹を痛がる。もうミン剤も無い。今度は痛み止めを流してもらった。冷や水を少量飲まし、「力抜いて、とにかく眠る事だけ、何も考えるな・・・」といいながら頭をなでてやる。暫らくすると眠りに着いた。

 この後、うつらうつらしながら、看護婦さんが液を入替えたり血圧や体温や色々いじくりながらも5時近くまでぼや~としながらも眠ってくれたようだ。
3時間近く起き無かったのは本当に珍しい。不安な夜を雄一も眠ろうと頑張ってくれている。
この3時間で僕も休める事が出来た。

2011年9月24日土曜日

不安な眠れな夜。

 昨夜はお昼の間、大体起きて頑張っていたし夜は寝てくれるだろうと期待していた。
 10時頃に電気を消して、ミン剤を入れてもらって暫くすると眠り込む。
10時半頃にはミン剤も止めてもらって僕も眠った。もちろん僕の場合はあっという間だ。

 0:30
 また目が覚めて眠れないと起こす。起こされても子守唄を歌う訳でもない。
お腹の痛みは無いようだ。うがいして冷水少し飲んで、「何も考えずにお腹の力を抜いて目を閉じろ」と言ったけど、本人はやはり不安なんだろう・・・。

 3:00
 同じ様に眠れないと看護婦さんを呼ぶ。怒る訳ににも行かない。辛いのは痛いほど良く解かる。うがいもたびたびせがむ。後で思ったが、まだまだやっぱり子供だと思った。夜は余計に不安になるんだろう。理解してやりたい。
 まだ2回目の手術から6日目。今無理しては絶対にダメだ。けれど気持ちははやる。早く食べれるようになりたいだろう。その間にも病状は進む。得体知れない程、不安も有るだろう。
廻りが理解してやっていくしかない。本人もしっかり気持ちを持って欲しい。

 6:10
 顔を洗って病院を出た。その救急室の入り口をあけると、とてもさわやかな秋の空気!病院の中の空気とは全く違う。
病院の中は機密されてエアコンだから凄く乾燥しているのかも知れない。今度は湿度も見てみよう。早く元気になれ!

2011年9月23日金曜日

ヒマでしようがない。。。

1:30
 良く眠っていたが、お腹が痛み出した様だ。看護婦さんがお腹廻りを手当してくれている・・・。
眠いのか、その間にまた眠り始めた。
 
 3:40
 また痛みで起こされる。今度は痛みどめを入れてもらった。
うがいをして少し冷や水を飲む。が、この後しゃっくりが出て来てまた眠れなく成る。看護婦さんが、舌に何か入れたりしても止まらない。
ガムをかんで、うがいすると止まったかな・・・。
 その後1時間ほどは眠ってくれた。

 痛みは無いようだが、ヒマでヒマで仕方が無い様子。まだ動くにも動けない。
まんがも読みあさった。ゲームも。後は何をする?

 11:00
 駐車場へ行くときに勤務先の先生が見舞いに来てくれた。
最初に診断して、僕達には告知もしてくれた先生だ。現実の状況については一番理解されているだろう。それだけに正直な話をされる。
僕もぶっちゃけて聞いたが、解りやすく話してくれた。やはりそれ程希望の持てる状態ではない。けれどやるしか無いんだ。

 今日はひなたも神戸の子も運動会だ。行きたかったけど、この状態では難しいし、あんまりうかれる気にはなれない。ホントはそれではいけないんだろうね。
夕方、お腹廻りを替えてもらって言いたい事を言う雄一は頭を洗って欲しい、と言う。
 介護病院じゃ有るまいし、とも思ったが、この病院はベットでもシャンプーや足湯なんかもやってくれる。これが料金にどう含まれるのかは解らない。
 2人かかりでシートやおむつを3,4枚しいて頭を洗ってくれた。

 とにかくヒマで何かしたい、早く食べたい、と言う。やせ細って行く体も心配だが、腸を2回も切ってるんだから、そんなすぐに食べれるなんて無茶な話だ。
もう少し辛抱しよう。

2011年9月22日木曜日

人を思う心。

4:00
 昨夜、11時頃からお腹の痛みを訴え、とても眠れそうになかった。痛みどめを打ってもらっているが、今一つ効き目が無いのか、それ以上に痛いのか・・・。
痛いと言われても何も出来ない。
手足をさすってやるだけだった。
 4時頃にはお腹の痛みは少し楽になったようだが、疲れでやっと眠りかけている。早く痛みも消えて楽に眠れる様になって欲しい。
寝ては起きて・・・の繰り返しが続く。

 9:30
 今日は田舎のおばあちゃんが兄と一緒に来てくれた。もう足腰はかつての元気さは無いが、おじいちゃんの様にボケてはいない。元気だ。
雄一は朝方からは痛みも消えて楽になったようだ。
マンガをよんだり、テレビ、ゲーム、ガムをかんではうがいしたい・・。ヒマを持て余して言いたいほうだい・・・。
 胃から出て鼻を通って出て来るクダからはまだ沢山、液が出ている。
先生も来られてこれが少なく成ればチューブも外せるし、食べれる様に前進だ、とは言ってくれたけど、いつまでかかるだろう?
 こんな状態でも病気は進行していく。早く体力を戻して欲しい。

 2:30
 大阪の義理兄の家族が来てくれた。良く遊んだいとこ達も励ましてくれている。

 16:00
 雄一の勤務先の病院へ。
先の入院費の支払いと今後の待遇の確認をするために上司や理事長さんとお会いした。
 わずか2日半の入院だけで5万以上もの支払・・・。ちょっとびっくりだ。事前に銀行に行って来て良かった。これで1か月入ったらどうなるんだろう・・・。
 まずその高額医療上限の申請は?の説明を聞き、通常の手続きでは1~2週間ぐらいかかるらしい。
理事長さんが担当課長を呼んでくれて話を聞くと、久居のポルタにある健保の事務賞に行けば、即日に交付してくれる、とも。

 17:00
 色々お話をした後、すぐにその事務所へ向かった。
時間はもう5時前。今頃行けば、お役所仕事なら誰も嫌がるだろう。電話すると5時までに来てもらえたら、とは言ってくれた。
そして5時頃に行くと受付のお姉さんはとても親切に丁寧に説明してくれて手続きもスムーズにこなしてくれた。
 こんな所に申請に来る人は楽しんでくる人はいない。辛い思いで来ている人が殆どだろう。その気持ちを察しているのか、本当に丁寧で親切だった。ファンに成りそうなぐらい。もし僕が彼女だったら同じように対応出来るだろうか?
 今の僕では出来ないだろう。。。少し反省。。
今日はこれがとても嬉しく救われた気がした。
 

2011年9月21日水曜日

台風一過

 昨夜は中々雄一も眠れないようだ。状態は良くなってはいるが、手術まえからずっとまともに眠っていないので、体が昼夜の区別も全然出来ていない感じだ。

 大体1時間ぐらいでベットの柵をこんこんと叩いて起こす。まだ点滴だけだし口の中がとにかく乾くようだ。その度に口をゆすぐ。
 体温はほぼ正常に戻った。右のお腹に空けているチューブの辺りもちょっと痛いとも言う。眠れるように11時頃にはミン材を入れてもらったが、3時頃にはまた欲しい、という。

 でももうこれは可哀想だけど2回はダメだよね。看護婦さんに優しく断わられて仕方無く納得したようだ。
少し楽になった様だから、今日から昼と夜を区別するように過ごせば少しは眠れるようになるだろ。
あめぐらいならもうすぐなめてもいい、と先生も言ってくれているようだ。

 そんな調子で夜が過ぎ台風の朝が明けた。外は雨はまだそんなに強くない。
けれど、仕度して病院を出る6時過ぎには強い雨が降ってくる。
ずっと横殴りの雨が続き、こんなんでは会社まで行けないかも・・・と思ったら亀山辺りから雨もやみ、無事会社に着いた。今日は眠い。

台風も過ぎ、仕事を終えて病院に夜と、今日から水分とガムならいいと言われた様でのどが乾くと少しずつのんでいる。少し話せる様にもなった。頭だけが少し熱ぽくて、僕に扇子であおげと言う。
ホントに遠慮の知らないやつだ。

今日も一旦帰ってお風呂入って出てきた。
9:30
今夜は良く眠っている。僕も寝よう。多分10秒ぐらいで眠れそうだ。
おやすみ。。。

2011年9月20日火曜日

少し安定。。。

 今日は11時頃にICU室を出て個室に移動したらしい。容態もすこし安定しているらしい。
会社を出て、今日は歯医者の予約が有ったので帰りに寄り、終えてから病院に向かった。

  8:00
 病室は今度は515号室。確かに痛みは少し楽になったようだ。
血圧も異常ない。
けど、痩せ細った手は異常に冷たい。体温を図ってもらうと36度を下まわっている。身体は汗ぼったいのに。
手足をこすってあげたが、本当に細く成ってしまった。
可哀想に。。。

今晩は泊まる事にした。

 10:30
 明日の用意もして風呂にも入って出てきた。
今日の借りたベットは板では無く底が布状で座ると沈む。。。
貧乏人には板の上の硬いのが、いいんだけどね。

2011年9月19日月曜日

少し安心も。。。

 昨日は心配した2度目の手術も何とか持ちこたえてくれたしICU室で管理されているから、夜の付き添いもいらない。家で一安心して眠り、早く起きた。
 今日は野球の試合も有るので、昨日の段階ではもうキャンセルしようか、とも思っていた。でもコーチも見てくれるし、子供達もやりたいだろう。
今日はICUで面会時間も限られているから、午前中だけ野球に参加し1試合を終えて、後も気に成りながらすぐに病院に戻った。

 12:00
 病院には大阪の兄も来てくれていた。お昼すぎにICU室へ入れてもらって様子を見たが、まだまだ痛みも有って中々眠れないようだ。この3,4日、殆どまともに眠っていないのでは・・・と思う。体力の低下が心配。でも少し顔色は良さそうだ。

 16:30
 一旦帰って、必要なものを買い揃えたり、少しの睡眠もとった。とにかく眠かったが、雄一に比べれば何でもない事だろう。
夕方6時過ぎにICUに入ると、やはりまだ腸、お腹がかなり痛い様だ。看護師さんに聞くと定期的に痛み止めも打ってもらっている。
2度目の手術からまだ20時間ぐらいしか経っていない。
お腹のチューブから出て来る体内の液もまだ多いし、腸が順調に回復するまでは当分、痛みも続くだろう。何せ、パンパンの状態だったんだから・・・。
もう再発せずに、少しずつでも回復するのを祈るばかりだ。
 
 この1週間でまたやせた様に思う。
子供達にはしんどい時でもガマンして頑張れ、と育てて来た。
この様な状況に限って言えば、それは間違いだと気付く。痛いのを、辛いのをガマンしていたらそれは悪くなるばかりだ。
雄一には、「痛かったらガマンせずにちゃんと言うんだぞ、ガマンするなよ」とは言って来たけど、僕達が行くと「口をゆすぎたい」と必ず言う。
どこかで「これぐらいはガマンしないと・・」と思っているんだろう。

 早く、回復して欲しい。食べれる様になって欲しい。

2011年9月18日日曜日

もう一つの山

15:30
 雄一が再手術に成りそうだ・・との連絡が有った。やはり腸の具合が良くないらしい。すぐに仕事を引き継いで帰って来た。

 やはり腸からまた漏れているのは間違いないようだ。腸の中の液がお腹の中に出て腸そのものが炎症しているらしい。CTの画像でも腸が膨らんでいるのが解る。

 今日はそれまでに田舎や大阪のいとこ達が見舞いに来てくれていた。
病院の同僚や上司の人も。
再手術の準備をしている時にまた2人の同僚の子が来てくれた。相手するにも色々検査や準備や先生との話で、会わせる事も出来ない。
 いよいよ手術室へという時に彼らは、やっと雄一のベットの脇に寄り添って
「絶対元気に戻って来いよ!またカラオケ行くぞ!買い物にも行くぞ!」と悪友らしく励ましてくれている。雄一も声は出ないが、「うん、うん」とうなずいている。
 僕も母親も励まして送るとしっかりうなずいていた。気持ちは前回よりしっかりしている様だ。

 17:00
 手術室へ。
先生からは2回目の手術だし、危険性もある。腸は縫っても今の腸の状態ではつなぎ切れない可能性が高い。その時はまた人口肛門に成る、と。
それからとても長く感じる時間が過ぎて行く。
何も食べる気も起こらない。祈り待つだけだ・・・。

 20:30
 手術室から先生がカメラを持って出て来た。
無事終えて小腸に人口肛門を着けた事も話す。やはり前回に縫ったところが破れていたそうだ。同じ様に処理をしようとしても腸そのものが腫れて弱っているしすぐに破れてしまうらしい。そこで仕方無く人口肛門となった。
これで上手くいっても、ガン治療を続けて良く成るまでは元には戻らないだろう。
 カメラの画像を見せてもらったが、まるでフランクフルトを縦に切った様に傷口が開いている。とにかくこれで何とかつながって腫れが収まって欲しい。

 ICU室に出て来て手当をされている雄一は比較的顔色も良さそうだ。麻酔でいびきをかきながら眠っているけれど血圧も110ぐらいで安定している。
何とか、これで落ち着いて欲しい。
 良く頑張ったなあ雄一!

2011年9月16日金曜日

雄一の入院

今年の夏場になってからの雄一の体の変化が気になっていた。
今年の春に田舎のお爺ちゃんを皆でお見舞いに行った時は何も感じなかった。
服を着ていても明らかに細くなっているのが解る。

 自分は病院で勤務しているのに、「早く病院で見てもらえ!」といっても本人は別に体調が悪い訳でもないし「うるさいなあ」ぐらいにしか聞いていない。
けど、この8月になって明らかに食事が急に細くなり、ごはん半分も食べれない様だ。ここまでなっても診察にも行かず、体力に任せて病院の勤務、夜勤もこなしている。

 とうとう体力も続かずやっと勤務する病院の先生に見てもらった。
それが9月2日。
すぐに先生も異変に気付いたようですぐに仕事をやめさせ自宅療養になった。

 僕は病院で業務するその環境の中で何で誰も気付かないんだろう・・・
多分、昼食も同じ状態のハズだ。雄一の周りの人が少しぐらいは気がついいてもいいのに・・・と思っていて一度、勤務する病院に相談しに行こうか・と思っていた。
今となっては僕もすぐに行かなかったのが、とても悔やまれる。

 自宅で療養中も僕の目には、どう見てもこれはおかしい、尋常じゃない、と感じていたが、本人は調子が悪いだけですぐに仕事に戻ると思っていてテレビを見ながらベットに転がっている。

 そして9月9日に胃カメラ。
胃の組織も取って検査、その他色々な検査もしてくれたようだ。

 9月13日、自宅に帰ると雄一はいない。すぐに入院したらしい。担当の先生から夜10時頃に本人には合わずに来てくれと言う。
これは普通ではない。でも若いしまさかね・・と思いながら病院に向かった。

 担当の先生は解り易く詳しくそして隠すところなく正直に説明してくれた。
症状は胃ガン、それも相当進行している。特に若いし進行が速い。ガンの1~4までのレベルでいうとすでに4のレベルだそうだ。
しかもそれが腹膜にも移りお腹の中に多数散らばっている。まだカメラ程度では解らないがそれは間違いがない。
 ガン性腹膜播種という症状らしい。相当やっかいな症状で今の状態では手術もできない。進行も早くこのままでは1~3か月・・なんて事を話された。

 頭よりも脳みそを叩かれたようなショックを受けた。
「何で・・・タバコも吸わないし、酒もほとんど飲まない。贅沢もしない。仕事も順調でやっと自分のお金でおしゃれをしたり、海外旅行をしたり、これからという時だ。何で雄一に・・・」

 治療方法は暫く体力を戻してそれから化学療法、治療でガン細胞を減らし手術できる様になれば可能性がある。ただしそれは抗がん剤に対しどこまで体力が勝るかの勝負になる。可能性はかなり低い。
色々ネットで情報を調べても同じ様な事が書いてある。

 後で三重中央の先生に聞いた話では、抗がん剤は早く成長する細胞を攻撃するらしい。血液なんかは日々生まれている。だからそれらの必要な細胞にも攻撃を仕掛ける。それが合わない人には大きな副作用になる。
けれど最近ではいい薬も出て来て同じ様な腹膜播腫でも劇的に効果が出る人もいるそうだ。確率は低いけどね。
 今はそれにかけるしかない。

 そのあと、もう11時を回っていたが、苦しそうに雄一は横になって寝ていた。本人にはガンは伝えない。
最善の方法をと、愛知のガンセンターに紹介状を書いてもらう、と先生とは了解を頂いたので、その時に話をしようと決めた。家族にも雄一にも覚悟がいる。
雄一には「今の内に悪いところは全部直すんだぞ。治るまで出て来るな。だから覚悟決めてしっかり治せ」と強気で話した。
自分の体に、細胞に戦い抜く事をイメージして思い込め、とも。
何が何でも頑張り抜いて欲しい。出来る事は何でもしてやりたい。

 その夜は眠れず、色んな事を思い出し考えた。僕が普段、私生活には特に厳しく言い過ぎたのもずっと悔やんでいた。雄一にもストレスは有っただろう・・。

 9月14日
仕事も手につかず、うわの空で終えて病院に行くと、昨日とはうって変って元気になっている。ベットを立てて普段着を来てテレビを見ている。少し熱は有るようだが顔色もいい。この調子なら体力を戻して戦えるかもしれない。少しその夜は安心して疲れもあるしすぐに寝てしまった。

 9月15日
 今日は木曜なので会社は休み。9月までは土日出勤だ。昨夜の帰りに有希子のところにも行き事情も伝えた。散髪もしたかったので朝10時から頼んでおいた。
早く起きて色々していると、9時頃に病院の先生から電話がかかる。

 「お腹の中の腸のどこかで穴が開いてしまったようで、場所は特定出来ないが事象からそれは間違いはない。緊急手術が必要です」
ガンが腸にも転移し膨らんで詰まっているところが多分破れた・・・。それまでの検査でお腹にガスを入れて検査したのも一つの要因かも、とは僕は感じた。雄一はそれがとても気持ちが悪く口や鼻に戻ってくるので嫌がっていた。

 すぐに病院へ行き説明を聞いた。とにかくこれは救命の為の緊急手術。すぐにやらないとお腹の中に便や菌が回って最悪血液中に感染してしまうと1~2日に死亡してしまうらしい。最悪の状態を超えるには手術にかけるしかなかった。
雄一にもガンの話はしていないが、その話を先生はもうしてくれていて、本人も了解している。人口肛門になるかも知れない、という話もしている。

 病室に救急隊が来て苦しんでエビのようになっている雄一を運んで行った。

 11時
 三重中央の先生も若いテキパキとした好感の持てる先生だ。まだ30代前半だろう。ガンは本人には伝えていないとこの先生にも引き継がれていたので、僕にもその様な話をする。「僕らは全部聞いています。腹膜播腫の事も」と言うとしっかり細部まで、手術の危険性も説明してくれた。ガンの治療も行っているしその対応も詳しい。愛知ガンセンターとの情報、交流もある。
この先生なら状況に適格に対応するだろう、と感じた。

 雄一はお腹の痛みが激しくずっとエビの状態・・。辛そうだが親は何もしてやれない。頭をなでるだけ。代われるものならは代わってやりたい・・と母親は陰で泣いている。
何本も点滴をつけられていながら、苦しみながらまだ雄一は「昨日まで調子良かったのに・・・仕事も早く戻らな・・」とこんな手術前の状態でもそんな事を言っている。
 1時に手術に入る前にも先生に「いつごろ戻れる?仕事あるし・・人口肛門はすぐに外せる?」と聞いていたようだ。

2011年6月11日土曜日

自然の力

 先週の金曜日、会社が休みになり、なまった体を動かそうと家の周りの垣根や植木のせん定や小さな庭の草ひきを始めた。
梅雨に入り、雑草は一気に伸びてる。

そんな庭の雑草を抜いていると、そこに雑草ではない意外な物を見つけた。
まず気が付いたのが、小さな葉を付けたもみじ。


垣根の陰に小さなもみじ
「どこから、種が飛んできたんだろう?」と考え、感心しながら雑草を抜いていたら今度は小さなヒノキの葉が有った。

自然の力は凄いね。
地震や津波は凄い破壊力だけども、こんな小さな樹木の命も育ててくる。
それにしても、どうやってこの小さな庭に根を着けたんだろう?
もみじもヒノキも種子からだね。。。って事はどこからか飛んできた?
鳥のフンにでも入って落ちた?

ヒノキ

そんな事を考えながら、この場所では育たないのでスコップで回りから掘り起こし、小さな鉢に植え替えた。
今、もう一週間が経つが元気に成長しているようだ。ヒノキの葉は特に成長が早ね。
僕が生きてる内に、どれだけ大きくなるか楽しみにしていよう。



鉢に移して玄関先へ