2011年11月9日水曜日

生かされる喜び。。有り難うの気持ち。

  雄一は昨日は体がだるいのかあまり元気も無かった。今になって少し副作用かな?でももうこの治療は3週間目だし、それならかなり少ない方だろう。
今晩、夕食の時間に寄ると平常食を全部平らげていた。大きな野菜ぎょーざもおまけに。
先生も来てくれて「これだけ食べれれば、もう何でも大丈夫だね。無茶だけしなければ」と言ってくれた。
化学療法だけでは、病原が無くなるとも思えないが、病気と共存できるまで。。手術できるまで小さくなってくれたら。。。と願う。

今朝は仕事も一段落しているし、朝いつもの様に起きて五条へ行って来た。
幼いときからの僕の気持ちのより所、本院へ。
今日もお百度参りをやりきるつもりで来た。今日は9時過ぎから10時半頃まで百回、お願いしながら歩き続けた。これで少し気持ちも楽になる。
先月は9月末だったから一月は越えてしまった。
必ず月に一度は!と決めたからまた来月、12月に来よう。

お百度を参っている間、本堂では祈願のお祈りをしている。小さい時に母親やおばあちゃんが挙げていたお経が聞こえて来る。
僕はお経は挙げれないけど、信じる事は出来る。まあ勝手な考え方だけど、信じる者は形はどうあれ気持ちは救われる。これは間違いが無い。

そのお百度の間にご祈祷のお祈りが終わって、そのお坊さんの説法が聞こえてきた。しばらくしてお百度を止めてその話を聞いていた。
すると。。。

「自分が辛くて不幸だと思うのは、それはとても大事な事を忘れているからです。生かされているという観点に立てば、朝起きて目覚めがあるのはそれは素晴らしい事で、感謝すべき事です。朝、目覚めない人もいるのです。。。ありがとうの気持ちを忘れないように」

今更ながら当たり前の事で、改めてこんな場で聞くと、今こうして居れる事が有り難く感じる。なぜかぐっと来てしまった。
お百度を終えてお祈願をお願いして、本院を後にした。
一つ、これも自分の心の中の区切りだ。また来月来よう。今度はもう少し早く来て祈願や説法も聞いてみようか。

その帰り、おじいちゃんの施設へ寄って来た。
一月振りの親父は以前に増して元気になっている。
腕を上げるリハビリも以前は軽い紙の棒だけだったが、今日は0.5キロの重りも着いている。
車椅子に座って足を伸ばしたり、上げたり、少しの時間だけどそれなりに体や手足を動かしている。やっぱり人間は止まったらダメだね。動かないと。

食事も流動食だけど、2つのお皿とデザートなんかも全部食べきっている。もうお皿には無いのに、何度もスポーンですくおうとしていた。
一時は心配な時期も有ったが、88歳で凄い回復振りだ。
このタフさは雄一にも見習って欲しい。

雄一も良く食べるように成ったが、中々肉が着かない。
この治療は3週目だが、体重1キロ減っている。抗がん剤の副作用で腎臓への影響があるのか、体内の水分が少ないのか。
昨日から先生にもお願いしてその為の点滴も一つ増えている。
体も動かして体力も付けて欲しい。

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