昨日は9月最後の平日休みの日なので、病院から朝早く戻り、家を6時に出て五条へ行って来た。
目的の一つは雄一の病気が治る様に、しっかりお参りして祈祷する事。
僕には小さい頃からの気持ちの寄り所に成っている五条の本院が有る。今日、初めて正式な名前を見て来た。宇賀山妙音院と有る。弁天宗の本院と成っている所だ。
小さい頃、おばあちゃんや母親に連れられて、俗に言う講話と言うのか有り難いお話を聞きに来たり、お百度参りと言って何度も本殿の前の通路を願い事を唱えながら気持ちを一つにして回り、お願いをする。そんな事を遊びの延長で一緒にやっていた。
今、思うと母親やおばあちゃん達は一心で僕達の事を願ってくれていたんだろう。お蔭で僕はずっと元気でここまでやって来れた。学校も休んだ事が無い。
雄一がこんな事に成って、今更では有るけれど僕なりにも気持のけじめを付ける為にお百度を真剣にやってみようと思った。
多分、子供の人格は家庭環境も有るだろうが、こんな小さな時の経験や感じた事が、大きなウエイトを占めると今に成って実感する。
・ 一粒の米にも万人の力がこもっております。一滴の水にも天地の恵みがこもっております。感謝の気持ちでいただきましょう。
こんな当たり前の事はその小さな時に教えられて忘れる事は無い。
僕は子供達にこんな事をちゃんとして来ただろうか?・・・今となっては反省ばかりだ。
うろ覚えのやり方では失礼になると思いお寺の人に「お百度参りのやり方を教えて下さい」と聞くととても親切に教えてくれて、「良ければ」ともう一人の人がマナーを書いた用紙もプリントして渡してくれた。
20メートルぐらいの通路を時計まわりにお札を持って1回ずつ本殿に礼をしながら回る。お札は一度に100本は持てないので、25本ずつ持って雄一の健康回復を願いながら始めた。9時頃に始めたが、4回目の25本を持って回る頃には10時に成った。
100回のお参りを終えて僕としては一つ気持ちの区切りがついた。
祈祷もお願いして来たし、後は皆で一生懸命病気と戦うだけだ。
この本院には不思議な事が有る。
僕がまだ15歳の春に母親と一緒に高校の入試の合格発表を見に来たその日だった。
本院の門を二人でくぐると、正面の大きな本堂付近にどっちからかは覚えてないが、すごく大きな光が走った。真昼間に。
二人とも「あっ!」と叫んで暫くそのまま。間違いなく二人ともその光を見ている。
二人とも「あっ!」と叫んで暫くそのまま。間違いなく二人ともその光を見ている。
別に宝くじに当たった訳でもない。でもここまで皆、元気に来れたからね。
そんな忘れられない事も有って僕の気持ちの大きな寄り所だ。これからもそうして行く。僕にとってはここには何かが有る。
その後は、もう88歳に成る親父がお世話に成っている施設に面会に行って来た。
棒を持ち上げるリハビリを楽しそうにやっている。 |
今年の春に肺炎を少し患ってちょっと危ない時期も有ったが、今日の親父はとても元気そうだった。行くとリハビリ室に居て車いすに座りながら棒を両手で持って持ち上げたり、ビーチボールで看護師さんとキャッチボールしたり、サッカーの様に足で蹴とばしたり、そんな他愛も無いリハビリを笑いながら楽しそうにやっていた。
痴呆が進んでもちろん僕が誰かも解らない。むしろ警戒する方だが、今日は本当に楽しそうだった。家族や自分の息子も解らないけど、体が元気ならこんな生活も親父にとっては、幸せとは言えないまでも良いことなのだろう。
またこちらへ来たら覘きに来よう。元気でいて欲しい。
昨夜は雄一も良く眠っていた。体のリズムが少し戻って来たのか。僕も疲れも有るし5時過ぎまで完璧に寝ていた。これだけ眠れたのは本当に久し振り。すごく目覚めもいいし体の疲れも無い。
さあ、今日は子供達と練習だ。頑張ろう!
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