2013年12月26日木曜日

「永遠の0」 物語を続けていこう。

 今日は休みをもらっておじいちゃんのお見舞い。
ひなたも連れて、まずは雄一のお墓へ。
先週から、僕は来れていなかったので、今日は行っておきたい。

 お墓に行くと、少し花が増えているようだ。誰かがユリの花などを入れてくれたのか。
本当にありがとう、と言いたい。
歴代ワンコのモニュメントの前に有る座り石の上に、先日に買い集めたセブン・イレブンのバーニーズ2頭もお座りさせた。モモは連れては来れないけど、喜んでくれるかな。
また、年末には家の庭でも咲いて来た菊の花を供えてやろう。
 

 それから、奈良のおじいちゃんの病院へ。夏前に来て以来だろうか。
津から約2時間弱。
おじいちゃんの病室は個室だし、少しでも皆の気持ちがまぎれれば、とそのセブン・バニ2頭をそのままテーブルの上に飾って来た。
横にはここの看護職員さんからのクリスマスカードも並べてある。近所の幼稚園の子供達からだろうか、可愛い絵もかけられていた。

 クリスマスカードには大正12年生まれ〇月〇日生れ、と書いてある。大正12年と言えば、1923年、90歳だ。

 それからいつもの五条のお寺に参拝して帰って来た。そこには大きな門松も飾られていて、もうお正月準備を進めている。
めったに引かないおみくじをひなたが引きたいと言うので、やってみるとひなたは凶。
そして僕は吉だった。
 
 そこには勝負事は先手必勝!と有る。うん、それは徹して行きたい。
待ち人は遅れてやってくる??待ち人って誰だろう?誰が来るのかな?
楽しみにしていよう。

 そして家に帰って、大騒ぎで飛びつくモモと散歩して、映画「永遠の0」を見に出かけた。
何だか、この映画を見よう、と思ったのも必然だった様な、そんな気がする。

 先週からNHKの零戦のドキュメントを見ていた。真珠湾から特攻まで。
今年は宮崎駿のアニメ「風立ちぬ」も見た。あれも零戦設計者のお話。
そしてたまたまネットのニュースを見ていると
映画「永遠の0」21日から公開、のテロップニュース。
「何これ?」と見るとベストセラー小説の映画化らしい。それも零戦。

 それで、見たくなって来た。
先日の12日に結婚35週年で娘夫婦達と食事をした時に娘が何故かシネマのチケットをくれた。
なんだか、その流れに成っているんだよね。。。

 その「永遠の0」 http://www.eienno-zero.jp/index.html

一言でいえば、素晴らしい映画でした。邦画は殆ど見た事が無かったけど、サザンのサウンドと零戦の戦闘から映画は始まる。
自分の本当のおじいちゃんは特攻隊員だった事を知り、そのルーツを探して行く。。。

 物語の流れも解りやすく、どんどん引き込まれて行く。
泣かされました。
映画の中で心に残った言葉

 「僕は死んでも帰って来る。死んでも生まれ変って必ず君の元へ帰って来る!」

 「死んだ人の為に、生かされた者は物語を続ける事。。。」

 主人公のおじいちゃんは大正8年生まれだったかな。
そして戦死したのは26歳の時。雄一と同じだ。

何だか、物語は、僕にとっては周りの事が全部つながっているように思える。。。
一生懸命、生きて行け!と言う事だろうね。

2013年12月23日月曜日

零戦と天皇誕生日

 今日は天皇誕生日。
昨日と違ってお天気も良く、風も無くて外に居ても寒さは感じない。昨日は本当に寒かった。
練習を終えて家に帰って、モモと散歩して、冷え切った体を熱いお風呂に入れてやっと行き返った感じ。
 
 先日のNHKで零戦の終戦までの記録を綴ったドキュメントを2日間にかけてやっていた。
零戦と言えば、僕達が子供の頃は良くそんなプラモデルを作っていた。戦争の悲惨さなどは何も感じる事無く、そんな高性能な戦闘機が子供心にあこがれみたいなのが有った。

 もちろん大きく成ってその悲惨さを充分に理解しているつもり。沢山の玉砕が有った事も知っている。もちろん神風特攻も。
今年は宮崎監督の「風立ちぬ」も見た。病気の妻を思いながら、当時世界最高と言われたその零戦を設計した技術者の物語。

 NHKのドキュメントには開戦当初の零戦の活躍から、アメリカの物量に次第に劣勢になり、零戦よりも更に高性能な戦闘機が出現してその差は決定的に成る。
零戦は確かに高性能だけど、機体は軽量化でとても薄い。グラマンは機体の鉄板も厚く、操縦席回りは防御版と防弾ガラスで覆われている。機銃が当っても火を噴かない。

 それから零戦での特攻が始まる。。誰が考えたのか。正気とは思えないけれど、それがその時は正しいとされたのだろう。
先の昭和天皇はその事を最初から知っていたのかな。。。多分、止めれる人は天皇しかいない。

 雄一が亡くなってから、こんなドキュメントを見る度に泣いてしまう。どんな事が有っても、そんな事は有ってはいけない事。
映画や物語では、特攻や玉砕を覚悟した突撃の時に
「天皇陛下、バンザイ!」と叫ぶシーンが良く出て来るが、僕はそうは思わない。
そんな事よりも、もし、その時に成ったら本当は母親や妻や恋人や子供達の名前を絶対に呼ぶだろう、と思う。

 今夜のニュースでの平成天皇のコメントには、先の戦争の事や、その戦後復興を果たした人々の努力や大震災の事、その後の復興の事にも、丁寧にやさしく話されている様子を見て、僕は感動を覚えたね。
 僕は天皇崇拝者でも無いし、誰があの原稿を書いたのだろう・・・とも思ったが、思うところは同じ。

 あんな事が絶対に有ってはいけない。年をとって死んで行くのは道理だけども、子供が親より先に逝くのも有ってはいけない。
難病や治療方法の無い病気も時代がこれだけ進歩していても、増えて来ている様にも感じる。

 この21日から映画、「永遠の0」も地元の津でも公開に成った様だ。
これも、自分のおじいちゃんが零戦乗りで、特攻を志願する・・・その様をたどる映画の様で、小説もベストセラーに成っている様だ。それは知らなかったけど、機会が有れば読んでみたい。
まずは時間を見つけて映画に行こう。

2013年12月17日火曜日

セブン・バニとクマモンとモモ

 ワンコ仲間のフェイスブックの仲間から、セブン・イレブンにバニーズのぬいぐるみが売っている・・との情報。
そんな話を昨夜にしていたら、母親が帰りに1頭、買って来た。

 それは小さいけど、本当に可愛い!
また欲しく成って、夜に近郊のセブン・イレブンを3件回って2頭ゲット。同じような他犬種のぬいぐるみも4,5頭有るみたいだけど、バーニーズは人気の様だね。
1頭980円。3頭とも成ると安くは無いけど、何だかとてもハッピーな気分です。

 雄一の仏前にも置いてやろう。
モモは全部舐めまわして、気も済んだようです。
でも、オウム返しをするクマモンが一番気に成るようです。

2013年12月12日木曜日

35周年と20年目のブルゾン

 今日は12月12日。
長い間、何もしていないが・・・今日は35年目の結婚記念日です。。。
良く、持ったね。。不思議なくらいに。

 仕事を休んで、何をする訳では無いけれど、まずは雄一のお墓へ。ハワイから帰ってすぐに仕事を始めたので、何にも片付いていない。モモの部屋のすだれも日よけも扇風機もやっと、今日に片付けた。土日が野球なので、本当に他の事は何もする時間が無い。

 
片付けを終えてお墓へお花を入れ替えて、お線香を上げて・・・。
仕事の出勤前などに毎週来てはいるけれど、1人だと淋しいだろうね。また来てやろう。
そして、すぐの津駅西口の娘のカットハウスへ。
髪の毛も、土日が野球だと切る時間が無い。今までも会社を休んだ時しか行けなかった。
娘夫婦も何とか、このお店でやりくりして頑張っている。
体を大事にして、仲良くやって続けてくれたらなあ。と思っている。

ヘア-サロン・ブリック
倉庫も片付けをして、モモとも沢山遊んで、夜はその35周年の記念では無いけれど、娘夫婦と孫娘も連れて、皆でしゃぶしゃぶのお店へ。
 コース料理も美味しい。滅多に食べる事も無いてっさもとても美味しかった。もちろんしゃぶしゃぶも。娘もお祝いに映画のチケットもくれた。ありがとう。
 皆、お腹一杯!本当に満足な、うれしい一日でした。

 そして、今日は20年前のブルゾンを着てみました。とってもハデハデなデザインですが、これはあのアイルトン・セナや中嶋悟が鈴鹿のF1で走った時に、鈴鹿で買った物です。
その頃、雄一はまだ幼稚園だったと思うけど、その時にペアで買ったんだよね。
あの頃は何度か一緒に来てスキーなどに行っていた。バイクにも乗った。

雄一との唯一のペアルック・ブルゾン
その雄一のペアの小さなブルゾンが、先日片付けをしていて、思い出した様に出て来た。
だから、もう一度着たかった。もうペアでは着れないけれど。。ずっと大事にしよう。

 雄一のお墓にはいずれ僕達も必ず入る。だからゴールはそこ、決まっている。
僕がやらなければいけないのは、それまで、どれだけしっかりと生きれるかだ。
雄一に笑われない様に、しっかりと生きていこう。
 

2013年12月4日水曜日

変らぬ思い。

 はや今年も12月となった。
ハワイから帰って仕事を始めて、一月に成る。
一つの区切り、と思っていたが、気持ちは何も変わらない。

 朝、車で出かけると・・・、帰りの車の中は・・・。
思う事はいつも同じだ。
小さい頃の事や、入院していた頃や、苦しく成った時や・・・。
これは母親も一緒だろう。

 少しでも経験した事、勉強した事を役に立てる方法は無いかな・・・。
雄一の事を思いながら、そんな事を考える。

 先日のニュースで、南三陸町のあの津波で流された防災庁舎で、津波に流されて
「ああ・・もうダメだ・・・」と思ったところに一枚の畳が流れて来て、それにつかまって1人だけ助かった職員の方の話を流していた。

 流された皆が亡くなっている中で、彼は防災庁舎の鉄塔にしがみついていた人達が流されて行く様をスケッチにして残そうと、2年半経ってやっとその様な気持ちになった、と。
彼は、「これからずっと忘れない様に伝えて行きたい」と言っていた。

 いつまでも嘆き悲しんでいてはいけないが、前を見て自分達に出来る事をしてやりたい。
今夜はお花も買って来た。
お墓は近いし、明日また出勤前に行って来よう。