2013年2月28日木曜日

スイーツと銀だことから揚げ

 今日は25年前のスーツを着て名古屋へ。このスーツを作った時はゆとりが有ったけど、今は上着は少しきつい。ズボンもちょっと。。。3~4キロぐらい増えている分かな。
美味しそうなスイーツばかり。。。
その帰りに雄一の好きなスイーツを買って帰ろうと、高島屋の地下売り場を歩いていた。季節は春も近い。ホワイトデーの商品も沢山並ぶ。
名古屋に来た時は、いつも何かリクエストを探して買って来ていた。
 売り場を歩いていても、何だか悲しく成る。。。

 美味しそうなのが、一杯有るが、好きだったイチゴのスイーツを買って来た。
 家に帰って、お供えする。

 ひなたを迎えに行って今度は城山のイオンへ。そこで母親は銀だこのたこ焼きを買って来て、またイチゴのスイーツと一緒にお供えする。

 仕事が遅くなったお姉ちゃんはから揚げくんを買って来てくれてそれも供える。
今日の夕食は大好きなカレーだし、今日はお腹一杯だね。。。

 昨日はお墓を決めたので、今日は石屋さんに寄って来た。墓石の種類やデザインや。。。
やっぱり結構するね。石によってもかなり違う。
結局、福島産の石に決めた。インド産や韓国産が有るが、やっぱり国産。それも福島なら少しでも復興の手助けとはオーバーだけど力に成れるなら、と。
 デザインも普通の四角い墓石では無く、低くて広長のちょっと今風と言うのだろうか。
気に入った文字や紋々を入れたりしているそんな墓石が有った。
「夢」と書いて有ったのも有ったね。
雄一はどんな言葉が好きだったのかな・・・。ゆっくり考えて決めよう。
 僕らもそこに入るんだからね。

2013年2月27日水曜日

決めたお墓

 遺族年金の手続きも終わり、銀行も済ませた。健保協会もすませた。銀行の一つは携帯などの引き落としが有るので、そのままにしているが、もう入金される事も無いのでいつかは変更が必要。
雄一のIphoneもIpadも僕が使っている。Iphone5は確かに面白い、良く出来ていると思うね。
 しばらく使い込んでみようと思う。

 昨日は最後の三重中央での傷病手当の証明をもらって勤務先の病院へ提出。これもこれが最後だ。
今日は先日に見て来たお墓の管理するお寺さんへ申込みに約束の9時前に行く。
下見はして来ているが、そこそこ古いお寺さんだ。檀家以外の人のお墓も受け入れてくれる。
 初めてお会いする住職さんは僕よりは若いと思う。老けては見えるが。
色々説明を聞いて、僕もお金も全部用意して来ていたので、その場でお願いした。
 その住職さんは僕らが玄関で挨拶して境内を歩いて門を出て再び玄関を向いて挨拶しても、まだ見送ってくれていた。それだけでも有りがたい気持ちが伝わるね。

 永大供養だから代が続く限り、と言う事だが、その為の分譲代、ん十万は考えようによってはとても安いと思う。
 ただね、雄一がこうなってしまったら、雄一は来るな!と言うかもしれないが、その後には僕らが、そこに入る。そしてその次はどうなる?誰も居ない。

 お姉ちゃんは嫁いだお墓に入るだろう。
今日、ひなた達が来てくれたので、そんなお墓の話をしていて、
「じいじいらが、お墓に入ったら、お姉ちゃんやひなたらは、たまにはお墓の掃除に来てよ」
お姉ちゃんは
「そうやなあ」
「ひなたは掃除に来てくれんの?」と聞くと
「ん・・・・・ん。」とあいまいな返事。

「来てくれんかったら、ずっと枕元に出て行くよ」と言ったら、笑っていた。

 今日は本当に皆さんに沢山来て頂いたお通夜、告別式の清算が終わり、口座を作った神戸のJAで支払も済んだ。
 少しずつ手続きは進んで行く。

 お墓の場所の確認に偕楽公園の霊苑に寄っての帰り。雨模様だが、公園の中の梅だろうか。
もう白い花が咲いていた。
今年も梅を過ぎて桜をみよう!と頑張っていたけど届かなかった。
ひなたが母親と買い物に行って、綿菓子を買って来てそれを雄一の祭壇に置いてある。
症状が進んで食べれなくなっても、一口、二口食べていた好きだったどん兵衛のミニと一緒に。

 日は過ぎて行くが、それを見ているとたまらなく成る。。
明日はお墓の石材屋さんに相談に行く。どんな石碑にしてやろうか・・・。

2013年2月25日月曜日

たまらない人の気持ちと絆に感謝!

  昨日は本当に寒い一日。今日も寒いが、昨日は試合が終わって暫らく練習して早めに帰ったが、暑いお風呂に入っていても中々体が戻らなかった。あんまり食欲も無い。1時間ほど、ベットで休んでやっと戻って来た。いつまでも若くはないなあ・・・。

 昨日はひなたの担任の先生が、わざわざ雄一の仏前にお参りに来てくれた。
雄一が神戸小の6年の頃の担任だった先生だ。
ひなたが雄一の写真を見ていて気が付いたんだけど、6年生だったらそれからもう14年は経つ。
 大学を出て、まだそんなに間が経っていない頃に担任に成ってくれたようだが、雄一の事も良く覚えていてくれた様で、良くしゃべる、活発で、マラソンも早かったね、と。
実家がお寺なので、お経も上げてくれたらしい。雄一も喜んでくれているだろう。
 ひなたと同じ担任の先生なんて、これも人のつながりだろうか。

 先週にお墓を近郊で探していたが、中々近くではいい所が無かった。旧の津市では市営の墓地はないらしい。今は統合されて安濃や久居、香良洲地区などで有るけれども、母親が行くには遠い。
それで、今日は津の近郊のお寺の分譲の墓地を探していた。それでも買えるのは檀家さんに限られているのが殆どだ。
 何件か宗派問わず、と言うのが有って全部メモって来た。その帰りに津駅近くの偕楽公園の裏に有る霊苑の石材屋さんに話を聞きに入ってみると。。。

 とても親切な人で
「すぐ近くに宗派問わずに分譲している墓地が有りますよ」とすぐに歩いて案内してくれる。
確かにそこは、殆ど満室状態のお寺のお墓が並んでいる中で、まだ分譲されて間がなく7割方は空いていた。他のお寺の分譲可能なお墓も見に行ったが、ここは津駅からワンメーターで来れる距離だし、家からも20分もかからない。道もお墓の場所も解りやすい。日当たりも良く、近くには住宅街も大きな公園も美術館も有る。
 山の中の様な寂しさも無い。雄一も後から入る僕らもこの方がいい、と思った。
 
 そのお寺さんには石材屋さんで申込み書をもらい、電話でお願いして水曜には住職さんとお会いして良ければお願いするつもりだ。
ここはお寺さんが、管理する墓地だけど、民間で売り出されている墓地はお寺の名前は着いてはいるが、名前だけで大体は石材屋さんや不動産屋が管理しているのが多いらしい。だから注意も必要。そんなところも今日は勉強させてもらった。

 また今日は先週に出来なかった遺族年金の申請も書類は全部そろい、申請も終わった。
障害年金の申請は本当に大変だったけど、そのお蔭でほんの少しは遺族年金が通れば貰えそうだ。
それにしてもややこしい申請と手続き。今回の遺族年金でも教えてくれなかったら申請もしない。
障害年金も同様だけど、聞かなかったら解らない、権利も得られない。そんなやり方はちょっとおかしいよね。

 形見のブルガリのペンダントに着けるネックレスも今日は出来て、母親はもう着けている。僕が使わせてもらうタグ・ホイヤーのクロノグラフのバンドの調整もやってもらってびったしに成った。
タグ・ホイヤーのクロノグラフ
その帰りに母親は毎週買って雄一が読んでいた、マンガのジャンプを買いにコンビニへ。ついでに好きだった肉まんも買って来て仏前に供える。。。

 そして夕食前に電話が鳴る。
雄一の神戸の時の同じチームだった同級生からだった。お通夜には彼のお母さんが来てくれたが、お通夜や葬儀に来れなかったチームメイトが集まってお参りに来たい、と言ってくれる。。。
一緒に少年野球で苦楽を共にした仲間たち。雄一も本当に喜んでくれるだろう。
 電話の後、夕食の支度をする母親に
「あの子らが来てくれるよ。。」と話したら、涙が止まらなかった。。
いくら悲しんでも、もう雄一は居ないが、彼らの気持ち、沢山の人のつながりが本当にたまらなく嬉しい。
 辛いけれども僕らは本当に恵まれている。そう本当に思う。負けない様に頑張って前に進もう。

2013年2月22日金曜日

信用出来ない年金事務所の怪。。。

 今日は朝から年金事務所へ。雄一の障害年金の停止を申請しないと行けない。
昨年8月に何度も足を運んで、3か月掛かってやっと認定された年金だけどもう終わりだ。
ここは8時半~9時半までがすいています、と張り紙がしてある。それを覚えていたからその時間に行った。
 確かに待つ人は3人ぐらいしかいなかった。ところが、受付は8つまで有るのに、2人しか対応していない。奥には何人も職員がいる。その待っている3人の順番が中々来ない。
それだけで、30分以上待たされていい加減イライラしている。

 そして応対してくれた若い職員は事務的に必要書類を説明する。謄本は準備したが、ここでは住民票と除票がいる。要るのは仕方無いから、それは解った。
でも
「この後の年金の手続きは何もありませんか?」と2度、3度聞いても
「何も有りません。手帳だけ今後の為に持っておいて下さい」と同じ様に2度、3度答える。
そうなのかなあ・・・。と思い、仕方無く思いっきり混雑する市役所へ書類を申請に行った。

 そして午後からは、母親と一緒にまた市役所へ。今度は雄一の障害手帳を返却に行く。ストーマなどの費用も市の援助で少しもらっているので、その停止も。
 そして再び年金事務所に行くと沢山の人が待っていた。
まあ、仕方が無い。4,50分待たされて今度は朝とは違う担当の人だった。もう全部用意しているし記入もしている。すぐに終わるだろう、と思っていた。
 ところが、その担当の人はもう50代後半でお世辞にも要領が良いとは思えない。何度も同じ事を聞く。
「まいったなあ・・・」と心の中で思っていたが、その人は僕と、母親の年齢を確認し、
「障害年金をもらっていた人が亡くなったら、同居の生計を共にする55歳以上の人には遺族年金を請求できる権利が有ります。」と解りにくい説明を繰り返す。朝、聞きたかったのはこういう事なんだよ。
 
 なんで、朝の担当者は何の説明も無しで片付けようとする?午後からのこの年配の人は出来る権利をちゃんと説明してくれた。同じ事務所で何でこんなに違うのか?
年金事務所は本当にどうなっている?全くここは信用出来ない。いつも1度や2度で終わった試しが無い。

 本当にわずかな金額だけど、申請する事にした。ところが、今度はその申請には所得証明が必要。
結局、申請は来週にしてその帰りに今日3度目の市役所へ。
 本当にこれで終われるかな?

2013年2月21日木曜日

思いは募るばかり。。

 今日は二・三・四4七日の法要をしてもらう。
中陰棚の飾りもお花も用意して綺麗にしてやりたい。ちょっと不安定なろうそく立てももう少し安定の良い物に。お花を飾る花瓶も。

 母親は毎食事にご飯や大好きなおかず、お菓子などをお供えしている。まるでままごとでもしている様に。雄一も喜んでくれているだろう。

今日はスカイダイビングの写真も飾ってあげた。30枚ぐらい有るそのダイビングの写真。何度もスライドで見ていて、絶対に決めた。

 丸い地平線が見える大空で必ず遺灰をまいてやろうと!
こんな写真って普通は全体無いよね。
 地平線が見えて、真っ青な海を眼下に見ながら全身に地球を、自然をこれ以上ないぐらい一杯に感じているようだ。まだ入院する10か月まえだ。。これだけ元気だった。

 お寺さんもこの写真に感心していた。今日もお姉ちゃんは来てくれたが、多分、年令は同じぐらいだろう。色々と話もしてくれる。これからもお付き合いを続けて行くだろうし、いい人にめぐり会えたと感謝している。
 今度は3月12日 初月忌と五七日、六七日を同時に行わせてもらう予定です。

 巡り合いと言えば、先日ひなたが、雄一の小学校の頃の写真を見ていて、
「あれ、この人先生と似てる!」
「その先生って、実家がお寺って言って無かった?」と母親が聞く。
「そんな事、言うとったわ」

 それで、昨日に学校へ写真を持って行ったら雄一の事を覚えていてくれたそうだ。
雄一と、僕の孫娘が学校は違うけど同じ担任だなんてね。これも人のつながりかな。

 今日はお世話に成った三重中央へ、雄一の沢山の医療品などを持って行った。借りている物も有るし、少しでも役に立てればいい。
受付に行き、しばらく待っている間に、この中の治療室で頑張って来た姿が思い出されてたまらなく成る。母親ももう泣いていた。
 いつも良くしてくれた、看護師さんも言葉に成らない様な挨拶をしてくれたが、僕も
「色々、本当にありがとう。。。」それを言うのが精一杯だった。

 病院は今日も変わらず沢山の患者さんが、来ている。先生や看護師さんも悲しくても、いちいち感傷に浸っているヒマはないね。僕達もそうしなければいけない、と思うが。。
その帰りも二人共言葉は出ないけど、沢山の事が思い出される。もう本当にいないけれど、残念で残念で可哀想で何度も泣けてしまう。
 助けてやれなかった悔しさはつのるばかりだ。

 雄一がスカイダイビングをしたハワイに行った時に着けていたお気に入りのペンダント。
母親がプレゼントした物らしいが、どこに有るか解らなかった。クローゼットを片付けて探していたら、それが出て来た。ブルガリのペンダント。革のネックレスを着けていた様だが、それは無い。
 これは形見にと、夕方に宝石屋さんに行ってネックレスを頼んだ。僕は宝石屋さんなんて行く事が無い。値段も解らない。母親の知っている店らしいが、そのプラチナの値段を聞いてビックリ・・・。僕の感覚ではケタが違うんではないの?と思うぐらい・・・。

 でもね、たった一人の息子の形見。お店の人はどちらが着けるのか解らなかった様だ。
それを聞くので、
「これは形見なんです。息子の・・だから母親に・・」それを言ってしまうと、僕らも泣けてしまったが、お店の人もどう答えればいいのか固まっていた。
 これが出来たら、母親も雄一と一緒に出掛けられるだろう。

 雄一がそのハワイで買って来た、タグ・ホイヤーのクロノグラフも有る。あのF1レーサーのアイルトン・セナが着けていたメーカーの時計だ。これもかなり高い。僕には買えない時計。
やせてからバンドを調整したのか、僕にはきつい。これはバンドの調整もしてもらって僕が大事に使って行く。
 
 必ず、もう一度、ハワイに連れて行ってやるよ!

2013年2月20日水曜日

母親の言葉

 今日も部屋の片付け。。。
殆どに思い出が有って捨てがたい物ばかり。
昨日には、1月末からレンタルしていた、電動のベットを引き上げに来てもらった。
嘔吐が続いて、ベットで休む時間が長く成っていたし、ある程度の角度も無いと余計に気持ちも悪く成るようだった。腰も肩も首も痛いと言っていた。

 低反発のマットやまくらを用意したが、2月に入って6日に入院したから10日も使っていない。クッションを重ねたりしていたから、もっと早くしてやれば良かった、と思う。

 昨日は勤務していた武内病院へ、お礼と挨拶、色んな手続きをかねて母親と一緒に伺った。
葬儀に来て頂いた理事長さんが、丁寧に応対してくれる。今まで、色んな手続きでお世話に成っている、総務の担当の人も全部の準備をしてくれていた。
 ロッカーの片付けも、直属の上司にも色々お話を伺い、実際に勤務していた透析センターにも案内してもらった。人の手助けをするいい仕事や病院に恵まれて良かった、と思っていたんだけどね。。

 健保センターへも書類を届けて、多分ここもこれで終わりに成ると思う。そしてその後、雄一の持っていたUFJ銀行の解約と移行の手続きへ。
 店内に入って説明すると、別室へ案内される。とても寒い日だったし、暖房も着けてくれて、ここまでは良かった。

 担当が来て、
「ここからは、テレビ電話で、説明と応対をさせて頂きますので・・・」とテーブルの横に有るモニターと電話機を渡して、そう言う。
「何で、目の前に担当が居るのに、したくも無いテレビ電話なんか!・・・」
そう、腹立たしく思いながら画面は見ず、電話機だけで話をした。何でこんなサービスをするんだろう?
 担当の人が居ないならそれも有るだろうが、電話が終わるとすぐに担当が来て書類の確認や預り書を書いてくれるんだから。
 お客さんが喜ぶのは、いつも有り難く感じる健保協会の対応振りの様に、人と心が通う気持ちが通じる応対では無いのかな。僕もこの銀行には口座が有ってそちらに振り込んでもらう様には手続きしたが、もう行きたく無くなった。

 後は年金事務所、免許センター、市役所の障害福祉・・・あと何が有る?
今日は雄一の部屋や沢山の物置の様になってしまっていた2階の部屋の片付けと掃除。沢山の薬の整理もした。。。
ガラス戸もブラインドも全部外して洗った。フロアにもワックスを塗りながら。
 本当に沢山の薬、点滴液、それらの点滴ライン、備品のストック。2つのストーマの半月分以上のストック。その沢山の備品も有る。
母親は2日に一度は、又は毎日、そのどちらかのストーマを交換してくれていた。昼も夜中も関係なく。それを1年以上やってくれていた。片付けながら何度も泣きそうになって。。。

 雄一が病室で息を引き取った後、しばらくして母親は先生に
「もう、あっちへ行ってもストーマは要らないから元に戻してあげて欲しい。一番取りたがっていたから!」と涙ながらに頼む。僕もその事は気にしていたが、言葉には出て来なかった。
 
 先生は母親の言葉にとても断われない。
暫らくして落ち着いてから、先生はメスや縫合糸を持って来てキチンと見えない様に縫合してくれた。これで、気兼ねなく過ごせるよと!

 一昨年の11月頃。入院治療でも症状は悪化し悪く成る一方。あの頃も痩せて吐き気もひどかった。雄一も辛さで、気持ちも悪いし悲観して、ご飯も食べようとしない時が有った。
僕らが、色んな物を用意しても食べようとしない。
母親は大きな声で
「お前は生きる事を放棄するのか!お母さんの子やろ!食べてよ!!」と。
そう言われた雄一は、しばらくして起き上がり何とか2口、3口を口に運んで、またベットに寝込んだ。
 それから1年以上頑張ってくれた。

 ちょっと変な言い方だが、母親には雑念などなく子宮で物事を考え、ハート以上に強くしっかり伝える。男には出来ない、母親の力だとそう感じた、忘れられない言葉だった。
 
 まだまだする事は沢山有りますが、今日は子供達との平日練習もまた始めました。
モモもうるさいぐらいに元気で、相手が大変ですがいい運動に成っています。母親も元気です。
明日は雄一の二・七日から四・七日までをまとめて法要してもらう予定です。

2013年2月18日月曜日

スカイダイビング!!

 今日も色々と忙しい一日。
朝から四日市で用事を済ませ、午後からは最後の病院の支払い。今回の入院分で最後だ。
病院に証明書を依頼して来て、郵便局。
色々と葬儀でお世話に成ったJAさんには口座を開いた。
その後、雄一と僕の銀行を回って健保協会へ高額医療費の払い戻しの1月分の手続き。

 一昨年、不安だらけで初めて訪れた健保協会だったが、僕の知る限り一番丁寧で親身に成ってくれ、地獄の仏とはこの事だ、とそれ以来毎月訪れているが、本当にいつも丁寧に親切に対応してくれる。雄一が亡くなった事はしゃべりたくなかったが、
「来月の用紙は有りますか?」と問われ、
「実は・・・・」と話をした。

 それを聞くと2人いた、いつもの担当の方は丁寧にお悔みを言って下さり、
「2月以降の振込みは相続のお父様への振込みになりますので・・・」と書類の修正や必要な用意する書類の説明もメモ書きをして説明してくれた。

 今は確定申告の時期だけども、昨年の11,12月の高額医療の払い戻しの清算がまだなので、申告に必要だから、と先月にお願いして金額を聞き、それを申告書に記載して先月に税務署に行き、2011、2012の修正と確定申告を全部済ませていた。
 当然、これだけの医療費だから払った税金は、先週に全部戻って来た。税務署も直接行くと、本当に処理が早いね。まだ申告してから一月も経っていないのに。

 その健保協会では健保で葬儀手当も申請すると支払われるらしい。こんな事も知らなかった。それも必要な書類を丁寧に説明してくれる。有りがたい。でも、もうそんなに来る事は無いだろう。

 そしてその後は市役所へ。
戸籍謄本、住民票、印鑑証明。悲しいかな、もうすでに住民票には雄一の名前が無い。これでは証明出来ないので、除籍表を別に申請した。謄本にはちゃんと載っている。
これから銀行の手続きでも、多分必要に成るだろう。2枚出してもらった。

ダイビングする前の講習のようです。
雄一の勤務先の病院へ電話して、
「明日にでもお邪魔して手続きをしておきたいので・・・」と言うと必要書類を言って来る。
それらはすでに全部用意出来た。
 明日、ロッカーなどの整理もして来よう。残念だけど、もう雄一はいない。

 ところが、昨日、ひなたが家に来てDSで遊んでいる。何でも任天堂のDSを電源を入れて持ち歩くとすれ違った人が同じようにDSを持っていたら、お互いのDSに誰が近くに居るか表示されてゲームも出来るらしい。僕には良く解らないが、ひなたが、
僕も飛びたい!!
「あ、雄一おった!」とDSを見ながら言う。そのDSを見るとそれらしきマンガの表情をしたユウイチと書いたキャラクターが動いている。

 中陰棚に写真や遺灰などを祭っているが、好きだったDSもIphone5もIpadも電源を入れて置いてある。そのDSとすれ違ったらしい。バーチャルな世界では雄一は生きているんだね。

 雄一の部屋を少しずつ整理していたら、2010年に病院の職員、友達達と言ったハワイの写真が出て来た。それにはCDも着いている。
最高だろうね!
その中には多分、天国の海での写真だろう。女の子達と楽しそうに映っている。

 そしてスカイダイビングの写真も沢山有る。飛行機からダイビングしながら別のペアの多分プロのカメラマンが撮っているのだろう。落下しながらも沢山の写真がキレイに取れている。

 これを見て、思った。
もしハワイへもう一度行けたら、同じ所で、同じクルーとスカイダイビングして遺灰をまいてやろうと。
東海岸の天国の海にも、行きたいと言っていた。ハワイ島のキラウエア火山にも。
それが出来たら、約束も少しは果たせるような気がする。
 頑張ってみようか!!

2013年2月16日土曜日

最後のお別れ。

 昨日は最後のお別れ、雄一のお葬式。
みぞれ混じりの冷たい雨が降る朝。五条の田舎は雪化粧だったようです。
平日のそんな日にも沢山の人達が、最後のお別れに来て頂きました。
今日も神戸のスポーツ少年団の方々が、平日にも関わらずお手伝いをして頂きました。
 本当にありがとうございます。

 お葬式が始まり、お経が一通り終わって、今度は雄一の事を長い和紙にお坊さんが色々綴ってくれた物語の様なお話をお経の様に唱えてくれる。
あれは何と言うのだろう?
今までに何度も経験はしているが、あの様な故人の生涯を物語風に唱えるのは初めて聞いた。
田舎での同じ宗派のお葬式でも経験は無い。

 それを見ながら、
「このお坊さんは一晩であれだけの長さの物語を作り、和紙に筆で自筆で書いたのだろうか?」と考えていた。あれは凄いボリュームだと思う。この日の午前中も他の所でまくら務めをして来ているらしい。僕ならパソコンででもあそこまで、出来ないだろうね。
 でも、少しお話した程度で良く要所を捉えていた。本当に感心する。
いいお坊さんにめぐりあった。これも人の縁。本当に有りがたい。

 お葬式を終えて最後の別れ。。。本当に最後の。。。
「いっぱいから揚げ食べろよ!」 お姉ちゃんが買って来てくれたから揚げ。
大好きな従姉妹から14日に届いたチョコは間に合わなかったけど、一緒に入れて上げた。好きなブランドの服も着せて、まだ袖を通していないとてもお気に入りのブレザーや大好きなお姉ちゃんにプレゼントしてもらったマフラー。。。
 病院の沢山の人達や神戸の子供達におってもらった千羽鶴達も。

 津の斎場ではお骨と、別に壺を用意して遺灰を入れてもらった。
「オーロラも見たいなあ」そんな事も言っていました。
ハワイの海でももう一度、泳がしてやりたい。

 出来るかどうかは解らないけど、家族に出来る事でもし遺灰を連れて行く事が出来たらその地を見せたやりたい、と思う。家族でそう話をした。
何よりも大事な事を教えてくれた雄一。
 
 健康で有る事。生きていること、周りの人々に感謝する事。
そして家族の絆。
 本当にありがとう。ゆっくり今は休め。寂しいけど、これからも一緒だ。

2013年2月15日金曜日

お通夜。お礼。

 昨日は雄一のお通夜です。
初めて行う事に、何からしていいのか解りませんでしたが、田舎の兄達や皆さまのご協力で何とか執り行う事が出来ました。
 
 田舎では小さい頃からお婆ちゃんや母親が毎晩お経を唱えてその横でなんとなくそれを覚えていました。それで田舎のお寺さんにお願いして同じ宗派のお寺さんをこちらで紹介して頂き、まくらつとめから行って頂きましたが、若い丁寧で親切でとってもいい方で、唱えて頂いたお経も記憶の残りで口づ覚める程の解りやすいお経でした。

 また受付では少年団の皆様が本当に良くお手伝いをして頂き大変助かりました。沢山の子供達も来て頂きました。卒団生達もOBのご父兄の皆様も遠方、沢山の方が来て頂きました。
雄一と同じ神戸のチームで頑張っていた同級生も来て頂き、その顔を見ると言葉に成りませんでした。

 また雄一の勤務関係の上司の方、同僚、お友達も本当に沢山来て頂きました。お通夜が終わってからも遅くに仕事を終えて駆けつけてくれました。
その他、本当に沢山の方々にお見送りを頂き、感謝にたえません。
 雄一も喜んでいると思います。

 今日は最後のお別れ、お葬式です。
雄一との思い出をまぶたに描くたびに涙が流れ、たえる事が有りません。
今朝は雨が降っています。いつまでもクヨクヨしても雄一はそんな事は望んでいないでしょう。
最後の別れを皆さまのお力も頂戴して見送ってやろうと思います。

 沢山の皆様、昨日は本当にありがとうございました

2013年2月13日水曜日

旅立ち

 皆さま

 いつもご支援、励ましを頂き本当に有り難うございます。
大変残念ですが、とても辛いご報告をしなければなりません。

 長男 雄一は、2011年の9月に胃がん末期の宣告を受け、それ以来、闘病を続けておりました。
余命1か月の宣告から1年半、本当に良く家族と共に頑張ってくれましたが
昨夜、2月12日、19時38分にとうとう痛みの無い世界へ旅立ました。
まだ26歳、余りにも早すぎる旅立ちでした。

 昨日も38.5度を超える高熱が続いておりましたが、比較的症状は安定していました。
しかし午後からタンや胃液などが気管に詰まるような症状が出始め、病院の先生も看護師さん達も懸命に処理をして頂きましたが、家族に看取られ帰らぬ人と成りました。
表情も柔らかい表情をしています。
今回の入院2日目には、先生に
「もう帰っていい?」と聞いていました。
やっと楽に成れたと思っているとも思います。

 皆さまの今までのご支援、励まし、本当に感謝しています。
 有り難うございました。

2013年2月11日月曜日

望む事。。。

 昨夜から38度を超える高熱が下がらない。
10時過ぎには38.5度。看護師さんが頭や脇に氷のうをしてくれるが、一向に下がらない。
解熱剤のロビオンを流す。
 
 額には1時間おきに冷えぴた。
解熱剤を流しても夜中も朝方も熱は下がらない。体も動かない。手も汗ばんでいるが、拭いてさすってやると少し反応するような感触。。。
解熱剤は8時間は開けるので、7時過ぎにはまた投与した。

 今日は主治医の先生が当直で、朝から手術らしい。その前に病室に寄ってくれて脳外科の先生の診断を簡単に説明してくれた。
金曜の深夜のCT結果から癌性髄膜炎の進行、と有る。
 ガン細胞が脳の髄液の中に侵入し浸潤していく・・・。解りやすく言うと、ガン細胞が脳の周りに取り付き増殖して神経を犯していく、と言う事か。

 確かに金曜の夜から一気に変化した。ろれつが回らなくなり体中脱力状態。それでも土曜の午前中までは頭も左半身はしっかり動いていた。必死に起き上がろうともしていた。
ところが、その午後から動かなく成ってしまった。
 相変わらず高熱は続くが、今は雄一にとっては痛みも感じない状態なのかもしれない。

 色々調べて見ると何も希望の有る情報は出て来ない。
髄液の治療をしても元の原発巣が直らない限りいくらでも再発してしまう。
 どうしたらいい?
先生も対処療法しかない、と言われる。痛みや熱を下げる緩和治療という事だろう。
体は動けないし、僕らにはどうする事も出来ない。

 今日は主治医の先生は当直。僕もずっとお泊り。
だから、今晩一旦家に戻って、大はしゃぎするモモと散歩してご飯を食べてから病院に戻り先生の都合のいい時に相談を。。と看護師さんにお願いしておいた。
 
 先生はすぐに来てくれる。色々話を聞いては見るが、やはり効果的な治療はほとんど無い。
癌性髄膜炎に関しては医療データーその物が少ない。大体それまでに患者はガンや副作用で亡くなっている。治療例としては有るが、効果が有った、と言うだけで病院の倫理で認められる治療でもない様だ。
 先生も手詰まり。でも今夜も沢山のデーターや報告資料を調べてくれている様だ。
今、この状態では何をしてもリスクは有る。少しの可能性が有っても、それは背中を押してしまう事にも成りかねないので、病院の倫理でも認められない場合が有る。
それでも良いと思ったらやりますけど、とも言ってくれる。

 雄一は延命治療は要らない、と以前から言っていた。手術した後の鼻にクダを通されるのも絶対イヤだと言っていた。切った、張ったはもういい。
母親やお姉ちゃんにも雄一の望む様にしてやろう、と話をした。。。

 先生にもその話をして
「もう動けないし、先生にお任せするしか有りません。出来る事はお願いします。」
先生は
「解りました。また調べて来ます。」と言われてすぐに出て行かれる。
先生にも大変なプレッシャーだろう。それも一人の患者では無い。体力も精神力も向上心も探究力もスーパーマンだと思う。
 奇跡を起こして欲しい。 

2013年2月10日日曜日

下がらない高熱。。

 朝方には左手も左足も良く動いていた。
左足は何度もベットの下へ伸ばしてスリッパを履こうとする。そのたびに痩せ切ったふくらはぎがベットのフレームに当たって赤くなる。

 メガネも自分で左手で取ろうとして手助けした。視力もかなりずれている様だ。
そして髄液の圧を減らすグリセレズの点滴。少し体温が高い。37度少し有る。それが終わると今度は吐き目止め、ノバミンを入れる。これには発熱などの副作用も有るので、僕は余り入れて欲しく無かった。今は吐き気は収まっているし、その為にグリセレズを入れているんだから。

「先生の処方に成っていますので。。」
若い看護師さんがそう言われるので、仕方が無い。
けれど、しばらくすると雄一の額には汗が出て来た。体もほてっている。
すぐに看護師さんを呼んで体温を測ると38度を超えていた。
「本当に、これ要るの?」 と言うと
一旦、注入を止めて
「解熱剤を持って来ます」と言って、今度は解熱剤の注入が始まった。

 これは副作用対策のフタにフタをする、悪い循環だ。ダメならまた次のフタが来る。
いずれも根本治療にはならない。
抗がん剤を使うとその副作用対策の薬が沢山出てくる。今の保険制度の治療は根本的に間違っていると思う。医師も大変、患者も苦しむ。お蔭で大儲けしているのは製薬メーカーだ。

 後で回診の先生が来られて形通りの検診をするが、雄一の反応は無い。
 この頃から手足も動かなくなった。声をかけても聞こえていないのか、返事出来ないのか、反応が無い。
先生も「もう、吐き気止めはいいでしょう」と言って外してくれた。

 高熱を出す病気にわざと感染して熱に弱いガン細胞を叩く治療も有るようだ。けど今、そんな体力は無い。
 お昼前に看護師さんたちが、体を拭いて着替えさせてくれた。
腕や足をずっとさすってやると少し反応するような。。。右手はちょっと指先が動いたりヒジを少し曲げたりした。
 母親が手をさする姿は見ていてたまらない。。。雄一も解っているだろう。

 お昼前から体はほとんど動かなくなった。
夜には体温がまた38度を超える。9時過ぎには38.8度まで上がった。体も熱い。
看護師さんが、解熱剤の点滴ロビオンを入れる。それが終わっても10時過ぎにはまだ38.5度。
 氷まくらを変えて、脇にも冷しまくらを入れてくれた。
今はこれ以上、手は打てない。
 体は動かない。今、体の中はどうなっているんだろう。
必死で自分の免疫細胞が頑張っているんだろう。。と想像する。
 血圧も脈も少し落ち着いて来た。がんばれ!!

辛い時こそ明るく!前向きに!

 昨夜は2本目のグリセレブの点滴を終えて、少し表情もハッキリして来た。
一旦、モモの散歩に家に帰り、お風呂に入って戻ってくると、テレビを見ている。
左半身だけで、必死に向きを変えてチャンネルを取って、自分で着けたらしい。

 その前にもベットを起こして、左手だけで僕の手を引っ張り、必死に起き上がろうとしていた。でもね、左手、左足だけでは人間て起き上がれない。多分背筋や腹筋も上手く動いていない様に感じる。
 まだ返事も出来ないので、どうしたいのか、中々気持ちが理解出来ないし伝わらない。

 夜にお姉ちゃんが来てくれて
「ボードに書かそうか?」と聞くが、フラフラの左手だけでは書けないだろう。
それでも右手に有るテレビの方へ体を向けて、左手でチャンネルを持ちながら見ていた。

 吐き気止めやグリセレブの影響なのか、このところ体温が高い。いつもは36度の下辺り。
それが、今日は37度から、夜半の検診では38度を超えた。頭に少し汗もかいている。看護師さんが氷まくらを持って来てくれた。心配だけどしばらく様子を見るしかない。

 テレビを見ながら寝ているので、そっとテレビを切って僕も眠りに入った。
でも、12時近く、またテレビが着いている。自分で着けたのだろう。今度はそのままにして放っておいたら、1時過ぎには自分で消していた。

 夜にも3本目のグリセレブが入り、脂肪のカロリー、栄養剤などずっと点滴が続く。普通の人間なら、これだけ色んな物を続けられたらおかしくならないか?と見ていて思う。抗がん剤は入れていない。
 先生が言うには
「今まで頑張っていたところの一線をとうとう越えてしまった。。」
確かにその通りかもしれない。

 動かない手足をさすってやると気持ち良さそうに目を閉じる。まぶたの端にはにじんだ物も見えるように感じる。どんな思いだろう。。。

 今朝は昨日の小雪も無い。窓の外は青空だ。
今日は子供達の新チームでの試合、大会が有る。時間が取れれば元気なプレーを見に行きたい。
 辛い事はもっと有る。どんな時も明るく前向きに行こう!

2013年2月9日土曜日

深夜のCT。長い長い夜。

 昨夜、病院は母親に任せて一旦家に戻り、大騒ぎするモモと散歩。騒ぐ割にはあんまり走らない、走るのが余り好きではない。ちょっと腰の周りもお肉が着いて来ている。なので、食事も最近は少し減らした。
 外は雪が舞っていて、明日の滋賀での試合は出来るのかなあ・・・と思いながら全部の用意をした。

 そして10時前に病院に戻ると、雄一がぐったりとベットに寝ている。完全な脱力状態だ。
「どうしたの?」
母親は親バカを発揮して、「食べたい」と言うので少し焼きそばを食べさせたらしい。
 それまでは病棟内を歩いて、疲れて、それでもコンビニに行って何か買って来ようと、歩いていたがさすがに疲れて車イスに乗って帰って来た。部屋にはその車椅子が置いてある。
それまではいつもの、言うことを聞かない雄一だった。

 焼きそばを食べようとしたが、おはしも上手く持てない。そのうちにろれつも回らなくなってしまったようだ。お昼過ぎにも、何か僕に伝えようとして、自分で
「ろれつが回らん・・・」と言ったが、すぐにその後寝てしまっていた。

 二人でやっとベットに真っ直ぐ寝かせたが、やはりおかしい。見るとシーツもおしっこで濡れてしまっている。家での点滴と違うのは午前、午後の吐き止めの薬だ。
 看護師さんを呼んで
「吐き気止めって麻酔みたいなの、入ってる? 」
看護師さんも普通では無い、と気づいたようだ。
すぐに調べに戻り、主治医の先生にも連絡してくれた。
しばらくして、「これから血液検査と頭のCTを撮ります 」
「え!これから?」

 しばらくして先生も家から駆けつけ、ベットのままCTへ運ぶ。
本当に病院の先生はいつ休むんだろうy・・・。これは人並みでは済まされないぐらいの体力と信念が要ると思うね。本当に頭が下がる。

 CTでは前回からそれ程、大きな変化は無い。出血も認められない。ただ問題は脳をおおう髄膜の液の圧が、細菌やガン細胞が入り込むと圧が上がり、頭痛や神経障害にもなるらしい。
多分、雄一の場合はそれが、一番疑われる、と。
 その治療はグリセレブと言う点滴を使って、圧を下げるが根本治療にはならない。しかも長くは保険適用では使えないらしい。

 残りは外科的な手術で髄液をチューブで抜く方法が有るが、細菌に一番弱いところだし感染症が心配。となると他に方法が無い。ガンの細胞ならそれを無くすしかない。どうすればいい?

 深夜の血液検査でも不安定な心配な数値が有る、と先生は言っていたが、今朝の検査では予想していた様な症状の心配は今の所無い、とまた休日にも関わらず、先生は私服で来られて説明をしてくれた。
 
 昨夜から声も出せない。左は動くが、右手も右足もほとんど動かない。目もうつろ・・・頭の中でもがき苦しんでいるのだろう。どうする事も出来ない。
手や足をさすっていると、気持ち良さそうにじっとしている。。。涙しか出て来ない。


 長い夜が明けた。グリセレブは8時間おきが限界で、もうすぐ2本目を入れる。まだ症状は全く変わらない。少しでも良くなったら方向性は見えるが。。。

2013年2月8日金曜日

3パック目の輸血。懲りない性格。。

 昨夜も2時間おきぐらいにトイレに行く。さすがに明け方近くは起きるのも辛い。
何とか一人でもフラフラとは歩ける様にはなったが、立ち上がったり、点滴ポンプの固いコンセントを入れたりするのはまだ無理だ。

 吐き止めを午前、午後と入れてもらっているが、ほんの少し良くなったぐらいか。。。
夜半から水分を取る度にしばらくして嘔吐する、このパターンが続く。
なので、口をゆすいだりして出来るだけ量を少なくしている。水分は点滴で充分入っているから大丈夫だ。

 今朝、先生が来られて
「胃が固くなって動きが悪くなっているようです。胃液もあまり出ていない、と思います。」
確かにその通りだ。

「今日はもう1パック輸血して、もう少し点滴で治療しながら様子を見よう」
と言われて、雄一は
「まだ、帰ったらアカンの?早く帰りたい。。 」と言う。
先生は返事に困っている様子。。。本当の事も中々言えない。

「今、帰ったらまた暫くしたら救急車で来なアカンぞ!」
と僕が言うと
「・・・・何にもする事ない・・・」
としぶしぶ頭を下げる。。。

 しばらくは様子を見ながら治療をお願いした。
それで、今日は3パック目の輸血。これでトータル7パックにもなる。1.4L。これからも症状が続いたら、またお願いする事になるだろう。本当に申し訳ない。

 この状態になってもポテトが食べたい、から揚げ食べたい、コロッケ食べたい・・・。と昨日から連発している。母親は昨日は仕方無くコロッケをコンビニで買って来た。
 今は絶食中なのに・・・。でも希望を叶えてやりたい、と思うのもバカな親心。

 僕が出かけた帰りに、MACの塩抜きポテトを買って来た。母親もまたコロッケを買って来る。さすがにから揚げは買わない。
病室に戻ると、懲りずに美味しそうに食べる。もちろん内緒で。
 食べたら吐くかな?と思っていたが、胃袋が喜んだのか、これでは吐かなかった。

 しばらくして立ったり座ったり、マンガを読んだりしている。
「残りのポテトを食べる?コーヒーでも飲むか?」
「コーヒーって良いの?」

「お前、絶食でポテトにコロッケなんやで。」
「まあ、そうやな・・・」

 暖かいカフェとポテトをチンして食べている。
でも、やっぱりコーヒーは良くなかったようだ。美味しそうに飲んでいたが、1時間ぐらいしたら結果が出てしまった。

 無理はさせたくないが、ここまで来ているからね。出来る事なら食べたい物はたべさせてやりたい。
今週はテレビもマンガもゲームも、する気力が無かったが、今は休憩しながらマンガを読んでいる。
3パック目の輸血も終わって、少し楽になったのかな。
 先生はこれで、計算上は8割方、血液は戻っていると思う、と言う。出血はまだ止まってはいない様だし、これから検査の数値を見ながらの治療になる。
 ガンの出血に関しては効果的な手法はないらしい。特に今は薬も飲めない。
本人の免疫がどこまで頑張ってくれるか・・・幸い白血球の値は上限以上に有る。
 免疫細胞の活躍に期待をかけたい。。。

2013年2月7日木曜日

退屈すぎる病院

 昨夜は2時間おきぐらいにトイレに行く。11時前には眠りかけたけど、それが12時頃から朝まで続く。
本人も良く眠れないだろう。それでも立ち上がるのを少し手助けすると、フラフラしながらも自分でトイレに点滴棒を引きずって入る。

 朝には少し吐いたが、お昼前には吐きとめの点滴も流し、それ以降は吐いていない。
栄養剤、生理食塩水と続き、輸血パックが2時過ぎに届いて輸血も始まった。200mlのパックだけども、今日は特に流れるのが遅い。2時間経ってもまだ半分ぐらい。リザーバーのポートの状態も影響している様だ。その針も今週で3週間目になるので、もう交換の時期には来ている。

 絶食でお茶やジュースを少しずつ飲んでいる。
「もう、早く退院したい」と言うが、ストーマの便は食べていないから胃液だけだと思うが、緑では無くまだ黒い。少しでもこれが良くならないとね。。。

「だるい、だるい、しんどい。。」を連発するが、今はどうしようも無し。
「今は文句言わんと、おとなしくするだけ。」

 人間の血液の量は体重の約8%らしい。その内の1/3が無くなると危険な状態になる。
雄一は今は44キロも無いだろう。その8%とすると約3.5Lぐらい。その1/3は1.2Lぐらい。
 今日の輸血6回目。200mlが6回で1.2Lとなる。
この半月ぐらいで、その危険な量の1/3を輸血した事になる。
貴重な献血をしてもらった人達に感謝しないと。

 少し動ける様になってあっちこっち体勢を変えたり、イスに座ったり、簡易ベットに寝て見たり、狭い病室の中でフラフラと動き回る。とにかく退屈。。。
それは僕も同じで、朝は1Fのコンビニ。昨夜の夜もコンビニの残っていたスパゲティ。昼食は本当に美味しくもない、病院の食堂のランチ。明日は絶対食べたくないね。
 それは贅沢だと思うけど、付き添いも本当に退屈だ。これでは健人も調子をくずしてしまう。

 でも、僕は幸運にも、と言うか仕事を早期で退職できたから、今こんな事が出来ている。ずっと雄一のそばに居る事が出来る。でもこれが、30代40代の働き盛りの人だったら、同じ様にはとても出来ないだろう。
 だから、今有るのは辛い事だけど、その中でも本当に幸運な事だと思わないといけない、そう思っている。

 だから出来る事は全部やる。間違っていないと思う。
でもね、今夜はちょっと美味しい物を食べて、可愛いモモと運動がてら散歩して、一緒に寝たいなあ。

2013年2月6日水曜日

緊急入院。。

 昨夜の2時頃にも薬を飲んでから嘔吐する。
そして明け方にもベットで嘔吐して服も汚してしまった。薬やジュースなどの水分を飲んだだけで、しばらくすると吐き気が出てくるようだ。これでは薬も消化されない。

 着替えさせるのも、疲れて自力で起き上がれないので本当に大変。。。
気になりながら用事に出かけて、薬局の開くのを待って尿瓶を買って来た。嫌がるだろうけど、立ち上がるのも大変なんんだから。

 家に戻ると心配そうに母親が、また嘔吐したようで雄一にも
「病院にいこうか? 」
と言っている。昨日も聞いたけど、
「行ったら入院やから嫌だ・・」と言う。

 けれど、さすがに今日は首を縦に振った。
すぐに準備をして、病院にも連絡した。幸い主治医の先生も居られて「来て下さい。と言う。
ところが、ベットから出るのも立ち上がれない。動けない。抱えようとしても腕も体も無力状態なので、背負う事も出来ない。母親と二人で何度か試したが、痩せ切った体でも44キロぐらいは有る。点滴ポンプも持たなければならないし、とても無理だった。

 仕方無く119番に電話した。10分もせぬ内にサイレンが聞こえてくる。3人の隊員さん達が手際よく運んでくれた。
 救急車とほぼ同時に僕も病院に着いた。家を出る前も救急車の中でも吐いて、着替えた服は濡れたまま。仕方が無い。処置室に入るとすぐに先生も来てくれた。雄一の表情は血の気も引いて唇も色が無い。
 
 やはりすぐに入院となって、また元の病室に戻って来た。
今日の病院の駐車場はどこも満車。しばらく待たされたし、病室も満室状態。今、雄一は動けない状態なので、先生達がベットを調整してくれて個室を空けてくれたようだ。本当に助かる。
 僕らはまだ付いている、そう思う。

 血液検査の結果はやはり極度の貧血と脱水状態。まず吐き気止め点滴。生食、2時頃には輸血用の血液も届いて200mlの輸血、そして栄養剤。
ジュースやお茶を飲んでもまだ吐いてしまうが、今朝がたよりは大分良くなったようだ。
最初は仕方無く尿瓶でトイレを済ませたが、それからは自分でトイレに行っている。手助けは必要だけど。

 自宅では生理食塩水や栄養剤は点滴でも出来るが、吐き気が続くと薬も効果ないし胃液も吐き出して、点滴をしていても脱水状態になる。特に雄一はストーマを着けているので腸が短いし吸収できない。自宅で出来る医療行為は現状が限度の様で、今回は自宅での療養にはちょっと限界を感じた。
 自宅でも吐き気止めやその他の栄養剤、ビタミン剤などを点滴出来れば、いいんだろうけど、先生は「それ以上は看護師の免状がいるようです」と言う。

 今日は当然絶食。好きな物を食べさせてやりたいので、何とか工夫して食べさせてやろう、としているが、本当は調子の悪い時は絶食が一番だろう。多分しばらくは今回は絶食かな。

 輸血もビタミン栄養剤も入れて、少し落ち着いている。表情も柔らかくなった。
今夜は1年振りに病室で付き添いのお泊り。折りたたみの簡易ベットを借りたが、どこでも寝れる僕には上等すぎるぐらい。
 多分、すぐに熟睡して役には立たないだろうけど。



2013年2月5日火曜日

高い低反発まくら

 今朝、まだ暗い内にトイレに入る大きな音が聞こえる。すぐ起きて様子を聞きに行くと
「だいじょうぶ・・・」とは言う。歩くのも今は辛いと思うが、一旦トイレに入ると中々出て来ない。
暫らくしてベッドに戻ったが、後で聞くと、その時に後ろに転んだそうだ。どうも大きな音はドアに倒れ込んだ時のぶつけた音の様だ。体は何とも無いようだが、あの細い体で転ぶと骨折が心配に成って来る。

 昨夜から吐き気も無く良かったようだが、それからまた調子が崩れて来る。強いだるさでずっと寝ている。ジュースやアミノバイタルのゼリーぐらいで、食べてはいないけど、ストーマには黒い便が溜まる。また出血が少し続いているのか。。。
 お昼も食べれず、首が痛いと言いながら、色々向きを変えて寝ている。
何かいいまくらを探して来よう。

 2時半頃からは名古屋の病院へ僕だけで走った。4時頃には5種免疫療法の培養したリンパ球が届く。アイスボックスに保冷剤を入れて名古屋のスパイラルタワーには渋滞も無く4時前に着いた。
その培養したリンパ球は、まだ病院には届いておらず、しばらく待つ。そして時間通りに4時には届いた。
熊本からだから、昨夜に出せば陸送で名古屋にはお昼頃に着く。それから各営業所に入って配達に成るからこの時間だ。
 この治療も後1回、2週間後で終わりと成る。高い治療費だし何とか少しでも効果は出て欲しいけど、今の雄一の体調を見ると、とてもその様には思えない。
 
 今、体の中ではどんな事が起っているのか?神様でも解らないのだろうか?
腫瘍が崩壊すると、出血も有る。その症状が一気に強く出ると重篤な症状に陥るらしい。
良い方に解釈すると、腫瘍が崩壊しているのか?
 先週にその事をこっそり先生に聞いたら、首を横に振っていた。
今週木曜には三重中央での検査も有るので、そこである程度の評価は出来るだろう。
何とか期待したい。

 家に帰ってすぐに点滴ラインを外し、免疫治療の点滴に入れ替える。リザーバーの流れが良かったのか、今日は200ccぐらい50分ぐらいで流れた。
雄一はずっと寝たままだった。
 
 この後に福祉の医療機器のショップに問い合わせると、低反発のまくらが有ると言う。
営業が7時までというので、すぐに走って、そのまくらを買って来た。いい値段もする。普通だったら絶対買わない。
 でも、そのショップに行くと、先日ベットの搬入に来てくれた、とっても可愛い、頭のよさそうな子がそこで応対してくれて
 「私も使ってます。」と丁寧に説明してくれる。確かにこの低反発まくらは気持ちよさそうだ。

 早速雄一のベットにもカバーを着けて置いてやった。頭や首が落ちつく感じで、少しは楽な様だ。
少しでも楽になったり気持ち良ければ、今は何でもいい。揃えてやりたい。

 夕食の時間が過ぎても食欲が無く、トイレに入って戻ると、今度はまた吐き出してしまった。
ジュースぐらいしか入れて無いのに吐き気が出て来る。
頭痛は少し良く成った。というか感じなくなったと言うべきか。。。
 吐き気と出血、早く収まって欲しい。


2013年2月4日月曜日

少し回数が減った嘔吐

 今日は朝方から嘔吐はしていない。相変わらず強いだるさ、脱力感は有るようでベットから降りるのも大変。それでもトイレは自分で起きて行っている。
だるくて食欲もわいて来ない。ベットで寝ている時間が長いので、電動のベットやトゥルースイパーのマットを持ってしても、腰が痛い、首が痛い、頭が痛い・・・と言う。
 何せ、痩せてしまっているので、仕方無いかもしれないが、まくらは何か探して来ようと思っている。

 朝食はアミノバイタルのゼリーだけ。昼食も遅くに降りて食べる、とは言っていたが、動くのが辛い状態なので、ベットに食事を運んだ。
ストーマに出る便は相変わらず黒い。良く成る時も有るが、まだ出血は収まってはいない様だ。
 
 今週木曜には診察の予定だが、この便が続くと心配に成る。それまでに診てもらう事に成るかも知れない。
 それでも今日は、自分で長く伸びた爪を切ろうとしていた。もう年末からずっと言っていたが、
その内に切る、と言ってずっと体調を崩していたから、足も手もかなり伸びている。
副作用の影響で、爪は2重に成ったり段が出来たり、色も黒い。

 体も上手く曲げれないので、僕が切ってやったが、以前に高い爪切り用のニッパーを買って来て有ったので、それを使っても爪が2重に成っているので、足の爪なんかは固くて一度では切れない。僕の爪なら、難なく切れるんだけど。。。
 手足の爪を少しずつ切りそろえて行った。

 夕食は下に降りて来て一緒に食べる。薬を飲んで暫らくしてからゆっくりと。ハンバーグや柔らかい薄切りのお肉やみそ汁、ご飯。すこしずつ食べる。
でも、しばらくしてやっぱり吐き気を模様し、嘔吐してしまう。けど、今日は量もいつもよりは少ない。出血も無い。
 しばらくして落ち着いてから、またご飯を少しずつ食べた。

 一番大変な階段も点滴のセットを後ろで持ってやりながら、ゆっくりと上がって行く。一度休憩して昨日よりは少し足が上るような感じで登って行った。
今夜も今のところは嘔吐していない。
 このまま落ち着いて出血も収まって欲しい。

2013年2月2日土曜日

梅はもうすぐ!

 強いだるさ、吐き気は相変わらず続いている。ストーマの便の色も良く成ったり、黒く成ったり。完全には出血は止まっていないように思う。
 昨日は黒い便が続いていたので、止血剤とアシドレスと言う牛乳の様な内服液をまた飲ませている。その止血剤の効果を上げる為に、その5分ぐらい前に牛乳を50ccほど飲む。

 食前にそれとアルロイドと言う内服液を10ccほど飲む。この食前の飲み薬が吐き気にも影響して来ている。副作用にもそれは書いて有る。
 昨夜も今夜もそれらを飲んだ後にほんの少しの食事を何とかするが、10分もしない内に吐き気をもようし、食べた以上に嘔吐してしまう。そんな事が食事の後に続く。それでも今夜は食べた物と胃液だけだったから、少しは良くなったか。。。

 涙して嘔吐した後、しばらく落ち着いてから、また少し食べる。今日もシチューの半分を残り全部食べた。その後は何とか大丈夫の様だ。中々これでは体力が戻って来ない。
薬や止血剤を飲んでもこの調子なので、中々胃にも腸にも吸収するのは本当に少ないだろう。頭痛薬を飲んでも効かないのは、この事も大きく影響している。だから飲み薬ではどんな効用が有っても中々効果は出にくい。

 とてもだるい、力が入らないと言いながら、昨日も今日も階段を上り下りする。フォローはするが休憩しながらも登る。
 好きなゲームも全然していない。テレビも着いているだけ。ずっとベットの上で、腰や背中の痛いのを寝返りを打ちながら、休んでいる時間が殆どだ。すぐに起き上がれないけど、トイレにも1人で行っている。日に何度も嘔吐しながら、この状態で本当に良く頑張っていると思う。

 今日は本当に暖かかった。野球の練習をしていてもアンダーシャツ2枚で充分なくらいに。
庭に植えた梅の木にはつぼみが何個か出て来ている。梅はもうすぐ咲くだろう。
そして去年も桜は見れた。今年も外に出て桜を見れる様に元気に成って欲しい!!