2013年1月29日火曜日

今は休もう。

 今日は火曜だけども三重中央での検診。
少し頭痛は良く成った・・・と言うか、慣れるようにして我慢している、と言った方が当たっている様だ。
頭痛薬も胃には良くないので、出来るだけ飲まない様にしている。
それでも、嘔吐、吐き気や悪心、ひどいだるさは変わらない。視力や平均感覚もかなりずれて来ている様だ。

 今朝、ゆっくり階段を下りてくる。最近は階段は当然だけど、歩く時もすぐそばを着いて行く。足は細く筋力も無い。
 そして、少しだけ食べてから立ち上がろうとした時に、足やヒザが崩れて立ち上がれず椅子からずり落ちてしまった。手で支えようとしているが立ち上がれない。母親が叫んでいるが、どうしようも出来ない。
 声を聞いてすぐに駆け寄り、抱え上げてソファーに寝かせた。転んでしまうと、今の体力では自分では立ち上れない。

 ソファーに寝かせて、足やヒザをずっとさすってやっていた。ふくらはぎや足首は僕の腕ぐらいに成ってしまった。ヒザにも、トイレに行ったりする時にぶつけるのだろう、青あざが沢山有る。
普段は嫌がるが、さすられていると気持ちも落ち着くのか眠っている様子。。。

 僕が小さい頃、母親やお婆ちゃんが、お腹や背中を良くさすってくれた。とても気持ちが良かった。父親は夜に熱を出した時に片道1時間以上も背中に背負って病院まで行ってくれた。まだ小学校に行くか行かないか、ぐらいだったと思う。田舎だしバイクも車なんて当然無い。4キロ近くはその先生の所までは有ると思う。
 月明かりの下を父親と話しながら背中におわれているうちに、先生の所に着く頃にはもう元気に成っていた。父親とのそんな事が一番の記憶に残っている。
 
 手当とは字のごとく、手を当てると書く。母親の手や両親のぬくもりは何よりの薬だ。
ついでに言うと、ガンは品が山の病と書く、癌。
好きな物は何でも山の様に手に入る、仕事もストレスも山の様。。。これも字のごとくだ。昔の人は本当に偉いね。

 何とかお昼前には出かける用意が出来て病院へ向かう。入口の前に停めて今日は車椅子を借りて来る。雄一は嫌がるが、今日はさすがに乗った。
 採血に行くと、どうも若い人だ。。。 案の上、針をさして何度かいじくるが、血は出て来ない。腕も血管も細く成っているし難しいとは思うけど、「すみません、もう一度反対側でお願いします。」と言う。
もう少し腕を上げて欲しい。

 その後、外来で待っていると「気持ち悪い。。。 」と言い出す。ベットを借りて休ませていた。
血液検査の結果、ヘモグロビンは基準の下限を切っているが、輸血の必要はない、との事だった。お腹の中の事だから良くは解らないが、金曜に輸血してから少しは出血も良く成ったのか。。
 今朝は沢山吐いて、とても苦しそうで、血も混じっていたから心配していたけれど、ほんの少しだけ安心とまでは行かないが、気持ちは少し落ち着く。

 昨日は三重大前の福祉のホームヘルスセンターへ行って看護ベットを頼んで来て今日の3時の搬入の予定。雄一の部屋は使っていたベットも出して用意は出来ている。
 病院から戻って暫らくすると時間通りに来てくれた。その道の職人さんらしい人と大卒の3,4年ぐらい経験した様な営業マン。それにとっても可愛い若い女の子が、組立や営業マンの契約書の取り交わしなどをフォローする。本当に可愛くて頭の良さそうな子だ。モモも1Fにいたけれど、愛嬌良く相手もする。
 そのお店に行くと大学出たぐらいの若い女の子達がいつも数人はいる。対応もしゃべり方もキチンとしている。
 今日も頭の良さそうな、テキパキと動く彼女のお蔭で、少しハッピーな気分だった。

 電動のベットと低反発のマットで、雄一も
「気持ちが良くてラク!」と言っていたが、すぐに寝込んでしまった。今日はジュースやウイダーゼリーぐらいで、ほとんど食べていない。
 こんな調子だし、熊本でもらって来た薬も今はストップしている。

「一旦調子くずしたら、中々戻らん。。。もうボロボロやわ。。」と言う。
思う様に動けない、相当な辛さが強情な気持ちの中に有る。
「大丈夫、良く成るよ!今は絶食でいいんやから。力抜いて今は休もう。」

「頑張れ。」とは言えない。もう常識では無いぐらい頑張っているんだから。
早く調子が戻って欲しい!

 

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