2011年9月30日金曜日

しっかり眠れ!

 今日は3食の食事も全部食べたようだ。
でも睡眠不足と疲れや体力低下のだるさも有るのか昼の間も浅い眠りとは思うが、良く眠っていたようだ。

 夕食を食べてちょっとお腹が痛むらしい。痛み止めを入れてもらっている。
ミン剤は飲んでいないようだが、テレビを見ながら眠たそうだ。
まだ本を読んだりする気力もあまり無いようだ。マンガも開けたがすぐにやめてしまった。

 21:00
 良く眠ってはいるが、眠りは浅そう。。。このまま寝てくれるだろうか。。。

 4:00
 いつもの様に看護婦さんが色々と入れ替えに来る。
雄一は良く眠っていた様だ。途中、点滴を替えに来た看護婦さんにポカリを飲ませてもらったりしたぐらい。僕も途中一度飲ませただけだ。
他は僕も起きれなかったし、雄一も良く寝ていた。僕も良く寝れたかな??

 4時過ぎに入れ替えが終わって、
「もう、寝れなくなった」。
「当たり前や!お昼もずっと寝てるんやから」。
とポカリを飲ませて、テレビをつけてもこんな時間にバラエティー番組は無い。
諦めてまた眠り始めた。

 痛みや不安で眠れなかった時よりは顔にも生気が戻って来たようで、唇も色が着いて来た。目の周りも少し優しくなった。
まだ痛みは有るようだが、しっかり眠れ。

2011年9月29日木曜日

希望の千羽鶴

 27日19:30

 夜、病室に来るとその雰囲気がいつもと違っていた。
まず、体から出ていた沢山のクダが少なくなっている。鼻から通している胃までのチューブも無い。右胸のクダも無い。
 ポカリを飲んだり、ヨーグルトを少し食べているらしい。
8時頃にもヨーグルトを食べようとして欲を出して沢山取ろうとしたらこぼしていた。

 もっと食べたい、早くご飯、と言うがまだまだ危ない。腸は2回も手術して且つ腫れている状態だ。どこまで回復しているかもまだ解からない。

 10時近くテレビを見ていて、もう寝るという。テレビも切ってくれとも言うのでポカリを少し飲ませて寝かせた。もううつらうつらしていたし、ミン剤なしでそのまま眠ろう。どこまで持つか解からないが・・・。

 勤務先の病院の技師や同僚達が千羽鶴を持って来てくれて点滴棒の上から吊るしてくれていた。小さなカラフルな鶴を色を順番に合わせながらキレイにつなげている。折ってくれたと言っていたが、まとめて色を合わせるだけでも大変だろう。
本当に有りがたい。雄一にも、皆の希望にもつなげて欲しい。
早く元気に成って恩返しをしよう。
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 23:00
 やはり1時間近くで起きてくる。仕方無くミン剤をもらう。ポカリも少々。早く薬に頼らないようになって欲しい。なまじ知識が有るのですぐに要求してしまう。僕なんかならそんなミン剤の事は知らないから一晩眠れなくても気にしないだろう。

 2:20
 また起きて看護婦さんを呼ぶ。またミン剤を、と。ダメだ。
ポカリを少し飲ませたが、看護婦さんが出て行くともっと飲みたい、と言う。
ダメだ。ちょっと良くなったからと言って目先の欲ばっかりしていたらまたダメになってしまう。
 4:00頃にもまた同じ事をせがむ。ダメだよ。雄一はまだまだ子供だ。
目指す目標ははるか遠い。戦いはまだ始まったばかりだ。

2011年9月27日火曜日

少し安定。。

 昨夜は10時頃にはテレビをつけながら殆ど眠っていた。沢山検査も有って疲れたのだろう。けれどいつもこんな調子なので、眠りが浅いのか何か有るとすぐに目をふわ~と開ける。
 「テレビ消そうか?」と聞くとうなずいて眠り始めた。

 今日は眠ってくれるだろうか?と思いつつ本を少し読んでから眠った。
 
 23:00
 また起きてくる。看護婦さんにミン剤をせがむ。今は休める事が先だから仕方が無い。

 2:30
 少しお腹が痛むようだ。今度は痛み止めをもらう。お腹のガーゼとか手当てしてもらったが、またミン剤をせがむので、「今度はもうダメ」。諦めたのか眠り始めた。

 4:00
 またいつもの様に看護婦さんが何本かのチューブから出ている液を計ったり入替えたりしに来る。
物音を立てないように気は使ってくれているが、僕でもすぐに目覚める。
いつも思うが、何でこんな時間にするんだろう。。。
それでも雄一は痛み止めも無くなって、ミン剤もないまま眠っているようだ。
そのまま5時半頃まで眠ってくれた。
 栄養価の高い点滴を流してくれたし、少し眠れた事も有って昨日よりは目の周りが少しふっくらして来た。この辺は若い分、回復も早いだろう。早く体力を戻して欲しい。

2011年9月26日月曜日

CTの結果

 お昼過ぎにCTの結果でお腹の中にうみが溜まっているのが解って午後からそれを抜く処置をするらいい。また穴を開けて吸い出すらしい。
穴を開けるんだから手術は手術か。
可哀想に。。。夜に痛がるのも傷の付きが悪いのもこれなのか?原因は何?
 今度は上手く行って欲しい。仕事も手に付かないので、早めに帰ってきた。今は比較的自由に動けるので有りがたい。

 病院について暫くすると、手術から戻ってきた。部分麻酔なので意識もしっかりしている。でも今日は沢山検査も行って疲れているようだ。
他のクダは明日辺りから抜いて行きたいとは言っていたが、食べれるのはまだ少し先だろう。

 余りにやせているのが、気になっていたので聞いてみると、今日から点滴も栄養価の高いのを入れるという事だった。
それは病気の進行も早めてしまうけど、肝心の体力が無かったら何にもならない。

早く体力戻して少しは食べれる様に成って、それからが病気との戦いだ。

2011年9月25日日曜日

長い夜。

0:30
 昨夜は10時半頃にミン剤を入れて眠り始める。疲れているのかすぐに軽く寝息をかいている。見計らってミン剤を止めてもらった。
けれど、もう11時半頃には眠れない、と起こす・・・。

 またミン剤を入れて暫く寝込んだようだが、もう0時半頃にはまた起きる。
やっぱり不安なのだろう、いつまで続くのか。。。

 1:30
 今度は少しお腹を痛がる。もうミン剤も無い。今度は痛み止めを流してもらった。冷や水を少量飲まし、「力抜いて、とにかく眠る事だけ、何も考えるな・・・」といいながら頭をなでてやる。暫らくすると眠りに着いた。

 この後、うつらうつらしながら、看護婦さんが液を入替えたり血圧や体温や色々いじくりながらも5時近くまでぼや~としながらも眠ってくれたようだ。
3時間近く起き無かったのは本当に珍しい。不安な夜を雄一も眠ろうと頑張ってくれている。
この3時間で僕も休める事が出来た。

2011年9月24日土曜日

不安な眠れな夜。

 昨夜はお昼の間、大体起きて頑張っていたし夜は寝てくれるだろうと期待していた。
 10時頃に電気を消して、ミン剤を入れてもらって暫くすると眠り込む。
10時半頃にはミン剤も止めてもらって僕も眠った。もちろん僕の場合はあっという間だ。

 0:30
 また目が覚めて眠れないと起こす。起こされても子守唄を歌う訳でもない。
お腹の痛みは無いようだ。うがいして冷水少し飲んで、「何も考えずにお腹の力を抜いて目を閉じろ」と言ったけど、本人はやはり不安なんだろう・・・。

 3:00
 同じ様に眠れないと看護婦さんを呼ぶ。怒る訳ににも行かない。辛いのは痛いほど良く解かる。うがいもたびたびせがむ。後で思ったが、まだまだやっぱり子供だと思った。夜は余計に不安になるんだろう。理解してやりたい。
 まだ2回目の手術から6日目。今無理しては絶対にダメだ。けれど気持ちははやる。早く食べれるようになりたいだろう。その間にも病状は進む。得体知れない程、不安も有るだろう。
廻りが理解してやっていくしかない。本人もしっかり気持ちを持って欲しい。

 6:10
 顔を洗って病院を出た。その救急室の入り口をあけると、とてもさわやかな秋の空気!病院の中の空気とは全く違う。
病院の中は機密されてエアコンだから凄く乾燥しているのかも知れない。今度は湿度も見てみよう。早く元気になれ!

2011年9月23日金曜日

ヒマでしようがない。。。

1:30
 良く眠っていたが、お腹が痛み出した様だ。看護婦さんがお腹廻りを手当してくれている・・・。
眠いのか、その間にまた眠り始めた。
 
 3:40
 また痛みで起こされる。今度は痛みどめを入れてもらった。
うがいをして少し冷や水を飲む。が、この後しゃっくりが出て来てまた眠れなく成る。看護婦さんが、舌に何か入れたりしても止まらない。
ガムをかんで、うがいすると止まったかな・・・。
 その後1時間ほどは眠ってくれた。

 痛みは無いようだが、ヒマでヒマで仕方が無い様子。まだ動くにも動けない。
まんがも読みあさった。ゲームも。後は何をする?

 11:00
 駐車場へ行くときに勤務先の先生が見舞いに来てくれた。
最初に診断して、僕達には告知もしてくれた先生だ。現実の状況については一番理解されているだろう。それだけに正直な話をされる。
僕もぶっちゃけて聞いたが、解りやすく話してくれた。やはりそれ程希望の持てる状態ではない。けれどやるしか無いんだ。

 今日はひなたも神戸の子も運動会だ。行きたかったけど、この状態では難しいし、あんまりうかれる気にはなれない。ホントはそれではいけないんだろうね。
夕方、お腹廻りを替えてもらって言いたい事を言う雄一は頭を洗って欲しい、と言う。
 介護病院じゃ有るまいし、とも思ったが、この病院はベットでもシャンプーや足湯なんかもやってくれる。これが料金にどう含まれるのかは解らない。
 2人かかりでシートやおむつを3,4枚しいて頭を洗ってくれた。

 とにかくヒマで何かしたい、早く食べたい、と言う。やせ細って行く体も心配だが、腸を2回も切ってるんだから、そんなすぐに食べれるなんて無茶な話だ。
もう少し辛抱しよう。

2011年9月22日木曜日

人を思う心。

4:00
 昨夜、11時頃からお腹の痛みを訴え、とても眠れそうになかった。痛みどめを打ってもらっているが、今一つ効き目が無いのか、それ以上に痛いのか・・・。
痛いと言われても何も出来ない。
手足をさすってやるだけだった。
 4時頃にはお腹の痛みは少し楽になったようだが、疲れでやっと眠りかけている。早く痛みも消えて楽に眠れる様になって欲しい。
寝ては起きて・・・の繰り返しが続く。

 9:30
 今日は田舎のおばあちゃんが兄と一緒に来てくれた。もう足腰はかつての元気さは無いが、おじいちゃんの様にボケてはいない。元気だ。
雄一は朝方からは痛みも消えて楽になったようだ。
マンガをよんだり、テレビ、ゲーム、ガムをかんではうがいしたい・・。ヒマを持て余して言いたいほうだい・・・。
 胃から出て鼻を通って出て来るクダからはまだ沢山、液が出ている。
先生も来られてこれが少なく成ればチューブも外せるし、食べれる様に前進だ、とは言ってくれたけど、いつまでかかるだろう?
 こんな状態でも病気は進行していく。早く体力を戻して欲しい。

 2:30
 大阪の義理兄の家族が来てくれた。良く遊んだいとこ達も励ましてくれている。

 16:00
 雄一の勤務先の病院へ。
先の入院費の支払いと今後の待遇の確認をするために上司や理事長さんとお会いした。
 わずか2日半の入院だけで5万以上もの支払・・・。ちょっとびっくりだ。事前に銀行に行って来て良かった。これで1か月入ったらどうなるんだろう・・・。
 まずその高額医療上限の申請は?の説明を聞き、通常の手続きでは1~2週間ぐらいかかるらしい。
理事長さんが担当課長を呼んでくれて話を聞くと、久居のポルタにある健保の事務賞に行けば、即日に交付してくれる、とも。

 17:00
 色々お話をした後、すぐにその事務所へ向かった。
時間はもう5時前。今頃行けば、お役所仕事なら誰も嫌がるだろう。電話すると5時までに来てもらえたら、とは言ってくれた。
そして5時頃に行くと受付のお姉さんはとても親切に丁寧に説明してくれて手続きもスムーズにこなしてくれた。
 こんな所に申請に来る人は楽しんでくる人はいない。辛い思いで来ている人が殆どだろう。その気持ちを察しているのか、本当に丁寧で親切だった。ファンに成りそうなぐらい。もし僕が彼女だったら同じように対応出来るだろうか?
 今の僕では出来ないだろう。。。少し反省。。
今日はこれがとても嬉しく救われた気がした。
 

2011年9月21日水曜日

台風一過

 昨夜は中々雄一も眠れないようだ。状態は良くなってはいるが、手術まえからずっとまともに眠っていないので、体が昼夜の区別も全然出来ていない感じだ。

 大体1時間ぐらいでベットの柵をこんこんと叩いて起こす。まだ点滴だけだし口の中がとにかく乾くようだ。その度に口をゆすぐ。
 体温はほぼ正常に戻った。右のお腹に空けているチューブの辺りもちょっと痛いとも言う。眠れるように11時頃にはミン材を入れてもらったが、3時頃にはまた欲しい、という。

 でももうこれは可哀想だけど2回はダメだよね。看護婦さんに優しく断わられて仕方無く納得したようだ。
少し楽になった様だから、今日から昼と夜を区別するように過ごせば少しは眠れるようになるだろ。
あめぐらいならもうすぐなめてもいい、と先生も言ってくれているようだ。

 そんな調子で夜が過ぎ台風の朝が明けた。外は雨はまだそんなに強くない。
けれど、仕度して病院を出る6時過ぎには強い雨が降ってくる。
ずっと横殴りの雨が続き、こんなんでは会社まで行けないかも・・・と思ったら亀山辺りから雨もやみ、無事会社に着いた。今日は眠い。

台風も過ぎ、仕事を終えて病院に夜と、今日から水分とガムならいいと言われた様でのどが乾くと少しずつのんでいる。少し話せる様にもなった。頭だけが少し熱ぽくて、僕に扇子であおげと言う。
ホントに遠慮の知らないやつだ。

今日も一旦帰ってお風呂入って出てきた。
9:30
今夜は良く眠っている。僕も寝よう。多分10秒ぐらいで眠れそうだ。
おやすみ。。。

2011年9月20日火曜日

少し安定。。。

 今日は11時頃にICU室を出て個室に移動したらしい。容態もすこし安定しているらしい。
会社を出て、今日は歯医者の予約が有ったので帰りに寄り、終えてから病院に向かった。

  8:00
 病室は今度は515号室。確かに痛みは少し楽になったようだ。
血圧も異常ない。
けど、痩せ細った手は異常に冷たい。体温を図ってもらうと36度を下まわっている。身体は汗ぼったいのに。
手足をこすってあげたが、本当に細く成ってしまった。
可哀想に。。。

今晩は泊まる事にした。

 10:30
 明日の用意もして風呂にも入って出てきた。
今日の借りたベットは板では無く底が布状で座ると沈む。。。
貧乏人には板の上の硬いのが、いいんだけどね。

2011年9月19日月曜日

少し安心も。。。

 昨日は心配した2度目の手術も何とか持ちこたえてくれたしICU室で管理されているから、夜の付き添いもいらない。家で一安心して眠り、早く起きた。
 今日は野球の試合も有るので、昨日の段階ではもうキャンセルしようか、とも思っていた。でもコーチも見てくれるし、子供達もやりたいだろう。
今日はICUで面会時間も限られているから、午前中だけ野球に参加し1試合を終えて、後も気に成りながらすぐに病院に戻った。

 12:00
 病院には大阪の兄も来てくれていた。お昼すぎにICU室へ入れてもらって様子を見たが、まだまだ痛みも有って中々眠れないようだ。この3,4日、殆どまともに眠っていないのでは・・・と思う。体力の低下が心配。でも少し顔色は良さそうだ。

 16:30
 一旦帰って、必要なものを買い揃えたり、少しの睡眠もとった。とにかく眠かったが、雄一に比べれば何でもない事だろう。
夕方6時過ぎにICUに入ると、やはりまだ腸、お腹がかなり痛い様だ。看護師さんに聞くと定期的に痛み止めも打ってもらっている。
2度目の手術からまだ20時間ぐらいしか経っていない。
お腹のチューブから出て来る体内の液もまだ多いし、腸が順調に回復するまでは当分、痛みも続くだろう。何せ、パンパンの状態だったんだから・・・。
もう再発せずに、少しずつでも回復するのを祈るばかりだ。
 
 この1週間でまたやせた様に思う。
子供達にはしんどい時でもガマンして頑張れ、と育てて来た。
この様な状況に限って言えば、それは間違いだと気付く。痛いのを、辛いのをガマンしていたらそれは悪くなるばかりだ。
雄一には、「痛かったらガマンせずにちゃんと言うんだぞ、ガマンするなよ」とは言って来たけど、僕達が行くと「口をゆすぎたい」と必ず言う。
どこかで「これぐらいはガマンしないと・・」と思っているんだろう。

 早く、回復して欲しい。食べれる様になって欲しい。

2011年9月18日日曜日

もう一つの山

15:30
 雄一が再手術に成りそうだ・・との連絡が有った。やはり腸の具合が良くないらしい。すぐに仕事を引き継いで帰って来た。

 やはり腸からまた漏れているのは間違いないようだ。腸の中の液がお腹の中に出て腸そのものが炎症しているらしい。CTの画像でも腸が膨らんでいるのが解る。

 今日はそれまでに田舎や大阪のいとこ達が見舞いに来てくれていた。
病院の同僚や上司の人も。
再手術の準備をしている時にまた2人の同僚の子が来てくれた。相手するにも色々検査や準備や先生との話で、会わせる事も出来ない。
 いよいよ手術室へという時に彼らは、やっと雄一のベットの脇に寄り添って
「絶対元気に戻って来いよ!またカラオケ行くぞ!買い物にも行くぞ!」と悪友らしく励ましてくれている。雄一も声は出ないが、「うん、うん」とうなずいている。
 僕も母親も励まして送るとしっかりうなずいていた。気持ちは前回よりしっかりしている様だ。

 17:00
 手術室へ。
先生からは2回目の手術だし、危険性もある。腸は縫っても今の腸の状態ではつなぎ切れない可能性が高い。その時はまた人口肛門に成る、と。
それからとても長く感じる時間が過ぎて行く。
何も食べる気も起こらない。祈り待つだけだ・・・。

 20:30
 手術室から先生がカメラを持って出て来た。
無事終えて小腸に人口肛門を着けた事も話す。やはり前回に縫ったところが破れていたそうだ。同じ様に処理をしようとしても腸そのものが腫れて弱っているしすぐに破れてしまうらしい。そこで仕方無く人口肛門となった。
これで上手くいっても、ガン治療を続けて良く成るまでは元には戻らないだろう。
 カメラの画像を見せてもらったが、まるでフランクフルトを縦に切った様に傷口が開いている。とにかくこれで何とかつながって腫れが収まって欲しい。

 ICU室に出て来て手当をされている雄一は比較的顔色も良さそうだ。麻酔でいびきをかきながら眠っているけれど血圧も110ぐらいで安定している。
何とか、これで落ち着いて欲しい。
 良く頑張ったなあ雄一!

2011年9月16日金曜日

雄一の入院

今年の夏場になってからの雄一の体の変化が気になっていた。
今年の春に田舎のお爺ちゃんを皆でお見舞いに行った時は何も感じなかった。
服を着ていても明らかに細くなっているのが解る。

 自分は病院で勤務しているのに、「早く病院で見てもらえ!」といっても本人は別に体調が悪い訳でもないし「うるさいなあ」ぐらいにしか聞いていない。
けど、この8月になって明らかに食事が急に細くなり、ごはん半分も食べれない様だ。ここまでなっても診察にも行かず、体力に任せて病院の勤務、夜勤もこなしている。

 とうとう体力も続かずやっと勤務する病院の先生に見てもらった。
それが9月2日。
すぐに先生も異変に気付いたようですぐに仕事をやめさせ自宅療養になった。

 僕は病院で業務するその環境の中で何で誰も気付かないんだろう・・・
多分、昼食も同じ状態のハズだ。雄一の周りの人が少しぐらいは気がついいてもいいのに・・・と思っていて一度、勤務する病院に相談しに行こうか・と思っていた。
今となっては僕もすぐに行かなかったのが、とても悔やまれる。

 自宅で療養中も僕の目には、どう見てもこれはおかしい、尋常じゃない、と感じていたが、本人は調子が悪いだけですぐに仕事に戻ると思っていてテレビを見ながらベットに転がっている。

 そして9月9日に胃カメラ。
胃の組織も取って検査、その他色々な検査もしてくれたようだ。

 9月13日、自宅に帰ると雄一はいない。すぐに入院したらしい。担当の先生から夜10時頃に本人には合わずに来てくれと言う。
これは普通ではない。でも若いしまさかね・・と思いながら病院に向かった。

 担当の先生は解り易く詳しくそして隠すところなく正直に説明してくれた。
症状は胃ガン、それも相当進行している。特に若いし進行が速い。ガンの1~4までのレベルでいうとすでに4のレベルだそうだ。
しかもそれが腹膜にも移りお腹の中に多数散らばっている。まだカメラ程度では解らないがそれは間違いがない。
 ガン性腹膜播種という症状らしい。相当やっかいな症状で今の状態では手術もできない。進行も早くこのままでは1~3か月・・なんて事を話された。

 頭よりも脳みそを叩かれたようなショックを受けた。
「何で・・・タバコも吸わないし、酒もほとんど飲まない。贅沢もしない。仕事も順調でやっと自分のお金でおしゃれをしたり、海外旅行をしたり、これからという時だ。何で雄一に・・・」

 治療方法は暫く体力を戻してそれから化学療法、治療でガン細胞を減らし手術できる様になれば可能性がある。ただしそれは抗がん剤に対しどこまで体力が勝るかの勝負になる。可能性はかなり低い。
色々ネットで情報を調べても同じ様な事が書いてある。

 後で三重中央の先生に聞いた話では、抗がん剤は早く成長する細胞を攻撃するらしい。血液なんかは日々生まれている。だからそれらの必要な細胞にも攻撃を仕掛ける。それが合わない人には大きな副作用になる。
けれど最近ではいい薬も出て来て同じ様な腹膜播腫でも劇的に効果が出る人もいるそうだ。確率は低いけどね。
 今はそれにかけるしかない。

 そのあと、もう11時を回っていたが、苦しそうに雄一は横になって寝ていた。本人にはガンは伝えない。
最善の方法をと、愛知のガンセンターに紹介状を書いてもらう、と先生とは了解を頂いたので、その時に話をしようと決めた。家族にも雄一にも覚悟がいる。
雄一には「今の内に悪いところは全部直すんだぞ。治るまで出て来るな。だから覚悟決めてしっかり治せ」と強気で話した。
自分の体に、細胞に戦い抜く事をイメージして思い込め、とも。
何が何でも頑張り抜いて欲しい。出来る事は何でもしてやりたい。

 その夜は眠れず、色んな事を思い出し考えた。僕が普段、私生活には特に厳しく言い過ぎたのもずっと悔やんでいた。雄一にもストレスは有っただろう・・。

 9月14日
仕事も手につかず、うわの空で終えて病院に行くと、昨日とはうって変って元気になっている。ベットを立てて普段着を来てテレビを見ている。少し熱は有るようだが顔色もいい。この調子なら体力を戻して戦えるかもしれない。少しその夜は安心して疲れもあるしすぐに寝てしまった。

 9月15日
 今日は木曜なので会社は休み。9月までは土日出勤だ。昨夜の帰りに有希子のところにも行き事情も伝えた。散髪もしたかったので朝10時から頼んでおいた。
早く起きて色々していると、9時頃に病院の先生から電話がかかる。

 「お腹の中の腸のどこかで穴が開いてしまったようで、場所は特定出来ないが事象からそれは間違いはない。緊急手術が必要です」
ガンが腸にも転移し膨らんで詰まっているところが多分破れた・・・。それまでの検査でお腹にガスを入れて検査したのも一つの要因かも、とは僕は感じた。雄一はそれがとても気持ちが悪く口や鼻に戻ってくるので嫌がっていた。

 すぐに病院へ行き説明を聞いた。とにかくこれは救命の為の緊急手術。すぐにやらないとお腹の中に便や菌が回って最悪血液中に感染してしまうと1~2日に死亡してしまうらしい。最悪の状態を超えるには手術にかけるしかなかった。
雄一にもガンの話はしていないが、その話を先生はもうしてくれていて、本人も了解している。人口肛門になるかも知れない、という話もしている。

 病室に救急隊が来て苦しんでエビのようになっている雄一を運んで行った。

 11時
 三重中央の先生も若いテキパキとした好感の持てる先生だ。まだ30代前半だろう。ガンは本人には伝えていないとこの先生にも引き継がれていたので、僕にもその様な話をする。「僕らは全部聞いています。腹膜播腫の事も」と言うとしっかり細部まで、手術の危険性も説明してくれた。ガンの治療も行っているしその対応も詳しい。愛知ガンセンターとの情報、交流もある。
この先生なら状況に適格に対応するだろう、と感じた。

 雄一はお腹の痛みが激しくずっとエビの状態・・。辛そうだが親は何もしてやれない。頭をなでるだけ。代われるものならは代わってやりたい・・と母親は陰で泣いている。
何本も点滴をつけられていながら、苦しみながらまだ雄一は「昨日まで調子良かったのに・・・仕事も早く戻らな・・」とこんな手術前の状態でもそんな事を言っている。
 1時に手術に入る前にも先生に「いつごろ戻れる?仕事あるし・・人口肛門はすぐに外せる?」と聞いていたようだ。