2016年8月29日月曜日

優しい母親との別れ。

 日曜の夕食後、携帯が鳴った。
また、野球のチームからか・・・と思ったら田舎の兄からだった。
母親の具合が急に悪くなって今晩に手術すると言う。

 今年の春前に直腸ガンで有る事は解った。
手術するか抗がん治療をするか相談は有ったがもう87歳。
辛い抗がん治療はさせたくない。手術するなら人口肛門、ストーマに成るだろう。。それも可哀そう。だから兄も年齢を考えて辛い治療はさせなかった。僕もそれが一番いいと思っていた。

 ショートステイなどをしながらご飯も食べて元気に過ごしていた。
最近は養護ホームに入所し、それ程悪く成る事も無く過ごしていると思っていた。
この5月のゴールデンウイークにヨメと2人でその出来たばかりの養護ホームへ行った。
ホテルの様な素晴らしい施設にビックリし、床から壁まで板張りの部屋に案内されると、母親はベットで静かに寝入っていた。時折目を開けたりしていたかなあ・・・。
頭を撫でて起こさずにそのままにして別れて来たんだ。とっても可愛い寝顔だったよ。

 このお盆14日にChieママも一緒に田舎へ帰った。
母親のいる施設やお寺さんにも寄りたかったが、とにかくその日はどこも大渋滞。
観光客の人達が五条を経由して流れて行くんだろう。仕方なくその日は行も帰りも寄る事が出来なかった。だから5月に寝顔を見たのが最後だった。

 夜中過ぎに兄から手術は無事に終わって・・・の連絡も聞いた。
腸を手術したんだから相当な腹膜炎には成っているだろう。人工肛門も着けられているだろう。思うのはそれって雄一の時と一緒なんだね・・・。

 忘れもしないあの時に、これから抗がん治療に名古屋の病院へ行く用意をしようとしている時だった。胃がんが胃の表面にも浸潤しそれが大腸にも伝って侵し、何度かの検査も影響したのだろう、腸が穿孔し急性腹膜炎になり一刻を争う手術に成った。その後のICUでの様子。
 そしてまた穿孔し2度目の手術。
でも若かった分、体力は持ち応えてくれた。それから1年半のとっても貴重な時間だった。

 母親の体力は・・・。
気に成りながら職場での仕事。お昼には帰って五条へ行こうと思っていたら兄から電話。
あんまり良くないらしい・・。昼から家に帰りモモ達は連れて行けないからヨメに頼んで五条へ向かった。
 4時頃には着くだろう、と飛ばしていたが3時半頃に携帯が鳴る。間に合わなかった。。

 本当に優しかった母親。小さい頃から何度かは怒られたとは思うが僕の記憶には叱られた記憶はない。僕は好き放題生きて来たし、兄弟の中では一番迷惑もかけたし心配はさせたと思うがそんな時でも一緒だった。家族や身体の事を気にかけてくれた。

 病院で最後の手当てを待ち母親と。。
とっても優しいままの母ちゃんだったよ。
今までありがとう。こんな健康な身体を本当にありがとう。

0 件のコメント: