本当に優しかった母親のお通夜と告別式。
月曜の夜に一旦家に戻り、また出かける準備。
お通夜や告別式にはモモ達は無理だからね、いつもの病院件ペットホテルに電話した。
病院の時間、9時過ぎにモモとマーキュリーを連れて行く。二人はお出かけと思って凄いテンション。一気に車に飛び乗る。けど病院に着いてゲートを開けると、違う雰囲気を感じるんだろうね。
車から降りたものの、モモなんかはすぐに凄い力で帰ろうとする。
ゴメンね。明日の夜にはお迎えに来るから。。。小さなランの柵の中から鳴きながら呼ぶモモ。。辛い辛い別れだったよ。
3時過ぎに五条の式場に着いた。
祭壇の準備も大体出来ている。お花が一杯飾られてとっても綺麗な祭壇だった。
着物に着替えさせてもらった母親はいつものように、すぐにでも優しく語りかけてくるような、とっても穏やかな表情だった。
沢山の田舎の人達がみんな集まって受付の準備もしてくれている。
予定通り19時にはお通夜が始まった。
今は契約職員だけどもお世話に成っている職場にも葬儀連絡は済ませていた。野球や家の都合で良く休むしこんな身分でも忌引き休暇が出るらしい。有りがたい。
ちょっとびっくりしたのはそんな職場からお二人がわざわざ津からお通夜に来てくれていた。五条まで飛ばしても片道2時間半以上はかかるだろうに。本当にいつも無理を聞いてくれてありがとう。
お経を上げるお寺さんは田舎の川を挟んだ向かいにあるふげんさんの住職さん。
三重にはあんまり真言宗のお寺は少ないが、この住職さんから雄一の時からお世話に成っている亀山のお寺さんを紹介して頂いた。ふげんさんの住職さんが高野山に居る時の後輩に当たる人が今もお世話に成っている若いお寺さんだ。
昨日の本葬が終わった後に、ちゃんとその時のお礼も今も本当に良くしてくれるその亀山のお寺さんの話しもしながらヨメと一緒に改めてお礼をしておいたよ。そのお寺さん達はこの7月には会う機会が有ったそうで亀山のお寺さんは僕達の事も話ししてくれていたようだ。
皆さま、いつも本当にありがとうございます!
お通夜の明けた朝、お酒で少し頭は痛いが疲れていてもいつもの様に5時過ぎには目が覚める。モモ達はいないが少し歩いて、朝食をお腹一杯食べてからはいつも行く五条の辯天さんにもお参りして来た。
このお寺は昔と変わらない。小さい頃から僕の気持ちの、心のより所のお寺だ。
戻る途中に五条新町の旧街道。一方通行に成っている昔ながらの旧街道。こんなに狭かったかなあ。。。高校時代にはちょくちょく歩いたよ。
本陣の信号から西の橋本の方へ行くと明治維新発祥の地、と大きな看板。
え、そうなの?全く知らなかった。気に成って少し覘いて来たよ。その頃は五条県に成ってたらしいね。
セレモニーホールでの本葬前。
母親には沢山の孫やひい孫がいる。ひなた達は昨夜のお通夜に来てくれたが今日は娘も予約の仕事で来れていない。沢山の孫や可愛い可愛いひい孫達。おばあちゃん幸せだっただろうと思う。
そんな子達を集めて祭壇の前での記念撮影。式場の責任者の方が声をかけてくれて良ければ撮ろうと声をかけてくれた。
お葬式で写真を撮るのはタブーかも知れない。嫌がる人もいるだろう。
でも僕も考えた時にその亀山のお寺さんに相談する。
こんな事して良いだろうか?と。いつもお寺さんは解り易く答えを返してくれる。
故人の為にしてやりたい、と思う事。それが一番です。どうぞして上げて下さい、と。
だからね、日本中、ハワイやアイスランドにも大西洋にも太平洋にも遺灰をまいた。初盆も終わっていないのに富士山やあっちこっちの鳥居もくぐったよ。
式が終わって最後の別れ。沢山のお花で一杯に成った母親。。。みんなの想いを一杯受けていた。本当に優しかった母親。母ちゃん本当にありがとう。言い尽くせないほど一杯ありがとう。
若い頃に大阪に出て一人暮らし。久し振りに田舎に帰って食べた母親の漬物とみそ汁。こんなに美味しかったのか。。とあの時初めて思ったよ。
母ちゃん、本当にありがとう。
月曜の夜に一旦家に戻り、また出かける準備。
お通夜や告別式にはモモ達は無理だからね、いつもの病院件ペットホテルに電話した。
病院の時間、9時過ぎにモモとマーキュリーを連れて行く。二人はお出かけと思って凄いテンション。一気に車に飛び乗る。けど病院に着いてゲートを開けると、違う雰囲気を感じるんだろうね。
車から降りたものの、モモなんかはすぐに凄い力で帰ろうとする。
ゴメンね。明日の夜にはお迎えに来るから。。。小さなランの柵の中から鳴きながら呼ぶモモ。。辛い辛い別れだったよ。
3時過ぎに五条の式場に着いた。
祭壇の準備も大体出来ている。お花が一杯飾られてとっても綺麗な祭壇だった。
着物に着替えさせてもらった母親はいつものように、すぐにでも優しく語りかけてくるような、とっても穏やかな表情だった。
沢山の田舎の人達がみんな集まって受付の準備もしてくれている。
予定通り19時にはお通夜が始まった。
今は契約職員だけどもお世話に成っている職場にも葬儀連絡は済ませていた。野球や家の都合で良く休むしこんな身分でも忌引き休暇が出るらしい。有りがたい。
ちょっとびっくりしたのはそんな職場からお二人がわざわざ津からお通夜に来てくれていた。五条まで飛ばしても片道2時間半以上はかかるだろうに。本当にいつも無理を聞いてくれてありがとう。
お経を上げるお寺さんは田舎の川を挟んだ向かいにあるふげんさんの住職さん。
三重にはあんまり真言宗のお寺は少ないが、この住職さんから雄一の時からお世話に成っている亀山のお寺さんを紹介して頂いた。ふげんさんの住職さんが高野山に居る時の後輩に当たる人が今もお世話に成っている若いお寺さんだ。
昨日の本葬が終わった後に、ちゃんとその時のお礼も今も本当に良くしてくれるその亀山のお寺さんの話しもしながらヨメと一緒に改めてお礼をしておいたよ。そのお寺さん達はこの7月には会う機会が有ったそうで亀山のお寺さんは僕達の事も話ししてくれていたようだ。
皆さま、いつも本当にありがとうございます!
お通夜の明けた朝、お酒で少し頭は痛いが疲れていてもいつもの様に5時過ぎには目が覚める。モモ達はいないが少し歩いて、朝食をお腹一杯食べてからはいつも行く五条の辯天さんにもお参りして来た。
心のより所のお寺 |
戻る途中に五条新町の旧街道。一方通行に成っている昔ながらの旧街道。こんなに狭かったかなあ。。。高校時代にはちょくちょく歩いたよ。
本陣の信号から西の橋本の方へ行くと明治維新発祥の地、と大きな看板。
え、そうなの?全く知らなかった。気に成って少し覘いて来たよ。その頃は五条県に成ってたらしいね。
セレモニーホールでの本葬前。
母親には沢山の孫やひい孫がいる。ひなた達は昨夜のお通夜に来てくれたが今日は娘も予約の仕事で来れていない。沢山の孫や可愛い可愛いひい孫達。おばあちゃん幸せだっただろうと思う。
そんな子達を集めて祭壇の前での記念撮影。式場の責任者の方が声をかけてくれて良ければ撮ろうと声をかけてくれた。
でも僕も考えた時にその亀山のお寺さんに相談する。
こんな事して良いだろうか?と。いつもお寺さんは解り易く答えを返してくれる。
故人の為にしてやりたい、と思う事。それが一番です。どうぞして上げて下さい、と。
だからね、日本中、ハワイやアイスランドにも大西洋にも太平洋にも遺灰をまいた。初盆も終わっていないのに富士山やあっちこっちの鳥居もくぐったよ。
式が終わって最後の別れ。沢山のお花で一杯に成った母親。。。みんなの想いを一杯受けていた。本当に優しかった母親。母ちゃん本当にありがとう。言い尽くせないほど一杯ありがとう。
若い頃に大阪に出て一人暮らし。久し振りに田舎に帰って食べた母親の漬物とみそ汁。こんなに美味しかったのか。。とあの時初めて思ったよ。
母ちゃん、本当にありがとう。