2013年12月26日木曜日

「永遠の0」 物語を続けていこう。

 今日は休みをもらっておじいちゃんのお見舞い。
ひなたも連れて、まずは雄一のお墓へ。
先週から、僕は来れていなかったので、今日は行っておきたい。

 お墓に行くと、少し花が増えているようだ。誰かがユリの花などを入れてくれたのか。
本当にありがとう、と言いたい。
歴代ワンコのモニュメントの前に有る座り石の上に、先日に買い集めたセブン・イレブンのバーニーズ2頭もお座りさせた。モモは連れては来れないけど、喜んでくれるかな。
また、年末には家の庭でも咲いて来た菊の花を供えてやろう。
 

 それから、奈良のおじいちゃんの病院へ。夏前に来て以来だろうか。
津から約2時間弱。
おじいちゃんの病室は個室だし、少しでも皆の気持ちがまぎれれば、とそのセブン・バニ2頭をそのままテーブルの上に飾って来た。
横にはここの看護職員さんからのクリスマスカードも並べてある。近所の幼稚園の子供達からだろうか、可愛い絵もかけられていた。

 クリスマスカードには大正12年生まれ〇月〇日生れ、と書いてある。大正12年と言えば、1923年、90歳だ。

 それからいつもの五条のお寺に参拝して帰って来た。そこには大きな門松も飾られていて、もうお正月準備を進めている。
めったに引かないおみくじをひなたが引きたいと言うので、やってみるとひなたは凶。
そして僕は吉だった。
 
 そこには勝負事は先手必勝!と有る。うん、それは徹して行きたい。
待ち人は遅れてやってくる??待ち人って誰だろう?誰が来るのかな?
楽しみにしていよう。

 そして家に帰って、大騒ぎで飛びつくモモと散歩して、映画「永遠の0」を見に出かけた。
何だか、この映画を見よう、と思ったのも必然だった様な、そんな気がする。

 先週からNHKの零戦のドキュメントを見ていた。真珠湾から特攻まで。
今年は宮崎駿のアニメ「風立ちぬ」も見た。あれも零戦設計者のお話。
そしてたまたまネットのニュースを見ていると
映画「永遠の0」21日から公開、のテロップニュース。
「何これ?」と見るとベストセラー小説の映画化らしい。それも零戦。

 それで、見たくなって来た。
先日の12日に結婚35週年で娘夫婦達と食事をした時に娘が何故かシネマのチケットをくれた。
なんだか、その流れに成っているんだよね。。。

 その「永遠の0」 http://www.eienno-zero.jp/index.html

一言でいえば、素晴らしい映画でした。邦画は殆ど見た事が無かったけど、サザンのサウンドと零戦の戦闘から映画は始まる。
自分の本当のおじいちゃんは特攻隊員だった事を知り、そのルーツを探して行く。。。

 物語の流れも解りやすく、どんどん引き込まれて行く。
泣かされました。
映画の中で心に残った言葉

 「僕は死んでも帰って来る。死んでも生まれ変って必ず君の元へ帰って来る!」

 「死んだ人の為に、生かされた者は物語を続ける事。。。」

 主人公のおじいちゃんは大正8年生まれだったかな。
そして戦死したのは26歳の時。雄一と同じだ。

何だか、物語は、僕にとっては周りの事が全部つながっているように思える。。。
一生懸命、生きて行け!と言う事だろうね。

2013年12月23日月曜日

零戦と天皇誕生日

 今日は天皇誕生日。
昨日と違ってお天気も良く、風も無くて外に居ても寒さは感じない。昨日は本当に寒かった。
練習を終えて家に帰って、モモと散歩して、冷え切った体を熱いお風呂に入れてやっと行き返った感じ。
 
 先日のNHKで零戦の終戦までの記録を綴ったドキュメントを2日間にかけてやっていた。
零戦と言えば、僕達が子供の頃は良くそんなプラモデルを作っていた。戦争の悲惨さなどは何も感じる事無く、そんな高性能な戦闘機が子供心にあこがれみたいなのが有った。

 もちろん大きく成ってその悲惨さを充分に理解しているつもり。沢山の玉砕が有った事も知っている。もちろん神風特攻も。
今年は宮崎監督の「風立ちぬ」も見た。病気の妻を思いながら、当時世界最高と言われたその零戦を設計した技術者の物語。

 NHKのドキュメントには開戦当初の零戦の活躍から、アメリカの物量に次第に劣勢になり、零戦よりも更に高性能な戦闘機が出現してその差は決定的に成る。
零戦は確かに高性能だけど、機体は軽量化でとても薄い。グラマンは機体の鉄板も厚く、操縦席回りは防御版と防弾ガラスで覆われている。機銃が当っても火を噴かない。

 それから零戦での特攻が始まる。。誰が考えたのか。正気とは思えないけれど、それがその時は正しいとされたのだろう。
先の昭和天皇はその事を最初から知っていたのかな。。。多分、止めれる人は天皇しかいない。

 雄一が亡くなってから、こんなドキュメントを見る度に泣いてしまう。どんな事が有っても、そんな事は有ってはいけない事。
映画や物語では、特攻や玉砕を覚悟した突撃の時に
「天皇陛下、バンザイ!」と叫ぶシーンが良く出て来るが、僕はそうは思わない。
そんな事よりも、もし、その時に成ったら本当は母親や妻や恋人や子供達の名前を絶対に呼ぶだろう、と思う。

 今夜のニュースでの平成天皇のコメントには、先の戦争の事や、その戦後復興を果たした人々の努力や大震災の事、その後の復興の事にも、丁寧にやさしく話されている様子を見て、僕は感動を覚えたね。
 僕は天皇崇拝者でも無いし、誰があの原稿を書いたのだろう・・・とも思ったが、思うところは同じ。

 あんな事が絶対に有ってはいけない。年をとって死んで行くのは道理だけども、子供が親より先に逝くのも有ってはいけない。
難病や治療方法の無い病気も時代がこれだけ進歩していても、増えて来ている様にも感じる。

 この21日から映画、「永遠の0」も地元の津でも公開に成った様だ。
これも、自分のおじいちゃんが零戦乗りで、特攻を志願する・・・その様をたどる映画の様で、小説もベストセラーに成っている様だ。それは知らなかったけど、機会が有れば読んでみたい。
まずは時間を見つけて映画に行こう。

2013年12月17日火曜日

セブン・バニとクマモンとモモ

 ワンコ仲間のフェイスブックの仲間から、セブン・イレブンにバニーズのぬいぐるみが売っている・・との情報。
そんな話を昨夜にしていたら、母親が帰りに1頭、買って来た。

 それは小さいけど、本当に可愛い!
また欲しく成って、夜に近郊のセブン・イレブンを3件回って2頭ゲット。同じような他犬種のぬいぐるみも4,5頭有るみたいだけど、バーニーズは人気の様だね。
1頭980円。3頭とも成ると安くは無いけど、何だかとてもハッピーな気分です。

 雄一の仏前にも置いてやろう。
モモは全部舐めまわして、気も済んだようです。
でも、オウム返しをするクマモンが一番気に成るようです。

2013年12月12日木曜日

35周年と20年目のブルゾン

 今日は12月12日。
長い間、何もしていないが・・・今日は35年目の結婚記念日です。。。
良く、持ったね。。不思議なくらいに。

 仕事を休んで、何をする訳では無いけれど、まずは雄一のお墓へ。ハワイから帰ってすぐに仕事を始めたので、何にも片付いていない。モモの部屋のすだれも日よけも扇風機もやっと、今日に片付けた。土日が野球なので、本当に他の事は何もする時間が無い。

 
片付けを終えてお墓へお花を入れ替えて、お線香を上げて・・・。
仕事の出勤前などに毎週来てはいるけれど、1人だと淋しいだろうね。また来てやろう。
そして、すぐの津駅西口の娘のカットハウスへ。
髪の毛も、土日が野球だと切る時間が無い。今までも会社を休んだ時しか行けなかった。
娘夫婦も何とか、このお店でやりくりして頑張っている。
体を大事にして、仲良くやって続けてくれたらなあ。と思っている。

ヘア-サロン・ブリック
倉庫も片付けをして、モモとも沢山遊んで、夜はその35周年の記念では無いけれど、娘夫婦と孫娘も連れて、皆でしゃぶしゃぶのお店へ。
 コース料理も美味しい。滅多に食べる事も無いてっさもとても美味しかった。もちろんしゃぶしゃぶも。娘もお祝いに映画のチケットもくれた。ありがとう。
 皆、お腹一杯!本当に満足な、うれしい一日でした。

 そして、今日は20年前のブルゾンを着てみました。とってもハデハデなデザインですが、これはあのアイルトン・セナや中嶋悟が鈴鹿のF1で走った時に、鈴鹿で買った物です。
その頃、雄一はまだ幼稚園だったと思うけど、その時にペアで買ったんだよね。
あの頃は何度か一緒に来てスキーなどに行っていた。バイクにも乗った。

雄一との唯一のペアルック・ブルゾン
その雄一のペアの小さなブルゾンが、先日片付けをしていて、思い出した様に出て来た。
だから、もう一度着たかった。もうペアでは着れないけれど。。ずっと大事にしよう。

 雄一のお墓にはいずれ僕達も必ず入る。だからゴールはそこ、決まっている。
僕がやらなければいけないのは、それまで、どれだけしっかりと生きれるかだ。
雄一に笑われない様に、しっかりと生きていこう。
 

2013年12月4日水曜日

変らぬ思い。

 はや今年も12月となった。
ハワイから帰って仕事を始めて、一月に成る。
一つの区切り、と思っていたが、気持ちは何も変わらない。

 朝、車で出かけると・・・、帰りの車の中は・・・。
思う事はいつも同じだ。
小さい頃の事や、入院していた頃や、苦しく成った時や・・・。
これは母親も一緒だろう。

 少しでも経験した事、勉強した事を役に立てる方法は無いかな・・・。
雄一の事を思いながら、そんな事を考える。

 先日のニュースで、南三陸町のあの津波で流された防災庁舎で、津波に流されて
「ああ・・もうダメだ・・・」と思ったところに一枚の畳が流れて来て、それにつかまって1人だけ助かった職員の方の話を流していた。

 流された皆が亡くなっている中で、彼は防災庁舎の鉄塔にしがみついていた人達が流されて行く様をスケッチにして残そうと、2年半経ってやっとその様な気持ちになった、と。
彼は、「これからずっと忘れない様に伝えて行きたい」と言っていた。

 いつまでも嘆き悲しんでいてはいけないが、前を見て自分達に出来る事をしてやりたい。
今夜はお花も買って来た。
お墓は近いし、明日また出勤前に行って来よう。

2013年11月25日月曜日

とっても嬉しかった事

 先週の22日。
自宅に帰ると小荷物が届いている。誰だろう?
差出人を見ると、高校の同級生からだった。

 小学校から高校まで一緒だった数少ない同級生。もう20年は会っていない。
毎年の年賀状だけのお付き合いに成っている。
今年は雄一の事が有ったので、ハワイから帰ってから喪中ハガキを出した。
それを見た彼が、お供えを送ってくれた様だ。
中を明けると雄一の好きそうな果物。
小さな手紙には

「息子さんのご仏前にお供えしてあげて下さい」と。たまらなく涙が止まらない。

 今回のハワイ旅行は本当に充実した旅行だった。
沢山の場所に遺灰をまいて来たし、これを一つの区切りに、と思っていたけど、区切りなんてないね。可哀想でたまらない気持はずっと変わらない。

 これからも同じように。。。またお金も貯めてハワイへ連れて行ってやろう。

2013年11月14日木曜日

捨てる神あれば、拾う神あり?!

 ハワイから帰って、すぐその翌週から仕事を始めました。
簡単な仕事ですが、まず始める事から少しずつ戻そうと思っています。

 何人か、そこには奈良や三重の野球の有名校を出た管理職の方が数人おられて、僕が少年野球を指導させてもらっていると言う事を知ると、良く話をしてくれて、もうチームのホームページも見て、中味も見て感心されていた。
若い頃に取得した資格が有ったのも要因だと思うけども、二十人近くの中から、僕を選んでくれたのは、そんな事が一番の要素では無かったのか、と感じる。

 これも直接では無いけれど、野球を通して人との気持ちのつながり。
どこで自分の為に成るか解らない。
先日の野球の交歓大会では、知り合いとバッタリ。参加チームの中に父兄で彼は来ていた。

 11月9,10の交歓大会の開会式。安濃球場の場内マイクはまだ壊れていて使えない。これまで使っていた古いレーザーカラオケのアンプは9月の積水ハウスの大会の時に壊れてしまってマイクは1本しか使えない。
「どうしよう。。。  」と悩んでいたが、大会直前に成って、市の鉄ゴミの時にカラオケアンプが近所に出して有る。迷わず家に持って行って電源を入れると、ちゃんと使えるね!!
 これで、今年の交歓大会の開会式は例年以上の出来でした。

 捨てる神あれば、拾う神あり?
ちょっと違うかも解らないけど、不思議とそんな事で僕の回りはうまく回ってくれている。
そう、感じた週間でした。

 ハワイでのスカイダイビングのビデオがPCに変換するのが、中々上手く行かなかったけど、やっと出来ました。
私のYou Tubeのページにアップしたので見てやって下さい。
yukikoのも有ります。

 20131030 yasuhiroのスカイダイビング ビデオ
20131030 yukikoのスカイダイビング ビデオ

2013年11月4日月曜日

スカイダイビング!!

 ハワイでの10月30日。
雄一の27回目の誕生日に成るはずだった、その日のスカイダイビング。
雄一が2010年に飛んだ、同じ場所、オアフ島ノース・ショア、パシフィック・スカイダイビングで撮ってもらった沢山の写真をつなげて、スライドショーにしてみました。

 You Tube の私のページにアップしています。

凄い体験でした!
娘も同じ飛行機で飛びました。
上空4000mから、時速200㌔でのスカイダイビングです。

見てやって下さい。
 2013/10/30 yasuhiroのスカイダイビング IN ハワイ



2013年11月3日日曜日

導いてくれた最高のハワイ!!

 昨日はハワイ時間、11月1日。午後2時半のデルタで帰ります。そして日付変更線を越えてセントレアには9時間ちょっと。日本時間の11月2日、午後7時過ぎに成ります。
31日の夜は本当に深夜まで、カラカウア通りは大賑わいだった。シェラトンの部屋まで、声が聞こえてくる。ひなたや娘達は遅くまで、一緒に成って遊んでいた様だ。
 
 1日に朝は、もう最後だし11時にはチェック・アウト。
大方の片付けを終えてから、シェラトンのプライベート・プールとワイキキビーチへ出かけた。
時間は8時半を回り、まだそんなに人はいない。
沖合にはヨットも走っている。左手にはダイヤモンド・ヘッド。
本当に素晴らしい情景だ。何度見ても素晴らしいと思う。
 
 抜群のロケーションのAクラスのビーチも見えるホテルの部屋に泊って、今こんな事が出来るのは、本当に幸せな事。
雄一の事はこれから一生、弔って行くけれど、雄一が導いてくれたのは間違いが無い。
だって、何も無く、いつもの様に過ごしていたら、定年してのんびりするまで、家族でこんな事なんて、考えも付かないと思う。

 31日に天国の海に行った時、雄一の遺灰は小さなプラスチックケースに入れて水着のポケットに入れていたが、サンドバーに降りて写真を撮ったり、しばらく浅瀬で遊んでいるうちに、ポケットから居なくなっていた。
 束縛されるのは嫌がる雄一だから、雄一が、自分で勝ってに泳いで行ったのかもしれないね。。。
ハワイ島にも、オアフ島にも沢山の場所、想いの場所で遺灰をまいて来た。

 雄一の供養に成るかどうかは解らない。けれど、やりたかった事は大体出来た。
一つ残ったのは、有名なシェラトンの隣に有る、ハレ・クラニのサンデーブ・ランチだけだ。
もう、暫らくは来る事も出来ないだろうけど、また、いつか必ず来て、皆で行こう。

 スカイダイビングしながら、地上の素晴らしい景色を見ている時、
「これは神様が見る、視線なのか!」そう、感じたね。
雄一も、きっとあの様に大空から、僕らを見てくれていると思う。

 素晴らしい1週間だった。またこれから元気に頑張って行こう。
チームの皆様にはご迷惑をお掛けしました。
今日から、また子供達と頑張って行きます。
皆さん、ありがとう!!

 

2013年11月2日土曜日

天国の海とこの木なんの木

 ハワイ時間1031日。
今日は天使の海のツアーへ。ツアー会社によっては天国の海とも呼ばれていて、通常はこちらの方が知名度は高いかな。同じ場所へ行くのでも、ツアー会社で名前も時間も違う。大体が早朝からお昼を超えるツアーが多いので、自分達に有ったツアーを探すのも大事な事。
 今回は午後には、ひなたが行きたがっていた、ノース・ショア手前のドール・プランテーションに有る巨大迷路。それに、この木なんの木・・で有名なモアナルア・ガーデンに有る巨木も見て見たい。だから朝のツアーは出来るだけ早くワイキキに戻れるツアーにした。

7時過ぎに出て港から船でカネオヘ湾のサンドバーへ向かう。雄一達も3年前にここに来ている。サンドバーは湾に浮かぶ浅瀬の事で、潮が引くとそこが海からぽっかりと顔を出す。海底から成長するサンゴの死骸が砂に成って浅瀬になっているところで、このカネオヘ湾はそれが世界最大という事らしい。
 そのサンドバーからすぐ外れるとサンゴが山の様に重なってその横は一気に深くなっている。シュノーケリングしていると魚も沢山寄ってくる。船上からは今は完全に保護されている海ガメ達も沢山ゆったりと泳いでいる。

 少し離れて見てもそのサンドバーはサンゴの白い砂で海の色が違うし、確かに綺麗だ。ここは沢山のCMのロケにも使われているし、この周辺の山々はジェラシックパークやロストなど、他のロケにも多数使われている様だ。
今日は潮が完全にひいて陸地に成るところまでは見れなかったけど、時間をかければそれも可能だろう。ツアーの予定より少し遅れてワイキキに戻って来た。
 水着を着替えて、1時過ぎにレンタカーで、ドール・プランテーションへ向かう。娘もナビの使い方に慣れて来たし、僕も車にも右側通行にも大分慣れた。予定通り2時頃にはドールに着き、少し遅い昼食。ここはその名の通り、パイナップルのドール社のプランテーション。小さな機関車が引くプランテェーション内のツアーも有る。
ハロウィンにちなんだイベントも有る。巨大迷路に挑んだ娘達は1時間ぐらいで出て来たが、子供でも半日ぐらいの規模かな。


 そこからまた戻って、この木なんの木のモアナルア・ガーデンへ。ここにも順調についたが、入り口が解らない。もう、ここはナビでも解らない。カンで行くと一発で駐車場に
入った。あのCMは確か日立。その日本語ののぼりも見えた。


 実物は確かに大きい!それもしっかり手入れされている。CMに出てくるその木はすぐに解ったが、他にも沢山有るね。写真を撮っていたら年配のここの管理人の様な日本人が「撮りましょうか?」と声をかけてくれて、色々話しながら撮ってくれた。僕には日立を定年退職して悠々とのんびりハワイで生活している・・そんな感じがするような、しっかりと受け答えが出来る礼儀正しい人だった。
 それからはワイキキのホテルに戻って、ハロウィンで混雑しにぎわうカラカウア通りのに、レンタカーを返したが、ガソリンはもう後1/4ぐらい。そのままで、返してフィニッシュ。今度も来る事が有ったら、絶対レンタカーだね。

 
 今回の旅行ではハワイ島で1日、オアフ島で3日、レンタカーを借りたが、結構有意義に時間も有効に使えたし、しかもそんなに高くない。慣れれば、余り行けなかった東の海岸ももっと走れるだろう。
 
 そしてこの日はアメリカはハロウィン。このワイキキのカラカウア通りには10時を過ぎても益々人は、おかしな人は一杯増えてくる。皆、本当に楽しんでいる様だ。
 カメラを向けたくないような物も結構いる。0時に成っても勢いはおとろえない。明日はまだ金曜のハズ。これがアメリカかな。でもね、日本人がかなりの割合ではないかな。特に変な恰好している人は。日本人の気質もかなり変わって来たね。
 
ひなたは学校をさぼって来ているので、まだまだ遠慮がちな様相。

 11月1日は残念だけど、日本へ帰ります。日付が変わって2日の土曜の夜に。

 

2013年11月1日金曜日

グレイト!!グレイト!!な一日

 1029日、シェラトンを出てレンタカーを借りるとそれはシボレーのまだ16マイルしか走っていない新車。室内を見ると中々アメリカ車も良くなってきたな、と感じるね。
  
 
 アメリカのレンタカーのいいところは使った後で満タンにしなくてもいい事。もちろんそれなりの契約だけど、受け渡しの時は日本ほど細かく車のチェックはしない。使い方によってはコンパクトカーなら180ドルぐらいだから、1日でガソリンを使い切るような使い方をすれば、レンタル代なんて3040ドルぐらいになるね。これは安いと思う。

 ハイアット・リージェンシーの大きなビルの地下から車を出したが、まずどっちに行けばいいのか解らない。小さなナビは着いているが表示は英語。娘が地図を持ちながら、ナビの画面を見てナビゲーターするが、フリーウェイに乗るまでも、乗っても何度か道を間違えた。方角は解っていても、ホノルルは一方通行が多いし、ナビのマイル表示での案内の距離感が中々つかめず、交差点を間違えてしまう。

 ノース・ショアに着けるかな・・・と思っていたが、それでも2時半頃に出て、4時過ぎにはワイメアビーチに着いた。

このオアフ島の北側はサーフィンのメッカ。ワイキキよりは、治安も環境も余り良くはない感じだ。
 スカイダイビングをする飛行場辺りを下見しながら、次はサンセットビーチを目指して走る。車にも慣れて来てちょうど日没前にサンセット・ビーチに着いた。
 さすがに素晴らしい景色だ。オアフ島の西の岬は山が高く、道路は無くて車では一周出来ない。長い美しいサーフィンのメッカのビーチのその岬の北側に夕陽が沈んで行く。
今日も少し雲に隠れたが、とてもキレイな夕陽だった。ここにも遺灰を。 

 夜になった帰りも少し道は間違ったが8時頃にはホテルに着いた。右側通行には大分慣れたけど、ハワイ島と違って、ワイキキやホノルルは地理とフリーウェイを覚えないと、一方通行は多いし、車も人も日本の大都会並み。ナビや地図が無かったら、まず目的地へは行けないね。
 そして今日1030日はスカイダイビングへ。早朝にバンが迎えに来る。
 ワイキキから飛ばしてノースショアの飛行場まで8時過ぎには着いた。このパシフィック・スカイダイビングセンターは雄一も飛んだ、同じところだ。

ダイビングで死んでも一切文句は言わない、と言う書類の沢山の項目にチェックを入れてサインしていく。そして2便目の順番が来て飛行機へ向かったが、乗る前に左の車輪がパンク。この交換に1時間近くかかってやっと乗れたのは10時過ぎだった。

飛行機は離陸して一気に上昇していく。眼下の離れていく景色を見ながら、「マジで・・・」とも思ったけど、その景色は高度を上げる度に、まさにビューティフルでは言い表せないぐらいの素晴らしい景色だ。ワイキキから北のノース・ショアの方まで見える。この景色を見るだけでも価値が有る、そう感じる。もう恐さも全然ない。後は任せて思いっきり楽しめばいい。

高度計の7000フィートぐらいまでは時間がかかったようだが、そこから12000フィートは早い。大方4000m。富士山よりは高い高度だ。
そして赤ランプが着いてダイビング準備。そして一気に飛び降りて行った。
 下での説明では、ダイビングの姿勢をして、1,2,3でジャンプ!と言っていたが、それも無いぐらい一気!
宙返りして、インストラクターがすぐに体勢を戻してくれて両手を広げたダイビングの姿勢に成る。恐さなんて感じない、時速200キロで落ちる異次元の世界だ。4000mからでもその間はほんの1分ぐらい。そしてパラシュートを開いて、一気に体が持ち上げられた感じ。それから暫く旋回しながら同じところへ降りてくる。気圧の変化だろうか、パラシュートが開く少し前から頭が痛くなったが、降りるとすぐに楽になった。足が冷えたりすると頭が痛く成る。その持病の少しきつい感じ。

 スカイダイビングは年齢18歳以上。それにハワイ島の山頂ツアーも4000mを超えるが、これも18彩以上で上限は65歳と有る。もちろんひなたは飛べない。 その年齢制限の理由はこちらで聞いたら、子供は脳に行く血流酸素がまだ少ないので、急に高度の高いところへ行くと危険、そういう事だった。それなら理解できるね。富士山でも2500付近で12時間は高度に体と言うか頭を慣らすんだから。
 この日は娘も飛んだけれど、ひなたはあと7年かかる。その時には僕は一緒に飛べないかなあ。
 けれどもその体験は本当にグレイト!!グレイト!! 素晴らしいでは表現しきれないくらいグレイトだった。ダイビングの様子はCDやビデオに撮ってもらったので、日本に帰ったら、またまとめて紹介します。

 そのビデオとCDをもらって、ワイキキには1時前には戻って来た。予想より早かったので、これからなら、ツアーでは、とても有名で、日本にも店が出来た、なカフェ・カイラへレンタカーで行く。
 ナビで住所を検索して行くと、そこはコンビニぐらいの小さな店。ここにツアー客達が押し寄せてくるらしい。全米一美味しい朝食と話題になったそのボリューム一杯のメニュー。午前中は列が出来るが、2時がオーダーストップの様で、この時間がねらい目の様だ。

 確かにそのメニューは美味しくてボリューム満点。娘とひなたは一人分で余るぐらい。本当に美味しかった。今回の旅行で、このカフェ・カイラに行きたいと思っていたが、上手く時間が作れて本当にラッキーだった。

 その後はシェラトンのプールとワイキキビーチ。本当に沢山の人が泳いで、寝転んでリフレッシュしている。こんな時間は人生の中ではやっぱり必要だね。僕達は本当に恵まれている。感謝しないと。
 そして今日は雄一の27回目を迎えるハズだった誕生日。お姉ちゃんはその2日後の111日だ。夜は予約していたシェラトン近くの田中オブ東京へ。
去年の雄一も一緒に来た時もここに来た。今日は雄一はいないけど、お姉ちゃんと一緒にお祝い。最後に小さなケーキも用意してくれて、周りのお客さんもスタッフも手拍子でお祝いしてくれた。美味しい料理と楽しい一時、
 


また来れるように頑張って行きたい。

2013年10月30日水曜日

初めての素晴らしいハワイ島

 今日はハワイ時間、10月29日。夜10時を過ぎました。
やっとまともにWi-Fiがつながり、まとめてアップします。
27日の日曜。
練習を3時に抜けさせてもらってハワイへの準備。まずモモちゃん。
何も知らないモモは普段とは違う時間の散歩にも大喜びで、走ってくる。その後に車のゲートを開けると一目散に飛び乗る。。。
いつものペットホテルへ行って、帰るまでとてもブルーな悲しい気持ちだった。モモはホテルの施設から必死で帰ろうとするんだよね。。。ごめんねモモ。

セントレアは夜の910分発のデルタ航空。予約を入れた時はJALも使えたが、安かったのでデルタに。でもね、前回のJALのサービスにはとても満足していたので、暫くしてJALに代えて、と頼んだが、もう席は無かった。これはやっぱり大失敗だった。

デルタの機内、座席は一回り狭い気がする。音もうるさい。リクライニングも殆ど効かないし、ホノルルに着くまで殆ど眠れなかった。座席の前のモニターもJALの様に日本人向けでは無い。映画も日本語や字幕は殆ど無かった。ビジネスクラスでも大した事は無い。

ホノルルに着いてハワイ島へハワイアン航空に乗り換え。今は自分で航空券をモニターを操作して出すんだね。これもツーリストの案内が居てくれたから解ったけど、要領の解らない人はとっても苦労するだろう。
ここでの乗り継ぎに約3時間もかかる。その1時間前のコナ行の便に充分に間に合ったのに。これもデルタを使ってしまったからかな。JALなら1時間ぐらい後にホノルルに着いていたから丁度良かった。

外は暖かいが、空港内は冷房が効きすぎて、長そでを着ていてもとてもいられない。外人さんの思いっきり脂肪の着いた人達が本当に沢山いるけれど、彼らはTシャツ、半ズボン。1時間以上、外の通路のベンチで軽い昼食を取りながら休んでいた。
ハワイアン航空に乗って、疲れも寝不足も有る。離陸する時はすでに意識は無く、すっかり寝込んでしまった。

コナに着いて、ホテルまで送迎してもらう。高級リゾート地に有るフェアモンド・オーキット。さすがにとっても綺麗で部屋も広い。海もすぐそこにプライベートビーチ。綺麗なプールも有る。僕達のレベルなら何にも文句は無い。
翌日の早朝にも貸切状態のプールで、ビーチで本当に気持ち良く泳いだ。

ホテルに着いて予約していた、ダラーレンタカーへ。
そこには日本語を話せるスタッフはいない。ネットでの予約確認票を持って、借りるまで1時間近くかかってしまった。
ジープを借りて皆でドライブに出発。もう4時を過ぎていたからそんなに時間は無い。
ハワイ島の最北に向かって走ると日本語ナビが、
「もうすぐ、マウナビーチです」としゃべる。全米NO1ビーチに選ばれた事も有るビーチらしい。

でもね、そこへ行くととてもローカルな雰囲気で、日本の様なごちゃごちゃした物が無い。でもシャワーや施設はセンス良く整っている。近くにはリゾートホテルも有る。暫く波とたわむれ、ここに遺灰を少し。

 そこから最北端まで行くつもりで走って行くが、やっぱり遠い。夕日は落ちて来るが岬まではまだまだかかりそうだ。途中の小さなビーチで夕日を。
車を止めて写真を撮っていると、近くのおじさんが親切に声をかけてくれてシャッターを押してくれた。

 その後はコナに戻りワイコロアビレッジの中で食事と買い出し。どこも冷房が効きすぎ。ショッピングセンターの中には僕はとても居られない。
体調を崩してホテルへ帰って来た。

 2日目、現地では28日。早朝、暗い内から目が覚めてホテルビーチ内を散策。星空はとても綺麗だ。暫くまた眠ってから貸切状態のプールとビーチへ。プールの水温は暖かい。ビーチは少し冷たいが寒さは感じない。
こんなところでゆっくり時間を過ごせたら、病気なんてならないだろうね。
 昨夜にワイコロアで買って来た朝食を食べて、9時頃からママナウケア、キラウエアなどの火山、ブラックサンドビーチやアメリカの最南端に位置するハワイ島のサウスポイントの夕日まで。まる一日のロングツアー。
 
 ホテルに帰ったのは夜の8時過ぎ。地図で見ると7割ぐらいの面積を走ったが、ハワイ島は広い。駆け足だったので、火山周辺を長くは散策出来なかったが、もし、また来れる事が有ればもっとゆっくり見てみたい。

 ハワイ島。ここは人も少ない。高級リゾートもまだまだ少ない。ビーチもワイキキよりはずっとローカルっぽい。火山の迫力や雄大さもスケールが違う。
 このツアーで案内してくれたガイドは横浜に4年程いたというガイドで運転しながらずっと、説明を続けてくれる。毎年、ガイドのテストが有ってそれに合格しないとこの仕事も出来ないらしい。
 日本の歴史にも、星座にも、もちろん八ワイの事にも、とても詳しく良く知っている。冗談を交えながら色んな事を説明してくれた。
ブラックサンドビーチはその名の通り砂が黒い。幸運なら海ガメが見られると聞いていたが、この日は数頭の海ガメがひなたぼっこをしていた。

 夕刻にサウスポイントに着いた時に、彼はミクロネシアの出身らしいけど、その祖先達が、800年前にハワイ島へ来た時に、カヌーを係留する為にロープを止める穴を海岸の大きな石に空けた跡が沢山残っていて、「これが、800年前の物。それがここには残っている」と説明してくれた。
 また、その頃の王様が、朝日を見て今と同じサンセットを見る為に座っていた石のイスも沢山の石を積み上げられた遺跡の中に残っている。

 本当にローカルなところで、そんな説明表示も無い。彼が居てくれなかったらそんな事は解らない。彼はこのツアーでは、これを説明したいんだ、と言っていた。
何だか名残惜しい場所。神聖な場所でもある。パワースポットでもある。
夕日が沈む前にここにも遺灰を。
夕日は雲に少し隠れたけれど、印象深いサンセットだった。

 ハワイ島では流れた溶岩の中に道路が有って、その両脇の溶岩の山にはサンゴで並べた石文字が道路を走ると沢山見える。
日本ガンバレ!の文字も目に着いた。
 このサウスポイントにもサンゴの白い殻は沢山転がっている。
遺灰をまいてやったところの近くにYUICHIのサンゴの文字を皆で並べた。
見てくれているかな・・・雄一。

 そして今日、29日は名残惜しいハワイ島を後にしてオアフ島、ワイキキへ。
このコナ空港の出発検査は一番厳しかった。日本やホノルルを出る時に通って来た物が全部調べられる。国内線とは言え、安全の為には仕方のない事かもしれない。
ホノルルからシェラトン・ワイキキへ。
ここも素晴らしい、オーシャンビューのホテルだけど、部屋はハワイ島のフェアモンド・オーッキッドの方がずっと良いね。ただここはWI-FIが自由に使える。やっとこれでネットにもつなげるし、携帯もWI-FIでつなぐ事が出来る。ハワイ島でもWI-FIは整備されているが、全部有料でサインインしないとダメだった。

 これからレンタカーを借りて、オアフ島の北側、ノース・ショアへドライブしてきます。