2024年12月28日土曜日

またCT検査。。

 先週日曜の午前の訓練途中。。訓練用ベッドの上でリハビリを受けていた後に、一旦上体を起こした時に、目まいを感じた。その後も少し訓練を続けたが、頭がおかしい。。平均感覚が取れてない感じで、暫くその場で休憩をして、周りを見て少し歩いて、何とか終えた。それから病室で休み、調子も戻って来て、午後からのリハビリには、ほぼ普通に終えた。

 そして翌日の起床時。。起きようとすると天上が回ってるよ。。時間をかけながらゆっくりゆっくり起きて椅子に座り、看護師さんに血圧を計ってもらう。少し高い。。何とかリハビリはこの日も終えたが、原因が解らず、翌日がまた心配。。そして火曜日の朝。。目まいは減ったが、調子は芳しく無く、看護師さんには何とか早めに検査でもしてもらう様にお願いした。

 そして午後から、CTの検査が入った。2時過ぎからのCT検査では細く長くて固い機器の上に寝て、クルクル回るCTの中に入っていく。。それだけで気分が悪く成ってしまった。頭だけなので、早くは終わったが、身体を起こしても暫く目は回りそうで気分も悪い。。CT室を出て、暫く椅子に座り気分が戻ってから、自分の病室へ戻って来た。

 そして4時過ぎに主治医の先生が来てくれる。「あんた、大丈夫やで。良く成ってるよ!」検査結果も見せてくれる。「ああ、良かった!ホントに良かった!」これで頭、脳の心配は無く成った。来てくれていたヨメも大喜びで帰っていったよ。でも原因は何なのかな。。それは解らないが、直らなくても付き合っていけばいい。完璧には成らないんだから。

 ホントに一時は、「また車イスか。。」と頭をよぎったよ。。あれから水曜日以降、朝の起床の時の目まいは殆ど無く成ってきた。調子が悪そうな時は早めに休み、その合間のリハビリ訓練もずっと受けている。もう少しだ。頑張ろう。

2024年12月21日土曜日

般若心経を書こう。

 今日はいよいよ冬至だね。これから冬本番。先日は病院の窓から見える早朝の景色にも霜が多く見えた。病室の温度は日中は24度前後だが、今朝は21度まで下がる。おそらく外は4,5度ぐらいかな。病院の中は季節感が全く無いが、これから外は冬本番だ。最近のニュースではインフルエンザが流行してるみたいだね。今朝のLINEのチーム連絡を見ても休みが多い。練習は明日で練習収めに成るが、お正月の間にしっかり体調を整えて欲しい。

 このお正月も帰れないが、今の感じでは後一か月という所かな。何より歩ける様に成ったのがありがたい。これが長引いていたら退院も解らない。まだまだ右足の弱さは大きく感じるがしっかり強くして行きたい。毎日、合間に病院内を右足と相談しながら10周以上は歩く。寒い中でも療法士さんと一緒なら、病院の外へ出ても歩く。短い時間だけどね。

 右手はまだ相変わらず。。指先の回りの神経がまだ戻らない。指先の腫れもまだ収まらない。毎晩、湿布もしてマッサージもしているが、まだ変わらない。それでも食事はハシで、何とか食べている。時々人差し指が遊んでいるけどね。文字書きは左手でやる事に決めて、右手の練習は今はやめている。今、無理にやっても鉛筆を飛ばしてしまうので、意味が無いんだよ。

 左手ではかなり書ける様になった。ゆっくる書けば困らない。おそらく退院しても何とか左手で出来ると思う。左手での文字の練習はノートに名前、住所や色々書いて練習している。最近読んだ立命館アジア太平洋大学の学長、出口さんの著書は2回読んで、2回目はPCにメモしながら読んだ。同じように脳出血で右半身不随と成った出口さんの、言葉には納得する事ばかりだ。彼は左手での文字練習に、小学生が使う古典のなぞり書きのテキストを、「枕草子」や「奥の細道」、その他の古典文学などを全部やり切ったらしい。僕はそこまで出来ないが、言語聴覚士さんが、お経の般若心経にまつわるテキストをコピーにて用意してくれた。般若心経は子供の頃から、お婆ちゃんの隣でいつも聞いていて、今でも殆ど覚えている。その般若心経に関する写し書きのテキストをこれからやるつもりだ。

2024年12月15日日曜日

理学療法士、作業療法士、そして言語聴覚士

 先日の立命館アジア太平洋大学、学長の出口さんの著書は金曜には一気に読みほした。日本史から世界史、古代まで、多くの著書を持つ出口さんに大変興味が沸いて、また一つ本を頼んだよ。今なら読む時間はタップリ有るからね。ちょっと勉強もしてみたく成って来る。

 彼も僕と同じ、理学療法士、作業療法士、そして今は言語聴覚士の先生がいて、それぞれの療法を僕も受けている。それらを受ける患者は一日それらで3時間と決められていて、それ以上の時間は受けれない。後は自主訓練に成る。自主訓練と言っても、療法士さんが事故の無いように認めた範囲でしか出来ないので、そんなに出来る物でも無い。今の僕は自由に歩けるので、病院内も歩き回っているが、それまでの自主訓練は中々難しいのが現実だ。病院の壁には手すりが有るので、歩ける様に成るまでは、車椅子を止めて立ち上がり、そこで手すりを左手で持ちながら、足首、膝、腰の筋力アップはやって来た。

 言語については、僕も最初の頃は、言葉が出ない、言い出せない症状は有ったが、それらは割と早く改善して来た。食事ではずっと左手で食べていたが、食こぼしなども多く、ビニールのエプロンを付けていたが、2か月が過ぎてそれも無くした。今は右手でのハシでの食事。これがまだまだ右手が思うようには動かず、難儀しているが、退院までこれでやり抜く。

 理学療法は足の回復、作業療法は上半身、腕の回復、食事やトイレ、入浴まで。自分で言うのも何だが、足はまだ弱いが、もう大丈夫だ。ただ作業療法についてはまだまだ腕、肩周りの動きが残る。先日、作業療法士さんとも色々話もして、肩、肩甲骨周りの状態についても色々アドバイスを頂いた。

 入院当初から車椅子を卒業するまでのその身体の姿勢に大きな要素が有る。最初の右腕は荷物の様に重く、どこに当たろうが、ひねろうが、痛みも感じないので、その存在意識が無い。自然と右肩は下がり、肩甲骨が動かない、なよっとした体形に成ってしまう。寝て起きる時でも、関節の状態が良くないので、痛みが出てしまう。そんな事がずっと最近まで続いていた。せっかく訓練の間に肩甲骨を戻してもらっても、またすぐに車椅子肩に成ってしまう。そんな事を繰り返して来たが、最近やっと良く成って来た。歩く時も肩甲骨の位置をイメージしながら腕、肩を振る。今、残っているマヒは右手の指の4本だけだ。戻らないかも知れないが、脳には使えなくなった左脳のその部分を補う能力も有るらしい。とにかくハシの訓練は食べにくくてもやる。文字練習も状態良く成ればやっていく。

 出口さんは言語障害が重くて、途中から、言語の全体構造法の訓練を始めたらしい。これは普通は行わない方法らしいが、赤ちゃんが始めて覚えていく言葉、驚きや喜びを表す「あ!!」という言葉から、残念な気持ちを表す「あ・・あ・・」など、ちょっと文字で表すのは難しいが、おなじ「あ」でも意味が違う。あいうえおから、母音の練習を繰り返す。その強弱、イントネーションを一から勉強し直したらしい。その訓練をやり抜き、2022年の大学の入学式では彼がその祝辞をしっかりと述べている。ビデオでも見たが、ちょっと感動してしまったよ。

2024年12月14日土曜日

来年の目標

 今日は12月14日。僕が倒れて丁度2か月が経った。あっと言う間の2か月だったね。体重は5キロ近く減った。何より病院食だろうな。。高血圧対応はしてもらってるだろうし、仕方ないだろうね。ご飯は200gで、一時240gに増やしてもらったが、おかずも少なく食べるのが辛く成って、200gに戻してもらった。おまけにお昼にはプリンが一つ増えたよ。

 筋力も右腕は特に減っている。。肩から腕までが細く成った。今、やっと右腕も感覚が戻りつつ有って、肩、肩甲骨周りの訓練も痛みの無い範囲で進めている。足に比べて、腕周りの回復には倍以上の時間がかかりそうだ。もう、足は車椅子も昨日に無くなった。病室には着座イスだけ。全ては、杖を付いて歩く。杖を付かない時も有るが、基本はまだ安全第一だ。

 腕はやっと右でのハシの訓練も先週から始めた。まだまだ上手く使えないし、飛ばす事も多い。それでもとにかく右でやり続ける。右での文字練習は、指先がまだばらばらで、鉛筆も何度も飛ばしてしまうので、調子のいい時に限ってやっている。まだ指先の3本が上手くコントロール出来ない。出来る所までやり続けようと、思ってはいるが、右で出来なくても左手で出来るから、大丈夫だ。気にしない。

 退院目安はまずは入院後3か月。何かトラブルが有れば伸びるかも知れないが、おそらく来月それぐらいで、退院できるとは思う。後、1か月。やっと1か月。介護保険では津市から認定も決まって、在宅での、理学療法、作業療法士さんのサポートも1年間は受けれる様だ。どこで頼めるかは解らないけどね。

 いずれにしても、リハビリが始まった頃は足の親指だけが、ほんの少し動いていただけだ。2か月で、杖無しでも歩ける様に成った。本当に僕は恵まれている。皆のお陰だ。子ども達のお陰だ。本当にそう思う。ありがとぅ!

 先日は12月12日の結婚記念日だったが、昨日にはヨメがショートケーキを持って来てくれた。いつもありがとう。退院したら、まずマーキュリー。一杯、一杯可愛がってやる。そして来年の一番の目標はヨメとの時間をこれからはしっかり作る事。そして息子の法要。13回忌は寒い2月を少し遅らせて3月の桜の咲く頃にする。お寺さんにもお願いした。そして、もう一つは、今年は登れなかった富士山へ登りたい。無理なら富士山が見える山へ登りたい。それまでに予行演習の山登りもやっておかないとね。もっと元気に成ろう!

2024年12月12日木曜日

12月12日。。必死で生きよ!

 今日は12月12日だね。46年目に成る結婚記念日だ。まあ。。色々有ったが、初めて別々に過ごす記念日。これは仕方ない。いつもありがとう。

 先日の10日の夜、NHKの教育チャンネル、ハートネットテレビを見た。民放のバラエティーばかりのチャンネルは見る気が起こらず、巡っているとその番組に目がとまった。

 僕と同じ様に、突然の脳出血で同じように半身不随、言語障害と成った出口さん。僕より6歳年上で、現在は立命館大学の九州の学長を務める、僕とは大きく違う雲の上の人だ。調べると彼は津市の三杉町の出身でもあり、とても親近感が持てた。

 彼が入院後、見ざめた後の現実を知り、それでも大学に戻りたいと、3秒で決めたという。ダーウィンの「種の起源」から、

 「何かが起きた時、強い者や賢い者が生き残るんではない。その状況に適応したものだけがが生きのこる。」大きく変化した運命にどんな適応をし、どのように生きるかは自分次第。

  右腕は動かず、話する言葉も十分には話せないが、サインボードにマジックで左手で書いて、筆談を交えながら話す。。僕も殆ど左手で今は書くが、その姿にはとても説得力がある。

 今の子供達は知らないかもしれないが、インドの有名なかつての指導者、マハトマ・ガンジーの言葉も紹介して話す。

 「明日、死ぬと思って生きよ。永遠に生きると思って学べ。」

 僕は明日、死ぬかも解らない。 明後日に死ぬかも解らない。明日の事は誰にも解らない。死ぬかも解らないなら、必死で生きよ!と彼は言う。

 僕には充分には伝えられないが、要は、自分に本当に困った事が起きても、それは誰のせいでも無く、仕方のない事。それにめげず、人のせいにせず、それらを全部受け入れて、自分の一番やりたい事を目指して生きる。そういう事だと思う。

 出口さん(彼の)のそんな言葉に感動し、彼の多くの著書の中で、一つ、アマゾンで注文した。今日には家に届くだろう。病院でのしばしの合間に読んでみたい。


 三重大医学部でのその夜、薄暗い病室だったと思うが、iPadで、ヨメとの面談を担当の人が促してくれた。暗い画面から。「頑張って!」とヨメの声が聞こえた。

 武内病院で2,3日目ぐらいの時だったかな。ベッドの中で、右足の親指が少し動いた気がした。意識して動かそうとすると時々ほんの少し動く。。大きな可能性が見えた時だった。

 僕はまだまだラッキーで恵まれている。今は杖無しでも歩くぐらいに足は回復して来た。右手はまだ文字も上手く書けないが、左手で充分書ける様に成った。最悪右手が完全では無くても、ラッキー過ぎるぐらいに回復して来た。神様は少しでも人の為にまだまだ働け!と言ってくれている様だ。

 与えられた時間はいつまで有るか解らない。だから今をしっかり生きる!子供達にも、少しでも力になれたら嬉しい。

2024年12月6日金曜日

少し見えた見通し

  先日の夜は右腕の手の腫れが続き、深夜にも湿布をして寝る。この10日以上、その様な事が続いている。麻痺している箇所は腫れやすいらしい。。その様な日はリハビリ訓練に入るまで、湿布をしている。一月以上前から、右腕の手は腫れていたが、この10日間ぐらいは特にひどかった。

 そして、昨日はヨメも一緒に、リハビリ訓練を管理する先生を交えての面談会。足の訓練は歩行も開始し、かなり早い回復ぶりだ。そんな報告の中、先生は、「あと一月半ばぐらいまで。。」と言った。まあ、脳出血入院後、3か月は、という事だろう。僕はその言葉を受けて頭の中で、「あと一月と少し。。」とつぶやく。一月少々、、お正月は帰れないが、自分の気持ちの中では、やっと見通しが立った。

 それからリハビリの先生から、時間外でも杖をついての歩行はOKとの許可が出た。病院3Fフロア全部では無く、東側だけ。それでも南北に歩くと、往復7,80mぐらいは有るね。もう少し有るかも知れない。昨日から早速歩いて、朝などは10往復ぐらい歩いたかな。結構疲れる。半身不随になると、かつて有った筋力はゼロに近く成るね。。右足も右腕も。。右足はかなり早く神経は戻って来たが、筋力を比べるとまだまだ本当に弱い。まだ、もっと訓練しないといけない。まだ神経が完全には戻らない右腕はすっかり細く成ってしまった。左腕よりも太かったと思うが、今はその反対だ。早く復活してこれからは訓練有るのみだ。

 そして、昨日の夜から少し右腕に変化。夜に成っても腫れも少なく、熱も帯びていない。手の甲だけに湿布を貼って寝て、今朝も腫れは少なかった。少し良く成って来た兆しかな。明日からも良く成る様に期待しよう。病室には二頭目のバーニーズのぬいぐるみが来て、とっても可愛い。前回よりは少し小さい。これらは数年前にセブンイレブンで、丁度この時期に毎年売り出されていたワンコシリーズのぬいぐるみで、家にまだまだバーニーズが沢山ある。けど、シェパードは無いんだよね。。明日からもしっかり訓練して、1月には帰ろう!

2024年12月2日月曜日

右腕での血圧と、とっても可愛いバーニーズ

 昨日は日曜の午前の検診時、看護師さんに、右手で測ってみて。。と頼んだ。20日ぐらい前に間違って右手に血圧計をセットした時に、腕は何の圧力も緩みも感じず、測れず左手で測り直した。それが今日は測れたよ。。腕は神経が戻って来たのか。今日も頼んだら普通に測れた。まだまだ信用出来ないけどね。

 右手の痛みは金曜のリハビリ後から、手の甲、指、ヒジ周り、肩に湿布を貼ってみた。気持ち、楽に成った様な気がする。土、日は先生には見てもらえなかったが、今日は訓練中にリハビリの先生が見に来てくれた。リハビリ前には湿布をはがすけども、今日はいつもより関節の重みも少なく、肩もいつもよりは軽い。手の腫れも少しひいて来て、大きな問題も無さそうだ。念の為に、右側のベットの柵には、腕が入らない様にカバーを付けてもらったよ。これなら寝てる間に、右腕がはまり込んでる、という事は無くなる。今まで何度も有ったからね。。

病室のベットの柵のカバーとバーニーズの可愛いぬいぐるみ。

 そして、昨夜は夕食後に、ふと思った。病室の小さな棚には、家から娘が持って来てくれた30センチ弱の可愛いバーニーズのぬいぐるみが有る。腕が少し軽く成って、指も動く様に成って来たので、そのぬいぐるみを右手の傍において、常に触り撫でながら寝る事にした。右手にはずっとその感触を感じながら、神経を刺激していく。あわよくば、神経が思い出して右手が復活する様に。

 今日は病院ではシャワータイムが有り、そこでは介護士さんが気を利かせて、頭をバリカンで刈ってくれたよ。子供らは私が刈っていたというその人は聞けば、栗葉さんの2007年頃の子供さんの時代で、栗葉さんが本当に強かった時で、あの年は総なめされたと記憶している。でもその秋に5年生主体のチームで練習試合をさせてもらったが、当たり前だが、全く歯が立たなかった。ボカボカ打たれても、それでもエースを出してくれたんだよ。でも翌年2008年は県大会への予選も下し、あの年の栗葉さんとの勝率は6勝1敗。今も忘れない。あの時の練習試合や試合の中での経験から、徹底してトス、バント、エンドランは練習した。状況によって、バントならどこを狙うか、エンドランならどこを狙うか、ランナーは何を狙うか、そういう練習を繰り返した。それは今の時代でも多分変わらないと思うね。野球では一番大事な事だと思う。

 でもあの時の強いチームを作った熱血コーチの人はコロナの時に感染したのか亡くなったんだよ。本当に強い人でも、まさかと思う人でも、感染すると亡くなってしまう。。僕は生かせてもらって、社会復帰を目指しているが、本当に人はどこでどうなるか解らない。

 気が付けばもう12月に入った。おそらく今の状態では年内は無理。右腕が復活して、早くて1月。長引けば2月に入るかも知れない。諦めずに少しずつでも頑張っていこう。

2024年11月30日土曜日

右手の痛み。。

 先日のまだ暗い早朝。窓の外には綺麗な欠けたお月様が輝いている。その上に見える明るい星は何かな。。木星かな。。綺麗だったよ。そんな時刻でも病室の中は21度ぐらい。日中は24度で年中一緒だ。もう明日は12月に成るが、この中にいると全く季節感が無い。

 今週は右手や肩の痛みや関節の重さが出て来て、リハビリ訓練は停滞中。。今朝の寝ている朝方には右手は、胸の上にあって、左手の手の平も右手をカバーしていたが、かけ布団が、その部分は湿るほど熱も出ていた。一週間ぐらい前から右手の痛み、手の甲の腫れが続き、これは普通じゃないな。。と感じ始めた。その度にマッサージやリハビリで、その時は指もある程度動く様に成るが、30分もすれば元の重さに戻ってしまう。。

 今朝は朝食後の今日の訓練時間の報告などの時間に、リハビリの先生に、外科の先生に診てもらえる様にお願いした。今日に診れるか解らないが、何せ、右手はまだ神経が感じられない。痛みそのものが無い。寝ている知らぬ間に、右手をベットの柵の所に挟んでいたり、テーブルと柵の間に挟んだ事も有ったなあ。。

 右足は、まだ筋力不足は有るが、この病院の3階のフロア周りを杖を持ちながら歩く。全周100mぐらい有るらしい。2週目には杖は持っているが、意識して杖をつかずに歩く。あとひと月もすれば車椅子も卒業できるかなあ。

柿が美味しい!

 ヨメが昨日も持って来てくれた大好物の果物。田舎から送ってもらう柿も入れてくれているが、柿がこんなに美味しいとは思わなかった。小さな頃から食べているけどね。ブドウやキウイ、パイナップルと比べても、その美味しさはとても新鮮だ。毎日の様に持って来てくれる果物。本当にありがたい。いつもありがとう。

2024年11月24日日曜日

マーキュリーの12歳の誕生日

 昨日は愛犬マーキュリーの誕生日。もう12歳だよ。ウチで、三重に来てから、ハスキーも先代シェパードもバーニーズも飼って来たが、おそらく一番の長生き犬だ。今も元気にお散歩して、階段も上がり家族と一緒に生活している。ヨメと娘達がお散歩から世話をしてくれている。いつものルタオのケーキだよ。とっても賢いマーキュリー。もうお婆ちゃんだが、まだまだ頑張って欲しい。僕が帰るまで、元気でお利口さんで待っててね。

マーキュリー、12歳おめでとう!!

 リハビリ訓練では昨日から自主練も再開している。待っていては良く成らないからね。昨日の療法士さん曰く。。オーバーだが、右手が動かなく成ったら、左手を縛ってでも右手で覚えさせていく。。のが早い回復方法。という。左手を縛ったら、ごはんも食べれないし、トイレもいけない。それらを除いても、それぐらいの意識で、というのがベストなんだろう。出来る練習はこれからも少々の疲れが有ってもやっていく。少しでも早く退院できるように。

2024年11月22日金曜日

リハビリ訓練はちょっと足ふみ。。

 昨日は孫娘のひなたが見舞いに来てくれたよ。セントレアでの休みの日に1泊で帰って来てくれる。その着ているトレーナーには、バーニーズマウンティンドッグの大きなイラスト。今年に旅だったユウのお母さん、ジュピターに似ているイラストが描かれている。ジュピター、ママは今、12歳半を過ぎても元気で歩き、階段も登っている。ユウは早すぎたけども、本当に可愛かった。また一緒に暮らしたい、とは思うけれども、飼主の年齢が問題だよなあ。

ひなたのトレーナー。バーニーズは可愛い

 家のジャーマンシェパードのマーキュリーは明日が12歳の誕生日。僕が入院してからは、ヨメや娘がお散歩も行ってくれていて、元気に過ごしている様だ。僕が入院した日は家の中を探していたようだ。「父ちゃん、どうしたのかな。。」と探してくれていたのか。。明日も一緒に過ごせないけども、ケーキの残りをヨメが持って来てくれるだろう。ルタオのケーキだよ!マーキュリー。12歳おめでとう!

 病院のリハビリ訓練は今、ちょっと足ふみ状態。。足の方はかなり早い回復ぶりだが、まだ右足は弱く、杖をついての歩行が中心。それ無しではちょっと長い距離は難しい。まだまだ筋力が必要。もともとある筋肉なのに。。と思うが、半身不随に成ると、ゼロからだ。一つ一つ、脳が命令する指令を筋力に変えて足を動かしていく。まだかかるが、ゴールは見えて来る。

 だが、右手はまだ先が見えない。。手の可動域は右肩の肩甲骨も含めて、かなり動く様に成ったが、ヒジから先の指先までの神経がつながらない。目線の見えない所で指やヒジ周りの刺激を与えられても感じない。。何か触られているかな。。その程度しかない。現状では痛みやケガが有っても、感じない。目線の範囲では、そこへ手を出せるが、その感覚がつかめない。戻らなければ覚えていくしかない。それは大変だろうなあ。

 色々問題は有るが、生きているだけでもマシ。右手が不自由なままでも生きていける。そのままでも旅行にも行けるだろう。今は、左手で字の練習もしている。最低限の文ぐらいは書ける様に少しずつ。この前に新しいチームの名刺を頂いたが、あの文面全部は大体書けるようになった。もう少し、もう少し練習して行く。入院が来年に伸びても諦めずに頑張っていくよ。

2024年11月19日火曜日

断捨離。。

 昨日も今日も早朝の朝陽はとても綺麗だったよ。部屋が変わってから、この部屋からは窓ガラスから朝陽がしっかり見える。わざわざ出て行かなくてもいい。今の時期は丁度いいところで見える。夕焼けは反対側だから中学校も有るし見えないなあ。。

 ヨメは毎日、果物を差し入れてくれる。一日ワンパック、朝から午前中に食べる。病院の食事は、毎日しっかり食べ、午後からは少しお菓子も食べる。何とか胃袋は我慢しているようだ。早く美味しいラーメン、博多一丁のラーメン、焼肉、鍋料理も一杯食べたい!けれども高血圧対策はずっと続けないといけないなあ。。

ヨメが届けてくれる果物。本当に有難い。

 ネットで調べると脳出血の予後は余り良くなくて、平均12年ぐらいらしい。僕で言えば80過ぎた頃。それまで元気に過ごせたらいいが、何が有ってもいいように、家の片付け、断捨離はやっておかなけばいけないなあ。。とヨメとも話している。まだ息子の衣類も沢山有って、着れる服は僕が着ているが、捨てれ無い衣類が一杯ある。お墓も僕達の後はどうなるんだろう。。退院してもやる事は沢山ありそうだ。。

2024年11月14日木曜日

救急搬送から丸一か月が経った。。

 昨夜の部屋での出来事。。夜9時を回っているが、同部屋の向かいの人がナースコールを鳴らさず、おーい、おーい、と呼ぶ。9時過ぎると消灯してるしナースは来ない。。仕方無く僕が自分の部屋のナースコールを鳴らし、人を呼んだ。それから暫くライトが付き作業終えるまで続く。こんな事が今までにも有った。そして3時間ほど、眠い目をこすりながら、トイレに行こうとすると、その人はナースステーションで寝かされていた。そして3時頃、今度は隣の人のおしめを代えに看護師さんが来る。。そんな日がこの1週間ぐらいは続いていた。流石に看護師さんは、部屋を入れかえようか。。とつぶやく。マジでそうして欲しい。

 そして今日のお昼が過ぎ、看護師さんらが話している話に耳をたてると、部屋の入れ替えを決めてくれたらしい。301号へ変わる事に成った。ありがたい。ヨメも丁度、面会に来てくれて、そこから引越し作業。30分ほどで終わったよ。夕方5時を過ぎても、この部屋には以前の様な人はいない様で、本当に静か。今夜はゆっくり眠れそう だよ。

 訓練では日曜や水曜の病院の休みの日でも交代で訓練は続けてくれる。だから休みは無い。そんな人が代わる日には、訓練へのアプローチもいつもしてくれる担当の人とは違うので、新鮮で刺激もある。昨日は足の担当が休み、今日は腕の担当が休みで違う人がやってくれる。足では、今日はつえ無しで少し歩いた。足の進歩は訓練士さんも驚く。でも手はまだまだだ。それでも腕の可動域はかなり広く成って来た。あと、感覚だけ戻って来てくれたらね。。戻らなかったら、時間はかかっても覚えていくしかない。

 今日は思えば、救急車で運ばれてから、丸一か月が経った。一か月の入院なんてアッと言う間だね。あと、2か月かかるかも知れない。もっとかも知れない。しっかり頑張っていこう。

2024年11月12日火曜日

カロリー、アップしたい!

 今日もいいお天気だったね。病院から見える朝陽は暫く雲に隠れていたが、6時半を過ぎる頃には雲の間からまぶしい太陽が顔を出した。今日も綺麗だったね。

 今日は時間の空いた時に病院内を2週して来た。まだ不自由な右足だが、今日は両足で車椅子を前の方でこぐ。昨日やった時よりは足も前に出ている。それでも1週は続かない。。疲れる。休憩しながらの2週はいい運動だったよ。その前後には廊下の手すりのある所で、弱い右手で手すりを掴んで、膝に荷重をかける屈伸運動をしばらく。。これも疲れたなあ。

 車椅子生活では立ち上がる機会が特に少なく運動不足に成る。出来る範囲で運動を続けて行きたい。今日、看護師さんが右手に血圧計をつなぐ。。入院以来初めてだよ、右手は。。やっぱり右手は感覚が無く、圧着間もない、膨張感もない。看護師さんは外して、左手に付けて計ったよ。

 運動続けると、少ない運動量でもお腹が空く。病院のおかずは少なく味気なくて食欲も余りわかないが、とにかく残さずお腹に詰めている。1日1800カロリーは少なすぎると看護師さんにもお願いした。今晩からごはんの量は少し増やしてくれるようだが、ごはんよりもおかずを何とかして欲しいなあ。。

今日も果物い一杯持って来てくれた。ありがたい。

 足は車椅子に乗っていても、動かし、変化を感じ取ることは出来るが、腕はそういう機会が少ない。とにかく上がり切らない右手。力も無い右手。感覚も無い右手。今日はヨメにボールを持って来てもらったよ。握ってみると、ボールは上手く握れるんだなあ。。事ある度に握る。投げるイメージを思い出す。。何とか右手の再生につなげて行きたい。

2024年11月6日水曜日

遠い遠い訓練。。

   今日は11月6日。昨日の朝焼けは綺麗だったね。朝6時半頃の病院の朝焼けは東側の中勢バイパスの車道の方から始まる。車道の上から太陽が昇って来ている。しばらく眺めていて、看護師さんが、日本人は太陽信仰やから。。天照大御神。。とつぶやく。確かにそうだな。いつも朝陽をありがたく、夕陽を惜しみながら1日が終わっていく。

朝陽が眩しいバイパス側

バイパスと反対側のインターの方向にここでは朝陽が写る。。

 暫く見ていて、今度はインター前道路側の出窓へ行くと、不思議な光景が見られた。東側のパイパスの方からは朝陽が昇り、その180度反対の津インターのJAのビルの上には、バイパス方向からの太陽が反射し病院のガラスに綺麗に反射して写っていた。ここからは2つの太陽が見えるんだよ。不思議な光景だった。

 今日は両腕の動きをリハビリ訓練の中でテストしてもらう。その右手の結果は予想以上にひどかった。何しろまだ肩の高さまで上げるのが背一杯。自分の意思とは程遠い状況だ。マウスも持てない。今は全て左で行っている。もちろん右手で文字なんて書くにはどれだけ時間がかかるだろうね。。とりあえず日常生活まで3か月。文字も車もまだまだその先だろう。。頑張るしかない。

2024年11月4日月曜日

突然の脳内出血。。半身不随から。。

  今日は11月4日。昨日も今日もとってもいい行楽日和。外に行きたいが出れない現実が有る。

 先月14日、午前のノックも終えて少し休んで練習を見ていた。その後、お昼休み前に成って子供達に少し話して終えようとしていた時に、突然手も足も立っていられ無くなった。。チームの救急隊員もすぐに気ずいて僕を座らせて、救急車を呼ぶ。。

 三重大病院へ運ばれ、多くの検査を立て続けに行う。。脳内出血か。。と思うが。。その夜はヨメも来てくれたが、病室へは入れない。iPadの画面ごしでの面会だった。大変な事が起こりそうな不安。。翌日朝も検査が始まる。出血の具合を確認して。。医師は何も言わない。その日のお昼過ぎ、家に近い武内病院へ転院となった。

 息子が勤務した武内病院。ちょっと不思議な感じだがこれも何かの因果だろう。あれから今日は3週間が過ぎようとしている。身体は元気だが、右半身が動かない。3週間の間に少しは動く様に成ったが右手は自分の身体の一部という認識すらない。まだまだ先が見えない日々が続く。

2024年10月9日水曜日

ユウの7回目の誕生日。。

  昨日はユウの元気だったら7歳の誕生日。もう3カ月が経ってしまったよ。本当に可愛かったユウ。あの存在感が本当に恋しい。

 ハワイで買って来たバーニーズのぬいぐるみ。セブンイレブンで一時売っていたセブンバニと呼ばれたバーニーズのぬいぐるみ。家にはそれは沢山有るが、一つは車にも積んでいる。バーニーズは本当に可愛いんだよ。。ヨメがいつも用意してくれる北海道から送ってくるルタオのケーキ。これも本当に美味しい。


 今はマーキュリーが一杯甘えてくれている。いつか落ち着いたら残りの人生、バーニーズと一緒にと考えたりもするが、その間、最低10年は飼主も元気でいなければいけない。その時は僕も80を超えているだろう。色々考えるところだ。

 ユウもモモも天国で元気にしてるかな。

2024年10月3日木曜日

10月のお墓参り

 昨日は休みで久し振りにヨメと一緒にお墓へ。涼しく成って来て少しお花も持つように成って来た。9月のお彼岸にも僕は来れなかった。申し訳ない。。

 ヨメが綺麗なお花を生けてくれたよ。スタバのカフェラテもお供えしてお墓の前に少しまいて上げた。もう11年が過ぎ、僕も古希を超えた。時間は一気に経って行くね。。

 また来るよ。頼むよ。

2024年9月10日火曜日

マーキュリーと竜神温泉から高野山奥の院へ

  先日9日は休みで、その9日の深夜早朝に起きた。まだ時刻は午前1時過ぎ。その前晩から思っていて深夜に目が覚めた頃から出かけようと思っていた。ヨメとマーキュリーを起こして用意をする。2時半頃にはハイエースで家を出た。目指すのは高野山から竜神温泉へ。出来れば山々から出る日の出を見たいと思っていたが、竜神スカイラインを走る途中にお日様が出てくる。中々止まって眺める所が無いんだなあ。。昔からの僕の記憶では色んな山々の木々が伸びて来ていて、大抵のその様なスポットは木々が高く成っていて見えない所が多い様に感じる。この竜神スカイラインも40年ぐらい前に走った記憶は有るが、車中からでも、もっと山々が見えていたような記憶が有る。


 護摩壇山頂手前の大きな駐車場に車を止めて山頂までマーキュリーを連れて歩く。ノンリードで放すと、先を行きながら後ろを見ながら距離を開けず歩いて行く。ヨメは歩くのが遅く成った。特に坂のきつい山歩きは登りも下りも遅い。仕方ないなあ。。もうちょっと運動してくれたらいいんだけど。。

護摩壇山頂への道。綺麗に整備されていた。

 護摩壇の駐車場から竜神温泉まで後24,5キロ。そこから更に山道を進んで行き、初めて竜神温泉に着いた。本当に少しだけの温泉街。時を忘れてゆっくり時間を過ごすには、とてもいい雰囲気だった。日本三大美人湯と言われる竜神温泉。先にヨメが入り、マーキュリーと辺りを散策しながら歩く。端から端まで歩いても20分もかからないかな。。大きな元湯の中には立派な浴場が有り、露天風呂も有った。1人2人のお客さんしかいなかったが、こんな日でも朝から開いている。入湯料は800円と少々高い気もするがいつでも入れるのはありがたいね。

竜神温泉の元湯。


 2人ともゆっくりお湯につかり、再び高野山へ戻る。奥之院へ参って帰ろう。ここから45キロ少し山道のカーブ、坂だらけの道を戻る。1時間少しかかるなあ。。途中の日の出を見れるドライブインが有り、その40年ぐらい前に来た覚えが有るんだよ。ここの駐車場に車を止めた記憶が有る。あの時はシグマターボだったなあ。。山々を遠く見渡せた記憶が有る。ここから淡路島も見えるらしいが、それは全く解らなかった。ここにはアマゴどんぶりが有って、食べたく成って頼んだよ。さんしょが効いて予想以上に美味しかった。

 マーキュリーも一緒に入れる席にも案内してもらい食事してソフトクリームも食べた。これも美味しかったな。その後は奥之院へ向かい、まだ暑い日向の参道は避けて日陰の奥之院までの参道を歩いて行く。今日は中国系では無く西洋風の外人が多かったね。奥之院の御陵橋の手前でマーキュリーはここからは入れない。ヨメと交互に奥之院へお参りに行く。ここには雄一の遺骨も少しお願いして有るので、これからも手を合わせに来よう。

御陵橋の手前で先に行ったヨメを待つマーキュリー

 マーキュリーも多く歩いたけども元気だ。これからもマーキュリーとの時間を大切にして行きたい。また行こうね。

2024年8月22日木曜日

Chieも12歳半のジュピターもとても元気!

  暑い日が続く。けれども20日の夜中の3時頃、西武ドーム目指して走る新東名ではもの凄い豪雨。NBOXで出かけたがその雨でも快調に走ってくれたが、運転サポートシステムのカメラが汚れて使用不能です、のエラーがメーター内に出て心配はしたが、1時間ぐらいで雨も小降りに成り機能は戻った。こんな事が有るのかな。。速度などの自動運転が出来ないが、それ無しでの運転では問題なかった。

 子供達のティーボール全国大会は夕方4時前に準決勝で敗れ、僕は閉会式には出ずにそこからチームとは別れて神奈川のChieの所へ向かう。ナビで道順を調べたが道路は混んでいるしスマフォのマップでは1時間半ぐらいで下道を案内するので、急ぐ訳でも無くそのルートに従って走る。どこも混んではいたがほぼ1時間半ぐらいで着いた。

 Chieはとても元気そう。12歳を超えているユウの母親ジュピターもとっても元気。その息子のオリオンもとても元気だ。ユウと一緒に生まれたヴィヴィはユウと同じく一日違いで同じような病気で亡くなっている。ユウとヴィヴィは余りにも早い。。早すぎるよ。。家ではまだまだユウの大きな存在感が残っていて本当に寂しい毎日だが、マーキュリーが11歳9か月を過ぎても元気で甘えてくれている。可愛いマーキュリー。一緒に元気で暮らして行こう。

とっても可愛いパボネちゃん。

オリオンとパボネちゃん。
12歳を過ぎてもとっても元気なジュピター。

 Chieの家にはまた新しいバーニーズのパピーが来ている。パボネちゃん。ウチにもユウの代わりのパピーの話は頂いたが、今はマーキュリーがいる。何よりマーキュリーのこれからをしっかり見てやりたい、と感じる。値段も相当するし、今はマーキュリーとの生活を何より大事にしようと決めた。残念だがパピーを向かえるのはそれから考えよう。飼主の体力も必要だしね。

 21日の早朝は5時には起きて、パボネちゃん、オリオン、そしてその後にはジュピターもお散歩に出かけた。みんな本当に可愛い。12歳半のジュピターはまだしっかり歩くしトイレもちゃんとする。本当にお利口さんだ。まだまだ長生きして欲しい。

 6時過ぎにはChieとも別れてお昼頃には津に帰って来た。1人2人だけなら高速でも軽で充分だね。加速力もターボ付きだし不足感は全くない。もう大きな車はいらんかなあ。もう多頭飼いは無いだろうし、今後の生活サイクルに合う車が一番かな。Chieの元気な姿も見れて良かった。ジュピターも元気でいてね。

2024年8月16日金曜日

酷暑が続くお盆と13回忌へ。。

  先日13日は仏壇周りの準備。灯籠などを用意して少しながら飾り付けも用意した。お昼前にはお墓に行き、改めて掃除もした。お墓の花はこの暑さだし2日も経てば水も無く成る。本当に暑い日が続く。昨日は草刈り機を修理して小学校のグランドの草刈りをしたが、この3,4週間は雨が無く酷暑続きで雑草も枯れて来ているよ。。本当に暑い毎日だ。

 13日の夜には玄関先で迎え火をする。マーキュリーも一緒にね。モモもユウも連れて帰って来ておいで。。

 14日の夕方にはお寺さんが来てくれて、お墓でお参りしてそれから家で法要をしてもらう。7回忌からもう何年振りだろう。。夏に来て頂いた事も有ったがこの数年は来てもらっていない。今回は予定はしていなかったが、ユウの事も有り間際に成ってお願いした。この時期、お寺さんは大変忙しいはず。そんな中でもこの日に都合を付けてくれた。亀山だからね。来るだけで30分以上はかかる。

 お寺さんも数年会っていないので、年をとったかなとも感じる。法要をして頂き少しお話をして帰って行かれた。いつもなら食事をしてもらってゆっくりしてもらうんだけども、今日はそんな時間は無かったね。本当に忙しい中、ありがとうございました。

 そして15日。田舎に帰る事も考えたが、この暑さ。。仕事は16日から有るし今年は止めた。また時間の有る時にゆっくり帰ろう。今日は送り火か。。あっという間に帰ってしまうんだね。マーキュリーは元気でいてくれているがやっぱり寂しい。また元気で頑張って行かなければ。。来年は13回忌だ。 

2024年8月8日木曜日

色々偲ぶお墓参り。。

  先日月曜は仕事休みで、午後からヨメとお墓へ。11年が過ぎまたお盆が巡ってくる。。今年はお盆の法要もする予定は無かったが、ユウの旅立ちは無性に寂しく、事ある事に思い出す。あの存在感、可愛さは格別だった。

ユウ。。


 そんな法要もしてもらおうか、とお寺さんに聞いてみた。この時期はお寺さんも忙しいし無理なら仕方無いと思っていたが、14日の4時過ぎから来て頂く事に成った。忙しい中で都合つけてくれた様だね。本当にありがとうございます。幸い13,14日は仕事も休みだし、迎え火もしっかりやってやろう。きっとあの時、ユウが旅立つ時に来てくれたのは雄一しかいないな。。またゆっくりおいでね。いつもありがとう。

2024年7月26日金曜日

マーキュリーと経ヶ峰。

  先日の水曜日。マーキュリーを連れて一緒に経ヶ峰へ行く。11歳8か月を過ぎたマーキュリーは足腰も弱って来ているので、頂上までは無理かも知れない。無理ならやめておこうと思っていた。

 この日はいつもの平尾の駐車場からパノラマルートを行く。ここはかなり急坂が多いね。ユウもここを登ったが、改めてこの坂や段差を見ると、本当にユウは良く登ったなあ・・と感じる。そんな坂が延々と続く。。

こんな急坂。。ユウも良く登ったね。。

 マーキュリーはリードを外して、最初は前を歩いていたが、次第に僕の後ろをコースを選びながら歩く様に成ってくる。8時前に出発してその急な坂を50分ほど登ってやっと座り込んで休憩する。マーキュリーも多く水を飲んだが、元気で頑張ってくれている。

ここでは日差しが強くて休憩出来ないね。。

 そこから暫く坂を登り続け、見晴らしの良い所へ抜ける。こういう景色が見れるところがパノラマルートなのかな。ユウと来た時はまだ涼しい時だったし、ここでも休んだが、今はこの炎天下ではこんな所では休めないね。。そこから暫く昇ると共通コースに出て道は平坦に成る。ちょっと行くと大きなオスの鹿さんがこちらを見て横断して行く。ユウと来た時もこの辺りで鹿さんの団体と遭遇したなあ。。

いつもの看板の手前で今日はUターン。

 そこから山頂はもうすぐだが、経ヶ峰の大きな看板の有る手前で、この先に日差しの強い中を歩くのは止めて、ここでUターンして戻って来た。マーキュリーの負担は出来るだけ減らそう。

帰り道での風の吹く所でしばし休憩。気持ち良かったね。

 帰りもマーキュリーは僕の後ろをコースを選びながら着いてくる。帰りは来た時よりも緩い坂のコースを選んで下りたが順調に降り、沢の所では美味しい冷たい水を飲んでいた。ここから駐車場まではもうすぐだ。11時過ぎには家にも帰って来た。いい運動だったかなマーキュリー。また一緒に歩こう。

2024年7月19日金曜日

ユウとヴィヴィへの弔い旅。。

  7月18日は神奈川のChieの所へ。ユウの兄弟のヴィヴィも1日違いで亡くなった。同じ日にジュピターママから生まれて、それぞれ違う所で暮らしてはいたが、年に何度かはウチでも一緒に暮らしたよ。ユウとヴィヴィを連れて経ヶ峰へ登った事も有った。あの時は2キロちょっと坂を登ってへばったけれども。。でも、こんな事が有るんだね。。兄弟で生まれて、それぞれ違う家で生活していて、1日違いで亡くなるなんてね。。母親のジュピターママは12歳を過ぎ、とても元気だった。見る限り悪い病気もない。息子のヴィヴィが亡くなった後に、ジュピターは普段とは違う大きな声で泣いたらしい。。ワンコにも解るんだよ。。

 カメラも持って行ったが、撮る事は無かった。また気持ちが晴れたら一杯撮ってやろう。Chieも元気で良かった。その日は泊めてもらい、翌朝、早く起きて去年に登った高尾山へ行く。去年はユウもマーキュリーと一緒に登ったんだよ。この日は11歳8か月のマーキュリーだけ。寂しいけれども可能な限り一緒に居てやりたい。

登りのコースを抜けてお寺の境内へ入る。

 もう少し早く出たら良かったが、7時台でも高速は混んでいる。8時過ぎに着いて、早速仕度をしてマーキュリーを連れて登る。ヨメはケーブルカーで途中まで。1時間ちょっとでケーブルカーの降り場を過ぎ、更に上の真言宗の大きなお寺の境内を抜けて更に頂上へ。急な階段もマーキュリーも良く登った。

こんな急な階段も多く登る。

何より健康祈願

 ヨメとはお寺の境内で合流し、何より健康を願い山頂を目指す。10時頃には山頂に着き、少し休憩。マーキュリーも良く頑張った。今日も富士山が綺麗に見えたよ。

ユウも一緒に登った山頂。

今日も富士山が綺麗に見えたね。

 高尾山には色んなルートが有って、それぞれにコースも管理されている。同じコースを戻るのは今日は止めて谷川沿いを抜ける6番のコースを選び、山頂からヨメと別れて、マーキュリーと下りて来た。マーキュリーはやはり足腰が下りの急な階段や石がゴロゴロしている山道は歩きにくそうで、前には出ずに僕の後ろを着いてくる。人は靴を履いているがワンコは肉球だけだからね。尖った石が出ている所は辛いかも知れない。それでも帰り80分目安のコースを1時間ちょっとでケーブル乗り場まで、下りて来たよ。良く頑張ったねマーキュリー。

ケーブルカー乗り場まで下りて来たよ。お疲れ様。

 帰りは再びChieの所により、お昼過ぎには家を出て帰路についた。マーキュリーは車の中でもとってもお利口さんでした。6時頃には家に戻ったよ。また行こうねマーキュリー。

2024年7月17日水曜日

深夜の不思議な強い風。。ユウと雄一。

  ユウが旅立った7月7日の深夜。僕が気づいたのは日付けも変わった8日の深夜1時を過ぎた頃だった。動かなくなったユウの身体を暫く拭いてやって一杯撫でてやった。。2階で寝ているヨメに知らせようと部屋を抜けて、リビングの戸を開け、2階へ上がってヨメに知らせる。。ヨメは起きて来たが僕は先に階段を下りて下のリビングの戸を開けようとした時に、家の中に突風の様な風が吹いたんだよ。リビングではエアコンもかけていない。戸も開いていない。ちょうど僕の頭の辺りでそれは起こった。かなり強い風の様だったが、家の中の物が飛ぶという事もなかった。

 僕は「何だろう・・」と思ったが戸を開けてユウの所へ行く。ヨメもユウを撫でて2人でユウの身体中を綺麗にしてやっていた。。

 後で聞くとヨメがユウの部屋に来た時に強い風が吹いて出入口様に開けて有る扉のビニールカーテンが舞い上がったという。あれは雄一が来てくれたのか、と言っていた。僕が感じた強い風もそれだったのかも知れない。部屋の中であんな強い風は吹かない。。きっと雄一だろうな。。僕もそう感じる。。

 2013年の7月の九州への雄一の弔い旅。7月31日の熊本のホテルでの思い出。前日は阿蘇へ登れず、一旦熊本の街でのホテルに泊まった。あの夜、僕は雄一の夢を見ていて、覚えていたその夢をヨメ達に話した。夢の中ではとても元気そうに笑っていた。その時、雄一は夢の中で言ったんだよ。「モモに似たのがおるけど、違うな。ちゃんと見たってよ」夢の中でそう言ったんだよ。僕はその事を暫くして忘れていたが、翌年2014年の7月に横浜のChieの所にいたマーキュリーを預かる事に成った。その話をヨメにしたら、その熊本での夢の話を僕にする。あの時思い出した。雄一が夢の中で言っていたのは、ひょっとしたらマーキュリーかも知れない。それから暫くして2017年に来たユウの事かも知れない。

皆が眠る槙の木の根元。。

 12日に斎場でもらって来たユウの遺骨を16日には先代達が眠る小さな庭の槙の木の下に植えてあげた。遺骨の灰を良く遊びに行った山や公園などに撒いてやろうか、とも思ったが皆が眠るここに全部入れてあげたよ。今も。。これからも思い出すユウ。本当に可愛かったユウ。本当にありがとう。

2024年7月13日土曜日

太陽が抜けたような毎日。。

  まさかのユウの旅立ちが有って、家の中は太陽の様な存在だったその大きさを改めて身に染みて感じている。マーキュリーも元気だがマーキュリー自身ももすでに11歳を過ぎ、かつての動きはない。キャッチボールも時々やるが落球も多く成って来た。それでもこれだけ11歳過ぎて動けるのは驚異的だと思うね。

キャッチボールをせがむマーキュリー

 ユウが旅たってからヨメとお墓にも報告して来た。本当に寂しい毎日。雄一の名を取ってユウと名を付けたのに、そのユウもいない。。本当に寂しい毎日だ。

久し振りのお墓。ユウを頼むよ。。

 そんな中でも子供達の野球大会のまとめ資料は作らなければいけない。教育委員会始め、後援や協賛頂いた所への報告も有る。ホームページにもまとめてアップし、資料のまとめは終わった。後は大会経費を後少しまとめるだけ。

 マーキュリーとの早朝お散歩もユウがいなくて寂しいが、マーキュリーはリードがいらないぐらいに傍を着いて来てくれる。いう事もちゃんと聞く。家に帰ってからは時々キャッチボールもする。ちょっと落球は多いけどね。それでも動きはまだ早い。これからも元気でいて欲しい。昨日はユウの遺骨を引き取って来た。マーキュリーと一緒に遺骨の一部はいつも行っていた山へまきに行きたい。

2024年7月8日月曜日

まさか。。余りに急なユウとの突然の別れ。。

  7月5日には名古屋の高度医療センターへ9時半の予約。家を6時半過ぎには出て順調に走る。が、途中車のナビはどう見てもおかしく成り、スマフォのグーグルマップを信用して走る。結果は正解だった。車のナビを信用すると時間前には着かない。。

  9時半前から中に呼ばれユウを連れて行く。まだ若い女医さんは費用も含めてしっかりと説明してくれる。しかし。。23万は痛いね。。それでもユウの悪い所がハッキリと解ってそれに対する処置法が見つかって少しでも良く成ってくれたらいい。検査をお願いして4時間後ぐらいに来て下さいと言う。知らない土地での4時間。ユウが気がかりでゆっくりした気持ちには慣れない。長い長い4時間だった。。

 病院に戻り2時前には先生に呼ばれる。CTでの映像は僕が見ても理解できるぐらい状況は良く無かった。心臓の後ろの肺には大きな腫瘍。呼吸が身体の向きによって荒く成るのはその影響だろう。影は大きく腎臓にも出ている。リンパ線や身体の各部位にもそれと疑われる小さな映像が多く見れる。下半身不随の原因となった背骨の関節部分の腫瘍も解る。それでも血液検査ではそれ程悪くは無く、この状態でステロイドの量を上げて、検体結果が解ったら3週間に一回の抗がん治療も出来るかも知れない。後ろ足は動かしていると時々反発したりするし、シッポも同じ。上手く行けば足も動かせるかも解らない。ただ当面オシッコと便はユウの意識では出ない。排尿排便をしてやる事が必要。膀胱の排尿のさせ方も先生に教えてもらったが今一つ良く解らない。が、やって見るしかない。少しの期待に気持ちを乗せて必死で甘えるユウを一杯撫でて連れて帰って来た。

 そして6日の夜。中々薬を飲まない。まず食欲がない。食べようとしない。パンやおにぎりぐらいだが、少しでも食べればいい。薬も喉に入れて上を向かせて喉をさすって飲ませたが、果たしてお腹まで届いているだろうか。。夜も何度か深夜に泣く。。辛いんだろうね。2度3度それが続いて朝に成った。。

 そして7日。今朝も食欲は無さそうで水や大好きだったミルクも余り飲んでいない。昨日から僕は子供達のチーム主催の野球大会運営で日中はかまえないがヨメが見てくれている。それでも今日は何も食べなかった。ミルクもほんの少しだけ。。僕が帰ってからも色々試すが食べない。薬を飲ませようとしても喉に入って行かない。この日は諦めた。明日少しでも元気に成って食べてくれれば。。と願っていたが。。息がいつもより弱いのも気に成っていた。今までにないぐらいの呼吸の小ささだった。

 七夕の深夜。ユウの寝ている部屋はとても静かだった。午前1時頃には大抵泣いて起こされる。今日は静かだな。。と思って電気を付けてユウに触れるとまだ暖かい。。。寝たまま旅立ってしまった様だ。。余りに急で。。突然歩けなく成ってまだ1週間だよ。。まだ7歳にも成らない。ユウの母親ジュピターは12歳を過ぎ、まだまだ元気で、その半分しか生きていないのに。。僕達老夫婦にはまるで天使の様に可愛いユウ王子だった。大きな身体全体で甘えてくっ付いてくるユウ王子。毎日を楽しませてくれたユウ王子。余りに早い別れは辛すぎるよ。。ヨメも一緒に泣いてしまう。。ユウ。

いつもマーキュリーと一緒だったユウ。

 家では12歳半のマーキュリーが1人に成ってしまった。寂しい夜。本当に寂しい夜。春先までは僕のベットにも毎日の様に飛び乗って来ていたユウ。その暖かい体温も、もう感じる事も出来ない。寂しいよ。。しっかり弔ってやろう。。

2024年7月3日水曜日

ユウが突然歩けなく成った。。

  ユウの診察を受けてからステロイド投与が続いているが、フードの好き嫌いは相変わらず。。それでも色々食べながら先日の十津川へのキャンプも楽しく過ごしていた。お散歩もゆっくり歩いている。

星の国。天辻峠。ここは明治維新ゆかりの地。

 十津川の星の国では道の駅では休みで、ここで宿泊予定だったが、少し足を伸ばして谷瀬の吊り橋まで走る。まだ学生の頃、家から十津川まで良く何度かバイクで走ったんだよ。細いカーブが多い道だったが、あれから40年以上は経って、大きく様変わりしていた。特に天辻辺りから十津川方面へは沢山トンネルも有り、道も広くてとても楽しい道に成っていた。まだ所々狭い所は有るけどね。

谷瀬の吊り橋の下で車中泊。焼肉準備中。

 谷瀬の吊り橋では、その橋の下の河原へキャンプ場の案内が有る。下へ降りて行くと本当に広い河原へ出る。相当な数のキャンプが出来そうな広さ、水道やシャワー、トイレもちゃんと管理されている。僕達は車中泊なので2000円で泊まれたよ。谷瀬の吊り橋の橋の下でね。夕食はその下で焼肉。翌朝はカレー。久し振りに食事も作り年寄2人の老夫婦だけども、ユウとマーキュリーがいるし、久し振りに楽しかった。




 朝のお散歩もゆっくりキャンプ場を歩いたよ。気に成るユウも元気に歩く。組織球肉腫の疑いが有るユウだが、まだとても元気だ。ステロイドも飲んでいるし薬の効果も有るかも知れない。朝は少しゆっくり片付けて次は十津川温泉まで行く。僕は何度も昔は通ていながら温泉には行った事が無い。調べると沢山入れる温泉が有る。そんな温泉の村が管理する温泉へヨメが入って行く。マーキュリー達は見下ろすが、暫くその辺りを2人を連れて歩く。「あ!可愛い!バーニーズや!」と言う旅館の人もいたなあ。


 ヨメがやっと戻って来て、もう帰ろうか、とも思ったがせっかくだから車の中にヨメとユウ達を待たせて入って来た。少し温度も低い温泉だったが、窓から見える風景も本当にのどかで景色が変わらない。。こんな温泉にゆっくりつかっていたら悪い病気も無くなって行くだろうに。。と特に感じる。ユウ達は入れないけど、昔から湯治と言う言葉が有る。がんなどの患者さんが少し熱めの温泉に長く使っていると治癒効果が有る。それは間違いない。ユウもゆっくり入れてやりたいなあ。。



 それからもユウは元気だった。それが31日の夜辺りから階段の上りが辛く成っていたが、それでも自分で上って休んでいた。そして1日の朝。。5時頃に下へ降りようとするが立ち上れない。ユウをフォローしながら下りて、少し朝のお散歩も行って休んでいたが、そこから歩けなく成ってしまった。組織球肉腫の影響か。。又は他のヘルニアなどの影響かそれは解らない。今の津の掛かり付け病院ではこれ以上の事は出来ない。何とか病院へもお願いして高度医療出来る所を、とお願いしていたが、この5日に名古屋の日本動物高度医療センターへ行く事に成った。出来るかどうかは解らない。手術するにしても体力が有るかも解らない。でもまだ6歳だよ。何とか可能性を探ってやりたい。

歩く事が出来ない。。何とかしてやりたい。。

 1日の夜は本当に大変で可哀そうだった。前足と上体は元気だが、下半身が動かない。トイレも自分で出来ないからおしめ。。必死で何度も立とうとするが足は動かずグルグル回る。。それが一晩続いたよ。。自分でも何で立てないのか解らないんろうね。可哀そうで可哀そうで。。いくら撫でても直らない。何とかしてあげたい。

2024年6月25日火曜日

ユウ王子とマーキュリーの異変。。

  先週初旬にはユウの余りの食欲の無さが気に成って病院へ行く。血液検査でも大きな問題は無かった。レントゲンも撮ってもらうとね。。心臓と背骨の間に膨らみがある。細かな検査をしないと解らないが、組織球牲疾患、組織球肉腫ともいうらしいが、その可能性が高いという診察だった。それだと予後はかなり悪い。。バーニーズには多い病気。けれども心臓の上、背骨との間だけに手術するにしても相当な手術に成る。それはやめた。ずっとユウといる事に決めている。

 ステロイドを20ℊ、朝晩2回の投与を18日から続けているが、余り食欲の改善は見れない。それでも色々入れたり、冷凍フードを作ったり、ご飯も食べさせながら何とか食事量をこなして過ごしている。目に付くのはオシッコを多量にする様に成った。もちろん水をよく飲む。ステロイドの影響も大きいだろう。それより気に成るのは家の中では中々眠っていない様に感じている。2回へ上がっても目をつむらずお腹は伏せして頭だけ上げて正面を見ながらハアハア息をする。息がしにくい角度とか有るんだろうね。ユウはパピーの頃から息が荒かった。マーキュリーなんかは息も立てずに寝ているのに。。先日から、少しでも寝かせてやりたいと2階の寝室もエアコン稼働始めた。人にはまだ寒いので長袖長ズボンのパジャマを着ながら靴下を履いて寝る。。昨夜は少し横に頭を垂れて寝ていた様だ。昨日はユウの長い暑い毛もお腹や足回り、お尻周りは少しカット。ユウはそんな間も時おり足を上げながらずっとお利口さんだった。

 そして11歳半を過ぎたマーキュリー。足先のつまずきがお散歩でもたまに出ていたが、先日の経ヶ峰登山はそんな事は全く見せずに元気に登っている。ところがその日の夜、2階へ寝に上がるよ、と呼んだが動けない。階段の所まで来たが、後ろ足が思う様に動かない様だ。何とかフォローしながら登ったが、やっぱり年齢からの衰えは有るだろう。それにマーキュリーは数年前に股関節のリュウマチと診断されて、ステロイド治療で劇的に改善した事が有る。あの時はとても痛がって階段も抱っこするのも嫌がってたんだよ。だから足腰の運動の後は何かのサポートがいるのか。。ステロイドがいるのかな。。と考えていた。それでモモちゃんの残っていたステロイドを朝晩10ℊずつ2,3日与えると問題なく普通に運動も出来ている。今は1日10ℊぐらにして、明日ぐらいには、もう飲ませ無くても良いかな、と思っている。

今朝の早朝5時の公園の2人。元気だよ!

 まだ7歳にも成らないユウと11歳半のマーキュリー、まだまだずっと一緒にいるよ。お願いだから元気でいてね。