2013年7月31日水曜日

阿蘇への旅・思い。

 今回は九州熊本へ。阿蘇へ行きたい。
28日の日曜の夜に可哀そうだけど、モモをいつものペットホテルへ。
車に乗る時は大喜びだが、ペットホテルに近づくと、何だか感じる様でソワソワしている。
いつものお姉さんにモモを預けるが、もう必死で戻ろうとする。。。可哀そうだけど仕方無い。

 7月29日
 月曜の早朝になぎさ町を出て高速船に乗った。朝の始発、月曜だけどほぼ満員。予約はしていなかったので、チケットを買う時にちょっと心配で聞いて見たが、「1割も空いてないですね。」
今日はまだ少ないらしい。万一乗れなかったら飛行機にも間に合わない。今度からは予約をしておこう。

 セントレアで手続きをして、搭乗案内になったがバスで案内すると言う。
「ふ~ん。。遠いとこ行くのかな。。」と思っていたが、確かに空港の端の方まで走って行く。そして止るとそこには小さな旅客機。
「え~、これ?マジ?ちっちゃ~」とひなたも言う。これはボンバルディア機だ。僕もマジで心配だったけど大丈夫だった。でも着陸はちょっと怖かったなあ。

 大分に着いてレンタカーの手続き。初めてレンタカーを使ったが、完璧に手配やサポートがされている。今回借りたツアーベースのヴィッツならツアー料金に全部込み。必要なのはガソリンだけだ。グレードを上げると追加が要るが、ナビもETCも装備でこれで充分。
まずは別府へ向かい地獄めぐりへ。と言っても全部見る時間は無いから、今回は血の池地獄だけ見学した。40年前にもここへ来ているが、大分から四国へフェリーに乗っただけで、殆ど覚えていない。

 空は雲が低く、今にも降ってきそうだ。湯布院に立ち寄ってゆっくり昼食。その後、阿蘇へやまなみハイウェイを行く。ここは昔と変わっていない、と思う。
途中からは雨も降って来たり。。霧も濃くなってきた。
 それでもナビが案内する先を疑わずに走り続けて3時前にはロープウェイへ行く道路に入った。
「でも何だか違うんだなあ。。。」
記憶に有るような風景ではないんだよなあ。。。と思いながらロープウェイ乗り場に着いたが、人気が無い。シャッターも閉まっている。
中の売店のおばさんに聞くと「もう2年前ぐらいから止ってるよ。」

 地図を見直すと確かにロープウェイ乗り場だが、小さく休止中と書いて有った。阿蘇のもう少し西側の登山道からのロープウェイは今も動いている様だ。もう今からでは多分間に合わない。お天気も良くないし、その日は諦め翌日、朝一番にもう一度登る事にした。

 その日は阿蘇のふもとのホテルに宿泊。そこそこ有名なゴルフ場の有るホテルで設備も部屋も綺麗。窓からはゴルフ場が見れるし温泉もとても気持ちが良かった。

 ホテルに有った熊本のキャラクター、クマもん。どこに行っても色んなキャラクターグッズが有って面白い。中々の人気者の様だ。

 7月30日
 阿蘇の早朝は雲が低い。雨も時折落ちてくる。今日はこのお天気で見れるだろうか?
7時半にはホテルを出て阿蘇に向かった。雨はそれ程でもないが、霧が段々濃くなってくる。
風景は記憶に有る風景だったが、ロープウェイ乗り場が近付くにつれ、視界は10mぐらいしか無い。ライトをつけてノロノロ運転。

 辺りが真っ白な霧の中、8時半までには着いたが今日も人の気配がない。。。
暫く待っていると職員が入って来て準備をしている。ロービーが開いて切符を買おうとすると、
  「今日は濃霧注意報が出ていて登頂禁止です。ロープウェイも登山道路も開きません。」

 この濃霧では確かに危険。天気予報も回復の兆しは見えないし、諦めて下山して、高千穂峡へ行く事にした。降りる途中に米塚と表示された大きな案内版が有る。
確かここは40年前に、まだ高校生の時にバイクでここで写真を撮った記憶が有る。写真も探せば出てくるだろう。あの時も夏休み。暑い青空の日だった。正確には41年前か。。。
 阿蘇へ行こうと思った時、この米塚の記憶がずっとあって、そこに行けたら、そこに違灰をまいてやろう、と思っていた。濃霧で周りは良く見えないけれど、そこには41年経って孫娘や娘が同じ所に立っている。
  皆に見送られて風に任せて雄一を飛ばしてやった。
「好きなところへ飛んで行け!。。。元気で過ごせよ!」


 それから神々の里、高千穂峡へ。ここもうっすらと記憶が残っている。
僕は余り詳しくは無いが、歴史的にも沢山言い伝えが有り、歴女の娘と孫娘は興味があるようだ。
 この高千穂峡の下を流れる五ヶ瀬川にも違灰を流してやった。

 ここから一旦熊本まで走り、3時頃にホテルへチョックイン。ここでクーポンの手続きをすると熊本城の入場がタダになる。一旦ホテルで荷物をおいてから歴女2人が行きたかった熊本城へ。

 この加藤清正が建造した熊本城。防御の為の石垣が凄いね!お城も凄いし改めて感心した。ちょっと歴史を勉強してみようか、と思うぐらいに。
歴女達は夕食の後もライトアップされたお城を見に行った様だ。









7月31日。
熊本の日の出は三重よりも30分ぐらいは遅い感じだ。5時頃の明るさが違う。少し日差しもさしてくる。天気予報は快晴ではないけれど昨日よりは良さそうだ。今日は熊本を散策して帰る予定だったが、熊本城はもう行ったし、もう一度阿蘇に行く事にした。今日もダメならそれは仕方がない。


 8時過ぎにはホテルを出て、再び阿蘇に向かった。空は晴れ間も見える。注意報も出ていない。大丈夫だろうか。。。
阿蘇に近づくにつれ雲は多くなって来たが、昨日の様な濃霧は無い。ロープウェイ乗り場まで行くと、今日は登山道も開けられていた。そのまま登山道を火口口まで。
 
 そこには昔のイメージの広大な風景が広がる。二日間雨や霧で阻まれたけど、やっぱり来て良かった。ここに遺灰もまいてやりたい。
その41年前は遊歩道も整備されていなくて、滑ったら落ちて行きそうな、そんな記憶が有る。確か僕が行ったところは今の遊歩道よりもっと先の方だったような気がする。今は入れないけれどそれらしき通路の後も有る。




 今の遊歩道はとてもキレイに整備されている。そしてどこにも中国、韓国語の表示やアナウンスが流れる。もちろん昔は無かった。この日も明らかにその人達の方が多いような気がする。熊本城もそうだったけど、今はその人達を相手にしないと成り立たないのかも知れない。
これは、僕個人としては残念な、とても複雑な心境だ。

 でも、ここに来て遺灰をまいてやることが、一番の目的だったし、本当に来て良かった。この阿蘇の雄大さは僕のイメージにずっと残っていて、雄一の名前はそれから付けた。雄一にも話した事は有るし、それは知ってくれていると思う。

 これで初盆までのやりたかった事、行きたかった所へは行き、遺灰をまいてやる事が出来た。
この次はどこへ行こう。。。四国、中国、北陸、東北。。
う~ん、縄文杉も見に行きたい。ちょっと無理かなあ。。。

 火口を降りてひなた達はお馬さんにも乗ってゴキゲン。
その帰りには、雄一のいる米塚へまた寄ったけれど、今日は風も濃霧も無く、周りの緑がとてもきれいで見渡せる。

 また、機会が有れば皆で来よう。

2013年7月24日水曜日

検診日・健康成り。色即是空。

 今日は検診日。もちろん朝から絶食中・・・のつもりだったが、いつもの様に朝起きてモモと散歩して世話をしてからテーブルに座る。そしていつもの様にブルーベリーの小瓶を明けて、すっと口の中に入れた。
 あ・・!しまった・・・。お茶を少し飲んで流して・・・。まだ6時だし大丈夫かな。

 検診時間は10時から。それにしてもお腹が空く。時間まで散らかっていた倉庫の整理を汗をかきながらずっとしていた。
そして近くの病院へ。
雄一もここで丸山ワクチンを打ってもらっていた。先生も看護婦さん達も良く知っている。今度は僕が検診でお世話に成る。これ以外では世話に成りたくないが。。。

 今日、色々と採血から検査など、世話してくれた看護師さんは、ご近所の人だ。早朝にモモと散歩していると、その帰りぐらいに、いつも娘さんと二人でウォーキングをしながら早足で歩いて来る。挨拶だけは交わしているが、ウチより奥にお家が有る方で名前は知らない。

 その人が一通りの検査をして採血。注射は本当にイヤだ。こんな事を雄一は毎日の様にやっていたんだ。。
そして問題の胃カメラ。
鼻からの方が楽だから、と言われその様に頼んでいたが、本当に痛い!脳の神経に来る痛さだ。麻酔も入れてもらっている。最初は右の方が通しやすいかな?と右側からしたが、すぐに痛くてとても我慢できない。
 それで、今度は左側。。。こっちも一緒。10cmも入らない内に痛みが脳に来る。
その看護師さんがやってくれたが、まだ最初の慣らし段階でカメラも入っていないのに。。。
とてもこれは無理。こんなに痛い思いをするならやらない方がいい。もう止めて帰ろう、と思ったが、「口からやってみましょうか?」と言われ、仕方無くもう一度チャレンジ。。。

 雄一はこんな事も何度かやっていたんだ。ただでさえ吐き気がする時に。。。
カメラの処置室に入ってからも、何度か嘔吐する声が聞こえていた。

 麻酔をされてマウスピースをして、すぐにカメラを入れられた。今度は先生が最初から入れくり回す。。。確かにのどを通る時は吐き気もするし我慢が居るが、それ以外は特に我慢出来る範囲で、最後にカメラを抜いて来る時に嘔吐したぐらいだった。

 雄一のカメラの映像も見ているし、データーも有るし、その症状は頭の中に残っている。
カメラを入れられながら横に成って、ずっとそのカメラからのモニターを見ていたが、素人の僕が見ても何の症状も見当たらない。食道から胃、十二指腸まで、薄いピンク色のままだった。
 何であんな病気に成ってしまうのか。。。

 レントゲンもカメラも先生の所見も問題無し。肝炎やピロリ菌の検査も頼んで有る。
体重も30年ぐらい前から殆ど変っていない。
こんな健康体は本当に親に感謝。

 だけど雄一は。。。親として本当に可哀想で仕方が無い。この健康な体と代わってあげられたら。。と今に成っても思う。

 8月の12日に初盆の法要をする予定だが、色々とそのお寺さんともお話をした。
その亀山の不動院さんは真言宗で祈願寺で有るので、地元以外でも故人の供養にと祈願に来る方が多く、16日には永大供養の法要も行うそうだ。
 
 僕らはその辺の所が良く解らないので、お金の事も含めて、どの様にすればと正直に全部聞いた。
そしてもう一つ聞きたかった事。

 今、北海道から富士山や乗鞍や今度は九州へ行こう、としているけど、遺灰をその様に、あっちこっちにまいても良いのか?雄一の魂が迷わないのか。。それが気に成っていた。
すると、そのお寺さんは

「それは生きている現世の者が思う事。生物、固体はいずれ全て無に成る。
仏様、魂は固体では無い。それは山で有り、川で有り、空気。草木、生き物たちにも宿る。だから山を見れば雄一さんが。。川を見れば、空にも草木にも雄一さんはいるんだ。ご家族の方が、雄一さんが望むだろう、と思う事をして上げて下さい。」

 と。そんな話を聞いて、していて泣けてしまった。
般若心経に有る「色即是空」と言う事か。
これからも色んな所へ連れて行ってやろう。

2013年7月19日金曜日

2013・最高の富士山登頂!

 昨日から富士山へ2年振りに登って来た。
世界遺産に成って登山ルートは更に大混雑の模様で、今年は無理だな・・・と思っていた。
ところが、色々情報を探してみると、どこも大体マイカーの乗り入れ禁止に成っているが、御殿場ルートだけは駐車場も有って、しかも無料で登れるようだ。
 ただ、5合目と言っても、そこは標高1500mも無い。富士吉田ルートの5合目は2500m。だからそこから登るのはそんなに負担ではないが、御殿場ルートでは頂上まで、標高差で約2300m。登山道は10.7キロと書いて有った。時間にして普通なら10時間ぐらいは必要だろう。
けれどもチャレンジするならここしか無い、と思っていた。

 そして初盆までの予定と天気予報をにらめっこ。
水曜の練習前に木曜に出て金曜に山頂へチャレンジ!
 行く事に決めた。
持って来たトレッキングシューズは2011年の夏に買った物。その後すぐに雄一が入院して箱に入ったまま。木曜の早朝の出かける前にタグを切った。

 木曜の早朝、4時に家を出た。湾岸から東名、新東名に入り御殿場で降りる。そこから御殿場口の登山道の駐車場まで30分もかからない。ちょうど朝の混雑する時間帯だったが、9時過ぎには駐車場に着いた。
このルートには7合目の山小屋まで、途中にトイレも救護施設も売店も何もない。だから装備は食糧も水分も多めに詰め込む。夜の装備も有る。リュックは重たい。

 登り始めてすぐに人気の無い売店が有るが、これが最初で最後。何も買う物は無いが。
この登山道は殆どが砂利道。7合目近くまでは殆どそうだった。
だから登りは踏み出しても滑る。本当に登りにくい。
疲れるなあ・・・と思いながら登り続けた。けれども本当に人は少ない。
天候はずっと霧が回りを覆っている。天気予報は午後から晴れだから、それを信じよう。このルートは回りの風景も余り代わり映えが無い。それも人気が無い要因かも知れない。2000mを越えると段々道もつづら折れで急に成って来る。30~40分登って10分ぐらいの休憩。それを繰り返しながら登った。

 今回は登山用に買ったプロトレック。これも2年前ぐらいかな。これは高度計が着いている。
2時頃には6合目を越えて3000mの看板まで到着。ちょうどプロトレックの表示も同じだった。
誤差は風圧、気圧などで変る様だが、大体信用出来る。この高度計を見ながら「もう少し、もう少し頑張ろう」と言いながら登った。

 そして最初の山小屋3100m付近。ここでジュースを買う。500円!でも水分は我慢する訳にはいかない。途中の食事も一度に食べずに、少しずつ食べて休憩を少なくして登って来た。
そして3300mの山小屋に4時頃に到着。駐車場を出たのが10時を回っていたから、ここまで約6時間。予想より少し早いペース。でもさすがに足や膝は疲れた。
 
 気温の変化も最初は半袖。そして長袖の上着。次は野球のアンダーシャツにグランドコート。最後にはフリースジャケットも着込んだ。動いていなかったら本当に寒い。

6時過ぎに夕食。ここもカレー。でもここはお代わりが自由。僕は2杯食べたね。美味しかった!
そしてもう7時頃には狭い寝床で、人の事など気にせず熟睡していた。

 そしてまだ夜半1時過ぎ。周りの人達が起きだして目が覚めた。外をのぞくと雲一つない!
下界は相模湾の夜景がきれいに見える。そらは一面の星空。
 これはお天気に恵まれそうだ!!
暗い中でライトを着けながら用意をして2時頃に山小屋を出発。大体2時間ぐらいはかかる、と聞いていたので余りゆっくりは出来ない。ご来光を見るほとんどの人はもう出ていて僕が最後ぐらいだった。
山小屋からは登りがきつく、道幅も狭く成る。それでもペースを崩さず、暗闇の中、高度計を見ながら、「あと少し、もう少し」と言いながら登り続けると、山頂の鳥居と山頂郵便局が見えて来た。御殿場ルートのゴールに郵便局は有るんだ。知らなかった。
時間にして1時間半程。大体追い越したし予想よりずっと早かったね。
 
 まだ、3時半。日の出までには1時間ぐらい有る。その間に山頂のお鉢めぐりを半分して、ご来光を見る場所を決めて待っていた。
少しずつ東の空は明るく成って来ている。雲海の上に今日はご来光を眺める事が出来そうだ。
 本当に快晴だが、山頂は寒い。カッパ以外の着れる物はポンチョまで全部着込んだ。それでも足元が寒い。今度来る時はスパッツかレッグウォーマを持って来よう。

 そして日の出。本当に素晴らしいご来光。
神様と雄一が巡り合わせてくれた。そう思う。今、この瞬間に生きている事に本当に感謝!!




そしてご来光が見える山頂の岩陰に遺灰をまいてやる。もう北海道、石狩川層雲峡から乗鞍岳、大台ヶ原にもまいた。

もうすぐ初盆だけども、何とか自分の目標は達成できそうだ。

 時間が許せば、もっと色んな所へ連れて行ってやりたい。

暫らく山頂の回りを散策。山頂郵便局は6時には開局するらしいが、そのポストへ郵便物を投函する人が何人かいた。

 
6時過ぎに山小屋まで下山して、少し休憩して朝食。お弁当の様だけど、ご飯と味噌汁はお代わり自由。これは嬉しい。味噌汁と梅干はこういう時は一番だね。とても美味しく感じた。

お天気は最高だし、そんなに風も無い。着替えもして寝ころぶと空は本当のブルースカイ。下界は雲海。本当に気持ちがいい。

  7時頃に山小屋を出発。この御殿場ルートの下りは7合目の下辺りから砂走りルートが有る。殆ど真っ直ぐに砂利の上を滑って行くようなルートだ。これが下の登り口付近まで続く。
下り坂だし、またヒザにくるだろうなあ・・・と思いながら下山を始めた。 そして砂走りルートに入った。
その付近からは雲の下に入るのか、ガスが出て来て肌寒い。
 少し降りて行くと、登りからちょっと痛かった左足のくるぶしが痛く成って来る。
 一旦、靴を脱いで、ハンドタオルを巻くと快適!何の痛みも無い。しばらく走ると今度は右足が痛く成って来て、今度はタオルを巻いた。これで完璧だったね。今度からはタオルでサポーターでも作って用意して来よう。
それからの砂走りは超快速!大股で、かかとで着地して滑りながら殆ど駆け足で降りて行く。プロトレックの高度計は見る見る下がって行く。

 沢山の人やグループを追い越して、2、3度短い休憩をしただけで、一気に降りて来た。
この砂走りは気に入ったね!!
 大股で砂の山の所を狙ってかかとで着地するように走れば、砂でショックが吸収されてヒザへの負担も少ない。

 砂が少なくて少し下が固いところは注意しないと、もろにヒザに来てバランスを崩す。そんな所はスピードを落としながら下山して来た。
時間にして2時間弱。9時前には1500m付近の山小屋に着いた。ここからは駐車場までは10分弱だ。
 標高差1800m、登山道7~8キロを2時間弱で降りて来た事に成る。

 自分でも予想外に速かったね。富士吉田ルートの下山は地面の固い所が多いし、階段上の所が多いから絶対にこうは行かない。
登りは大変だけど、下りのコツさえつかめば、とっても快調に降りて来れる。ヒザの痛みも無い。

 登りのキツサさえ我慢出来れば、またチャレンジ出来そうだ。
でも、このルートにはお土産屋さんらしいお店は駐車場上の山小屋しか無い。
7合目まではトイレも何も無い。
回りの風景も余り代わり映えがしない。しかも、登りは足が砂に取られてしんどい。
これが、余り人気の無い要因だろうね。

 車に着いてゆっくり着替えて暫らく休憩。これから帰りの体力を調整しないとね。
10時過ぎには御殿場から高速に乗った。3度程、休憩しながら順調に高速を飛ばす。
帰りも予想より早く、2時半には大喜びするモモとじゃれ合う事が出来た。
新東名も快適だし、予想より近く感じたね。

 前日に出発を決めての登山だったけれど、山頂に遺灰をまいてやる事が出来た。
もうすぐ初盆に成る。雄一は元気にしているかな。
素晴らしいお天気とご来光。ケガも無く無事に帰って来れた。
雄一、ありがとう。

今度は九州へ行こうと思っている。

2013年7月13日土曜日

14年振りの乗鞍岳山頂

 昨日は乗鞍岳へ。
今週の高山方面のお天気の良い日に・・・と天気予報と予定とにらめっこしながら、木曜の夜中に家を出た。夕方には戻るつもりだけど、乗鞍の畳平まではバスでしか行けないので、モモは連れて行けない。お姉ちゃんにモモの朝ご飯をお願いした。
津から高山まで、高速を乗り継ぎノンストップで行ける。早朝の3時40分のほうのき平駐車場初のバスが有るので、それに乗って出来れば、ご来光も見たい。
夜11時半過ぎに家を出たが、その時間までには結構飛ばさないと苦しいな・・・と思っていて、カメラには注意しながら結構飛ばした。フィットRSも快調。それでもほうのき平に着いたのは3時15分過ぎ。そこから、着替えて準備して・・・。まあいい時間に成った。

 バスに乗って畳平まで約50分。辺りは明るく成って来ている。けれども霧が濃くて視界は15mぐらいしか無い。何とか晴れて欲しい!と願いながら富士見ヶ岳に急いだ。
 乗鞍へは雄一が中学の頃に母親も連れて一緒に来た。
もう14年前に成る。その時は日中に皆で山頂まで登った。
山頂手前の3000m付近の山の背のほぼ平な登山道が続くところが有るけれども、そこで雄一と
「ダッシュや!!」と言って2人で走った思い出が有る。あの時は僕も今よりずっと元気だった。

 登り始めると霧が強い風に流されて行く。そしてとても寒い!!2000メートルを越えているとはいえ、この寒さと強風はとても辛い。指先の無いバイク用のグローブをしていたが、その指先の冷たい事!
そして強風にあおられながら富士見ヶ岳に登り切る前に東の空の雲の切れ目から太陽が昇って来た。
 富士山で見た神々しい程のご来光では無いけれど、霧も晴れて来てそれは感動させてくれた。

 そして岩に座って見ていたヨメが後ろ側の斜面の下、すぐ近くに雷鳥を見つける。こう言う目ざとさは僕よりは優れていると時々思うね。良く見ると1羽では無くもう1羽いた。風が強くてカメラのピントも合わせ辛かったが、とてもラッキーだった。強風だったし、多分僕達が風下側。そのせいか雷鳥は人に気付かなかったのか、あんまり動かなかった。

 そして富士見ヶ岳に登り、まずそこに日の出の見える方向に少し遺灰をまいた。
それから山頂の剣ヶ峰を目指す。
少しずつ、霧も流れて周りの景色も見えてくる。山肌に沢山の残雪が見える。これは寒いハズ。お天気の条件は違うが、2度行った富士山よりもここは標高は低いけれど、ずっと寒く感じるね。

 母親のペースに合わせながらゆっくり時間をかけて休憩しながら登った。風は弱くは成ったが、それでも西から東の方向に吹き上げてくる。頂上の風は倒されそうなぐらい本当に強かった。霧もその都度に晴れたり陰ったり。
そしてこの剣ヶ峰の頂上にも東側の岩影のところに遺灰をまいた。
 喜んでくれるかは解らない。けれどももう少し思い出のところや、行きたいだろうところへまいてやろうと思う。





お昼過ぎには高山まで降りて来たが、さすがに暑かった。
帰りの高速も渋滞も無く、スムーズに帰って来れた。本当に眠かったけれども。
モモも元気で、大喜びで迎えてくれた。
次はどこへ行こう・・・。九州の阿蘇にも、もう一度行ってみたいと思っている。
阿蘇は高校生の時にバイクで、22~3の時もバイクで行った。それ以来だ。
 

2013年7月10日水曜日

サラ・ブライトマン

 昨日はとっても楽しみにしていた、サラ・ブライトマンのワールドツアーの名古屋公演。
2時過ぎに雄一のお墓に寄って、車を津新町の駐車場に預けて電車で出かけた。
名古屋から東海道線を乗り継いで、笠寺。日本ガイシホールに着いた。
5時前だったけれど、開場は6時からだし、軽く食事してサラのTシャツやCDを買ったり。もう沢山の人達が来ている。

 そして会場に入り、公演を待つ。やっぱり僕らぐらいの年代の人や一回りぐらい若い世代の人達辺りが多い様に思う。ガイシホールは1万人収容と有るけれど会場は殆ど満席だった。

7時過ぎにいよいよ公演が始まる。
オープニングはエンジェル。
そのサラの響き渡る歌声に鳥肌が立ってくるような感覚。。。やっぱり凄い!!
演奏の迫力も凄い。

 サラはロシアの宇宙船に乗って宇宙ステーションへ行く訓練をしているけれど、そんなサラの宇宙をイメージしたような色んな映像やグラフィックスが、ステージの大きなバックに写し出されて、それがサラの歌声と音楽にとてもマッチしている。

 オーロラが見たいなあ・・・とか、世界中の素晴らしい絶景の映像などを見て、
「あんなん見たら、人生観変るやろうな・・」と雄一は良く言っていた。
それは僕も同感。出来る事なら連れて行ってやりたい。

 そんな事をサラのステージを見ながら思っていて、もうオープニングから3曲目には泣けて来てしまった。
本当に素晴らしかった。
胃袋の中から、体も心も洗われた感覚。
また機会が有れば、見たいと思う。

2013年7月9日火曜日

雄一と20年振りの大台ケ原

 昨日は久し振りにおじいちゃんのお見舞い。
10時半頃に養護ホームに着いて、様子を見て来た。
もう半年以上に成るかな。。。雄一が調子が悪く成ってからは来てないからね。
また、小さく成ったような気がする。
自動で動いて変化する介護ベットの上で曲げた右足の先を動かしながら眠っていた。

 この日は初めてのフィットRSでのドライブだったけれど、7速バトルシフトにアルミペダルとくれば、自然とステアリングを持つのも10時10分に成る。
ボデイ―が小さいので、バタつくけれど走っていて面白い。

 それから大台ヶ原へ向かった。もとろんモモも一緒だ。
そこから約2時間ぐらい。アップダウンやカーブが多いので、モモも車酔いをしたけれど、車を降りたらとても元気!

 大台ケ原には雄一がまだ保育園の頃、大阪からお姉ちゃんも一緒にここに来た。もう20年以上前だ。
あの頃は自然破壊がとても進んでいて、山肌には枯れ木が多く、これから先が心配。。。そんな状況だった。
けれども大峰山系や熊野古道の世界遺産の影響も有るのか、国が近年、自然保護と森の再生に取り組んでいる様で、山のイメージは昔とは違って、とても緑が増え、遊歩道もキレイに整備されてとても歩き易い。鹿や自然動物からの樹木の保護もいたるところで、木々にメッシュのカバーがされている。それも目立たない様に。
 大台ケ原の駐車場から日の出ヶ岳まで、往復3.4㌔ぐらい。短いコースだけどモモもいるからそこまでトレッキング。
モモもさすがに途中でイヤイヤしたけど、良く歩いたね。
 
 その日の出ヶ岳からは、お天気のいい時は富士山も見えるらしい。その写真も案内されていた。
そこに雄一の遺灰も少しまいて来た。
20年振りに来たんだからね。
気が向いたら、ここのいい景色を眺めてくれたら嬉しい。