今回は九州熊本へ。阿蘇へ行きたい。
28日の日曜の夜に可哀そうだけど、モモをいつものペットホテルへ。
車に乗る時は大喜びだが、ペットホテルに近づくと、何だか感じる様でソワソワしている。
いつものお姉さんにモモを預けるが、もう必死で戻ろうとする。。。可哀そうだけど仕方無い。
7月29日
月曜の早朝になぎさ町を出て高速船に乗った。朝の始発、月曜だけどほぼ満員。予約はしていなかったので、チケットを買う時にちょっと心配で聞いて見たが、「1割も空いてないですね。」
今日はまだ少ないらしい。万一乗れなかったら飛行機にも間に合わない。今度からは予約をしておこう。
セントレアで手続きをして、搭乗案内になったがバスで案内すると言う。
「ふ~ん。。遠いとこ行くのかな。。」と思っていたが、確かに空港の端の方まで走って行く。そして止るとそこには小さな旅客機。
「え~、これ?マジ?ちっちゃ~」とひなたも言う。これはボンバルディア機だ。僕もマジで心配だったけど大丈夫だった。でも着陸はちょっと怖かったなあ。
大分に着いてレンタカーの手続き。初めてレンタカーを使ったが、完璧に手配やサポートがされている。今回借りたツアーベースのヴィッツならツアー料金に全部込み。必要なのはガソリンだけだ。グレードを上げると追加が要るが、ナビもETCも装備でこれで充分。
まずは別府へ向かい地獄めぐりへ。と言っても全部見る時間は無いから、今回は血の池地獄だけ見学した。40年前にもここへ来ているが、大分から四国へフェリーに乗っただけで、殆ど覚えていない。
空は雲が低く、今にも降ってきそうだ。湯布院に立ち寄ってゆっくり昼食。その後、阿蘇へやまなみハイウェイを行く。ここは昔と変わっていない、と思う。
途中からは雨も降って来たり。。霧も濃くなってきた。
それでもナビが案内する先を疑わずに走り続けて3時前にはロープウェイへ行く道路に入った。
「でも何だか違うんだなあ。。。」
記憶に有るような風景ではないんだよなあ。。。と思いながらロープウェイ乗り場に着いたが、人気が無い。シャッターも閉まっている。
中の売店のおばさんに聞くと「もう2年前ぐらいから止ってるよ。」
地図を見直すと確かにロープウェイ乗り場だが、小さく休止中と書いて有った。阿蘇のもう少し西側の登山道からのロープウェイは今も動いている様だ。もう今からでは多分間に合わない。お天気も良くないし、その日は諦め翌日、朝一番にもう一度登る事にした。
その日は阿蘇のふもとのホテルに宿泊。そこそこ有名なゴルフ場の有るホテルで設備も部屋も綺麗。窓からはゴルフ場が見れるし温泉もとても気持ちが良かった。
ホテルに有った熊本のキャラクター、クマもん。どこに行っても色んなキャラクターグッズが有って面白い。中々の人気者の様だ。
7月30日
阿蘇の早朝は雲が低い。雨も時折落ちてくる。今日はこのお天気で見れるだろうか?
7時半にはホテルを出て阿蘇に向かった。雨はそれ程でもないが、霧が段々濃くなってくる。
風景は記憶に有る風景だったが、ロープウェイ乗り場が近付くにつれ、視界は10mぐらいしか無い。ライトをつけてノロノロ運転。
辺りが真っ白な霧の中、8時半までには着いたが今日も人の気配がない。。。
暫く待っていると職員が入って来て準備をしている。ロービーが開いて切符を買おうとすると、
「今日は濃霧注意報が出ていて登頂禁止です。ロープウェイも登山道路も開きません。」
この濃霧では確かに危険。天気予報も回復の兆しは見えないし、諦めて下山して、高千穂峡へ行く事にした。降りる途中に米塚と表示された大きな案内版が有る。
確かここは40年前に、まだ高校生の時にバイクでここで写真を撮った記憶が有る。写真も探せば出てくるだろう。あの時も夏休み。暑い青空の日だった。正確には41年前か。。。
阿蘇へ行こうと思った時、この米塚の記憶がずっとあって、そこに行けたら、そこに違灰をまいてやろう、と思っていた。濃霧で周りは良く見えないけれど、そこには41年経って孫娘や娘が同じ所に立っている。
皆に見送られて風に任せて雄一を飛ばしてやった。
「好きなところへ飛んで行け!。。。元気で過ごせよ!」
それから神々の里、高千穂峡へ。ここもうっすらと記憶が残っている。
僕は余り詳しくは無いが、歴史的にも沢山言い伝えが有り、歴女の娘と孫娘は興味があるようだ。
この高千穂峡の下を流れる五ヶ瀬川にも違灰を流してやった。
ここから一旦熊本まで走り、3時頃にホテルへチョックイン。ここでクーポンの手続きをすると熊本城の入場がタダになる。一旦ホテルで荷物をおいてから歴女2人が行きたかった熊本城へ。
この加藤清正が建造した熊本城。防御の為の石垣が凄いね!お城も凄いし改めて感心した。ちょっと歴史を勉強してみようか、と思うぐらいに。
歴女達は夕食の後もライトアップされたお城を見に行った様だ。
7月31日。
熊本の日の出は三重よりも30分ぐらいは遅い感じだ。5時頃の明るさが違う。少し日差しもさしてくる。天気予報は快晴ではないけれど昨日よりは良さそうだ。今日は熊本を散策して帰る予定だったが、熊本城はもう行ったし、もう一度阿蘇に行く事にした。今日もダメならそれは仕方がない。
8時過ぎにはホテルを出て、再び阿蘇に向かった。空は晴れ間も見える。注意報も出ていない。大丈夫だろうか。。。
阿蘇に近づくにつれ雲は多くなって来たが、昨日の様な濃霧は無い。ロープウェイ乗り場まで行くと、今日は登山道も開けられていた。そのまま登山道を火口口まで。
そこには昔のイメージの広大な風景が広がる。二日間雨や霧で阻まれたけど、やっぱり来て良かった。ここに遺灰もまいてやりたい。
その41年前は遊歩道も整備されていなくて、滑ったら落ちて行きそうな、そんな記憶が有る。確か僕が行ったところは今の遊歩道よりもっと先の方だったような気がする。今は入れないけれどそれらしき通路の後も有る。
今の遊歩道はとてもキレイに整備されている。そしてどこにも中国、韓国語の表示やアナウンスが流れる。もちろん昔は無かった。この日も明らかにその人達の方が多いような気がする。熊本城もそうだったけど、今はその人達を相手にしないと成り立たないのかも知れない。
これは、僕個人としては残念な、とても複雑な心境だ。
でも、ここに来て遺灰をまいてやることが、一番の目的だったし、本当に来て良かった。この阿蘇の雄大さは僕のイメージにずっと残っていて、雄一の名前はそれから付けた。雄一にも話した事は有るし、それは知ってくれていると思う。
これで初盆までのやりたかった事、行きたかった所へは行き、遺灰をまいてやる事が出来た。
この次はどこへ行こう。。。四国、中国、北陸、東北。。
う~ん、縄文杉も見に行きたい。ちょっと無理かなあ。。。
火口を降りてひなた達はお馬さんにも乗ってゴキゲン。
その帰りには、雄一のいる米塚へまた寄ったけれど、今日は風も濃霧も無く、周りの緑がとてもきれいで見渡せる。
また、機会が有れば皆で来よう。
28日の日曜の夜に可哀そうだけど、モモをいつものペットホテルへ。
車に乗る時は大喜びだが、ペットホテルに近づくと、何だか感じる様でソワソワしている。
いつものお姉さんにモモを預けるが、もう必死で戻ろうとする。。。可哀そうだけど仕方無い。
7月29日
月曜の早朝になぎさ町を出て高速船に乗った。朝の始発、月曜だけどほぼ満員。予約はしていなかったので、チケットを買う時にちょっと心配で聞いて見たが、「1割も空いてないですね。」
今日はまだ少ないらしい。万一乗れなかったら飛行機にも間に合わない。今度からは予約をしておこう。
セントレアで手続きをして、搭乗案内になったがバスで案内すると言う。
「ふ~ん。。遠いとこ行くのかな。。」と思っていたが、確かに空港の端の方まで走って行く。そして止るとそこには小さな旅客機。
大分に着いてレンタカーの手続き。初めてレンタカーを使ったが、完璧に手配やサポートがされている。今回借りたツアーベースのヴィッツならツアー料金に全部込み。必要なのはガソリンだけだ。グレードを上げると追加が要るが、ナビもETCも装備でこれで充分。
まずは別府へ向かい地獄めぐりへ。と言っても全部見る時間は無いから、今回は血の池地獄だけ見学した。40年前にもここへ来ているが、大分から四国へフェリーに乗っただけで、殆ど覚えていない。
空は雲が低く、今にも降ってきそうだ。湯布院に立ち寄ってゆっくり昼食。その後、阿蘇へやまなみハイウェイを行く。ここは昔と変わっていない、と思う。
途中からは雨も降って来たり。。霧も濃くなってきた。
それでもナビが案内する先を疑わずに走り続けて3時前にはロープウェイへ行く道路に入った。
「でも何だか違うんだなあ。。。」
記憶に有るような風景ではないんだよなあ。。。と思いながらロープウェイ乗り場に着いたが、人気が無い。シャッターも閉まっている。
中の売店のおばさんに聞くと「もう2年前ぐらいから止ってるよ。」
地図を見直すと確かにロープウェイ乗り場だが、小さく休止中と書いて有った。阿蘇のもう少し西側の登山道からのロープウェイは今も動いている様だ。もう今からでは多分間に合わない。お天気も良くないし、その日は諦め翌日、朝一番にもう一度登る事にした。
その日は阿蘇のふもとのホテルに宿泊。そこそこ有名なゴルフ場の有るホテルで設備も部屋も綺麗。窓からはゴルフ場が見れるし温泉もとても気持ちが良かった。
ホテルに有った熊本のキャラクター、クマもん。どこに行っても色んなキャラクターグッズが有って面白い。中々の人気者の様だ。
7月30日
阿蘇の早朝は雲が低い。雨も時折落ちてくる。今日はこのお天気で見れるだろうか?
7時半にはホテルを出て阿蘇に向かった。雨はそれ程でもないが、霧が段々濃くなってくる。
風景は記憶に有る風景だったが、ロープウェイ乗り場が近付くにつれ、視界は10mぐらいしか無い。ライトをつけてノロノロ運転。
辺りが真っ白な霧の中、8時半までには着いたが今日も人の気配がない。。。
暫く待っていると職員が入って来て準備をしている。ロービーが開いて切符を買おうとすると、
「今日は濃霧注意報が出ていて登頂禁止です。ロープウェイも登山道路も開きません。」
この濃霧では確かに危険。天気予報も回復の兆しは見えないし、諦めて下山して、高千穂峡へ行く事にした。降りる途中に米塚と表示された大きな案内版が有る。
確かここは40年前に、まだ高校生の時にバイクでここで写真を撮った記憶が有る。写真も探せば出てくるだろう。あの時も夏休み。暑い青空の日だった。正確には41年前か。。。
阿蘇へ行こうと思った時、この米塚の記憶がずっとあって、そこに行けたら、そこに違灰をまいてやろう、と思っていた。濃霧で周りは良く見えないけれど、そこには41年経って孫娘や娘が同じ所に立っている。
皆に見送られて風に任せて雄一を飛ばしてやった。
「好きなところへ飛んで行け!。。。元気で過ごせよ!」
それから神々の里、高千穂峡へ。ここもうっすらと記憶が残っている。
僕は余り詳しくは無いが、歴史的にも沢山言い伝えが有り、歴女の娘と孫娘は興味があるようだ。
この高千穂峡の下を流れる五ヶ瀬川にも違灰を流してやった。
ここから一旦熊本まで走り、3時頃にホテルへチョックイン。ここでクーポンの手続きをすると熊本城の入場がタダになる。一旦ホテルで荷物をおいてから歴女2人が行きたかった熊本城へ。
この加藤清正が建造した熊本城。防御の為の石垣が凄いね!お城も凄いし改めて感心した。ちょっと歴史を勉強してみようか、と思うぐらいに。
歴女達は夕食の後もライトアップされたお城を見に行った様だ。
7月31日。
熊本の日の出は三重よりも30分ぐらいは遅い感じだ。5時頃の明るさが違う。少し日差しもさしてくる。天気予報は快晴ではないけれど昨日よりは良さそうだ。今日は熊本を散策して帰る予定だったが、熊本城はもう行ったし、もう一度阿蘇に行く事にした。今日もダメならそれは仕方がない。
8時過ぎにはホテルを出て、再び阿蘇に向かった。空は晴れ間も見える。注意報も出ていない。大丈夫だろうか。。。
阿蘇に近づくにつれ雲は多くなって来たが、昨日の様な濃霧は無い。ロープウェイ乗り場まで行くと、今日は登山道も開けられていた。そのまま登山道を火口口まで。
そこには昔のイメージの広大な風景が広がる。二日間雨や霧で阻まれたけど、やっぱり来て良かった。ここに遺灰もまいてやりたい。
その41年前は遊歩道も整備されていなくて、滑ったら落ちて行きそうな、そんな記憶が有る。確か僕が行ったところは今の遊歩道よりもっと先の方だったような気がする。今は入れないけれどそれらしき通路の後も有る。
今の遊歩道はとてもキレイに整備されている。そしてどこにも中国、韓国語の表示やアナウンスが流れる。もちろん昔は無かった。この日も明らかにその人達の方が多いような気がする。熊本城もそうだったけど、今はその人達を相手にしないと成り立たないのかも知れない。
これは、僕個人としては残念な、とても複雑な心境だ。
でも、ここに来て遺灰をまいてやることが、一番の目的だったし、本当に来て良かった。この阿蘇の雄大さは僕のイメージにずっと残っていて、雄一の名前はそれから付けた。雄一にも話した事は有るし、それは知ってくれていると思う。
これで初盆までのやりたかった事、行きたかった所へは行き、遺灰をまいてやる事が出来た。
この次はどこへ行こう。。。四国、中国、北陸、東北。。
う~ん、縄文杉も見に行きたい。ちょっと無理かなあ。。。
火口を降りてひなた達はお馬さんにも乗ってゴキゲン。
その帰りには、雄一のいる米塚へまた寄ったけれど、今日は風も濃霧も無く、周りの緑がとてもきれいで見渡せる。
また、機会が有れば皆で来よう。