2024年12月28日土曜日

またCT検査。。

 先週日曜の午前の訓練途中。。訓練用ベッドの上でリハビリを受けていた後に、一旦上体を起こした時に、目まいを感じた。その後も少し訓練を続けたが、頭がおかしい。。平均感覚が取れてない感じで、暫くその場で休憩をして、周りを見て少し歩いて、何とか終えた。それから病室で休み、調子も戻って来て、午後からのリハビリには、ほぼ普通に終えた。

 そして翌日の起床時。。起きようとすると天上が回ってるよ。。時間をかけながらゆっくりゆっくり起きて椅子に座り、看護師さんに血圧を計ってもらう。少し高い。。何とかリハビリはこの日も終えたが、原因が解らず、翌日がまた心配。。そして火曜日の朝。。目まいは減ったが、調子は芳しく無く、看護師さんには何とか早めに検査でもしてもらう様にお願いした。

 そして午後から、CTの検査が入った。2時過ぎからのCT検査では細く長くて固い機器の上に寝て、クルクル回るCTの中に入っていく。。それだけで気分が悪く成ってしまった。頭だけなので、早くは終わったが、身体を起こしても暫く目は回りそうで気分も悪い。。CT室を出て、暫く椅子に座り気分が戻ってから、自分の病室へ戻って来た。

 そして4時過ぎに主治医の先生が来てくれる。「あんた、大丈夫やで。良く成ってるよ!」検査結果も見せてくれる。「ああ、良かった!ホントに良かった!」これで頭、脳の心配は無く成った。来てくれていたヨメも大喜びで帰っていったよ。でも原因は何なのかな。。それは解らないが、直らなくても付き合っていけばいい。完璧には成らないんだから。

 ホントに一時は、「また車イスか。。」と頭をよぎったよ。。あれから水曜日以降、朝の起床の時の目まいは殆ど無く成ってきた。調子が悪そうな時は早めに休み、その合間のリハビリ訓練もずっと受けている。もう少しだ。頑張ろう。

2024年12月21日土曜日

般若心経を書こう。

 今日はいよいよ冬至だね。これから冬本番。先日は病院の窓から見える早朝の景色にも霜が多く見えた。病室の温度は日中は24度前後だが、今朝は21度まで下がる。おそらく外は4,5度ぐらいかな。病院の中は季節感が全く無いが、これから外は冬本番だ。最近のニュースではインフルエンザが流行してるみたいだね。今朝のLINEのチーム連絡を見ても休みが多い。練習は明日で練習収めに成るが、お正月の間にしっかり体調を整えて欲しい。

 このお正月も帰れないが、今の感じでは後一か月という所かな。何より歩ける様に成ったのがありがたい。これが長引いていたら退院も解らない。まだまだ右足の弱さは大きく感じるがしっかり強くして行きたい。毎日、合間に病院内を右足と相談しながら10周以上は歩く。寒い中でも療法士さんと一緒なら、病院の外へ出ても歩く。短い時間だけどね。

 右手はまだ相変わらず。。指先の回りの神経がまだ戻らない。指先の腫れもまだ収まらない。毎晩、湿布もしてマッサージもしているが、まだ変わらない。それでも食事はハシで、何とか食べている。時々人差し指が遊んでいるけどね。文字書きは左手でやる事に決めて、右手の練習は今はやめている。今、無理にやっても鉛筆を飛ばしてしまうので、意味が無いんだよ。

 左手ではかなり書ける様になった。ゆっくる書けば困らない。おそらく退院しても何とか左手で出来ると思う。左手での文字の練習はノートに名前、住所や色々書いて練習している。最近読んだ立命館アジア太平洋大学の学長、出口さんの著書は2回読んで、2回目はPCにメモしながら読んだ。同じように脳出血で右半身不随と成った出口さんの、言葉には納得する事ばかりだ。彼は左手での文字練習に、小学生が使う古典のなぞり書きのテキストを、「枕草子」や「奥の細道」、その他の古典文学などを全部やり切ったらしい。僕はそこまで出来ないが、言語聴覚士さんが、お経の般若心経にまつわるテキストをコピーにて用意してくれた。般若心経は子供の頃から、お婆ちゃんの隣でいつも聞いていて、今でも殆ど覚えている。その般若心経に関する写し書きのテキストをこれからやるつもりだ。

2024年12月15日日曜日

理学療法士、作業療法士、そして言語聴覚士

 先日の立命館アジア太平洋大学、学長の出口さんの著書は金曜には一気に読みほした。日本史から世界史、古代まで、多くの著書を持つ出口さんに大変興味が沸いて、また一つ本を頼んだよ。今なら読む時間はタップリ有るからね。ちょっと勉強もしてみたく成って来る。

 彼も僕と同じ、理学療法士、作業療法士、そして今は言語聴覚士の先生がいて、それぞれの療法を僕も受けている。それらを受ける患者は一日それらで3時間と決められていて、それ以上の時間は受けれない。後は自主訓練に成る。自主訓練と言っても、療法士さんが事故の無いように認めた範囲でしか出来ないので、そんなに出来る物でも無い。今の僕は自由に歩けるので、病院内も歩き回っているが、それまでの自主訓練は中々難しいのが現実だ。病院の壁には手すりが有るので、歩ける様に成るまでは、車椅子を止めて立ち上がり、そこで手すりを左手で持ちながら、足首、膝、腰の筋力アップはやって来た。

 言語については、僕も最初の頃は、言葉が出ない、言い出せない症状は有ったが、それらは割と早く改善して来た。食事ではずっと左手で食べていたが、食こぼしなども多く、ビニールのエプロンを付けていたが、2か月が過ぎてそれも無くした。今は右手でのハシでの食事。これがまだまだ右手が思うようには動かず、難儀しているが、退院までこれでやり抜く。

 理学療法は足の回復、作業療法は上半身、腕の回復、食事やトイレ、入浴まで。自分で言うのも何だが、足はまだ弱いが、もう大丈夫だ。ただ作業療法についてはまだまだ腕、肩周りの動きが残る。先日、作業療法士さんとも色々話もして、肩、肩甲骨周りの状態についても色々アドバイスを頂いた。

 入院当初から車椅子を卒業するまでのその身体の姿勢に大きな要素が有る。最初の右腕は荷物の様に重く、どこに当たろうが、ひねろうが、痛みも感じないので、その存在意識が無い。自然と右肩は下がり、肩甲骨が動かない、なよっとした体形に成ってしまう。寝て起きる時でも、関節の状態が良くないので、痛みが出てしまう。そんな事がずっと最近まで続いていた。せっかく訓練の間に肩甲骨を戻してもらっても、またすぐに車椅子肩に成ってしまう。そんな事を繰り返して来たが、最近やっと良く成って来た。歩く時も肩甲骨の位置をイメージしながら腕、肩を振る。今、残っているマヒは右手の指の4本だけだ。戻らないかも知れないが、脳には使えなくなった左脳のその部分を補う能力も有るらしい。とにかくハシの訓練は食べにくくてもやる。文字練習も状態良く成ればやっていく。

 出口さんは言語障害が重くて、途中から、言語の全体構造法の訓練を始めたらしい。これは普通は行わない方法らしいが、赤ちゃんが始めて覚えていく言葉、驚きや喜びを表す「あ!!」という言葉から、残念な気持ちを表す「あ・・あ・・」など、ちょっと文字で表すのは難しいが、おなじ「あ」でも意味が違う。あいうえおから、母音の練習を繰り返す。その強弱、イントネーションを一から勉強し直したらしい。その訓練をやり抜き、2022年の大学の入学式では彼がその祝辞をしっかりと述べている。ビデオでも見たが、ちょっと感動してしまったよ。

2024年12月14日土曜日

来年の目標

 今日は12月14日。僕が倒れて丁度2か月が経った。あっと言う間の2か月だったね。体重は5キロ近く減った。何より病院食だろうな。。高血圧対応はしてもらってるだろうし、仕方ないだろうね。ご飯は200gで、一時240gに増やしてもらったが、おかずも少なく食べるのが辛く成って、200gに戻してもらった。おまけにお昼にはプリンが一つ増えたよ。

 筋力も右腕は特に減っている。。肩から腕までが細く成った。今、やっと右腕も感覚が戻りつつ有って、肩、肩甲骨周りの訓練も痛みの無い範囲で進めている。足に比べて、腕周りの回復には倍以上の時間がかかりそうだ。もう、足は車椅子も昨日に無くなった。病室には着座イスだけ。全ては、杖を付いて歩く。杖を付かない時も有るが、基本はまだ安全第一だ。

 腕はやっと右でのハシの訓練も先週から始めた。まだまだ上手く使えないし、飛ばす事も多い。それでもとにかく右でやり続ける。右での文字練習は、指先がまだばらばらで、鉛筆も何度も飛ばしてしまうので、調子のいい時に限ってやっている。まだ指先の3本が上手くコントロール出来ない。出来る所までやり続けようと、思ってはいるが、右で出来なくても左手で出来るから、大丈夫だ。気にしない。

 退院目安はまずは入院後3か月。何かトラブルが有れば伸びるかも知れないが、おそらく来月それぐらいで、退院できるとは思う。後、1か月。やっと1か月。介護保険では津市から認定も決まって、在宅での、理学療法、作業療法士さんのサポートも1年間は受けれる様だ。どこで頼めるかは解らないけどね。

 いずれにしても、リハビリが始まった頃は足の親指だけが、ほんの少し動いていただけだ。2か月で、杖無しでも歩ける様に成った。本当に僕は恵まれている。皆のお陰だ。子ども達のお陰だ。本当にそう思う。ありがとぅ!

 先日は12月12日の結婚記念日だったが、昨日にはヨメがショートケーキを持って来てくれた。いつもありがとう。退院したら、まずマーキュリー。一杯、一杯可愛がってやる。そして来年の一番の目標はヨメとの時間をこれからはしっかり作る事。そして息子の法要。13回忌は寒い2月を少し遅らせて3月の桜の咲く頃にする。お寺さんにもお願いした。そして、もう一つは、今年は登れなかった富士山へ登りたい。無理なら富士山が見える山へ登りたい。それまでに予行演習の山登りもやっておかないとね。もっと元気に成ろう!

2024年12月12日木曜日

12月12日。。必死で生きよ!

 今日は12月12日だね。46年目に成る結婚記念日だ。まあ。。色々有ったが、初めて別々に過ごす記念日。これは仕方ない。いつもありがとう。

 先日の10日の夜、NHKの教育チャンネル、ハートネットテレビを見た。民放のバラエティーばかりのチャンネルは見る気が起こらず、巡っているとその番組に目がとまった。

 僕と同じ様に、突然の脳出血で同じように半身不随、言語障害と成った出口さん。僕より6歳年上で、現在は立命館大学の九州の学長を務める、僕とは大きく違う雲の上の人だ。調べると彼は津市の三杉町の出身でもあり、とても親近感が持てた。

 彼が入院後、見ざめた後の現実を知り、それでも大学に戻りたいと、3秒で決めたという。ダーウィンの「種の起源」から、

 「何かが起きた時、強い者や賢い者が生き残るんではない。その状況に適応したものだけがが生きのこる。」大きく変化した運命にどんな適応をし、どのように生きるかは自分次第。

  右腕は動かず、話する言葉も十分には話せないが、サインボードにマジックで左手で書いて、筆談を交えながら話す。。僕も殆ど左手で今は書くが、その姿にはとても説得力がある。

 今の子供達は知らないかもしれないが、インドの有名なかつての指導者、マハトマ・ガンジーの言葉も紹介して話す。

 「明日、死ぬと思って生きよ。永遠に生きると思って学べ。」

 僕は明日、死ぬかも解らない。 明後日に死ぬかも解らない。明日の事は誰にも解らない。死ぬかも解らないなら、必死で生きよ!と彼は言う。

 僕には充分には伝えられないが、要は、自分に本当に困った事が起きても、それは誰のせいでも無く、仕方のない事。それにめげず、人のせいにせず、それらを全部受け入れて、自分の一番やりたい事を目指して生きる。そういう事だと思う。

 出口さん(彼の)のそんな言葉に感動し、彼の多くの著書の中で、一つ、アマゾンで注文した。今日には家に届くだろう。病院でのしばしの合間に読んでみたい。


 三重大医学部でのその夜、薄暗い病室だったと思うが、iPadで、ヨメとの面談を担当の人が促してくれた。暗い画面から。「頑張って!」とヨメの声が聞こえた。

 武内病院で2,3日目ぐらいの時だったかな。ベッドの中で、右足の親指が少し動いた気がした。意識して動かそうとすると時々ほんの少し動く。。大きな可能性が見えた時だった。

 僕はまだまだラッキーで恵まれている。今は杖無しでも歩くぐらいに足は回復して来た。右手はまだ文字も上手く書けないが、左手で充分書ける様に成った。最悪右手が完全では無くても、ラッキー過ぎるぐらいに回復して来た。神様は少しでも人の為にまだまだ働け!と言ってくれている様だ。

 与えられた時間はいつまで有るか解らない。だから今をしっかり生きる!子供達にも、少しでも力になれたら嬉しい。

2024年12月6日金曜日

少し見えた見通し

  先日の夜は右腕の手の腫れが続き、深夜にも湿布をして寝る。この10日以上、その様な事が続いている。麻痺している箇所は腫れやすいらしい。。その様な日はリハビリ訓練に入るまで、湿布をしている。一月以上前から、右腕の手は腫れていたが、この10日間ぐらいは特にひどかった。

 そして、昨日はヨメも一緒に、リハビリ訓練を管理する先生を交えての面談会。足の訓練は歩行も開始し、かなり早い回復ぶりだ。そんな報告の中、先生は、「あと一月半ばぐらいまで。。」と言った。まあ、脳出血入院後、3か月は、という事だろう。僕はその言葉を受けて頭の中で、「あと一月と少し。。」とつぶやく。一月少々、、お正月は帰れないが、自分の気持ちの中では、やっと見通しが立った。

 それからリハビリの先生から、時間外でも杖をついての歩行はOKとの許可が出た。病院3Fフロア全部では無く、東側だけ。それでも南北に歩くと、往復7,80mぐらいは有るね。もう少し有るかも知れない。昨日から早速歩いて、朝などは10往復ぐらい歩いたかな。結構疲れる。半身不随になると、かつて有った筋力はゼロに近く成るね。。右足も右腕も。。右足はかなり早く神経は戻って来たが、筋力を比べるとまだまだ本当に弱い。まだ、もっと訓練しないといけない。まだ神経が完全には戻らない右腕はすっかり細く成ってしまった。左腕よりも太かったと思うが、今はその反対だ。早く復活してこれからは訓練有るのみだ。

 そして、昨日の夜から少し右腕に変化。夜に成っても腫れも少なく、熱も帯びていない。手の甲だけに湿布を貼って寝て、今朝も腫れは少なかった。少し良く成って来た兆しかな。明日からも良く成る様に期待しよう。病室には二頭目のバーニーズのぬいぐるみが来て、とっても可愛い。前回よりは少し小さい。これらは数年前にセブンイレブンで、丁度この時期に毎年売り出されていたワンコシリーズのぬいぐるみで、家にまだまだバーニーズが沢山ある。けど、シェパードは無いんだよね。。明日からもしっかり訓練して、1月には帰ろう!

2024年12月2日月曜日

右腕での血圧と、とっても可愛いバーニーズ

 昨日は日曜の午前の検診時、看護師さんに、右手で測ってみて。。と頼んだ。20日ぐらい前に間違って右手に血圧計をセットした時に、腕は何の圧力も緩みも感じず、測れず左手で測り直した。それが今日は測れたよ。。腕は神経が戻って来たのか。今日も頼んだら普通に測れた。まだまだ信用出来ないけどね。

 右手の痛みは金曜のリハビリ後から、手の甲、指、ヒジ周り、肩に湿布を貼ってみた。気持ち、楽に成った様な気がする。土、日は先生には見てもらえなかったが、今日は訓練中にリハビリの先生が見に来てくれた。リハビリ前には湿布をはがすけども、今日はいつもより関節の重みも少なく、肩もいつもよりは軽い。手の腫れも少しひいて来て、大きな問題も無さそうだ。念の為に、右側のベットの柵には、腕が入らない様にカバーを付けてもらったよ。これなら寝てる間に、右腕がはまり込んでる、という事は無くなる。今まで何度も有ったからね。。

病室のベットの柵のカバーとバーニーズの可愛いぬいぐるみ。

 そして、昨夜は夕食後に、ふと思った。病室の小さな棚には、家から娘が持って来てくれた30センチ弱の可愛いバーニーズのぬいぐるみが有る。腕が少し軽く成って、指も動く様に成って来たので、そのぬいぐるみを右手の傍において、常に触り撫でながら寝る事にした。右手にはずっとその感触を感じながら、神経を刺激していく。あわよくば、神経が思い出して右手が復活する様に。

 今日は病院ではシャワータイムが有り、そこでは介護士さんが気を利かせて、頭をバリカンで刈ってくれたよ。子供らは私が刈っていたというその人は聞けば、栗葉さんの2007年頃の子供さんの時代で、栗葉さんが本当に強かった時で、あの年は総なめされたと記憶している。でもその秋に5年生主体のチームで練習試合をさせてもらったが、当たり前だが、全く歯が立たなかった。ボカボカ打たれても、それでもエースを出してくれたんだよ。でも翌年2008年は県大会への予選も下し、あの年の栗葉さんとの勝率は6勝1敗。今も忘れない。あの時の練習試合や試合の中での経験から、徹底してトス、バント、エンドランは練習した。状況によって、バントならどこを狙うか、エンドランならどこを狙うか、ランナーは何を狙うか、そういう練習を繰り返した。それは今の時代でも多分変わらないと思うね。野球では一番大事な事だと思う。

 でもあの時の強いチームを作った熱血コーチの人はコロナの時に感染したのか亡くなったんだよ。本当に強い人でも、まさかと思う人でも、感染すると亡くなってしまう。。僕は生かせてもらって、社会復帰を目指しているが、本当に人はどこでどうなるか解らない。

 気が付けばもう12月に入った。おそらく今の状態では年内は無理。右腕が復活して、早くて1月。長引けば2月に入るかも知れない。諦めずに少しずつでも頑張っていこう。