2024年2月22日木曜日

血の池地獄から四国へ

  今日は小雨模様の早朝からお散歩開始して芝の公園も水溜まりが有るぐらい良く雨が降って残っていた。ユウもマーキュリーもトイレ済ませて出発する準備。この様なロッジはワンコと暮らすにも気持ちいいな、と感じる。もう今からでは家の立て替えもとても無理だが生まれ変われれば、こんなログハウス風で充分だね。


 8時過ぎにはロッジを出て別府へ向かう。せかっく大分に来たんだからせめて地獄めぐりでも寄って行こう。以前に娘やひなたを連れて来た地獄めぐり。今回感じたが、その駐車場などはどこも料金を取らずにオープンで空けている。ちょっとこんな観光地は始めてだね。もちろん地獄めぐりへ入るのは入園料が必要だが、回りに有る駐車場も同じでとても入りやすい。発送の転換と言うか、どこの駐車場が安いか、なんて考える必要もない。とてもいい取り組みだと思うね。


 血の池地獄へ行くと大型犬も大丈夫だと言うのでお土産売り場もそのまま入って血の池地獄へ。そしてびっくりしたのはその中にドッグランが有るよ。いや、ここに有っても外からは入れない。血の池地獄の入園料を払わないと外からは入れない。ちょっともったいないドッグランだな、と感じたがユウ達には良かったね。

 血の池地獄を出るともう10時過ぎ。そこから一気に佐賀関のフェリー乗り場まで走る。ずっと雨で風も強い。佐賀関に着いたのは11時を少し回り次のフェリーは13時発。ゆっくりお弁当を食べて、ユウとマーキュリーのお散歩も行ってフェリーに乗った。しかし良く降るなあ。。


 フェリーの中では車から降りずに車内の中で過ごす。小さなフェリーだし大型犬は外には出せない。1時間少しだし仕方ないよ。雨や強い風で海も荒れていて良く揺れたが少し遅れて四国の佐多岬、三崎港へ2時半頃に着いた。相変わらず風は強く寒い。この佐多岬から四国高速へ入る八幡浜までの道路沿いにはとっても綺麗な桜の様な花が沢山咲いている。桜よりピンクが強く本当に綺麗に見える。途中に何度も止って写真を撮ったよ。これ何の花だろうと調べると河津桜の一種かな。本当に綺麗だった。

四国の高速でのSA。ここにも恋人達の聖地と有る。。

 金毘羅宮へ行きたかったが高速に乗ったのは4時頃で、ここから飛ばしてもとても間に合わないね。雨は降り続くし6時前には諦めて、このまま走って深夜の1時過ぎに津のインターを出ればいい、休憩しながらそのまま津を目指して走る事にした。ユウ達には2時間以内のお散歩もいれながら瀬戸大橋を渡り、最近出来た新名神を高槻で合流し帰って来た。途中の新名神の土山インター付近では工事での6キロ以上の大渋滞。。3車線を1車線に規制している。。深夜とは言え、交通量の多い新名神。1時間以上かかったよ。

 それでも1時半を過ぎて津インターを出て無事に帰って来た。ちょっとハードな旅行だったけど、ユウやマーキュリーと一緒で楽しかった。また行きたいね。ユウもマーキュリーもお疲れさん。

2024年2月21日水曜日

雨の中、阿蘇から湯布院、別府、梅園の里へ

 21日の早朝は6時前に強いスコールが宿の雨を叩く。暫くして小降りに成り、その間にユウ達とのお散歩開始。小雨は降っているし1頭ずつ傘を持って歩く。身体を拭いてやって一緒に朝食。2人ともお利口さんだったよ。荷物をまとめて部屋を掃除して、オーナーに見送られながら阿蘇へと再び走る。

阿蘇は雨。。有毒ガスも出ているようで入山できず残念。。

 けどもやっぱり雨が降って来たよ。阿蘇へ登る間には霧も出て来る。暫くして頂上下の駐車場には着いたが、そこから山頂への道路はやっぱり入れず通行禁止に成っていた。火口の警戒レベルが上がり今年1月後半から入山規制に成っている様だ。上がって来る人は数台で、すぐに降りて帰って行く。僕もユウ達と写真を撮りながら諦めて下山を始めた。下りる程に雨は強く成り予報を見ても止みそうも無い。天気予報の雨雲レーダーを見ながらその隙間で観光しながら別府まで行ければ、と思い走るがずっと雨だった。

お昼頃には雨も止んだが。。
 唯一お昼頃に雨が止み、近くまで来ていた湯布院へでも行こうと走るが近くまで来るとまた前が強く成る。ただでさえ狭い湯布院に傘をさす観光の人達が多くいて、とてもワンコを連れて歩くのは無理だ。車を止める所も無い。諦めて別府の今日の宿の梅園の里へ向かう。

 梅園の里はね、7,8年ほど前に泊まった事が有って、その時はマーキュリーとモモが一緒。離れの大きなログハウスでワンコも一緒に泊まれる。僕が経験した中では一番大きくてしっかり整備されている所だ。しかも高くは無い。別府の街中を抜けて国東半島の真ん中辺りに有る梅園の里。4時前には着いたが雨はまだ止まない。。天気図を何度も見ていると6時前には雲は明けて来そうだ。予想通り小雨からその量も減り、2人を連れてお散歩に出かける。来るときに綺麗に咲いていた梅の木が沢山有った入口近くの所まで駆け足で行く。いつまた雨が来るか解らないからね。ロッジから往復40分ぐらいだっただろうか。入口の綺麗に咲いていた梅の花とも一緒に写真も撮れた。ユウもマーキュリーもトイレを済ませてまた急いでロッジへ戻る。



疲れたのかな。。お休み。

 このロッジには装備は何でも揃っていて食材さえ有れば料理も出来る。室内も広くて2階のロフトでは大人4人は充分に寝れて僕達も快適に眠れたよ。朝も霧まじりのお天気だったがお散歩も済ませて8時過ぎにはロッジを出た。大型犬を連れて泊まりに来るには広さも充分でお勧めなロッジ。ただ周りには何も無いので、経営する側から言えばどれだけ魅力をアピールしたり企画したりする事だろうな、と感じるね。

2024年2月20日火曜日

思い立って熊本、阿蘇へ。

  今週20,21日は仕事も休み。先週の連休中もその前からも考えていたが、また阿蘇へ行きたい。そう思っていた。そして22日は有休も取って3連休にしてもらった。最悪23日は祝日だからそこまで伸びても大丈夫かな、と思っていて19日の夜から出発する事にした。ユウとマーキュリーも一緒に行くので車はハイエース。後席は1人寝れる様にもした。毛布とマットも積んでいる。2,3列のシートは倒せば大人1人は充分寝れる事も解った。その用意もした。一応寝袋も2つ積んでいる。まず寝袋と毛布が有れば大人2人は寝れる。その足元にユウ達が寝そべってくれたらいい。

 19日の夜10時前に津インターから乗る。新名神も更に新しく出来ているようで高槻辺りから新しくずっと先まで出来ている様だが、まだ通った事もない。深夜だし、今回は慣れた高速、中国から山陽道を走り続ける。最初は四国へ渡って三崎港からのフェリーも考えたがフェリー代は1万以上はするし夜は運行していない。四国経由は諦めてひたすら高速を走る。深夜1時過ぎに広島辺りのSAで仮眠する。ユウ達は途中にもお散歩タイム。ハイエースは大人2人が足を伸ばして寝れて大型犬2頭もゆっくり休んでいる。。これは他の車でではまず出来ない。ワイドボデイだし広さは僕達のワンコスタイルには今はピッタシだ。一度は乗り換えも考えたがやっぱりこの魅力は少々燃費が悪くても充分に我慢できる。ユウ達がいる間は乗り続けたいと思っている。


熊本城の外周公園から

 4時半頃には起きて顔を洗って走り出す。もちろんユウ達のお散歩もね。そこから一気二走って熊本まで。以前来た時はお城の中も全部上がって見て来たが、今回はまだ熊本地震からの復興工事中。沢山の人達が見学に来ていたが、ワンコもお城の中以外は大丈夫ですよ、と係りの人達が案内してくれた。工事中の所も多かったが、この沢山の親切な人達なら熊本城の復興は大丈夫だろうと思うね。

春には緑一色に成る。登りたいけど登れなかった。。

 しばらく見て回り、その後は阿蘇へ向かう。18歳の頃に阿蘇へバイクで来た。この米塚でも写真を撮った。鮮明に覚えていて、その雄大な景色が凄く印象に残っている。あれからも数回。そして息子が亡くなってからも色々阿蘇では思う事も多かった。とりあえず行きたい。そして米塚。11年前の阿蘇では娘と孫娘もここに立った。僕の18歳の時と同じ場所にね。熊本地震の時にはこの米塚の大きな看板は倒れたままだった。この日は51年前と同じように建ち、そこにはユウとマーキュリー。一度後ろに見える米塚に登りたかったので、この日はチャレンジするつもりでいたが、少し歩いたがススキの枯れた枝が背丈以上あり、それが坂では滑って登れなく成ってしまい、やっぱり諦めたよ。多分ずっともう登れない。でもまた来たいなあ。

大きな阿蘇が見える。

 時間は4時頃だったが、まだお天気も良かったのでこのまま阿蘇へも登ろうかと思ったが、ここから近い南阿蘇のペンションへ行く。ここのオーナーはとっても良くしてくれて、小さなワンコOKの離れのロッジを借りたが、通常はしないワンコとの食堂での食事もOKしてくれて、ユウ達も一緒に入って食事した。料理はとっても美味しくて、良く行く富士山麓のWoofよりずっと美味しくお腹一杯に成ったね。本当にありがとう。明日は阿蘇へ再び登り、別府へ向かう予定。予報は雨模様だけど大降りは無さそうだし、とっても楽しみだ。

2024年2月15日木曜日

ユウトマーキュリーと経ヶ峰登山

  先日の水曜は午前中は快晴の予報だった。休みだったし久し振りにユウ達と山登りに行きたい。けれども新しい山の登山はユウが登れるかも解らないので、経ヶ峰へ再び登る事にした。ユウはもう3度目かな。。マーキュリーはもう7,8回は登っているだろう。

 お出かけと察知して大騒ぎする2人をハイエースに乗せて登山口まで走る。軽でも良かったんだけど、登山口での急坂などに雪が有るかも。。とも思っていたので四駆のハイエースで行く。そこの駐車場は行くとすでに満杯で、そこから少し下りて山道の脇に止めて登り始めた。

 予報通り、気温は上がり少し登り始めるともう汗をかいてくる。9時40分頃から登り始めて40分ほど、一旦休憩したよ。車を出る時に上着を脱いで来たが、それでも暑くてインナーを脱ぎ、フリース一枚にした。それでも登りは暑かったね。ユウ達も水をボトル1杯分飲み少し落ち着いた。そこからまた登り始めて11時前には登頂したよ。ユウは3度ほど、少し止まっただけで嫌がる事無くしっかり登ったよ。



経ヶ峰山頂

 頂上で持って来たパンやおやつをあげる。ここでもボトル1本の水を飲む。まあ2人だから飲み過ぎでも無い。水は帰り用に後1本だけだよ。カメラのタイマーで一緒に写真を撮ろうとしてもユウはじっと待ってくれない。。本当に待てないユウ王子。。モモやマーキュリーはずっと待っててくれたんだけどね。

 暫く休んでバナナも食べて、帰りは違う山道を一気に下りて来た。時間は12時を少し回る。ほぼ予定通りに下山して来た。1時前には家にも戻ったよ。飼主は久し振りでちょっと疲れた。これからも体力低下を補える様に山登りにはチャレンジして行きたい。今年は70歳に成る時に富士山へチャレンジしたいと思っている。まだまだ頑張ろう。今日はユウもマーキュリーもお疲れさん。マーキュリーは11歳過ぎても山に来ると疲れを知らずにどんどん先を歩いて行く。リードを外して、5~10m先を着かず離れず歩く。止まれ!、待て!、来い!のコマンドにはしっかり対応してくれる。今も変わらずとってもお利口さんだ。まだまだ元気でいてね。

2024年2月12日月曜日

まさか、まさかの再会。

  先日の日曜の夜。。その日は馴染みのチームとの練習試合でそれが終わってからのチーム同士の懇親会だった。夜6時前にご父兄の車で送迎してもらって、久居のそのスナックに着いた。もう皆さん揃っていて、僕達が店内に入るとすぐに僕が挨拶して懇親会が始まった。

 スナックなんて何年振りだろうね。。10年どころかそれ以上だ。記憶すらない。。相手のチームのご父兄と暫く話をして、他の皆さんも盛り上がっていた。そんな時に1人僕の隣の席へ割り込んで来たよ。ちょっと見覚えの有る様な人。。ビックリした。本当にビックリした。。。

真ん中が先生。

 もうすぐ雄一の命日。2月12日だ。2013年のあの日の深夜に病院を出た。葬儀を依頼する業者さんにお願いして雄一を乗せて家に戻ったよ。あの夜に見送ってくれたのはその主治医の先生と看護婦さん。2人だけだった。本当にお世話に成った先生。病院の人達。この夜の別れはこの先の事が頭一杯で涙も出なかったような気がする。。1年半ほど、本当にお世話に成ったその先生だったよ。。

 葬儀も終わって暫くして病院へ挨拶に行ったが、先生には会えなかった様に記憶している。お世話に成った看護師さん達。。この時は涙しか無かった。本当に親身に成ってお世話に成った先生。色んな抗がん剤治療。腫瘍マーカーが下がったら本当に喜んでくれた。新しい治療やセカンドオピニオン。丸山ワクチンや保険適応以外の治療方も相談した。思い出すのは「僕がお父さんの立場だったら、僕も同じ事をする。。」と言ってくれた事だ。雄一の事を本当に良く覚えてくれている。ちょっと元気な日の診察では雄一も良くしゃべり、先生が「こんなにアクティブやったか?」と笑って対応してくれていた。新しいiPhoneを買ったのも覚えていてくれていた。2012年の12月の最後に成るかも知れないハワイ旅行では機内に持ち込む沢山の点滴や医療セットの説明書きを英語で先生にお願いした。本当に親身に成ってしてくれたよ。その先生との11年振りでの思わぬ場面での再会。その後の12日には試合の合間にヨメと一緒にお墓参り。そんな先生との再会も報告して来た。これには何か意味が有るのかな。。もっともっと頑張れ、という事かな。。


 先生の子供さんは4年生でそのチームで頑張っている。ひょっとしたら神戸に入っていたかも知れない。どこでつながりが有るかは解らない。でも確かに人はつながっている様に感じる。これからも元気でいよう。しっかり生きて行こう。