昨日の大峰山の登山から帰る時にとっても嬉しい、感動した事が有りました。
駐車場を出て、しばらく行くとふもとの洞川のお土産屋さんや旅館が並ぶ通りが有り、そこのお土産屋さんの前に車を停めた。
昔からあるこの地方特産の陀羅尼介丸(だらにすけがん)という薬が有る。関西の人は結構ご存じかも知れない。
僕も小さい頃から、お腹をこわしたら母親が、この薬を飲ませてくれた。
今も、ずっとこの薬は家にも有って、子供達にもワンコ達にも調子が悪い時は飲ませていた。
まだ、家には沢山有るけれど、せっかく来たんだし、それを買って帰ろうと思って店に入った。
そのお店には、西浦本舗の陀羅尼介丸として売っている。
「おばちゃん、陀羅尼介丸って色んな本舗が有るけど一緒なの?」
「うん、皆同じ釜で煮込んで作ってる」
色々話してそれぞれの値段を聞いた。
350円の袋入りの物からケース入りの物まで説明してくれる。
「この小さいケース入りのは?」
「それ、1000円かな」
「じゃ、これでいい」
「うん・じゃ、携帯用のケースも持って行き」
と言い、350円の袋入りも、「これも一緒に」と渡してくれる。
「兄さん、くず湯でも飲んで行きなされ。」
と言い、僕も親切なおばちゃんだな、別に慌ててもいないしごちそうに成ることにした。
他の土産物を見ていると、
「まあ、兄さん上へ上がりなはれ」と言う。
そして、くず湯とお茶と、あんこの入ったまんじゅうも持って来てくれる。そして今は懐かしいカラフルなこんぺい糖も。
お言葉に甘えて、上がらせてもらい、全部美味しく、田舎の母親やお婆ちゃんの味を思い出すような感じで、懐かしく食べさせてもらった。
暫らく、僕の田舎は近くだと言う事も色々話をしていて
「今度は息子さんでも連れておいでな」と言う。
「いや、息子亡くなったんや・・・」
と言うと、すまないような言葉を続けて、今度は
「自分のご主人は前立線ガンから喘息も患って、手術して良くは成ったけど、風をひいた時に、栄養剤まで注射して無理をしたので、翌日にポックリ亡くなってしもうた。74歳で。」
自分は2階から落ちて腰を骨折して大手術して、歩ける様には成ったが、今度は腸が癒着して腸捻転を起こし、腐った腸を切ってつないでもらって、何とか今生かせてもらっている、とも話す。
色んな事をそれからも話した。頭のいい、可愛いおばあちゃんだ。
その後も、もう一つまんじゅうを持って来て、「お客さんからもらったんや」とゼリーなども出してくれる。ただの赤の他人のアディダスの派手なシャツを着たおじさんに。
こんなおばあちゃんには出来る事は何でもして上げたくなる。
大した金額では無いが、出雲では買わなかったブレスを
「これも、もらって帰るわ」
中々話が途切れず、少し間をおいて
「おばちゃん、そろそろ帰るわ。また来るわな」
「ありがとうね。今度は奥さん一緒に連れておいでよ。元気でな!また来てよ。」
車を出す時も、一杯手を振ってくれる。
僕も手を振る。
車を出して、すぐに僕はとてつもなく嬉しくて、嬉しくて泣き出してしまった。
今日も大峰山に登りながら雄一の最後の日の事を思い出していた。呼吸器を着けたらもっと居てくれたと思う。まぶたも体も動かなくなっても意識は最後まで有ったと思う。雄一は望まないだろうから、呼吸器は着けなかったが、本当はどんな形でもいい、生きていて欲しかった。あの選択は間違っていなかったのか。。。
心の底には悲しみや悔いは一杯あるけれども、その気持ちは、今日は本当に癒やされて悲しみでの涙では無かった。
もう78歳には成るあのおばあちゃんには、イヤな事も、苦しい事も、間違った事も、受け入れてしまう、母親の様な大地の様な優しさで包む・・・すごく寛容な心が有る様に思えて・・・あれを真心と言うのだろうか。
本当にたまらなく嬉しい気持ちで、しばらく涙が止まらなかった。
大峰山登山も良かったけれども、この日はあのおばあちゃんと出会えた事が、本当に嬉しかったね。また、今度会いに行こう。
駐車場を出て、しばらく行くとふもとの洞川のお土産屋さんや旅館が並ぶ通りが有り、そこのお土産屋さんの前に車を停めた。
昔からあるこの地方特産の陀羅尼介丸(だらにすけがん)という薬が有る。関西の人は結構ご存じかも知れない。
僕も小さい頃から、お腹をこわしたら母親が、この薬を飲ませてくれた。
今も、ずっとこの薬は家にも有って、子供達にもワンコ達にも調子が悪い時は飲ませていた。
まだ、家には沢山有るけれど、せっかく来たんだし、それを買って帰ろうと思って店に入った。
そのお店には、西浦本舗の陀羅尼介丸として売っている。
「おばちゃん、陀羅尼介丸って色んな本舗が有るけど一緒なの?」
「うん、皆同じ釜で煮込んで作ってる」
色々話してそれぞれの値段を聞いた。
350円の袋入りの物からケース入りの物まで説明してくれる。
「この小さいケース入りのは?」
「それ、1000円かな」
「じゃ、これでいい」
「うん・じゃ、携帯用のケースも持って行き」
と言い、350円の袋入りも、「これも一緒に」と渡してくれる。
「兄さん、くず湯でも飲んで行きなされ。」
と言い、僕も親切なおばちゃんだな、別に慌ててもいないしごちそうに成ることにした。
他の土産物を見ていると、
「まあ、兄さん上へ上がりなはれ」と言う。
そして、くず湯とお茶と、あんこの入ったまんじゅうも持って来てくれる。そして今は懐かしいカラフルなこんぺい糖も。
お言葉に甘えて、上がらせてもらい、全部美味しく、田舎の母親やお婆ちゃんの味を思い出すような感じで、懐かしく食べさせてもらった。
暫らく、僕の田舎は近くだと言う事も色々話をしていて
「今度は息子さんでも連れておいでな」と言う。
「いや、息子亡くなったんや・・・」
と言うと、すまないような言葉を続けて、今度は
「自分のご主人は前立線ガンから喘息も患って、手術して良くは成ったけど、風をひいた時に、栄養剤まで注射して無理をしたので、翌日にポックリ亡くなってしもうた。74歳で。」
自分は2階から落ちて腰を骨折して大手術して、歩ける様には成ったが、今度は腸が癒着して腸捻転を起こし、腐った腸を切ってつないでもらって、何とか今生かせてもらっている、とも話す。
色んな事をそれからも話した。頭のいい、可愛いおばあちゃんだ。
その後も、もう一つまんじゅうを持って来て、「お客さんからもらったんや」とゼリーなども出してくれる。ただの赤の他人のアディダスの派手なシャツを着たおじさんに。
大した金額では無いが、出雲では買わなかったブレスを
お茶もくず湯もまんじゅうもこんぺい糖もみんな美味しい |
中々話が途切れず、少し間をおいて
「おばちゃん、そろそろ帰るわ。また来るわな」
「ありがとうね。今度は奥さん一緒に連れておいでよ。元気でな!また来てよ。」
車を出す時も、一杯手を振ってくれる。
僕も手を振る。
車を出して、すぐに僕はとてつもなく嬉しくて、嬉しくて泣き出してしまった。
今日も大峰山に登りながら雄一の最後の日の事を思い出していた。呼吸器を着けたらもっと居てくれたと思う。まぶたも体も動かなくなっても意識は最後まで有ったと思う。雄一は望まないだろうから、呼吸器は着けなかったが、本当はどんな形でもいい、生きていて欲しかった。あの選択は間違っていなかったのか。。。
心の底には悲しみや悔いは一杯あるけれども、その気持ちは、今日は本当に癒やされて悲しみでの涙では無かった。
もう78歳には成るあのおばあちゃんには、イヤな事も、苦しい事も、間違った事も、受け入れてしまう、母親の様な大地の様な優しさで包む・・・すごく寛容な心が有る様に思えて・・・あれを真心と言うのだろうか。
本当にたまらなく嬉しい気持ちで、しばらく涙が止まらなかった。
大峰山登山も良かったけれども、この日はあのおばあちゃんと出会えた事が、本当に嬉しかったね。また、今度会いに行こう。
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