2017年9月19日火曜日

形有る物との別れ。高野山へ。

  昨日は高野山へ。
5時頃にはマーキュリーとお散歩に出かけ、モモも終えて6時過ぎに家を出た。昨夜の台風通過から開けた夜空に欠けたお月さんが家の影からとっても綺麗に輝いていた。
  有希子もひなたも一緒に行ってくれる。2人を迎えに行ってお寺さんと待ち合わせた関のドライブインへ向かった。少し早く着いて待っている間にトイレに行ったりしてブラブラしていると見覚えの有る人が会釈をしてくれる。
 ああ、いつも対戦する野球のライバルチームの監督の奥さんだ。娘さんは中学生で女子野球のチームで今日は試合に京都へ行くと言う。そういえば8月には中学軟式女子野球の全国大会も京都で有った。その子は小学生の頃はキャプテンでエース的存在だった。素晴らしい選手だ。その他にも女子野球の選手達が数人迎えを待っていた。こんな所で私服でも知り合いに出会えて挨拶もしてくれる。人のつながりを感じて何だか嬉しい気分になる。

 いつも本当に良く世話をしてくれるまだ若いお寺さん。7時40分頃に合流して別々の車で高野山へ向かった。僕達は今日はフィットRS。アウトランダーは大人2人とモモ達専用だからね。乗りたくても人はそれ以上乗れない。
 途中、針インターで休憩してお寺さんは今日にお邪魔するお寺などへの手土産を買って来る。本当にいつも礼をつくすお寺さん。ひなた達に道中のお菓子でも、と差し入れまでしてくれた。

 高野山へ雄一の納骨に行く時には私もご一緒しますと、ずっと前から言ってくれていた。だから今回、迷わず声をかけさせてもらって都合の良い日程を決めた。でも、そこまでしてくれるお寺さんているだろうか。わざわざ自分で車まで運転して。

 高野山に10時半までに着いて金剛峰寺の前の駐車場も今朝はは空いていたがお寺さんはその金剛峰寺の職員駐車場へ案内してくれる。そしてまず大伽藍へと案内してくれた。
金剛峯寺の駐車場から大伽藍への入口。ここは蛇腹の道と言われるらしい。

大迫力の壇上伽藍
 お寺さんは壇上伽藍三鈷(さんこ)の松六角経蔵 など色々説明しながら案内してくれる。(ここでは各項目にそれぞれリンクを張っているので興味ある方は見て下さい。)

  お寺さんのその説明を聞いていると他の観光客の方々も傍に集まって来てお寺さんの話をうなずきながら聞いている。六角経蔵は今は軽く回るね。昔はもっと重くて大変だったらしい。
六角経蔵。ひなた達と皆で回した。今はかなり軽く成っている。

弘法大師が高野山を開くきっかけとなった三鈷の末。

この松の葉は3本有る。(普通は2枚葉)
  三鈷の松の回りでは確かに三本の松の葉が沢山落ちている。お守りにもなっているようだね。

  大伽藍を出て次はお寺さんが昼食を予約してくれていた精浄心院へ。大きな由緒あるお寺で宿坊もされている。お寺さんの知り合いもここに沢山おられる様だ。

秀吉の俳句
 丁寧に通してくれた部屋は広い格式の有るお部屋。何でも上壇の間と呼ばれる部屋で昔はお殿様をお迎えするのに使う部屋で普段は殆ど使わないらしい。外の大きな桜には秀吉が詠んだとされる俳句の札も書かれている。

なんと勿体ない上壇の間での精進料理
  ここは戦国武将の上杉謙信などの諸大名も檀家に成っていて奥之院に有る上杉謙信のお墓は今もこのお寺が管理しているそうだ。

 僕達には本当にもったいない。上壇の間での精進料理も美味しかった。ひなたも大体食べた。僕はご飯もお代わりして完食した。そんな料理のお代もお寺さんは私の気持ちとして、とお金を取らない。奥之院に納骨する費用も不祝儀袋に僕の名前も書いてお金も入れてくれている。もちろんこの場でその費用はお渡しして、別にお布施として渡して良いのかどうかは解らないがいつもの法要の時のようにお渡しした。

 食事している間にもここのお偉方のお坊さんがお寺さんに挨拶に来て雑談も交えて楽しい話をしてくれる。僕の頭では中々記憶には残って行かないがお寺さんの話は本当に為になる。勉強に成る。共感する。

 ゆっくり時間を過ごしてもう1時。その後は奥之院へ。1時間ごとにある様だが次の納骨の受付時間は1時40分からなので少し急いで向かった。
奥之院駐車場からの入口。ここからは1㌔弱だが本当のルートは2㌔ほど有る。
奥之院の前の御陵橋の手前。ここからカメラ・携帯禁止。ペットも入れない。

 受付では納骨供養の用紙に記入しお寺さんが用意してくれた不祝儀袋を出して、すぐに奥之院の中の正面に入って座った。暫くして供養をしてくれるお坊さんが来て説明しお経が始まった。
 
 約40分ほど。何だか名残惜しい。そんな気持ちが増して来る。もう形有る物が家にはなく成ってしまう。供養が終わってそのまま納骨堂へ案内される。奥之院の左手奥に有る納骨堂。決して大きくはない。ここに暫く置かれて供養されてその後、すぐ右手に有る弘法大師さんの所のお山へ行き自然に返される。。これで良いと思う。でもそれが無くなると言うのはとっても寂しい。
 納骨堂の大きな鍵のかかる窓口に置かれてお坊さんが般若心経などを唱えてくれてその後、中へ入れられて再び鍵をかけられた。またここへ来ればいい。手を合しに来ればいい。形ある物の最後の別れ。ヨメも泣いていたなあ。

 これで納骨は終わった。その後、すぐ横の弘法大師御廟の前で皆でお線香をあげた。
そしてお寺さんが、またここで般若心経から唱えて供養してくれる。本当にいつもありがとうございます。
 この後、奥之院の地下に有る燈龍堂地下へ入る。沢山の寄贈された身代わり大師と燈籠が並び、弘法大師さんに一番近付ける祭壇が奥に有る。

 奥之院を出て右手には弥勒石(みろくいし)と言うパワースポットも有る。重い石を片手で持ち上げて棚に乗せ、再び下す事が出来たら願い事が叶う、と。案内には悪人には重く善人には軽い、とも有る。これ、挑戦して出来たけどね、少しコツが要る。腕力だけでは持ち上げれない。とにかく重い。
織田信長のお墓。左手に筒井のお墓。
  帰りは沢山の有名な墓標を見て回りながら戻って来た。織田信長のお墓の隣には筒井のお墓が有る。ヨメのその先祖をたどれば筒井に行きつくらしい。赤穂浪士の四十七士の末裔で有るとも言う。確かにそうらしいが話は長く成る。
金剛峯寺の正門へ。
  この後、再び金剛峰寺まで戻り中を案内してもらった。もちろん入館料もいるハズなんだけどお寺さんが都合してくれたのかパンフレットを渡してくれてそのまま入って行く。 
金剛峯寺の大玄関
高野杉の大木が飾られている。

蟠龍庭(はんりゅうてい)と呼ばれる庭。
  天皇がお泊りに成る建物も有る。昭和天皇が来れた時の写真も掲示されていた。見ているだけでは良く解らないが随時お寺さんが説明してくれるのでその凄さ、有難味が良く解る。例によって他の入館者の人達もお寺さんの話に聞き入ってうなずいていた。
龍が二頭登る様を表しているという。

天皇陛下がお泊りに成るところ。

龍が2頭、空へ登る。
右側の小玄関
  僕の知識や言葉では到底いい表せない程の高野山。ゆっくり来て一つ一つ少しでも頭に入れて理解して回って見たい。白と黒の犬が弘法大師を高野山まで導いたと言われる伝説。観光客の連れるワンコは見かけるが地元のワンコはまず見ない。以前にお寺さんに聞いた話では弘法大師とゆかりの有る犬。ここでは大切に扱われていると。お寺の宿坊ではワンコOKのお寺もある様だ。でもモモとマーちゃんは畳には上がれないだろうなあ。。

 高野山名物のごま豆腐。帰りにはそのお店にまで電話を入れて手配してくれていた。時間は5時を過ぎて来たがその帰りにはお土産屋さんにも案内してくれる。本当に何から何までお世話になったお寺さん。三重、亀山に有る辺法寺・不動院さんです。またこれからも宜しくお願いします。本当にありがとうございました。

 雄一が旅立ってから5回目の夏が終わり、やっと納骨を済ます事が出来た。お寺さんは気持ちが着いた時でいい、とずっと言ってくれていた。それでもね。。今年、そろそろ・・と思っていてヨメに話したら、「早く収めてやって、早く生まれ変われるようにしてやった方が良いよね・・」と言う、その言葉で決めた。形ある物との別れ。今まで有った物が無くなる。寂しさや無念さは尽きませんがこれからもしっかり僕達に出来る供養、そして何よりしてやりたいと思う事をして行こうと思う。
 一つの区切り。でもこれからも変わらない。しっかり生きて行こう。

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