今日は親父のお兄さんが亡くなってそのお葬式。今朝は良く冷え込んだ朝だったが、車で田舎へ。会場には沢山の方が来られていた。享年90歳。本当に長い間会っていない親戚の方も顔は覚えているが、名前は出て来ない。多分相手も一緒かな・・・。
自分の家のルーツも兄弟3人とも結婚した頃に兄貴が調べかけた事があったけど、どうなったかなあ・・・。親父の兄弟は8人ぐらいいたと思うけど名前が出てくるのは3人ぐらいだ。これではダメだね。家系図なども今度、機会が有ったら作ってみようか。
式を待っていると覚えのないおじさんが近づいて来て、「元気そうやな、でも年とったなあ・・」と言われて誰だったのか全く解らない。で話を聞くと高校の頃、クラブが終わっていつも最終バスで帰っていた僕を乗せてくれていたその時のJR(当時国鉄バス)の運転手さんだった。そう言えば停留所はまだ先なのに、家に一番近い所で止まって降ろしてくれた事も何度かあった。もう40年近くなるが、覚えているその運転手さんとは似ても似つかない人だったけど間違いなくその人でもう70を超えているが、ちょっとその元気さに驚き、また野球をやっていた僕の事を覚えていてくれたのが凄く嬉しかったね。
いろんな人とののつながりが有って自分がいる。やっぱり自分が生かされている事に感謝する事を忘れたらダメだね。
ちょっと話はそれるが、お正月に孫娘のひなたと皆既日食の話をしていて、「今度はひなたが30才になったらまた見れるわ。でもじいじいはもうおらへんなあ・・」と言われて確かにそうかも知れない。皆既日食をピンピンしている内に見るには世界のどこかへ行かないとダメかな。またそれ以外にまだまだやりたい事は一杯ある。それまでに悔いのないようにしっかり頑張らないとね。
僕の親父は体は元気だが痴呆が進み1年前にはもう身内の顔が解らない状態になっている。長男が色々面倒を見てくれて、ずっと養護施設に入っていてお正月にも帰らずもう暫く会ってもいない。
お葬式の会場から施設も近いので帰りに寄ってみた。
1年以上会っていなかった親父は車椅子に座って食事の後だったからか、気持ちよさそうに、うたた寝をしていた。でも体は本当に小さくなった・・・。担当してくれた若い看護師の彼は凄くハキハキとしたとても好感の持てる子で色々話をすると僕の兄貴の長男とも親交のある子だった。この辺も人のつながりを感じたけれど、こんな車椅子ばかりの痴呆の進んだ老人ばかり相手にこの仕事をテキパキと天職のようにこなす彼を見ていて感心してしまった。とても僕には出来ない。
少し親父とも話したが・・・。
人の幸せって何だろう?と考えてしまう。
一生懸命、贅沢をせずに働いて来て気がついて隠居してしまったら今は子供の顔も解らない・・なんてちょっと可哀そう過ぎる。元気ならお盆やお正月は孫やひい孫に囲まれて笑って過ごす、って事ももう出来ないだろうし残念で本当に可哀そうだ。
仕事はさておき、日々感謝を忘れず悔いのないように!忘れないでおこう。
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