2025年11月21日金曜日

動き続けよう!!

  一気に寒く成って来たね。昨日も今日もまだ午前中は日差しも有って暖かかった。マーキュリーも外に出してガレージの中につないで一緒に過ごす。僕はマウンテンバイクやロードバイクの手入れ。

 マウンテンバイクはもう25年以上には成るだろう。僕が乗るつもりで買ったが、息子が元気な時には時々乗っていた。タイヤも2回代えて今は後ろのタイヤもまたそろそろ買え時かなと思う摩耗ぐあい。大体の手入れをしてシートもかなり下げて乗れるかどうか試してみた。

古いマウンテンもまだまだ使える

 ちょっと正直恐かったよ。。最初は左足スタートで試すが動き出して右足は上手くペダルに乗せれない。右足を先に乗せて動き始めて左足を乗せるとスタートして走り始める事が出来た。家の前の道路を何度か往復して走ったよ。家の周りを2、3周5,600mぐらいかな。。車の多い表通りは今は無理だ。ロード用のヘルメットも有るが乗り出すなら着用しよう。

もう乗るのは無理だ。。。

 思い入れの多いイタリアン・ビアンキは僕の今の状態ではとても乗れない。。。このロードバイクはシート位置も高く、フレームの構造上殆ど下げれない。鈴鹿サーキットでのレースにも出た。ペダルはカーボンのコンパクトクランプに変えて有り、そこそこの山登りの道路も体力次第で走れる。乗鞍岳のスカイラインは今は車では入れないが、自転車は走れるんだよ。富士山の5合目までの有料道路も一緒だ。50代超えても乗鞍スカイラインや富士山登山道5合目までは何度も登っている。どちらもめちゃめちゃしんどい。乗鞍は更にきつかった様に思う。でも下りはとっても速い!何度かタクシーなども追い越して下りていたなあ。ビアンキはこの先、どう考えても乗れそうにないのでメルカリでアップしている。大事にしてくれる人が乗ってくれればいい。色々お金もかけたし気長に待つ。

 メルカリといえばハイエースやNBOXの今や不要となったスタッドレスタイヤホイルセット。先週辺りから高圧で洗ったり準備をして今週にアップすると1日ちょっとで2セットともすぐに売れたよ。そして新しく愛車に成ったデリカのスタッドレスセットを探していたが、メルカリでは沢山有っても中々見つからず、ヤフーを見ていたら丁度良いのが有って落札し、水曜には届いた。純正ホイールだしタイヤもかなり程度が良い。勢いでデリカのタイヤも代えたがこれがめちゃめちゃしんどい。。。不自由な右足右手はきつい作業は本当に辛いが、これで冬場も5,6年は大丈夫だ。

発売以来30年以上は経つサンスイのアンプ。当時で19万。。

 他にも僕の年齢からはこれからは不要になりそうな、ちょっとマニアには欲しがる人も多いだろう物も処分して行こうと思っている。一番目はサンスイのプリメインアンプ。在宅リハビリに来てくれるまだ若い先生にも聞いたがサンスイなんて全く知らない。今は30㌔ぐらいはある超重たいアンプなんて使う人はいない。今はスマフォやネットで聞く時代だ。けれど僕らの年代の若い頃はサンスイのアンプなんて超高くて買えなかった。20年ぐらい前にやっとオークションで買った。中古でもかなり高かったよ。それに合わせてJBLのモニタースピーカー。時々1人休みの時に聞いていた。音の良さなんて僕の感性では良く解らないがこれからは殆ど使わないだろう。今ではJBLのスピーカーの方が高く売れるだろうなあ。今はオーディオ買取も有る様なので聞いてみようと、来週には来てくれる予定だ。

 他にも家の中にも倉庫の中にも今後不要な物は沢山ある。ボチボチ処分していこうと思う。今日もマウンテンバイクで団地内の安全なコースを3周ほど走った。やはり走ると気持ちがいい。自転車のヒザの回転運動はリハビリにも良い様に感じる。坂道での力が入る感覚も良い感じだ。歩行訓練での駆け足も100歩3セットは出来た。右腕もしっかり大きく振ってね。とにかく運動は続けていかないと意味がない。車いす生活には絶対に戻りたくないんだ。

2025年11月7日金曜日

世界遺産熊野本宮大社から湯の峰温泉へ。

  先日の5、6日には車中泊も出来る仕様にしたデリカで、ヨメもマーキュウリ-も一緒に熊野本宮大社から湯の峰温泉へ行って来ました。5日の夜は小雨も降り寒い夜でしたが問題無く足を伸ばして寝れました。一つ感じたのはマーキュリーの寝床が狭かった事。これは次への課題の為にもう少し改善予定です。

 朝は7時前から、その昔に熊野本宮大社が有った所へ行く。今有る大社から歩いてもそう時間はかからない。昔は熊野川の中州に有ったらしいが、明治の時代に大洪水で流されてそれから今の場所に移された。その中洲に有った熊野本宮大社旧社地、大斎原と呼ばれる場所は今の社地よりもはるかに広かったが、僕もこんな大鳥居は見た事がない程の巨大な大鳥居が建てられていて何より大迫力だった。

高さ幅とも40mぐらいはある熊野本宮大斎原の大迫力の大鳥居。

大鳥居を超えてしばらく行くと旧社殿後。ここからは聖域でワンコは入れない。

 その後は現在の熊野本宮大社へ。大斎原から5,600mの距離に有り長い階段の先に有る。石段はやや不規則で雨の後の滑りやすい状態だったのでゆっくりとマーキュリーのリードで登ったよ。まだ8時を回った頃だったが、この時間にも多くの人が参拝に登って来る。昔に結婚した頃だったと思うが、大晦日には大阪から和歌山の潮の岬で初日の出を見て、それから新宮を通りこの熊野本宮の前を通って、そこから山道が続く十津川から五条の実家へ帰っていた。その頃はその様な神社やお寺に興味は無く、この大社の横を通っても、凄い人が参拝してるなあ。。と感じるぐらいだった。

現在の熊野本宮大社の入口。

この急で長い不揃いな階段。まだこの先が有る。。

熊野本宮大社本殿。

 神社の規模とすればさほど広くはない。この後、帰りに訪れた熊野速玉神社と同じぐらいだ。ただ階段のボリュームは有るね。熊野古道も歩いてみたいが、今の足の状況ではちょっときついなあ。今日はこの後に湯の峰温泉に立ち寄ったが、小雨降るこんな日でも多くの外国のツーリスト達が神社や熊野古道、温泉街を歩いている。若い人達も多く見る。やっぱり世界遺産のそれらのボリュームは日本人よりも相当高いな、と感じた。
湯の峰温泉の浴場。外国のツーリストが多い。

 湯の峰温泉の有名な世界遺産のつぼ湯は4,50分待ち。いつかは入りたいが僕らはその近くの公衆温泉へ。ここでは男、女湯、家族風呂ふうの場所に分かれていて僕は400円で入れた。ここの温泉はぬるい目と熱めのお風呂が別れていて僕は交互に入る。熱めの温泉では右半身にも効いて来そうな感じがして長く浸かっていた。

僕の後ろに小さな世界遺産のつぼ湯が見える。沢山の人がお待ちでした。。

 つぼ湯の有る下には熱い温泉が流れている。その昔のこの熊野辺りでは沢山の火山が有ったのだろう。熊野から新宮へ向かう168号線沿いの大きな熊野川を挟んだ両側には急な山が多く切り立った壁の様な斜面も多く見れる。地表から流れた溶岩が冷えて固まる柱状節理と呼ばれる物では無いかな。北海道の層雲峡にも同じ物が大きな切り立った岩壁が有り、それらはその柱状節理の岩盤を石狩川や風雨が長い年月の果てに侵食された物だ。それに似たような岩壁がこの熊野川両側にも多く見えるね。

 もうすぐ13歳に成るマーキュリーも元気に歩いてくれました。6日の午前まで小雨がパラつき僕の右足右手には辛い気候でしたが、まだまだ家族で一緒に出かけて色々見たいと思っています。今日のマーキュリーは昨日も良く歩いたしお疲れで家の中ではずっと寝ていますが、また行こうね。

2025年11月4日火曜日

早朝お散歩ととっても嬉しい出会い。

  最近の朝晩は本当に寒く成って来た。もうダウンがいるぐらいだ。昨日も早朝からしっかりマーキュリーとお散歩したが、マーキュリーも元気に歩いてくれる。もう13歳まで20日を切った。ご飯も良く食べる。ウンチもしっかり。何より元気が嬉しい。

息子の来ていたTシャツをマーキュリー用に数年前に
僕がリメイクしたが、今はお腹周りがたるんで苦しい。。
でもとても元気だよ!

 昨日はそんな朝の2便目お散歩。団地を下りて田んぼ道を暫く歩く。マーキュリーが元気に歩くので更に遠回りして団地の方へ戻って来た。大きな調整池の周りを歩いていると見覚えの有る人がご夫婦でゴミ捨てに来られていた。元某有名企業のノンプロ出身の高田さん。平成9,10年には池内さんと監督、コーチで息子がとてもお世話に成った。本当にお世話に成った。息子は2年生ぐらいから神戸にお世話に成ったが、僕は最初は殆どグランドにも行かなかった。4年生の頃かな、、グランドに行くとお2人とご父兄が1人か2人いただろうか。。グランドにはAコートにもBコートにも子供達はいたかな。その光景を見ていて、これは大変だよ。。これはやらなければいけない!と思い、そこから僕の神戸は始まった。

 高田さんとしばしお話し、僕の闘病したことも気遣ってくれる。本当に有り難い。右足にはサポーター3枚。しびれる右手には肩のサポーターからレッグウォーマー2枚と手袋の状態だけども、この通りマーキュリーと一緒に元気です。高田さんは僕より2つ上かな。奥さんとは僕と一緒らしい。その奥さんから励ましも頂きながら「息子さんが助けてくれたんだね。」と言ってくれる。ちょっとハットしたよ。発症以来、そんな風に言われた事もないし考えた事も無かったと思う。確かにそうかも知れない。。あの時に僕1人だったらどうなっていただろうね。。本当にありがとう。チームの皆さんも本当にありがとう。色んな人達に感謝を忘れてはいけないね。

 その後、神戸のグランドへ行くと山崎コーチが新チーム主体でノックをしてくれている。6年生はそのサポートと走塁役で塁間をアキセもリュウノスケもキョウゴもコタロウも走っている。しっかり走れ!!外野では6年のお父さんがノック。アラタがその外野練習の指導役だ。

 グランドを回って暫くそれらのノックを見ていて、山崎コーチに高田さんの事を聞くと良く知っていた。神戸の歴史資料を見ると、山崎さんは平成8年の卒団生。その前の平成6年には高田さんの長男が卒団生でいて高田さんもコーチとして活動されていた。神戸が強く成って来た頃だと思う。その年にはカイトのお父さんもメンバーにいる。お爺ちゃんの名前もコーチ欄に有るなあ。そして平成9年には高田さんの次男がキャプテンで池内さん、高田さんの監督、コーチ。秋の県大会に神戸で始めて出場した年だよ。忘れもしないのはその県大会に出場する前にキャプテンが学校で右腕を骨折してしまった事だったね。とても残念だったが本当に強いチームだった。5年生には息子がいたがまだ試合経験も少なくまだまだ全く力不足だった。あの年は確か菰野の竹永野球少年団も出ていたと思うが、三重県で全国優勝しているのは今でもその竹永さんだけだね。興味のある方は調べて見て下さい。

 ちょうど1年前の今頃はピクリとも動かなかっら右足が、やっと親指が少しだけ動きだした頃だ。あれから必死だったね。何より今、ここまで元気に復活出来た事に感謝を忘れない様にしよう。昨日はね、先週からロードショーされた吉永小百合の映画を見て来ました。女性でエレベスト登頂を始めて果たした人をモデルにした見たかった映画。晩年ガンを患い、余命3ヶ月の宣告をされながらも動き続けて、被災した東北の高校生らとの富士山登山を毎年続ける姿。その生きる考え方はとても共感するところでした。僕にも大きな励みに成りました。これからもしっかり頑張って行こう思っています。