2025年10月23日木曜日

高野山と悲しい別れ。。

 今週は久し振りのお墓参り。気温は一気に秋を過ぎて冬に成りそうな気配。マヒしている右手右足の関節には本当にこたえる。。この所の雨での気圧の変化も、とリハビリの先生はいうが、その対応方法は何も無いのかな。。本当に何も無いんだよ。

 火曜にはヨメとマーキュリーも一緒に高野山へ行って来た。先週14日に納車されたデリカでね。中古だけども今はかなり高い。 今は故障がネックに成る有名メーカの外車よりは国産車の人気車種の方がはるかに高い。10万キロを超えて車齢も10年近くになるハイエースワイドもN-BOXもかなりいい値段で取ってくれたので助かった。何よりデリカは四駆でディーゼルターボ車。その経済性、走行性能に期待して高野山へ行って来たが、それは期待以上だった。名阪の登り坂でも殆どストレスは無いし燃費などの経済性はハイエース四駆から比べるとメーターの消費率を見ても6割以下だと感じる。雪道での四駆の安心感には昔から実感しているので、これからも安心だ。僕が運転を続けれるのは後10年ぐらいだろう。おそらく最後に成る車だと感じる。大事に楽しく乗って行きたい。

 高野山ではマーキュリーと一緒に奥の院へ歩く。気温は12,3度と出ていた。ダウンを着込んでいる人も多くいたね。

この先は行けないよ。。

 マーキュリーは弘法大師さんのいる奥の院へは御廟橋から先は入れないが、いつもこの手前でヨメの帰りを待つ。

信長と筒井の墓所。

 このすぐ手前の左側の山手には織田信長や筒井の墓所が有るが、筒井はヨメの家系に関係が有るらしいが今は何も無い。赤穂浪士の四十七士の間家の末えいらしいが本当の事は解らない。ヨメは歴史には詳しくて、これからの赤穂浪士の季節に成ると良く語るんだよ。。

金剛峯寺

 この後は本山の金剛峯寺へお参り。この日は21日で弘法大師の日に成っている様で、この日はどこも人も多かった。大師協会では出店も並んでいて、マーキュリーは多くの人達に可愛がられて撫でられたよ。弘法大使が高野山のこの地を見つける前に猟師と白い犬と黒い犬に出会って、高野山のこの地まで導いた、と言う話が伝えられている。だから高野山の街は犬には優しい。

 この後は家に帰り、夕刻からは悲しいお通夜へ。チームの子供のお爺ちゃん。今の指導者の人達は僕の子供らの世代の人達で息子と同年代の人もいる。そのお爺ちゃんはその世代には父母代表として本当に沢山活動して頂いた。神戸のグランドに試合でのネットを張ってくれたのも僕の記憶ではその人が最初だ。去年やその前にもグランドの草刈りには草刈り機を持って何度か来て頂いていた。チームにとっても自身にとってもお世話に成った人。去年まではグランドにも孫の活躍に目を細めて見に来てくれていたが、僕も10月からは入院し1月に退院して大会が始まっても余り見かけなかったので、ちょっと気に成っていた。お爺ちゃんといっても僕と年齢もそう変わらない。本当に変わらない。本当に残念だ。心よりご冥福をお祈り致します。またグランドの高いお空から見てやって頂きたいと思います。色々とありがとうございました。

2025年10月16日木曜日

発症から1年。。車も変えたよ。

  先日の10月14日。。脳内出血、正確な症状は視床出血と書かれてるが脳の下の方にある部分なのかな。いずれにしてもその症状で神戸のグランドで倒れて以来、1年が過ぎた。皆さんのお蔭で何よりマヒは残るが元気に生かせてもらっている事に感謝しかない。

 あの日、救急で運ばれた三重大での沢山の検査をされた後、もう夕方も過ぎていたと記憶するが、暗い病室で車いすでおしめもされて、外のヨメとIpadでの「頑張って。。」しか出ない初日の会話。。忘れない。発症時はとてもここまで戻れるとは予想も出来なかった。それでも退院する前にはもっと良く成れる、と思っていた。けれど現実は全く甘く無かった。当初はどこに有るかさえ解らなかった右腕は入院1ヵ月ぐらいから身体の前におく様に覚え、今は自分の意識の中に有るが、指先はまだマヒがきつくて自由には動かせない。それでもこの3ヶ月前ぐらいからマヒしたままで、やっと筋トレも出来る様に成って来た。今ではまだ一部ですが、出来る事は右手右指を出来るだけ使う様にしています。ドアや扉の開閉、車のドアも右手で開閉出来る様には成って来ています。本当に今こうして皆さんと楽しく会話できる事に感謝しか有りません。これからも可能な限り外に出て自主訓練も欠かさず続けて行きたいと思います。

 もう5年以上乗ったハイエースは運転は楽だけれども乗り降りが厳しい。乗り込む時は不自由な右手でピラーのグリップをしっかり掴んで乗り込む。当初は左腕でしていた。降りる時は座席から両足伸ばしても四駆だし地面に着かない。あと10センチぐらいだがそれを飛び降りるしかない。家のガレージはちょっと坂に成っていて、それも恐い。燃費も悪いし退院以来、ほとんど乗らずN-BOXが足代わり。なので思い切って先月に売った。買った時は5年落ちの5万キロちょっとの中古車だったがそれでもかなり高かった。ワイドだし四駆だしすぐに売れるのは解っていた。中古車サイトに出すと一杯来るね。さすがにハイエースだけ有ってそこそこ高く売れたよ。そして、10月14日には足代わりに使っていたN-BOXも下取りに出し、追い金もして三菱のデリカD-5の走行距離の少ない中古車を買ったよ。

これからデリカで楽しむ。楽しみだ。

 デリカも高かったが、ディーゼルだし、燃費も良くて乗り降りも楽。ディーゼルの様なエンジンの騒音も小さいしスタートすればガソリン車と全く変わらない。おそらくハイエースとの燃費代の差は6割ぐらいに成るのではないかな。いやそれ以上に成るかも知れない。以前に乗っていたパジェロのディーゼルターボよりもはるかに静かで、8速ATだしアウトランダーにも着いていたバトルシフトも有って良く走る。大きなナビは操作を覚えるまで大変だが何とか解る様に成って来た。法規的にディーゼル車がいつまで乗れるか解らないが、僕がくたばるまでは大丈夫だろう。おそらく僕の最後の車に成るだろうから、これから一杯楽しみたいと思っている。

2025年10月3日金曜日

発症してもうすぐ1年。。

  いよいよ10月に入り、一気に涼しく成って来た。もう半袖では寒いぐらいだ。マーキュリーとのお散歩も、飼主共ども余り長い距離は歩かない様にしているが、、マーキュリーは元気に歩いてくれる。僕の足は日々変化しまだまだ回復には程遠いが、毎日の自主トレで少しは良く成って行くだろう、と自身では思っている。

 発症したのは去年の10月14日のお昼前。それからもうすぐ1年に成る。思い返しても全く動かなかった右足と、どこに有るのか解らない右手。皆さんのお蔭で本当にここまで良く成った。今ははた目には普通に歩く事は出来る。退院後も殆ど役に立たなかった右手は、今は自主トレのお蔭で、漬物、卵焼き、味噌汁、ご飯の朝食は右手で食べる事も出来る。他の食事もなるべく右手を使う様にしている。パソコンも両手、ドアを開けたり、電灯のスイッチも右手優先で使う。まだまだ指の動きはバラバラだが、ダンベルやチューブでの筋トレのお蔭で右手で車のドアも開けれる様に成った。リハビリだけに任していては絶対にこうは成らない。在宅リハビリも先月からは一気に減らして月6日前後にした。お金もかかるしね、これで充分。このまま右手も自主トレをしっかり続けたらもっと良く成るだろうと感じる。マヒは戻らなくてもね。

 4月に壊れたモモちゃんのステンドグラスを一時は直しかけて諦めていた。ハンダ付けでの左手が本当に上手く出来なかったのでね。昨日は再チャレンジ。今度は右手でしっかり修理が出来たよ!時計もしっかり動く。右手でやけどしそうにも成ったが、しっかりハンダが出来た事が嬉しい。これから右手も色々チャレンジしていきたい。

2025年9月22日月曜日

歩くのは無意識で!

  先日にユーチューブで手足のマヒに関する放送を何件か見ていて、内容はどれも前置きが長くて早送りもしたが、一つ気が付いた。手足の筋肉の説明を長々としているが、足の筋肉は殆ど普段は無意識の中で動く物だと言う事だ。いちいち脳から右足を出して、、とは指令は出していない。と言うか、出されていてもその意識はない。違うのは腕や手の動きは脳からの指示がないと目的の様には動かない、と言う事だ。

 歩くときは無意識で!!今までは足を上げて、とか、かかとで着地してつま先でけり出せ、とか、自分の中でもその意識は入り過ぎていたようだ。その日の朝から「無意識で歩け」をつぶやきながら歩くと、右足の疲れをずっと少なく歩き続ける事が出来る!その朝は久し振りにバイパス道をくぐり、坂を下りて団地の入口まで歩き、そこでUターン。その日はこの酷暑が続いた夏以来、久し振りに8000歩を超えたよ。訓練への意識の持ち方の大事さを改めて感じた。

 右手は歩いている間に親指、人差し指、中指、、、と順に折り曲げ訓練を繰り返しながら歩く。ドアの開閉、電気のスイッチ、歯磨き、、、など、右は自由に動かないので今まで左手でしかしていなかった事も出来るだけ右手でする様にしている。そうして行かないと脳が右手の役目を忘れてしまうよ。。

 先週のチームの子供達は土曜は員弁へ遠征での練習試合。朝方はこちらは雨だったが試合は出来たようだね。1試合目は最後はアキセの逆転タイムリーで勝利したようだが、それまでの失点を見ると四球が投げた3人で6四球は、多すぎ。ちょっとこれは気に成る。修正必要だよ。打線では今まで打てていなかったゼンが2試合目には2安打している。これはちょっと楽しみ。

 そして日曜は鈴鹿での遠征試合。朝からお天気は良く成って来ていたし、僕も行こうかとも考えたが来週の県大会に行く事にして、この日もリハビリ訓練中心の一日。試合は1試合目は最終回に逆転負け。これもスコアを見ると最終回の四球の多さが敗因の様だ。得点も四球がらみだが、上位が余り打てていないのが気になるね。午後からの試合では10-10の引き分け。このチームとは以前も引き分けに成ったよなあ。この日は5年生以下も2試合もして頂いた様でありがとうございました。先日に手をケガしたヒユウも試合には出ていた様だ。みんなベストで来週のろうきん県大会へは挑める様に頑張って行って欲しい。

 先週末からは気温も一気に下がって来て、夜も気持ち良く寝れるように成って来ました。今朝の5時過ぎはまだ暗く、日も一気に短く成って来たようです。あと2か月ちょっとで13歳に成る愛犬マーキュリーも少し元気も出て来たようです。この土日にはBチームもサンフォレストカップの大会でブロック優勝もしてくれたようです。Bチームも頑張ってくれています。Aチームの皆も今週末はろうきん杯の県大会です。しっかり頑張って行きましょう!!

2025年9月17日水曜日

少しでも楽しみながらいこう!

 もう9月も中旬だというのに本当に暑い日が続くね。もうあと2か月少々で13歳に成る愛犬マーキュリーは朝の8時までの2回と夕方の5時以降でしか、この暑さではお散歩にも出れず家の中で寝ている。曇っている時間はお昼も少し行く事は有るが、そんなお天気は殆どない。本当に暑い夏だ。

 愛犬と一心同体と思っている飼主は昼間でも時々外には出て訓練歩行も続けているが、帰ってくると本当に疲れてしまう。年齢的なこの体力不足はもう仕方のない事なのか、、と考えてしまう。

 最近では右手のリハビリ訓練を特に集中してやっているが、この半月ぐらいでかなり肩は回る様に成って来た。マヒしている指先の5本の指も必死で常に動かしている。それでも右手は自由に動かない。車でパーキングチケットを取ろうとしてもしっかり掴めず、パーキングに入れて左手を出して取る。右手のハシ訓練もずっと続けていて朝食の卵焼き、漬物などのおかずは何とか食べれる。右手で食べれる様に成ると、左手にお茶碗、右手にハシ、味噌汁などが一緒に食べれる。ところが左手だけだと、右手にはお茶碗もてないんだよ。。どうしてもご飯の量は減ってしまう。しっかりご飯を食べたい!体力も着けたいんだよ。

 ほんの少し、、本当にほんの少し、指先の動きは良く動ける様には成って来た。たまにはパーキングチケットも取れる。今だに右側を向いては寝れないが、身体を右側へ動かせる事は出来る様に成って来た。はやく右を向いても寝れる様に成りたい。

 今まで大好きだったヨメの野菜炒めの味が変わったのかと、聞いてみた。時々そんな料理の味付けが有って、時々聞く。長い年月の間で食材も調味料も変わっているだろう。僕の為にと変えている所も有るだろう。でも、その一番の原因はやっぱりマヒのせいだと理解する。暑い炊き立てのご飯はすぐ食べれない。熱い物はしばらくさましてから食べる。が本当はすぐ食べたい。右目から口の中のマヒが影響しているのだろう。右手は熱い物、冷たい物を敏感に感じて持てない時もある。唯一の楽しみのビールのアイスジョッキも持つのは左手だ。

 色々マヒの影響は有るけれども、これらは我慢して工夫すれば済む事だ。こまったら左手で何とかなる。それでも成らないのが、右足の間接の動き。。立ち上がって歩く時に右足首、ヒザ関節が自由に動かなく成ってしまう。何とか歩けるが右足の間接、筋肉は固まってしまっている様だ。この夏に特に感じた高校野球観戦後の津球場のバックネットスタンドのあの下りの階段。本当に危なかった。右足が悪いから本来なら右手で杖を着くのが良いと思うが、僕は右手もマヒなので左手に成る。先週も子供達の練習を見ながら歩行訓練も駆け足訓練もやったが、かなり辛かった。今も変わらず立ち上がり時の右足のマヒ状態。これは何とか成らないのだろうか。。

 今月も在宅リハビリは前半カットした。今週19日からまた月末まで集3回の予定。それらではとても良く成るとは思えないわずか40分のリハビリ。それでもお金はいる。来月からは方案ももっと考えて行きたい。

 最近はもう不要と思われる物の断捨離も毎日の様に行っている。5年近く乗ったハイエースもそうだ。便利だが、今の僕ではもう乗れない。鈴鹿サーキットや色々走ったビアンキのロードバイクも、もう乗れない。右手のチェンジ、ブレーキはドロップハンドルではもう無理だ。好きな欲しい人がいれば売ります。このブログの中にも「ビアンキ」で検索すれば出て来ます。

もう20年以上前の鈴鹿サーキットでのレースで孫娘と

とっても可愛かったユウと。。病気の前まで乗っていたビアンキ


 残りの時間、子供達にしっかり元気をもらいながら、楽しんで行きたいと思います。これからもよろしくお願いいたします。