2024年7月26日金曜日

マーキュリーと経ヶ峰。

  先日の水曜日。マーキュリーを連れて一緒に経ヶ峰へ行く。11歳8か月を過ぎたマーキュリーは足腰も弱って来ているので、頂上までは無理かも知れない。無理ならやめておこうと思っていた。

 この日はいつもの平尾の駐車場からパノラマルートを行く。ここはかなり急坂が多いね。ユウもここを登ったが、改めてこの坂や段差を見ると、本当にユウは良く登ったなあ・・と感じる。そんな坂が延々と続く。。

こんな急坂。。ユウも良く登ったね。。

 マーキュリーはリードを外して、最初は前を歩いていたが、次第に僕の後ろをコースを選びながら歩く様に成ってくる。8時前に出発してその急な坂を50分ほど登ってやっと座り込んで休憩する。マーキュリーも多く水を飲んだが、元気で頑張ってくれている。

ここでは日差しが強くて休憩出来ないね。。

 そこから暫く坂を登り続け、見晴らしの良い所へ抜ける。こういう景色が見れるところがパノラマルートなのかな。ユウと来た時はまだ涼しい時だったし、ここでも休んだが、今はこの炎天下ではこんな所では休めないね。。そこから暫く昇ると共通コースに出て道は平坦に成る。ちょっと行くと大きなオスの鹿さんがこちらを見て横断して行く。ユウと来た時もこの辺りで鹿さんの団体と遭遇したなあ。。

いつもの看板の手前で今日はUターン。

 そこから山頂はもうすぐだが、経ヶ峰の大きな看板の有る手前で、この先に日差しの強い中を歩くのは止めて、ここでUターンして戻って来た。マーキュリーの負担は出来るだけ減らそう。

帰り道での風の吹く所でしばし休憩。気持ち良かったね。

 帰りもマーキュリーは僕の後ろをコースを選びながら着いてくる。帰りは来た時よりも緩い坂のコースを選んで下りたが順調に降り、沢の所では美味しい冷たい水を飲んでいた。ここから駐車場まではもうすぐだ。11時過ぎには家にも帰って来た。いい運動だったかなマーキュリー。また一緒に歩こう。

2024年7月19日金曜日

ユウとヴィヴィへの弔い旅。。

  7月18日は神奈川のChieの所へ。ユウの兄弟のヴィヴィも1日違いで亡くなった。同じ日にジュピターママから生まれて、それぞれ違う所で暮らしてはいたが、年に何度かはウチでも一緒に暮らしたよ。ユウとヴィヴィを連れて経ヶ峰へ登った事も有った。あの時は2キロちょっと坂を登ってへばったけれども。。でも、こんな事が有るんだね。。兄弟で生まれて、それぞれ違う家で生活していて、1日違いで亡くなるなんてね。。母親のジュピターママは12歳を過ぎ、とても元気だった。見る限り悪い病気もない。息子のヴィヴィが亡くなった後に、ジュピターは普段とは違う大きな声で泣いたらしい。。ワンコにも解るんだよ。。

 カメラも持って行ったが、撮る事は無かった。また気持ちが晴れたら一杯撮ってやろう。Chieも元気で良かった。その日は泊めてもらい、翌朝、早く起きて去年に登った高尾山へ行く。去年はユウもマーキュリーと一緒に登ったんだよ。この日は11歳8か月のマーキュリーだけ。寂しいけれども可能な限り一緒に居てやりたい。

登りのコースを抜けてお寺の境内へ入る。

 もう少し早く出たら良かったが、7時台でも高速は混んでいる。8時過ぎに着いて、早速仕度をしてマーキュリーを連れて登る。ヨメはケーブルカーで途中まで。1時間ちょっとでケーブルカーの降り場を過ぎ、更に上の真言宗の大きなお寺の境内を抜けて更に頂上へ。急な階段もマーキュリーも良く登った。

こんな急な階段も多く登る。

何より健康祈願

 ヨメとはお寺の境内で合流し、何より健康を願い山頂を目指す。10時頃には山頂に着き、少し休憩。マーキュリーも良く頑張った。今日も富士山が綺麗に見えたよ。

ユウも一緒に登った山頂。

今日も富士山が綺麗に見えたね。

 高尾山には色んなルートが有って、それぞれにコースも管理されている。同じコースを戻るのは今日は止めて谷川沿いを抜ける6番のコースを選び、山頂からヨメと別れて、マーキュリーと下りて来た。マーキュリーはやはり足腰が下りの急な階段や石がゴロゴロしている山道は歩きにくそうで、前には出ずに僕の後ろを着いてくる。人は靴を履いているがワンコは肉球だけだからね。尖った石が出ている所は辛いかも知れない。それでも帰り80分目安のコースを1時間ちょっとでケーブル乗り場まで、下りて来たよ。良く頑張ったねマーキュリー。

ケーブルカー乗り場まで下りて来たよ。お疲れ様。

 帰りは再びChieの所により、お昼過ぎには家を出て帰路についた。マーキュリーは車の中でもとってもお利口さんでした。6時頃には家に戻ったよ。また行こうねマーキュリー。

2024年7月17日水曜日

深夜の不思議な強い風。。ユウと雄一。

  ユウが旅立った7月7日の深夜。僕が気づいたのは日付けも変わった8日の深夜1時を過ぎた頃だった。動かなくなったユウの身体を暫く拭いてやって一杯撫でてやった。。2階で寝ているヨメに知らせようと部屋を抜けて、リビングの戸を開け、2階へ上がってヨメに知らせる。。ヨメは起きて来たが僕は先に階段を下りて下のリビングの戸を開けようとした時に、家の中に突風の様な風が吹いたんだよ。リビングではエアコンもかけていない。戸も開いていない。ちょうど僕の頭の辺りでそれは起こった。かなり強い風の様だったが、家の中の物が飛ぶという事もなかった。

 僕は「何だろう・・」と思ったが戸を開けてユウの所へ行く。ヨメもユウを撫でて2人でユウの身体中を綺麗にしてやっていた。。

 後で聞くとヨメがユウの部屋に来た時に強い風が吹いて出入口様に開けて有る扉のビニールカーテンが舞い上がったという。あれは雄一が来てくれたのか、と言っていた。僕が感じた強い風もそれだったのかも知れない。部屋の中であんな強い風は吹かない。。きっと雄一だろうな。。僕もそう感じる。。

 2013年の7月の九州への雄一の弔い旅。7月31日の熊本のホテルでの思い出。前日は阿蘇へ登れず、一旦熊本の街でのホテルに泊まった。あの夜、僕は雄一の夢を見ていて、覚えていたその夢をヨメ達に話した。夢の中ではとても元気そうに笑っていた。その時、雄一は夢の中で言ったんだよ。「モモに似たのがおるけど、違うな。ちゃんと見たってよ」夢の中でそう言ったんだよ。僕はその事を暫くして忘れていたが、翌年2014年の7月に横浜のChieの所にいたマーキュリーを預かる事に成った。その話をヨメにしたら、その熊本での夢の話を僕にする。あの時思い出した。雄一が夢の中で言っていたのは、ひょっとしたらマーキュリーかも知れない。それから暫くして2017年に来たユウの事かも知れない。

皆が眠る槙の木の根元。。

 12日に斎場でもらって来たユウの遺骨を16日には先代達が眠る小さな庭の槙の木の下に植えてあげた。遺骨の灰を良く遊びに行った山や公園などに撒いてやろうか、とも思ったが皆が眠るここに全部入れてあげたよ。今も。。これからも思い出すユウ。本当に可愛かったユウ。本当にありがとう。

2024年7月13日土曜日

太陽が抜けたような毎日。。

  まさかのユウの旅立ちが有って、家の中は太陽の様な存在だったその大きさを改めて身に染みて感じている。マーキュリーも元気だがマーキュリー自身ももすでに11歳を過ぎ、かつての動きはない。キャッチボールも時々やるが落球も多く成って来た。それでもこれだけ11歳過ぎて動けるのは驚異的だと思うね。

キャッチボールをせがむマーキュリー

 ユウが旅たってからヨメとお墓にも報告して来た。本当に寂しい毎日。雄一の名を取ってユウと名を付けたのに、そのユウもいない。。本当に寂しい毎日だ。

久し振りのお墓。ユウを頼むよ。。

 そんな中でも子供達の野球大会のまとめ資料は作らなければいけない。教育委員会始め、後援や協賛頂いた所への報告も有る。ホームページにもまとめてアップし、資料のまとめは終わった。後は大会経費を後少しまとめるだけ。

 マーキュリーとの早朝お散歩もユウがいなくて寂しいが、マーキュリーはリードがいらないぐらいに傍を着いて来てくれる。いう事もちゃんと聞く。家に帰ってからは時々キャッチボールもする。ちょっと落球は多いけどね。それでも動きはまだ早い。これからも元気でいて欲しい。昨日はユウの遺骨を引き取って来た。マーキュリーと一緒に遺骨の一部はいつも行っていた山へまきに行きたい。

2024年7月8日月曜日

まさか。。余りに急なユウとの突然の別れ。。

  7月5日には名古屋の高度医療センターへ9時半の予約。家を6時半過ぎには出て順調に走る。が、途中車のナビはどう見てもおかしく成り、スマフォのグーグルマップを信用して走る。結果は正解だった。車のナビを信用すると時間前には着かない。。

  9時半前から中に呼ばれユウを連れて行く。まだ若い女医さんは費用も含めてしっかりと説明してくれる。しかし。。23万は痛いね。。それでもユウの悪い所がハッキリと解ってそれに対する処置法が見つかって少しでも良く成ってくれたらいい。検査をお願いして4時間後ぐらいに来て下さいと言う。知らない土地での4時間。ユウが気がかりでゆっくりした気持ちには慣れない。長い長い4時間だった。。

 病院に戻り2時前には先生に呼ばれる。CTでの映像は僕が見ても理解できるぐらい状況は良く無かった。心臓の後ろの肺には大きな腫瘍。呼吸が身体の向きによって荒く成るのはその影響だろう。影は大きく腎臓にも出ている。リンパ線や身体の各部位にもそれと疑われる小さな映像が多く見れる。下半身不随の原因となった背骨の関節部分の腫瘍も解る。それでも血液検査ではそれ程悪くは無く、この状態でステロイドの量を上げて、検体結果が解ったら3週間に一回の抗がん治療も出来るかも知れない。後ろ足は動かしていると時々反発したりするし、シッポも同じ。上手く行けば足も動かせるかも解らない。ただ当面オシッコと便はユウの意識では出ない。排尿排便をしてやる事が必要。膀胱の排尿のさせ方も先生に教えてもらったが今一つ良く解らない。が、やって見るしかない。少しの期待に気持ちを乗せて必死で甘えるユウを一杯撫でて連れて帰って来た。

 そして6日の夜。中々薬を飲まない。まず食欲がない。食べようとしない。パンやおにぎりぐらいだが、少しでも食べればいい。薬も喉に入れて上を向かせて喉をさすって飲ませたが、果たしてお腹まで届いているだろうか。。夜も何度か深夜に泣く。。辛いんだろうね。2度3度それが続いて朝に成った。。

 そして7日。今朝も食欲は無さそうで水や大好きだったミルクも余り飲んでいない。昨日から僕は子供達のチーム主催の野球大会運営で日中はかまえないがヨメが見てくれている。それでも今日は何も食べなかった。ミルクもほんの少しだけ。。僕が帰ってからも色々試すが食べない。薬を飲ませようとしても喉に入って行かない。この日は諦めた。明日少しでも元気に成って食べてくれれば。。と願っていたが。。息がいつもより弱いのも気に成っていた。今までにないぐらいの呼吸の小ささだった。

 七夕の深夜。ユウの寝ている部屋はとても静かだった。午前1時頃には大抵泣いて起こされる。今日は静かだな。。と思って電気を付けてユウに触れるとまだ暖かい。。。寝たまま旅立ってしまった様だ。。余りに急で。。突然歩けなく成ってまだ1週間だよ。。まだ7歳にも成らない。ユウの母親ジュピターは12歳を過ぎ、まだまだ元気で、その半分しか生きていないのに。。僕達老夫婦にはまるで天使の様に可愛いユウ王子だった。大きな身体全体で甘えてくっ付いてくるユウ王子。毎日を楽しませてくれたユウ王子。余りに早い別れは辛すぎるよ。。ヨメも一緒に泣いてしまう。。ユウ。

いつもマーキュリーと一緒だったユウ。

 家では12歳半のマーキュリーが1人に成ってしまった。寂しい夜。本当に寂しい夜。春先までは僕のベットにも毎日の様に飛び乗って来ていたユウ。その暖かい体温も、もう感じる事も出来ない。寂しいよ。。しっかり弔ってやろう。。

2024年7月3日水曜日

ユウが突然歩けなく成った。。

  ユウの診察を受けてからステロイド投与が続いているが、フードの好き嫌いは相変わらず。。それでも色々食べながら先日の十津川へのキャンプも楽しく過ごしていた。お散歩もゆっくり歩いている。

星の国。天辻峠。ここは明治維新ゆかりの地。

 十津川の星の国では道の駅では休みで、ここで宿泊予定だったが、少し足を伸ばして谷瀬の吊り橋まで走る。まだ学生の頃、家から十津川まで良く何度かバイクで走ったんだよ。細いカーブが多い道だったが、あれから40年以上は経って、大きく様変わりしていた。特に天辻辺りから十津川方面へは沢山トンネルも有り、道も広くてとても楽しい道に成っていた。まだ所々狭い所は有るけどね。

谷瀬の吊り橋の下で車中泊。焼肉準備中。

 谷瀬の吊り橋では、その橋の下の河原へキャンプ場の案内が有る。下へ降りて行くと本当に広い河原へ出る。相当な数のキャンプが出来そうな広さ、水道やシャワー、トイレもちゃんと管理されている。僕達は車中泊なので2000円で泊まれたよ。谷瀬の吊り橋の橋の下でね。夕食はその下で焼肉。翌朝はカレー。久し振りに食事も作り年寄2人の老夫婦だけども、ユウとマーキュリーがいるし、久し振りに楽しかった。




 朝のお散歩もゆっくりキャンプ場を歩いたよ。気に成るユウも元気に歩く。組織球肉腫の疑いが有るユウだが、まだとても元気だ。ステロイドも飲んでいるし薬の効果も有るかも知れない。朝は少しゆっくり片付けて次は十津川温泉まで行く。僕は何度も昔は通ていながら温泉には行った事が無い。調べると沢山入れる温泉が有る。そんな温泉の村が管理する温泉へヨメが入って行く。マーキュリー達は見下ろすが、暫くその辺りを2人を連れて歩く。「あ!可愛い!バーニーズや!」と言う旅館の人もいたなあ。


 ヨメがやっと戻って来て、もう帰ろうか、とも思ったがせっかくだから車の中にヨメとユウ達を待たせて入って来た。少し温度も低い温泉だったが、窓から見える風景も本当にのどかで景色が変わらない。。こんな温泉にゆっくりつかっていたら悪い病気も無くなって行くだろうに。。と特に感じる。ユウ達は入れないけど、昔から湯治と言う言葉が有る。がんなどの患者さんが少し熱めの温泉に長く使っていると治癒効果が有る。それは間違いない。ユウもゆっくり入れてやりたいなあ。。



 それからもユウは元気だった。それが31日の夜辺りから階段の上りが辛く成っていたが、それでも自分で上って休んでいた。そして1日の朝。。5時頃に下へ降りようとするが立ち上れない。ユウをフォローしながら下りて、少し朝のお散歩も行って休んでいたが、そこから歩けなく成ってしまった。組織球肉腫の影響か。。又は他のヘルニアなどの影響かそれは解らない。今の津の掛かり付け病院ではこれ以上の事は出来ない。何とか病院へもお願いして高度医療出来る所を、とお願いしていたが、この5日に名古屋の日本動物高度医療センターへ行く事に成った。出来るかどうかは解らない。手術するにしても体力が有るかも解らない。でもまだ6歳だよ。何とか可能性を探ってやりたい。

歩く事が出来ない。。何とかしてやりたい。。

 1日の夜は本当に大変で可哀そうだった。前足と上体は元気だが、下半身が動かない。トイレも自分で出来ないからおしめ。。必死で何度も立とうとするが足は動かずグルグル回る。。それが一晩続いたよ。。自分でも何で立てないのか解らないんろうね。可哀そうで可哀そうで。。いくら撫でても直らない。何とかしてあげたい。