2016年10月30日日曜日

雄一の誕生日とモモ達のハロウィン

 今日は雄一の誕生日。
元気だったら30歳に成る。
ヨメが名古屋のケーキ屋さんに頼んで前日の夜に津まで届けてもらった。小さいけれどフルーツたっぷりのケーキ。とっても美味しかったよ。

 夕食は大好きだったおかんのカレー。今日もとっても美味かった。
有希子とひなたも来てくれている。
喜んでくれているかな。いつまでも心は一緒。悔やむ気持ち、可哀そうで可哀そうで残念でならない気持ちは何も変わらない。
僕達がまだ生かされている以上、ずっとしてやりたい事を続けていきたい。
毎週のおかんの少年ジャンプも。

 僕は余り興味は無いが世はハロウィンで賑わっているようだね。
有希子達がモモ達にハロウィン仕様を買って来てくれた。可愛い可愛いモモとマーキュリー。
時々ケンカしてモモがやられるけどずっと元気でいて欲しい。
マーキュリーには口輪も買った。ドッグランや出かける時などは万一の為に着けた方がいいと思う。何かが有ってからでは遅いからね。

 マーキュリーは嫌がって必死で外そうとするが、そうは外れない。諦めると降参したようにすねてしまう。可哀そうだけど万一の為。仕方がない。これから少しずつ慣らしていこう。

 3年前の今日はハワイで弔い旅。
雄一が飛んだ同じスカイダイビングで僕も有希子もこの日に飛んだ。凄い素晴らしい体験だった。
アメリカでは18歳以下と65歳以上は3000m以上の山登りやもちろんスカイダイビングも禁止されている。僕が65歳に成ってその12月にひなたは18歳に成る。その時ならひなたと一緒に飛べるのかな?昨夜はそんな話もしていた。後3年。一緒に飛べたらいいなあ。

2016年10月27日木曜日

こころの折れる時間。。

 今朝、起きてスマフォのメールを見ると・・・。
この夏から闘病していた同じバーニーズ友達の愛犬が星にとうとう成ったと。。
7月初めに悪性リンパ腫の様だと聞いてあれから4カ月頑張った。
最初は主治医にお盆が山と言われたそうだ。

 7月後半に大阪でサラ・ブライトマンのコンサートが有って梅田へ出かけた時に待ち合わせてお会いしてお話を聞いた。
僕の息子の事もブログなどでご存じだし辛い抗がん治療はやりたくはないと言われていた。サプリメントや食欲を出させるステロイド投与など。
下痢や9月以降は鼻血などもかなり多かったようだ。

 一時は体重も40キロを超える程回復しかけたがやはり腫瘍には勝てなかったのか。。
大きな山だと言われていたお盆に、お宅にも行って来た。歩くのは大変そうだったが、とても元気そうだったよ。
病気が解ってから4カ月も頑張った。抗がん剤を使わなかったのが良かったのかそれはどうか解らない。でも最後の日も手助けはしてもらいながら自分で歩いて庭でちゃんとトイレもしたそうだ。
ワンコだから痛いとか苦しいとかは言わないけれどそれ程苦しむ事も無く、そのトイレの後に旅立ったらしい。

 出勤途中、、、車のナビからサラ・ブライトマンのシンフォニー。これ聴くとね、雄一につながってしまう。雄一が使っていたIpodにも入っていたんだ。
ワンコも限りある命とは言え、可哀そうで。。悪性リンパ腫に成ったら助ける方法は多分ないよ。
サラの曲で雄一を思い出す。こころが折れそうな時間。もうすぐ30歳の誕生日だ。
 
 母親はケーキをもう頼んでいる。少年ジャンプもずっと続いている。今年に変えたIphone6も普通に使えるし毎日その中の音楽を流している。そんな事しかしてやれないからね。
誕生日はみんなで祝ってやろう。

2016年10月25日火曜日

モモの抜糸。やっと取れたバケツ。

 今日はモモの抜糸の日。
仕事も都合つけて8時過ぎにはゆっくり準備して出かけた。少しお天気は霧雨が降っていた。午後からはお天気も崩れて来そうだ。
マーキュリーは連れて行けないのでモモだけ車に乗せる。マーキュリーはワタシも連れてけ!と必死で呼ぶ。ちょっとお利口さんしててね。

 お墓の花は昨日にヨメが代えてくれていた。病院へ行く前に雄一のお墓へ。モモも一人だとちゃんとお墓の前でお座りしている。何事もなく終わるように。。
手を合わせて病院へ。ちょうど9時過ぎには着いた。

 抜糸で麻酔するかと思ったら病室ではなく外の小屋でやる様だ。小さな口輪をはめようと若い綺麗な看護師さんがしようとするが、そんな簡単には出来ない。こんな時のモモの力は凄い力だ。男の力でも必死で抑えてやっと着けた。
 そして僕と数人でモモを抑えて先生が右足の糸やワイヤ-を切ったり抜いたりする。5分ぐらいで終ったが凄い力だった。口輪を外してもらってもう一目散に車に戻ろうとする。
一気に車に一旦は入れたがもう一つ看てもらうのを忘れた。

 モモの左後ろ足の上の方、お尻に近いところに少し膨らみが有る。多分脂肪が固まって来てると思うんだけど病気の多いバーニーズ。良性の脂肪腫ならいいが・・。
もう一度モモを降ろして先生に見てもらった。
もう少し大きく成って来たら検査した方が良いと。検査という事は検体を取るってことだから手術に成る。もちろん麻酔に成る。終ったとしてもまたバケツカラーに成る。。
 モモはこの12月で5歳。人間で言えば熟女。大きく成らない事を願うばかりだ。

 家に帰ってバケツカラーも取れたモモはもうあっちこっち舐めまくり。特にケガした右足は赤くなるぐらいしょっちゅう舐めていた。先生も、もう良いだろう、て言ってたから大丈夫とは思うが。
体重も38キロ付近であまり減量も出来ていない。もう少し36キロ台を目指してダイエットだよ。

2016年10月20日木曜日

モモの怪我とこの頃思う事。。

 モモの足の怪我から10日が経った。抜糸は来週火曜の予定だからもう少しの辛抱。
お散歩の時とご飯の時と階段を下りる時だけエリザベスカラーならぬ病院で渡されたバケツカラーを外す。(これがマジで丈夫でモモにピッタリ。。)
最近では階段の下りもそのままで勢いよく降りる事も出来る。凄く視界は狭いし足元も見えないハズなんだけどね。。

 最近、お友達の愛犬の旅立ちを耳にする。闘病しながら頑張っている子達も。
人は80年生きるとしてワンコ達はその1/6ぐらい。バーニーズの様に大型犬は10年ぐらいだろうか。
ウチの今までのワンコ達。津に来た時に一緒に来たハスキーのナナは10年、その息子のロクは13年ぐらい。とっても可愛かった。その後に来たシェパードのリーちゃんは10年成る前に星に成った。

 リーちゃんのすぐ後に来たモモはもうすぐ5歳に成る。元気で過ごせたとしても後5年ぐらいだ。その頃には僕は60代も後半に入る。大型犬を飼うのもこれが最後に成るかもしれない。もうすぐ4歳に成るシェパードのマーキュリーも一緒だ。運動量の多いシェパードの方が早いかもしれない。

 そしてその子達がもし病気に成ったら。。バニもシェパもガンになる子は多い。人間でさえ3人に1人はガンに成るんだから。そしてその闘病期間を想像すると。。
人の場合、ガンのステージ4と言われたら、それはとても困難な状態。手術も出来ず抗がん治療や緩和治療をするだけだろう。手術すればほとんどの場合、予後は余計悪く成るだろう。

 ワンコの場合は。。もし余命一ヶ月と言われたら人に置き換えたらその6倍?半年と言う事か?
そんな単純には置き換え出来ないだろうがワンコの方が相当進行は早いハズ。
人の場合、宣告されて1年生きたとしても、ワンコの場合はもっと短い。2か月ぐらいが普通ではないか。
それなら辛い手術や治療をするだろうか?

 僕ならしない。少しでも一緒にいてやろう、出来る限りの愛情を注いで一緒に生きてやろうとしたい。もちろん良いと思う治療はする。でも抗がん治療はしない。ヨメの場合も自分の場合もそうしたい。
先週のモモが麻酔をかけられて手術台の上でうつろに成ってピクピクしながら、僕を見る表情はとても辛かった。助けて。。と訴えているかのように。
 もう二度と見たくない。

 今、イスの左手にはモモがバケツカラーを付けてお尻を向けて寝そべっている。マーキュリーは右手に伏せをしている。あと5年か6年か、ずっと一緒にいてやろうと思うね。
病気には成るなよ。

2016年10月17日月曜日

母親の49日と笠餅

 昨日は母親の49日。満中陰の法要。
16日は子供達の野球の県大会が熊野で有る。今までなら迷わず野球を優先していただろうね。
雄一の時もそうだった。別れの時以外、練習も試合も空けた事はなかった。そうする事が雄一も喜んでくれると思っていたからね。
 それからの法要も出来るだけ土日は外した。大体が平日だったし来て頂いた皆さんには迷惑かけたかなあ。。

 そろそろ優先順位も家族を第一にしてもいい。そう思っている。僕達の時間は健康でも、もう20年前後だろう。やはりそうしなければいけないとも思う。
親しい人達だけが集まってくれた母親の法要。有希子もひなたも一緒だ。一緒に来てくれて嬉しい。もう唯一の家族なんだから。
可愛い可愛いモモとマーキュリーはお留守番。早朝の出かける時のいつもの呼ぶ声とは違う泣き声で、ワタシ達も連れてって!と大騒ぎする。。いつも後ろ髪引かれるよ。。

 母親は今年88歳に成っていたはず。その誕生日は昨日16日だったんだね。
叱られた記憶のない、優しい素晴らしい母親だった。

 法要が終わってのお寺さんのお言葉。
奇跡について。。
今、ここにいる人達みんながご先祖さまとつながっている。誰一人かけても成りはしない。さかのぼれば何千何万という人達がいるだろう。これこそ正に奇跡だ、という。だからご先祖様を大事にしなさい、と。

 そして笠もち。雄一の時はしなかったし知らなかった。
49日の法要に合わせて49個のお餅と平たく丸い小座布団のようなお餅を用意し、きれいなまな板と包丁、半紙を用意し、その上でその丸いお餅をお寺さんが笠を被ったお遍路さんの様な姿に切って行く。宗派や地域に寄ってやり方は違う様ですが家は真言宗なので、これは修行を重ねる弘法大師さんの旅姿の様な形に切っていく。右手には杖、左手には数授か手箱の小荷物の様なもの一つ。

 頭から体の部分の部位を来て頂いた人達に分ける。自分の体の悪い部分を頂いて帰り食べるとご利益が有るという。ヨメはどこの部分をもらって帰ったのかな。頭、お腹?
昔から続く風習。こんな事も大事にしていきたい。