2013年3月29日金曜日

ナナとロクとリーとモモ

 昨日は色々、野球の大会の準備などを進めながら、雄一がお世話に成っていた榊原の温泉病院へ。
勤務していた武内病院さんの病院で、透析などの業務で何度かこちらにも来ていた様だ。

 お通夜にも沢山の方が来て頂いたが、僕達には面識がないから、四十九日が終わったらお返しを持って挨拶にいこうと母親と出かけた。
 ここも大きな病院。病室も沢山有るし、ロビーにも沢山の患者さんがおられる。

 受付で、ご香典を頂いた名前を告げてお願いすると、担当の方を呼んで来てくれた。
その少し年配の看護師さんは

 「最初に来てくれた頃は、本当に可愛いらしい子でねえ・・・。もう落ち着かれましたか?」

 その言葉を聞くと、もう母親は泣いている。
看護師さんも、言葉を選びながら、気を使いながら少し話をする。。。
少しの時間。 何度もお礼をして病院を後にした。
その大きな病院を眺めながら、
「雄一はいい仕事をしていたね・・・」
そう思い、車に乗ると、僕も線が切れてしまった。

 切り替えなくては・・・と思うが、いつまで経っても悲しみは消えない。
今朝のニュースで、あの津波で家族を全て失ったお父さんが、今年小学校を卒業するはずだった、とっても可愛い娘さんの卒業証書を小学校の計らいで授与されている。そんなニュースを流していた。
あのたった一人になったお父さんの気持ちはどんなんだろう。
それに比べたら・・・。
 頑張らないと、そう思う。
00年の雄一とロクとナナ
野球の大会の準備もあっちこっち走って進めた。子供達が待っているからね。
雄一のお墓の休み石のところには小さい頃から可愛がってくれた愛犬達の写真を並べてレーザーで石に彫ってもらう事にした。
ハスキーのナナとその息子のロクと、シェパードのリーと。
 雄一が散歩も時々してくれた。そして散歩する事は出来なかったバーニーズのモモ。
その4頭が並んでいる感じでお願いしたけど、どんなんが出来るだろう。
少し楽しみだ。
賢かったリー

あんまり走らないモモ

2013年3月25日月曜日

お礼。そして桜が咲いた!

 今日は雄一の四十九日の法要。
当り日はこの週末の31日だが、日曜は野球が有るので、申し訳ないけれど今日、月曜こ行わせてもらった。
 また、これまでに本当に沢山の皆様の有り難いお気持ちを頂き、本当に感謝しています。
お蔭さまで四十九日の法要も終える事が出来ました。
皆様には本当に有り難うございました。
 
 今日の法要は遠方の五条や大阪の兄も来てもらった。お姉ちゃん夫婦も終業式を終えたひなたもお父さんも。
色々準備や片付けが続くが、少しづつ日々が経ち、それらの行事が減って行くのがまた淋しく感じる。
次は百か日。5月21日になる。
 これは当り日で火曜日だけど、その日程で行う様にお墓の準備も進めている。
その日に法要をして納骨もしてもらう予定だ。

 今日もお寺さんはお供えの手土産を持ってくる。
「これを雄一さんにお供えして下さい」と。
線香も持って来てくれる。
喪主に成ったのは初めてなので解らないが、こんなお坊さんっているのかなあ。。。
 本当にとっても親切な若いお坊さんだ。

 今日はどこも小学校は終業式。お寺さんもお子さん持ちだし保育園の卒園式や3年生の終業式が有って、色々役も有るので、それから来て頂くお昼過ぎからの法要になった。

 法要を終えて、そのお坊さんのお話。

 真言宗、弘法大師さんの一番のお弟子さんが若くして亡くなられた時、弘法大師は
「悲しくて、悲しくて、なお悲しい・・」と言葉を残したらしい。
僕も母親も、そのままで、そんな言葉を聞くと更に余計に悲しく成る。
その言葉を聞いて昔のフォーククルセダーズの
「悲しくて悲しくてやり切れない」という歌を思い出した。とても印象に、記憶に残っている歌だ。
 
 悲しみは尽きないけれども、人の肉体は無く成っても魂は草や大地や木々と成って宿り、僕達を見守ってくれる。
 日本人のお墓の起源はその河原に有る石を積んだり、木の枝を立てて祭ったりしたころから始まる、とおっしゃっていた。
庭に咲いた一輪の桜
いつも見守ってくれているので、頑張って下さい、と。他にも色々解りやすく話してくれたが、僕の頭の構造では中々整理出来ない。
でも何だか仏教に興味が湧いて来た様な感じだ。高野山にも行ってみたくなった。

 そして今日はとても嬉しい事が有りました!
今朝はモモと散歩していても寒く感じ、庭に今月初めに植えた桜の枝のつぼみもまだ膨らんだままでした。もう2,3日かかるかなあ・・・と今朝はそう思っていたら。。。
 
 法要が始まる頃にはそのつぼみが花を咲かせていました!
 今年も見せたかった桜。見せてやることは出来なかったけど・・・お坊さんのお話ではないけれど、何だか雄一が咲かしてくれたような気がして、とっても嬉しく思った。

 植木屋さんのおじさんは「記念樹には桜はいい」
と言っていたが、この桜にもこれからずっと雄一の想いが着いていくと思う。
お坊さんが、最近ではお墓を持てない、持たない人も居るので植樹葬というのも出て来ている、と言われていた。お墓の代わりに植樹をして故人を忍ぶというような・・・。確かにそれも良いかもしれない。でもそれを植える土地はどうするんだろうね。有ればいいが。
 

2013年3月20日水曜日

捨てれない物ばかり。。。

 先日、この家に来た時に買った下駄箱を入れ替えた。もう22年目に成る。
古い下駄箱の中には雄一の靴が沢山有る。
あるけれどももちろん捨てれない。母親は下駄箱の上の方にきれいに並べていく。
僕が履ける靴も有る。使える物は使ってやろう。

 そして同時に食器棚も入れ替えた。これは小さな二間のアパートで結婚した時だから34年前だ。今の家に来た時に代えたかったけど、もったいなかった。
今でももったいない気はするが、もう充分に役目は果たしてくれたと思う。
 
 その食器棚や収納棚を二人で片付けていると、その物の多い事・・・・。それも何年も使っていない物が沢山有る。これはどこの家にでも有るかな。
引っ越しして1年間、使っていない物は不要な物。という基準に合わせると半分かそれ以上に物は無く成る。けれどそう簡単には捨てれない。

 雄一の弁当箱や袋、小学生のころに作ったマグカップなど、そんな物が出て来て手が止まり時間がストップしてしまう。本当にこの日は遅くまでぐったり疲れてしまった。
結局、収納は沢山有る食器棚のハズだけど、片付けが終わると、やっぱり一杯に成ってしまった。

 車も3台は必要ない。雄一が乗っていたフィットはお姉ちゃん夫婦にあげる事にした。年式は古いし、距離も走っているけれど、手入れはしっかりして有るし程度はいい。車検も受けたばかり。
残りの2台は野球中心用の車と普段の買い物、遠乗り用のシビックハイブリット。これはそこそこ走って燃費が魅力。みんな雄一の思い出が有る。

 来週は四十九日の法要。それが過ぎたら祭壇の灯篭も片付けをする。少しずつ家の中は変化はして行くが、淋しさはつのるばかりだ。

2013年3月15日金曜日

生きている事。

 今日は大阪へ。
2011年の12月中旬に一旦退院してから、それから毎週、茨木の彩都の病院に通った。
すがる思いで退院して、外来治療を続けながら、毎週彩都に通う。そんな日々が1年続いたが、今年に入ってからは、とても動ける状態では無かったので行けていない。
今年も3月までは予約を入れて有ったけどね。。。
 
 去年の春が過ぎる頃には54㌔ぐらいまで、体重が戻ったんだから、無理矢理退院して自宅療養しながら外来治療を続けたのは間違ってなかったと思う。
でも1年間通ったが、いつも動けなくなったらどうしたら良いのか?そんな不安を抱えていた。
その病院での定期の入院も5回程。去年の12月が最後だった。

 その度にお世話になった茨木の母親の姉夫婦の所へ、お礼と今後の法要のお願いも。
もう彩都の病院にはもう何も用はないし寄らなかったが、ガンの専門病院で良く整備されたきれいな病院だった。
その近くのホームセンターのペットショップに居たのが、モモ。
シェパードのリーが星に成ってから、そのショップのモモを見て、その場で車に乗せて連れて帰って来た。

 雄一の点滴のラインを引っ掛けてしまって、怒られて最初は怖がっていたが、すぐになついていた。
シェパードのリーも、その前のハスキーのロクも、その母親のナナも雄一は文句を言いながらも世話をしてくれていた。
お墓の休み石の辺りにワンコでも飾ってやろうかな・・・なんて思っている。闘病している間は散歩には行けないから、ネコを部屋で飼いたい、と言ってたけどね。

 茨木に行く前にお世話に成った、亀山のお寺、不動院さんへ寄ってみた。
たまたま今日は3月15日。旧暦では2月15日でお釈迦さまが無くなった日らしい。それで今日はそのねはんの絵をかけて地元の人達が集まって、その若い住職さんと色々と話をしている。
 
 本堂の中はとても由緒のあるお寺だと思う雰囲気が有る。
聞くと、空海(弘法大師)が796年に伊勢神宮への参拝途中に、この地に不動明王をお刻みに成ったのが、始りとある。だから1200年以上の歴史。今の本堂は200年以上前に建て替えられたものらしい。
 祈願寺として地元では慕われている様で、僕もお願いを三つの札に書いてお願いして来た。
健康と、そして雄一が未来で元気でいられる様に、子供達もいい試合が出来る様に。
突然寄ってみただけだけど、お供え物のお土産や、雄一に本堂で般若心経も唱えてくれた。

 その本堂の中にかけられた書き物には

生きているから喜び。
生きているから悲しみ。

 怒ったり、文句を言ったり、自分の事しか考えなかったり、それは生きているから出来る事。
 生きたくても生きれない人達が沢山いる。
 生きている事に感謝出来たら、もっと廻りの事に、皆の為にと思えるね。
僕もそうありたいと思う。忘れないでおこう。

2013年3月12日火曜日

真っ青な青空と初月忌。

 今日は雄一の初月忌。あの日から一月に成る。
余りにも沢山の事が有って、まだ一月しか経っていない・・・。それが今の実感。

 昨日の夕方、古くなった下駄箱を買い替えようか、と母親と出かけた。
シビックハイブリットには、70~80年代のオールディーズがずっと流れている。
雄一を乗せて毎週通っていた、大阪彩都の病院に行く時も流れていた。
その中の曲で、誰が歌っているのか解らないが、女性ボーカルでカバーされていて
「デスペラード・・・」のイントロが流れる。

 去年の秋頃、彩都から帰る時、後ろに乗った雄一が、
「デスペラード・・・誰の曲やった? 」と聞く。
僕が
「確か、ホテルカルフォルニアのイーグルスの・・・え~と・・確か、ドの付く名前の・・・」と言ったが後が出て来ない。
暫らくして雄一がIphoneで調べて
「ドン・ヘンリー」と言う。
「あ、そうそう、それ!」

 そんな車の中での会話を母親も覚えていた。
昨日、ショップに着く前にその曲が流れ、
「このデスペラード・・・、雄一が言ってたよなあ・・・」
と母親に話しかけると泣き出してしまった。
二人共、目を真っ赤にしてショップに入る。そんな事が続く。

 今日は空は雲一つない真っ青な青空。朝方はとても冷えたが、今日の初月忌の祭壇にモモと散歩しながら満開の裏山の梅の花の枝を少し取って来て飾ってもらった。
お寺さんが来られて、
「いい香りがしますね。奇麗に飾ってもらって雄一さんも喜んでおられるでしょう。」
今日もこの若いお寺さんは、解りやすくお経を唱えて、終わってからも色々とこれからの四十九日の用意や百か日での納骨の日取りの事など、詳しくとても解りやすく親切に教えてくれる。

 僕の実家は高野山の近くだし真言宗で、何年かしたら高野山へ納骨に行く。いつに行くか、と言う取り決めは無いようだが、最終的には奥の院へのど仏の納骨をする。そんな話もして、このお寺さんも「高野山へ行かれるなら、私もご一緒します。」と言われる。
それまで、何年かかるだろう。最低そこまでは僕の役割だ。

 法要を終えてから、今度はお墓の石材屋さんへ打ち合わせに行く。
お墓の区画は2区画お願いしたし、墓誌も入れるスペースが出来た。
先日、その2区画目をお願いしに行った、津のお寺さんの住職さんが、
「お墓は仏様の家であり、入り口。スペースが有れば、仏さまが休んだりする、休み石を置いてあげるといいですよ。」と言われた。休み石とはお寺さん言葉でそう言うが、石材屋さんには供え物やバッグを置く物置台で通じる、とも言われた。

 だから墓誌とその休み石を追加でお願いした。
2区画に成ったし、追加もしたので値段も上がったが、雄一のお墓だから悔いの無いようにしてやろうと思う。
 5月の百か日には間に合う、と言うのでその時に納骨もする予定で、今日お寺さんにもお願いした。
5月には桜はもうないが、何を飾ってやろうかな。