2013年2月28日木曜日

スイーツと銀だことから揚げ

 今日は25年前のスーツを着て名古屋へ。このスーツを作った時はゆとりが有ったけど、今は上着は少しきつい。ズボンもちょっと。。。3~4キロぐらい増えている分かな。
美味しそうなスイーツばかり。。。
その帰りに雄一の好きなスイーツを買って帰ろうと、高島屋の地下売り場を歩いていた。季節は春も近い。ホワイトデーの商品も沢山並ぶ。
名古屋に来た時は、いつも何かリクエストを探して買って来ていた。
 売り場を歩いていても、何だか悲しく成る。。。

 美味しそうなのが、一杯有るが、好きだったイチゴのスイーツを買って来た。
 家に帰って、お供えする。

 ひなたを迎えに行って今度は城山のイオンへ。そこで母親は銀だこのたこ焼きを買って来て、またイチゴのスイーツと一緒にお供えする。

 仕事が遅くなったお姉ちゃんはから揚げくんを買って来てくれてそれも供える。
今日の夕食は大好きなカレーだし、今日はお腹一杯だね。。。

 昨日はお墓を決めたので、今日は石屋さんに寄って来た。墓石の種類やデザインや。。。
やっぱり結構するね。石によってもかなり違う。
結局、福島産の石に決めた。インド産や韓国産が有るが、やっぱり国産。それも福島なら少しでも復興の手助けとはオーバーだけど力に成れるなら、と。
 デザインも普通の四角い墓石では無く、低くて広長のちょっと今風と言うのだろうか。
気に入った文字や紋々を入れたりしているそんな墓石が有った。
「夢」と書いて有ったのも有ったね。
雄一はどんな言葉が好きだったのかな・・・。ゆっくり考えて決めよう。
 僕らもそこに入るんだからね。

2013年2月27日水曜日

決めたお墓

 遺族年金の手続きも終わり、銀行も済ませた。健保協会もすませた。銀行の一つは携帯などの引き落としが有るので、そのままにしているが、もう入金される事も無いのでいつかは変更が必要。
雄一のIphoneもIpadも僕が使っている。Iphone5は確かに面白い、良く出来ていると思うね。
 しばらく使い込んでみようと思う。

 昨日は最後の三重中央での傷病手当の証明をもらって勤務先の病院へ提出。これもこれが最後だ。
今日は先日に見て来たお墓の管理するお寺さんへ申込みに約束の9時前に行く。
下見はして来ているが、そこそこ古いお寺さんだ。檀家以外の人のお墓も受け入れてくれる。
 初めてお会いする住職さんは僕よりは若いと思う。老けては見えるが。
色々説明を聞いて、僕もお金も全部用意して来ていたので、その場でお願いした。
 その住職さんは僕らが玄関で挨拶して境内を歩いて門を出て再び玄関を向いて挨拶しても、まだ見送ってくれていた。それだけでも有りがたい気持ちが伝わるね。

 永大供養だから代が続く限り、と言う事だが、その為の分譲代、ん十万は考えようによってはとても安いと思う。
 ただね、雄一がこうなってしまったら、雄一は来るな!と言うかもしれないが、その後には僕らが、そこに入る。そしてその次はどうなる?誰も居ない。

 お姉ちゃんは嫁いだお墓に入るだろう。
今日、ひなた達が来てくれたので、そんなお墓の話をしていて、
「じいじいらが、お墓に入ったら、お姉ちゃんやひなたらは、たまにはお墓の掃除に来てよ」
お姉ちゃんは
「そうやなあ」
「ひなたは掃除に来てくれんの?」と聞くと
「ん・・・・・ん。」とあいまいな返事。

「来てくれんかったら、ずっと枕元に出て行くよ」と言ったら、笑っていた。

 今日は本当に皆さんに沢山来て頂いたお通夜、告別式の清算が終わり、口座を作った神戸のJAで支払も済んだ。
 少しずつ手続きは進んで行く。

 お墓の場所の確認に偕楽公園の霊苑に寄っての帰り。雨模様だが、公園の中の梅だろうか。
もう白い花が咲いていた。
今年も梅を過ぎて桜をみよう!と頑張っていたけど届かなかった。
ひなたが母親と買い物に行って、綿菓子を買って来てそれを雄一の祭壇に置いてある。
症状が進んで食べれなくなっても、一口、二口食べていた好きだったどん兵衛のミニと一緒に。

 日は過ぎて行くが、それを見ているとたまらなく成る。。
明日はお墓の石材屋さんに相談に行く。どんな石碑にしてやろうか・・・。

2013年2月25日月曜日

たまらない人の気持ちと絆に感謝!

  昨日は本当に寒い一日。今日も寒いが、昨日は試合が終わって暫らく練習して早めに帰ったが、暑いお風呂に入っていても中々体が戻らなかった。あんまり食欲も無い。1時間ほど、ベットで休んでやっと戻って来た。いつまでも若くはないなあ・・・。

 昨日はひなたの担任の先生が、わざわざ雄一の仏前にお参りに来てくれた。
雄一が神戸小の6年の頃の担任だった先生だ。
ひなたが雄一の写真を見ていて気が付いたんだけど、6年生だったらそれからもう14年は経つ。
 大学を出て、まだそんなに間が経っていない頃に担任に成ってくれたようだが、雄一の事も良く覚えていてくれた様で、良くしゃべる、活発で、マラソンも早かったね、と。
実家がお寺なので、お経も上げてくれたらしい。雄一も喜んでくれているだろう。
 ひなたと同じ担任の先生なんて、これも人のつながりだろうか。

 先週にお墓を近郊で探していたが、中々近くではいい所が無かった。旧の津市では市営の墓地はないらしい。今は統合されて安濃や久居、香良洲地区などで有るけれども、母親が行くには遠い。
それで、今日は津の近郊のお寺の分譲の墓地を探していた。それでも買えるのは檀家さんに限られているのが殆どだ。
 何件か宗派問わず、と言うのが有って全部メモって来た。その帰りに津駅近くの偕楽公園の裏に有る霊苑の石材屋さんに話を聞きに入ってみると。。。

 とても親切な人で
「すぐ近くに宗派問わずに分譲している墓地が有りますよ」とすぐに歩いて案内してくれる。
確かにそこは、殆ど満室状態のお寺のお墓が並んでいる中で、まだ分譲されて間がなく7割方は空いていた。他のお寺の分譲可能なお墓も見に行ったが、ここは津駅からワンメーターで来れる距離だし、家からも20分もかからない。道もお墓の場所も解りやすい。日当たりも良く、近くには住宅街も大きな公園も美術館も有る。
 山の中の様な寂しさも無い。雄一も後から入る僕らもこの方がいい、と思った。
 
 そのお寺さんには石材屋さんで申込み書をもらい、電話でお願いして水曜には住職さんとお会いして良ければお願いするつもりだ。
ここはお寺さんが、管理する墓地だけど、民間で売り出されている墓地はお寺の名前は着いてはいるが、名前だけで大体は石材屋さんや不動産屋が管理しているのが多いらしい。だから注意も必要。そんなところも今日は勉強させてもらった。

 また今日は先週に出来なかった遺族年金の申請も書類は全部そろい、申請も終わった。
障害年金の申請は本当に大変だったけど、そのお蔭でほんの少しは遺族年金が通れば貰えそうだ。
それにしてもややこしい申請と手続き。今回の遺族年金でも教えてくれなかったら申請もしない。
障害年金も同様だけど、聞かなかったら解らない、権利も得られない。そんなやり方はちょっとおかしいよね。

 形見のブルガリのペンダントに着けるネックレスも今日は出来て、母親はもう着けている。僕が使わせてもらうタグ・ホイヤーのクロノグラフのバンドの調整もやってもらってびったしに成った。
タグ・ホイヤーのクロノグラフ
その帰りに母親は毎週買って雄一が読んでいた、マンガのジャンプを買いにコンビニへ。ついでに好きだった肉まんも買って来て仏前に供える。。。

 そして夕食前に電話が鳴る。
雄一の神戸の時の同じチームだった同級生からだった。お通夜には彼のお母さんが来てくれたが、お通夜や葬儀に来れなかったチームメイトが集まってお参りに来たい、と言ってくれる。。。
一緒に少年野球で苦楽を共にした仲間たち。雄一も本当に喜んでくれるだろう。
 電話の後、夕食の支度をする母親に
「あの子らが来てくれるよ。。」と話したら、涙が止まらなかった。。
いくら悲しんでも、もう雄一は居ないが、彼らの気持ち、沢山の人のつながりが本当にたまらなく嬉しい。
 辛いけれども僕らは本当に恵まれている。そう本当に思う。負けない様に頑張って前に進もう。

2013年2月22日金曜日

信用出来ない年金事務所の怪。。。

 今日は朝から年金事務所へ。雄一の障害年金の停止を申請しないと行けない。
昨年8月に何度も足を運んで、3か月掛かってやっと認定された年金だけどもう終わりだ。
ここは8時半~9時半までがすいています、と張り紙がしてある。それを覚えていたからその時間に行った。
 確かに待つ人は3人ぐらいしかいなかった。ところが、受付は8つまで有るのに、2人しか対応していない。奥には何人も職員がいる。その待っている3人の順番が中々来ない。
それだけで、30分以上待たされていい加減イライラしている。

 そして応対してくれた若い職員は事務的に必要書類を説明する。謄本は準備したが、ここでは住民票と除票がいる。要るのは仕方無いから、それは解った。
でも
「この後の年金の手続きは何もありませんか?」と2度、3度聞いても
「何も有りません。手帳だけ今後の為に持っておいて下さい」と同じ様に2度、3度答える。
そうなのかなあ・・・。と思い、仕方無く思いっきり混雑する市役所へ書類を申請に行った。

 そして午後からは、母親と一緒にまた市役所へ。今度は雄一の障害手帳を返却に行く。ストーマなどの費用も市の援助で少しもらっているので、その停止も。
 そして再び年金事務所に行くと沢山の人が待っていた。
まあ、仕方が無い。4,50分待たされて今度は朝とは違う担当の人だった。もう全部用意しているし記入もしている。すぐに終わるだろう、と思っていた。
 ところが、その担当の人はもう50代後半でお世辞にも要領が良いとは思えない。何度も同じ事を聞く。
「まいったなあ・・・」と心の中で思っていたが、その人は僕と、母親の年齢を確認し、
「障害年金をもらっていた人が亡くなったら、同居の生計を共にする55歳以上の人には遺族年金を請求できる権利が有ります。」と解りにくい説明を繰り返す。朝、聞きたかったのはこういう事なんだよ。
 
 なんで、朝の担当者は何の説明も無しで片付けようとする?午後からのこの年配の人は出来る権利をちゃんと説明してくれた。同じ事務所で何でこんなに違うのか?
年金事務所は本当にどうなっている?全くここは信用出来ない。いつも1度や2度で終わった試しが無い。

 本当にわずかな金額だけど、申請する事にした。ところが、今度はその申請には所得証明が必要。
結局、申請は来週にしてその帰りに今日3度目の市役所へ。
 本当にこれで終われるかな?

2013年2月21日木曜日

思いは募るばかり。。

 今日は二・三・四4七日の法要をしてもらう。
中陰棚の飾りもお花も用意して綺麗にしてやりたい。ちょっと不安定なろうそく立てももう少し安定の良い物に。お花を飾る花瓶も。

 母親は毎食事にご飯や大好きなおかず、お菓子などをお供えしている。まるでままごとでもしている様に。雄一も喜んでくれているだろう。

今日はスカイダイビングの写真も飾ってあげた。30枚ぐらい有るそのダイビングの写真。何度もスライドで見ていて、絶対に決めた。

 丸い地平線が見える大空で必ず遺灰をまいてやろうと!
こんな写真って普通は全体無いよね。
 地平線が見えて、真っ青な海を眼下に見ながら全身に地球を、自然をこれ以上ないぐらい一杯に感じているようだ。まだ入院する10か月まえだ。。これだけ元気だった。

 お寺さんもこの写真に感心していた。今日もお姉ちゃんは来てくれたが、多分、年令は同じぐらいだろう。色々と話もしてくれる。これからもお付き合いを続けて行くだろうし、いい人にめぐり会えたと感謝している。
 今度は3月12日 初月忌と五七日、六七日を同時に行わせてもらう予定です。

 巡り合いと言えば、先日ひなたが、雄一の小学校の頃の写真を見ていて、
「あれ、この人先生と似てる!」
「その先生って、実家がお寺って言って無かった?」と母親が聞く。
「そんな事、言うとったわ」

 それで、昨日に学校へ写真を持って行ったら雄一の事を覚えていてくれたそうだ。
雄一と、僕の孫娘が学校は違うけど同じ担任だなんてね。これも人のつながりかな。

 今日はお世話に成った三重中央へ、雄一の沢山の医療品などを持って行った。借りている物も有るし、少しでも役に立てればいい。
受付に行き、しばらく待っている間に、この中の治療室で頑張って来た姿が思い出されてたまらなく成る。母親ももう泣いていた。
 いつも良くしてくれた、看護師さんも言葉に成らない様な挨拶をしてくれたが、僕も
「色々、本当にありがとう。。。」それを言うのが精一杯だった。

 病院は今日も変わらず沢山の患者さんが、来ている。先生や看護師さんも悲しくても、いちいち感傷に浸っているヒマはないね。僕達もそうしなければいけない、と思うが。。
その帰りも二人共言葉は出ないけど、沢山の事が思い出される。もう本当にいないけれど、残念で残念で可哀想で何度も泣けてしまう。
 助けてやれなかった悔しさはつのるばかりだ。

 雄一がスカイダイビングをしたハワイに行った時に着けていたお気に入りのペンダント。
母親がプレゼントした物らしいが、どこに有るか解らなかった。クローゼットを片付けて探していたら、それが出て来た。ブルガリのペンダント。革のネックレスを着けていた様だが、それは無い。
 これは形見にと、夕方に宝石屋さんに行ってネックレスを頼んだ。僕は宝石屋さんなんて行く事が無い。値段も解らない。母親の知っている店らしいが、そのプラチナの値段を聞いてビックリ・・・。僕の感覚ではケタが違うんではないの?と思うぐらい・・・。

 でもね、たった一人の息子の形見。お店の人はどちらが着けるのか解らなかった様だ。
それを聞くので、
「これは形見なんです。息子の・・だから母親に・・」それを言ってしまうと、僕らも泣けてしまったが、お店の人もどう答えればいいのか固まっていた。
 これが出来たら、母親も雄一と一緒に出掛けられるだろう。

 雄一がそのハワイで買って来た、タグ・ホイヤーのクロノグラフも有る。あのF1レーサーのアイルトン・セナが着けていたメーカーの時計だ。これもかなり高い。僕には買えない時計。
やせてからバンドを調整したのか、僕にはきつい。これはバンドの調整もしてもらって僕が大事に使って行く。
 
 必ず、もう一度、ハワイに連れて行ってやるよ!