2011年12月8日木曜日

ひなたの「ありがとう」

昨日もこのところも食欲も元気も無い。
鼻血も少し出た。多分、タキソールの副作用だろう。
何とか希望を持って欲しいが、先への意欲も失っているようだ。
僕には言わないが、母親には「もう、どうせ・・・」なんて事を口にするらしい。
中々本当の気持ちを出さないし、しゃべる事も少ない。
 言葉にして気持ちを出せ、といつも僕は言ってるので、僕とはまあまあ話してくれが、看護婦さんにはしゃべらなくなった。

 昨夜、ひなたとお姉ちゃんが来て雄一にもらった沢山のソックスを持って「ありがとう」と言っている。それに雄一は泣きそうな顔で答えていた。
雄一の心の中はどんなんだろうね。。。無邪気なひなたの表情。雄一は先をも解らない闘病生活だ。見ているだけで僕も詰まってしまった。

 もう苦しい治療は考えるところに来ているかも知れない。
「雄一はどうしたい?」
「・・・・」
「もう嫌なら治療やめてもいいぞ。病院が合わないなら変えてもいい」
「小腸を閉じたい・・・」
「来週辺りに上手く都合がつけば温熱治療に大阪に行くよ」

 しばらく自宅に帰ってもいいぞ、と言っても点滴が有るから病院にいる、と言う。
何か環境を変えて、希望を持たせたい。

 今日は少し食事も取れたようだ。食べれる楽しみから少しでも元気を出して欲しい。

2011年12月6日火曜日

ひなたの誕生日


今回の抗がん治療はタキソールの週1回の投与を4クール。その間に他の治療が出来ないか、ずっと考えていた。
その他の点滴の間を調整すれば、外出も出来る。今の病院で出来ない治療も外来なら出来るかも知れない。

以前からそんな事を考えていて、これからの治療も含めて先生に話してみようと思っていた。
今日、夜7時前に病院に来て詰所を訪ねると先生がおられて、希望や思いを話した。

1.温熱療法の可能性。
色々調べるとガン細胞は43℃で死滅するらしい。それを狙って電子レンジのような要領でお腹の中の患部を温める治療らしい。完治させる治療では無く、抗がん治療との併用が特に効果的だとある。患者にとっても暖かいお風呂に入る様な感じで負担の無く暖かくなって気持ちもいいらしい。
大阪や名古屋へ行けば治療する病院もある。先生も「今までの治療や症状をまとめておくので、まず相談して来て下さい。」と言ってくれた。

2.腸の復活をさぐる治療。
今回の検査ではストーマから先の腸が動いていない、機能が全く確認できないのが手術を止めた一つの要因だ。腸の先へ液を流したり刺激したりする治療もストーマの出口から逆にクダを先の腸へ入れれたらそれも出来る可能性がある。
ガンの影響で腸も難しいかも解らないが、わずかな望みをつなぎたい。
これもストーマの器具メーカーを今、相談しているのでやってみる様にする、と言ってくれた。

3.十二指腸のステント。
胃の出口から十二指腸の辺り、ガンの影響で狭くなって来ている。これが大きくなってしまうと、食べても流れず食べれなくなって、バイパス手術が必要になる。
今、ステントと言うのが有って狭くなった血管などの中にそれを入れて広げる事が出来る。カテーテルで入れてセットしてくる方法で十二指腸も同様に口から入れれば出来るらしい。今年から保険も適用になった。この病院でも出来るのでこちらも手遅れになる前に予定を入れてもらうようにお願いした。

他にも、色んな事、精神的なケアも、・・今日は全部話して僕なりにも少し整理できたし希望も湧いてくる。先生にも素人考えをそのまま話したが、気持ち良く対応してくれて「また、有ればいつでも言って下さい。」と言ってくれる。有り難い。

その後、雄一にも同じ様に話した。もう何も隠す事は無い。
昨夜は落ち着いてはいたが、今の状況で自分なりに先を理解していているのだろう。
色々話しかけてみるが、前向きな返事は帰ってこない。
9時に消灯して、自宅へ戻って夕食を食べていたが、どうも気になる。。。
また10時過ぎには病院に戻った。

子供の頃の話や雄一の名前の由来や・・・色々話した。こんな時に聞きたくない話、興味のない話かも知れない。時々嫌な様な顔をして、本当に嫌なのか、悲しいの
か、思い詰めているのか僕には良く解らなかった。
中々、言葉で気持ちを伝えられない、それが今の雄一だ。
何とか皆の気持ちを伝えて、受け入れて前向きになって欲しい。それが今は一番の願いだ。
今日はひなたの誕生日。もう10歳になる。雄一は10月末だったので、その時にひなたは母親と一緒に病院に来て買って来たマグカップをプレゼントしてくれた。
あの時はちゃんと「ありがとう」と言えた。
昨夜、その話をして「今度はひなたにプレゼントしてやれよ。」と言ったら、今日は母親に、ひなたのプレゼントを買って来て、と頼んでいた。

ありがとう、が素直に言える様になったらもっと気持ちも楽になる。
雄一は一人じゃないぞ。

2011年12月4日日曜日

少し柔らかな表情。。」


 今日は自宅へ一時帰宅。一時のショックから少し気持ちも落ち着いて食欲も出て来ている。先日は「内緒だぞ・・・」と言いながら絶食指示の間にサンドを一切れ食べさせた。先生もその後、「仕方ないなあ・・・でも無茶だけしない様に」とOKを出してくれた。

病院でシャワーを浴びて表情も少し柔らかい。
今日はお昼に好きなここ一番のカレー。小だけど、少し残しただけで食べたらしい。
肉も牛丼も食べたい、と言うので今日は家でゆっくり焼肉を食べた。お寿司も2つ食べたし、いつもより今日は食べてくれたね。
今度は皆で焼肉屋に行こうと約束もした。目先の楽しみでもいい。少しでも明るく前向きになって欲しい。

病院のロビーのクリスマスツリー
辛い宣告から3日が経つが、何とか気持ちを切り替えてくれたのが嬉しい。
今晩も泊まるけども明日はもう大丈夫だろう。
今回の抗がん治療はタキソールの限界量を週に1回だけ点滴で流す。それ以外は栄養剤と水分補給用の点滴だけだ。間が空くので少しもったいない気もするがTS-1をやらない分、通常より多めの限界量だからこれでいいのだろう。
多分、雄一にも楽なハズだ。少しでもいい方向に向いて欲しい。

この週末に病院には大きなクリスマスツリーが飾られた。クリスマスもお正月も一緒に過ごせるように祈ろう。

2011年12月2日金曜日

苦しい吐き気

 昨日の夕方からどうも吐き気が続いている。
8時にも9時ごろにも苦しそうにもどした。そんなに食べてもいないし出てくるのは濃い緑色した胃液のようだ。
そんな調子なので、今晩も僕は泊まる事にした。
 病院にまた付き添いの申請を出し、簡易ベットを頼んだが、隣りの空いているベットを使ってもいい、と言うので僕も隣りで横になる。

 吐き止めの薬を入れてもらったので、夜は少し落ち着いていた。けれど連絡を取ってもらった先生からは、しばらく絶食の指示。。。仕方がない。
朝方には薬が切れたのか、また何度か吐き気をもよおし、2,3度もどした。
可哀相に骨だけになってしまった背中を何度もさすってやるが、苦しそうだ。
二日酔いで何度か苦しい思いは何度も経験があるが、それが続くんだからとても辛いだろう。

 お昼前には今度はタキソールの抗がん治療が始まった。今回はこの点滴2時間ぐらいだけだ。吐き気を抑える薬も後で入れてもらって、お昼からはかなり落ち着いて来た。昼食も無しだけど、もう牛丼が食べたいとかアイスを食べたい、とか本当に懲りない性格だ。ここまで危ない状況なのに、まだ勝手な事を言い出す。
でも食べさせてやりたいし、アイスを買って来て先生に許しをお願いした。
「少しだけなら・・」と言われてハーゲンダッツを本当に少しだけだけど、食べて少しは気が収まったようだ。

 夕方にはポカリも少し、ゼリーも食べた。少し楽になって来たようだ。
昨日、急に吐き気や胃液が出て来たのは何だったんだろう。
もちろん、胃も十二指腸も腸も全然普通ではない。でも一番の原因は昨日の宣告があまりにショックで、それのストレスの影響が一番大きい様に思う。
なってしまった事は悔やんでも仕方がない。
今を受け入れて、そこから始めるしかない。気持ちをいつも前向きに持ち続ける様になって欲しい。
       
 今日も病院で泊まろう。でもここは暖房が利いてるし、空気が乾いてのどが渇くしベットも硬い。ハッキリ言って気持ち良くは寝れない。
僕には少し寒いぐらいで毛布と布団をかぶって寝るのが一番いい。
今日は寝れるかな?

2011年12月1日木曜日

辛い辛い宣告


昨日、お昼すぎに電話を受けて、余り検査の結果が良くないらしい。
もう仕事も手に付かず、早めに帰って来て話を聞いた。

腸など条件が良ければストーマの元に戻す手術を12月の9日にはする予定だった。
CTの色んな検査。腸のストーマから先の腸の検査、血液検査など、どれも良い結果は無かった。
特にストーマから先の腸は腹膜炎か癌の影響かほとんど動いていないらしい。もし手術をしても腸がつながる確率はかなり低い。また腸管が破れたりする危険性の方が高い。
血液検査での腫瘍マーカーも上がっている。
十二指腸の周りも狭くなって来ている。腎臓の尿管も。。。

明るい結果は何一つ無かった。
このままでは雄一が唯一の望みで、期待していたストーマを戻す手術はとても出来そうにない。母親や先生と「何と話をしよう。。。」考えていても今は方法が無い。
少しでも楽に過ごせるように、苦しい治療を止めるか、もう一度抗がん治療を続けて可能性に望みを託すか、、それしか無い。

手術が出来ない以上、雄一には説明が必要だ。皆で相談しある程度、この事実を伝えるしかないと決めた。
病室で雄一に先生が話をする。出来るだけ落胆させないように話はしてくれているが、本人に取っては相当なショックだろう。もう宣告を受けたような。。。

その後の夕食も、もう食べる意欲も無くしている。飲み物も取ろうとしない。母親は泣いているがそれでも食べようとしない。
そんな状態なので、昨夜は付き添いをする事になった。一旦帰って支度をし病院に戻った。
相変わらず何も食べない。寝る前に少しジュースを飲んだだけ。

眠剤を飲んでいるが、こんな状態では眠れないだろう。雄一に取っては辛い、苦しい、希望を絶たれてしまったような夜だ。。。
朝、朝食が来ても食べようとしない。言葉も出てこない。
ストーマからは濃い緑色した胃液が流れて来ている。大きなストレスもある。でも何か食べないと、このままでは胃も腸もやられてまた鼻にクダを通す事になる。そこまで言っても食べようとしない。

8時過ぎに母親が来て何とか食べさせようとする。涙ながらにさとし、話ても返事もしない。「お前男だろ。自分の事よりも母親の為にそんな事が出来ないのか?」辛さは痛い程解る。叱りたかったけどこれ以上は言えなかった。
人は追い詰められた時、子供の様になる、と聞いた事があるが、雄一は小さい頃の親に反発する子供そのままだった。
雄一にもメンツが有る。暫く僕は居ない方がいいだろう。部屋を離れてしばらくして戻ると朝食を少し食べていた。

これからも雄一には辛い日々が続く。すぐまた抗がん治療が始まる予定だ。何とか希望を与えてやりたい。