2011年9月19日月曜日

少し安心も。。。

 昨日は心配した2度目の手術も何とか持ちこたえてくれたしICU室で管理されているから、夜の付き添いもいらない。家で一安心して眠り、早く起きた。
 今日は野球の試合も有るので、昨日の段階ではもうキャンセルしようか、とも思っていた。でもコーチも見てくれるし、子供達もやりたいだろう。
今日はICUで面会時間も限られているから、午前中だけ野球に参加し1試合を終えて、後も気に成りながらすぐに病院に戻った。

 12:00
 病院には大阪の兄も来てくれていた。お昼すぎにICU室へ入れてもらって様子を見たが、まだまだ痛みも有って中々眠れないようだ。この3,4日、殆どまともに眠っていないのでは・・・と思う。体力の低下が心配。でも少し顔色は良さそうだ。

 16:30
 一旦帰って、必要なものを買い揃えたり、少しの睡眠もとった。とにかく眠かったが、雄一に比べれば何でもない事だろう。
夕方6時過ぎにICUに入ると、やはりまだ腸、お腹がかなり痛い様だ。看護師さんに聞くと定期的に痛み止めも打ってもらっている。
2度目の手術からまだ20時間ぐらいしか経っていない。
お腹のチューブから出て来る体内の液もまだ多いし、腸が順調に回復するまでは当分、痛みも続くだろう。何せ、パンパンの状態だったんだから・・・。
もう再発せずに、少しずつでも回復するのを祈るばかりだ。
 
 この1週間でまたやせた様に思う。
子供達にはしんどい時でもガマンして頑張れ、と育てて来た。
この様な状況に限って言えば、それは間違いだと気付く。痛いのを、辛いのをガマンしていたらそれは悪くなるばかりだ。
雄一には、「痛かったらガマンせずにちゃんと言うんだぞ、ガマンするなよ」とは言って来たけど、僕達が行くと「口をゆすぎたい」と必ず言う。
どこかで「これぐらいはガマンしないと・・」と思っているんだろう。

 早く、回復して欲しい。食べれる様になって欲しい。

2011年9月18日日曜日

もう一つの山

15:30
 雄一が再手術に成りそうだ・・との連絡が有った。やはり腸の具合が良くないらしい。すぐに仕事を引き継いで帰って来た。

 やはり腸からまた漏れているのは間違いないようだ。腸の中の液がお腹の中に出て腸そのものが炎症しているらしい。CTの画像でも腸が膨らんでいるのが解る。

 今日はそれまでに田舎や大阪のいとこ達が見舞いに来てくれていた。
病院の同僚や上司の人も。
再手術の準備をしている時にまた2人の同僚の子が来てくれた。相手するにも色々検査や準備や先生との話で、会わせる事も出来ない。
 いよいよ手術室へという時に彼らは、やっと雄一のベットの脇に寄り添って
「絶対元気に戻って来いよ!またカラオケ行くぞ!買い物にも行くぞ!」と悪友らしく励ましてくれている。雄一も声は出ないが、「うん、うん」とうなずいている。
 僕も母親も励まして送るとしっかりうなずいていた。気持ちは前回よりしっかりしている様だ。

 17:00
 手術室へ。
先生からは2回目の手術だし、危険性もある。腸は縫っても今の腸の状態ではつなぎ切れない可能性が高い。その時はまた人口肛門に成る、と。
それからとても長く感じる時間が過ぎて行く。
何も食べる気も起こらない。祈り待つだけだ・・・。

 20:30
 手術室から先生がカメラを持って出て来た。
無事終えて小腸に人口肛門を着けた事も話す。やはり前回に縫ったところが破れていたそうだ。同じ様に処理をしようとしても腸そのものが腫れて弱っているしすぐに破れてしまうらしい。そこで仕方無く人口肛門となった。
これで上手くいっても、ガン治療を続けて良く成るまでは元には戻らないだろう。
 カメラの画像を見せてもらったが、まるでフランクフルトを縦に切った様に傷口が開いている。とにかくこれで何とかつながって腫れが収まって欲しい。

 ICU室に出て来て手当をされている雄一は比較的顔色も良さそうだ。麻酔でいびきをかきながら眠っているけれど血圧も110ぐらいで安定している。
何とか、これで落ち着いて欲しい。
 良く頑張ったなあ雄一!

2011年9月16日金曜日

雄一の入院

今年の夏場になってからの雄一の体の変化が気になっていた。
今年の春に田舎のお爺ちゃんを皆でお見舞いに行った時は何も感じなかった。
服を着ていても明らかに細くなっているのが解る。

 自分は病院で勤務しているのに、「早く病院で見てもらえ!」といっても本人は別に体調が悪い訳でもないし「うるさいなあ」ぐらいにしか聞いていない。
けど、この8月になって明らかに食事が急に細くなり、ごはん半分も食べれない様だ。ここまでなっても診察にも行かず、体力に任せて病院の勤務、夜勤もこなしている。

 とうとう体力も続かずやっと勤務する病院の先生に見てもらった。
それが9月2日。
すぐに先生も異変に気付いたようですぐに仕事をやめさせ自宅療養になった。

 僕は病院で業務するその環境の中で何で誰も気付かないんだろう・・・
多分、昼食も同じ状態のハズだ。雄一の周りの人が少しぐらいは気がついいてもいいのに・・・と思っていて一度、勤務する病院に相談しに行こうか・と思っていた。
今となっては僕もすぐに行かなかったのが、とても悔やまれる。

 自宅で療養中も僕の目には、どう見てもこれはおかしい、尋常じゃない、と感じていたが、本人は調子が悪いだけですぐに仕事に戻ると思っていてテレビを見ながらベットに転がっている。

 そして9月9日に胃カメラ。
胃の組織も取って検査、その他色々な検査もしてくれたようだ。

 9月13日、自宅に帰ると雄一はいない。すぐに入院したらしい。担当の先生から夜10時頃に本人には合わずに来てくれと言う。
これは普通ではない。でも若いしまさかね・・と思いながら病院に向かった。

 担当の先生は解り易く詳しくそして隠すところなく正直に説明してくれた。
症状は胃ガン、それも相当進行している。特に若いし進行が速い。ガンの1~4までのレベルでいうとすでに4のレベルだそうだ。
しかもそれが腹膜にも移りお腹の中に多数散らばっている。まだカメラ程度では解らないがそれは間違いがない。
 ガン性腹膜播種という症状らしい。相当やっかいな症状で今の状態では手術もできない。進行も早くこのままでは1~3か月・・なんて事を話された。

 頭よりも脳みそを叩かれたようなショックを受けた。
「何で・・・タバコも吸わないし、酒もほとんど飲まない。贅沢もしない。仕事も順調でやっと自分のお金でおしゃれをしたり、海外旅行をしたり、これからという時だ。何で雄一に・・・」

 治療方法は暫く体力を戻してそれから化学療法、治療でガン細胞を減らし手術できる様になれば可能性がある。ただしそれは抗がん剤に対しどこまで体力が勝るかの勝負になる。可能性はかなり低い。
色々ネットで情報を調べても同じ様な事が書いてある。

 後で三重中央の先生に聞いた話では、抗がん剤は早く成長する細胞を攻撃するらしい。血液なんかは日々生まれている。だからそれらの必要な細胞にも攻撃を仕掛ける。それが合わない人には大きな副作用になる。
けれど最近ではいい薬も出て来て同じ様な腹膜播腫でも劇的に効果が出る人もいるそうだ。確率は低いけどね。
 今はそれにかけるしかない。

 そのあと、もう11時を回っていたが、苦しそうに雄一は横になって寝ていた。本人にはガンは伝えない。
最善の方法をと、愛知のガンセンターに紹介状を書いてもらう、と先生とは了解を頂いたので、その時に話をしようと決めた。家族にも雄一にも覚悟がいる。
雄一には「今の内に悪いところは全部直すんだぞ。治るまで出て来るな。だから覚悟決めてしっかり治せ」と強気で話した。
自分の体に、細胞に戦い抜く事をイメージして思い込め、とも。
何が何でも頑張り抜いて欲しい。出来る事は何でもしてやりたい。

 その夜は眠れず、色んな事を思い出し考えた。僕が普段、私生活には特に厳しく言い過ぎたのもずっと悔やんでいた。雄一にもストレスは有っただろう・・。

 9月14日
仕事も手につかず、うわの空で終えて病院に行くと、昨日とはうって変って元気になっている。ベットを立てて普段着を来てテレビを見ている。少し熱は有るようだが顔色もいい。この調子なら体力を戻して戦えるかもしれない。少しその夜は安心して疲れもあるしすぐに寝てしまった。

 9月15日
 今日は木曜なので会社は休み。9月までは土日出勤だ。昨夜の帰りに有希子のところにも行き事情も伝えた。散髪もしたかったので朝10時から頼んでおいた。
早く起きて色々していると、9時頃に病院の先生から電話がかかる。

 「お腹の中の腸のどこかで穴が開いてしまったようで、場所は特定出来ないが事象からそれは間違いはない。緊急手術が必要です」
ガンが腸にも転移し膨らんで詰まっているところが多分破れた・・・。それまでの検査でお腹にガスを入れて検査したのも一つの要因かも、とは僕は感じた。雄一はそれがとても気持ちが悪く口や鼻に戻ってくるので嫌がっていた。

 すぐに病院へ行き説明を聞いた。とにかくこれは救命の為の緊急手術。すぐにやらないとお腹の中に便や菌が回って最悪血液中に感染してしまうと1~2日に死亡してしまうらしい。最悪の状態を超えるには手術にかけるしかなかった。
雄一にもガンの話はしていないが、その話を先生はもうしてくれていて、本人も了解している。人口肛門になるかも知れない、という話もしている。

 病室に救急隊が来て苦しんでエビのようになっている雄一を運んで行った。

 11時
 三重中央の先生も若いテキパキとした好感の持てる先生だ。まだ30代前半だろう。ガンは本人には伝えていないとこの先生にも引き継がれていたので、僕にもその様な話をする。「僕らは全部聞いています。腹膜播腫の事も」と言うとしっかり細部まで、手術の危険性も説明してくれた。ガンの治療も行っているしその対応も詳しい。愛知ガンセンターとの情報、交流もある。
この先生なら状況に適格に対応するだろう、と感じた。

 雄一はお腹の痛みが激しくずっとエビの状態・・。辛そうだが親は何もしてやれない。頭をなでるだけ。代われるものならは代わってやりたい・・と母親は陰で泣いている。
何本も点滴をつけられていながら、苦しみながらまだ雄一は「昨日まで調子良かったのに・・・仕事も早く戻らな・・」とこんな手術前の状態でもそんな事を言っている。
 1時に手術に入る前にも先生に「いつごろ戻れる?仕事あるし・・人口肛門はすぐに外せる?」と聞いていたようだ。

2011年6月11日土曜日

自然の力

 先週の金曜日、会社が休みになり、なまった体を動かそうと家の周りの垣根や植木のせん定や小さな庭の草ひきを始めた。
梅雨に入り、雑草は一気に伸びてる。

そんな庭の雑草を抜いていると、そこに雑草ではない意外な物を見つけた。
まず気が付いたのが、小さな葉を付けたもみじ。


垣根の陰に小さなもみじ
「どこから、種が飛んできたんだろう?」と考え、感心しながら雑草を抜いていたら今度は小さなヒノキの葉が有った。

自然の力は凄いね。
地震や津波は凄い破壊力だけども、こんな小さな樹木の命も育ててくる。
それにしても、どうやってこの小さな庭に根を着けたんだろう?
もみじもヒノキも種子からだね。。。って事はどこからか飛んできた?
鳥のフンにでも入って落ちた?

ヒノキ

そんな事を考えながら、この場所では育たないのでスコップで回りから掘り起こし、小さな鉢に植え替えた。
今、もう一週間が経つが元気に成長しているようだ。ヒノキの葉は特に成長が早ね。
僕が生きてる内に、どれだけ大きくなるか楽しみにしていよう。



鉢に移して玄関先へ

2010年12月8日水曜日

人の幸せとは Ⅱ

 今日のNHKのクローズアップ現代。すごいドキュメントだった。
18歳になる女の子が難病での延命をやめて死を覚悟で家族と一緒に過ごして、父親に抱かれて亡くなっていく・・・。
背骨が曲がってくる難病らしいが、そのせいで呼吸も困難になりのどに穴を開けてチューブで呼吸している。もちろん声も出ない。手書きのボードやパソコンや携帯メールで意思を伝える。
印象に残った言葉
 
 ・もういっぱいやったから。
 ・人生は長く生きる事じゃなくてどう生きるかだよ。
 ・天国は・・・なんて言ったかな・・・
  天国へ行っても気持ちはつながっているから淋しくない。

お父さんは生きる可能性があるならそうしてあげたい。
その子は・・もう決めた事だから、もう苦しめないで。

透析さえすれば生きていく事は出来る。体中がむくんだ状態でもその子は携帯のメールに
みんなに感謝・・・と書いていた。

 以前に白血病の小学生5,6年生ぐらいの息子を無心に看病する母親のドキュメンタリーもあった。
助かると思った骨髄移植しても副作用なのか、更に悪化していく。
食べたい物も食べれない。放射線治療や薬付けの連続で唇も腫れ上がっているその子が、いつでも食べれそうな食べ物をお母さんに向かって泣きながら必死な顔で「おい!食べさせろ!いいから食べさせろ!」と声も出ない顔で哀願している・・・。あの表情はテレビながら忘れられない。
食べさせたらまたまたひどい症状が出てしまうと、母親は泣きながら何も出来ない。
 妹思いのとても優しいお兄ちゃんだった。
そこまで苦しめる医療がいいのか、少しでも可能性にかけるべきか・・・。
これは、考えてしまう。

 以前に見たアメリカ映画 「ロレンツォのオイル/・命の詩」 これも凄い映画だった。
これは実際に有った奇跡の物語を映画化した物で、神経も脳もおかされていく、医師からも見放された難病を発症した子供を銀行員の父親と母親が必死の独学で一つのオイルにたどり着く・・・。
寝たきりで何の反応も出来なかったその子が、そのオイルで母親の問いかけにかすかに応えれるようになる・・・。
まあ、凄かったです。この映画は。レンタルでも4,5回は見ました。
 通常この病気に掛かると2.3年で亡くなるそうだけど、この主人公となったロレンツオ氏は5歳で発病し最近、30歳で亡くなったそうです。
この映画は必見です。

 大変な状況の子供達を見て、自分ならどうするか答えも出ないし、僕ならあそこまで絶対に出来ないだろうなあ。
不自由の無い生活を送れる事に感謝しよう。